柳田国男のレビュー一覧
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日本人が何をどのように信じ、どのように生きてきたか、「日本人の心の原風景」は文字に書き残されていない。そのために、日本人の心の探究は、民俗学というかたちをとらざるを得なかった。地方に足を運び、老人たちの物語りに耳を傾けて、それらをつぶさに記録するという、膨大なエネルギーを要する作業である。
その最高峰の仕事が、柳田国男と宮本常一であろう。
本書では、古来日本人が、人は死ぬとその魂は隔絶した世界に行くのではなく、山に帰っていく、と思いなしていたこと、山の高みに登っていく過程で魂が浄められて神々になっていくこと、この世とあの世は断絶しているのではなく、往還可能であり、盆、正月、彼岸には先祖は生者 -
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鯨庭さんの作品が結構好きなので読みました!
この作品は遠野物語の行間を「補足」して創られた物語で、遠野物語原作をそのまま漫画化したものではありません。
鯨庭さんの「驚きながら、あなたも言い伝えの断片にある隙間について想像してみてほしい」という言葉の通り、遠野物語本編を読んだ上でこの作品を読み、実際に遠野を訪れてみて「言い伝えの断片にある隙間」を考えてみてほしい。人の営みを語り継ぐ意味や必要性、そもそもなぜ人は物を語るのか、原点に立ち戻るきっかけを与えてくれる経験になると思います。
昨年の夏に遠野に行った。花巻から電車で訪れたところ、確かに柳田國男が紹介しているように、周りを山に囲まれた真緑の -
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『遠野物語』柳田國男
オーディブルで聴いたが、古い言葉遣いが残っているため、なかなか一度で聞き取ってすべてを理解することは難しかったが、それでも聴いていて没頭する物語もあり、ときおり私は「え!」と叫びながら、ぞくぞくするということがあった。
いったい、このぞくぞくする、ということは、どういう感動なのか、とも思う。
柳田國男は、青年時代に文学者たちと交流し、自らも詩を試みたが、やがて彼ら自然主義文学者から決別して、この『遠野物語』という、山の中の生活のなかに、残っていた前近代的な物語を、書き残すことを仕事とするようになった。
恋とか私小説とか、そういったものと、決別すること。それは、自己 -
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ネタバレ明治はまだ人の寿命が短く(とはいえ兵役や戦災で死ぬことはまれで)生と死が近かった時代。山道に馬の屍体があり「これの皮が欲しいが、取ると狼が付け狙って殺されることになるだろう」と伯父が言うなど狼·熊、化かす狐が身近。殺人の祟りで児が皆ある年限で死ぬといった怨念話も。活字で読んだら怖いが、聞き取り調査で読み書きできない語り手から採取する時は普通の話題(当時録音は困難)。文語記述が簡潔で内容にマッチし、グリム童話や、著者の指摘・対比する今昔物語と訣別して「これは現代の話である」と序文で断定される。民話や民謡は作ろうとして作れるものでなく、個人でない集団の無意識が自ずと形をなしていくのかも知れない