柳田国男のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
この本では怪異的な伝説の類が収集され、テーマごとに論じた文章が集められている。たとえば一つ目小僧や、人間に化ける魚や鰻、白鳥に化身する餅、巨人など。
一つ目小僧に関しては、隻眼の神のイメージが変容して妖怪化したものだろう、と柳田は結論づける。
これはいいが、他の文章は読み進めていくと、どうも解釈−結論づけが恣意的のそしりを免れず、学問(科学)としてあまり緻密な検証が完遂されていないような気がした。『海上の道』は特にそうだったが、確かな証拠が少ない中で、あまりにも飛躍的に仮説へと進んでしまうような危うさを感じてしまうのだ。
だがこのことは、開拓者としての柳田国男の価値を損じるわけではない。フロイ -
Posted by ブクログ
柳田國男の時代でも意味が失われた忌や言葉があるから早く収集しないと!って感じだったんだ。かつての農村村社会をベースにした日本、隔世の感がある。同じような忌や習慣が東北から、沖永良部みたいな南の島にまで共通して蒐集できるのが面白い。
血の穢れ系、月の障りで隔離される系について。
生理中の女性が休めるように穢れということで隔離してたんだ〜みたいな言説を見たことあるけど、この辞典から察せられるに絶対そうじゃないな。お産の隔離小屋も月のものの隔離小屋も環境劣悪そう。
呪力のあるものを忌んで名前を呼ばない、という忌が面白かった。山でその名を呼ぶとそいつに見つけられて悪い目に遭う、というのはヴォルデモ -
-
Posted by ブクログ
ネタバレ言わずと知れた、柳田國男の名著、その漫画化。
「オシラサマ」「河童」「狐」「御犬」の四話が収められている。
オシラサマは養蚕の神、狩りの神、女性の病気の神、etc. ・・・ その由来の物語。いかにも昔物語っぽい構成。
遠野物語といえば、河童 やね。人間社会の闇を、架空の生き物に託して語る、これも神話的なテンプレート。
狐の不思議な話は、全国に残る。その昔、狐は人語を解し、人間に化けて人を騙すことが本当にあったのかもしれない。
御犬、ニホンオオカミのこと。なぜ、御犬は滅びることになったのか。人間世界の膨張による自然との力関係の変化。オオカミの存在とともに、我々が大切なものを -
Posted by ブクログ
原典の『遠野物語』は1910年、のちに民俗学の祖となる著者・柳田国男によって自費出版されたものです。その文語体の文体の美しさが本書の解説でも素晴らしいと言われていまして、こうして口語体にすることで、面白みや美しさが損なわれてしまうのですが、それでも文意をわかりやすく伝えるべく挑んだ冒険作と評価されています。
「遠野」はアイヌ語が語源のようです。たとえば、「トオノ」の「トオ(トー)」は湖を表すのだ、と。アイヌは北海道のみならず、東北やロシアにもダイナミックに活動域を広げていたと、以前読んだことがあります。その痕跡をこうして身近に感じられると、遠い話ではないような気がしてきます。
さて。61ペ -
Posted by ブクログ
100年前に口語で伝えられていた本当のお話 1900年初頭に発刊されたこの本、約100年前の岩手県で語られていた話。河童が出てきたり、山女が出てきたり、まるで日本昔ばなしに出てくるお話のよう。これが本当に口語で伝えられたお話なのだから、そこにはリアルなものが存在する。読んでいて思うのが、昔の日本、ほんの100年前は自然に宿る神の存在や今は架空の生き物とされているものを、ちゃんと崇めたり、信じて生活していたことが分かる。それほど我々の生活、そして自然に囲まれた日常には、身近に感じれていたものなんだ、と。昔の人の生活スタイル、精神をだいぶ今の日本人は失ってしまったが、今だからこそその感覚を少しでも
-
Posted by ブクログ
『幽冥談』『怪談の研究』(版は違うが)『山の人生』は先に読んだことかあるが、こうして各段階ごとに編集されているとまた思想の変遷がわかって面白かった。
日本も多民族国家だったという視点はアイヌ以外では今の日本では感じにくい。各地の風土記で中央に反抗する勢力も「異民族」というより「現地勢力」または「地元民の先祖」のような感じにとられる。そういう視点を知ると当時の情勢はもちろん、想像・ロオマンスのなかの幻にもとれる。
ロオマンスをしつこいほど繰り返す田山花袋の目にうつる柳田国男はこんな感じかと、生暖かい目で見守る?観察する?ような気持ちになった。
また機会を見て細かに読んでいくつもりだけれど、ひと -
-
Posted by ブクログ
自然主義と子供の頃の体験、国家公務員としての立場、ロマン主義などの柳田国男の背景は難しい。ここは長く研究している・読み込んでいる人むけかと思う。
なので、編者の意図とは違う視点での読書になったが、印象深いところを書き出すと、
不安定な子供の立場…共同体からの承認を得てはじめて生存を許される、心身が定まらないがゆえに神隠しにあう・依坐となる、親子心中の犠牲者となる。そのなかで神隠しにあった柳田の恐怖心なども見え隠れする。
母衣については先に読んでいた山本ひろ子『大荒神頌』で花祭の論考でそれの答えになるような事例があった。
隠れ里への憧憬と畏れ…隠れ里の伝承とともに、現実に見つかった・外界に開か -
-
-
Posted by ブクログ
咳のオバ様、神社の片目の魚、神様が決めた国境と山の背比べの話など、日本各地に残る昔話や神話として語り継がれた物語で、似たようなものを集めた本。
類似した昔話がある場所には、「姥ヶ池」などの似たような地名が残っているというのも印象的だった。
また、日本各地には様々なバリエーションのお地蔵様が記録されていた。願掛けのたびに墨汁や酒粕を掛けられて臭くなっているところを見かねた村人が綺麗に洗ったらバチが当たった話や、子供に悪戯されていると思い子供を叱ってお地蔵様を元の位置に戻した人の夢枕で「せっかく子供と楽しく遊んでいたのに」と怒る地蔵、歯が剥き出しの地蔵など。今では語る人も居なくなって、どうし -
Posted by ブクログ
文化論ということだけど、その当時の東北各地を旅した気分になれる紀行文としても楽しめた。
柳田の目に移った自然、土地土地の植生の変化とそれがみせる美しさや物悲しさ。
人間についていえば、今に通じる三陸大津波や豪雨後の様子、それに巻き込まれた人々、旅先特有の哀しさ。
特に目は口ほどに云々を如実に語る「子供の眼」は悲惨な境遇・体験に面してしまった子供の状況とその眼が語る様が、ひどく胸に迫った。
ほかの著書の口碑・伝承などから考察を巡らす内容は最後の「東北文学の研究」になるけれど、ここでの海尊系の話と八百比丘尼伝承との結びつきは面白い。
紀行文?と考察が楽しめる点ではお得な感じの一冊。