柳田国男のレビュー一覧
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原典の『遠野物語』は1910年、のちに民俗学の祖となる著者・柳田国男によって自費出版されたものです。その文語体の文体の美しさが本書の解説でも素晴らしいと言われていまして、こうして口語体にすることで、面白みや美しさが損なわれてしまうのですが、それでも文意をわかりやすく伝えるべく挑んだ冒険作と評価されています。
「遠野」はアイヌ語が語源のようです。たとえば、「トオノ」の「トオ(トー)」は湖を表すのだ、と。アイヌは北海道のみならず、東北やロシアにもダイナミックに活動域を広げていたと、以前読んだことがあります。その痕跡をこうして身近に感じられると、遠い話ではないような気がしてきます。
さて。61ペ -
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『幽冥談』『怪談の研究』(版は違うが)『山の人生』は先に読んだことかあるが、こうして各段階ごとに編集されているとまた思想の変遷がわかって面白かった。
日本も多民族国家だったという視点はアイヌ以外では今の日本では感じにくい。各地の風土記で中央に反抗する勢力も「異民族」というより「現地勢力」または「地元民の先祖」のような感じにとられる。そういう視点を知ると当時の情勢はもちろん、想像・ロオマンスのなかの幻にもとれる。
ロオマンスをしつこいほど繰り返す田山花袋の目にうつる柳田国男はこんな感じかと、生暖かい目で見守る?観察する?ような気持ちになった。
また機会を見て細かに読んでいくつもりだけれど、ひと -
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自然主義と子供の頃の体験、国家公務員としての立場、ロマン主義などの柳田国男の背景は難しい。ここは長く研究している・読み込んでいる人むけかと思う。
なので、編者の意図とは違う視点での読書になったが、印象深いところを書き出すと、
不安定な子供の立場…共同体からの承認を得てはじめて生存を許される、心身が定まらないがゆえに神隠しにあう・依坐となる、親子心中の犠牲者となる。そのなかで神隠しにあった柳田の恐怖心なども見え隠れする。
母衣については先に読んでいた山本ひろ子『大荒神頌』で花祭の論考でそれの答えになるような事例があった。
隠れ里への憧憬と畏れ…隠れ里の伝承とともに、現実に見つかった・外界に開か -
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咳のオバ様、神社の片目の魚、神様が決めた国境と山の背比べの話など、日本各地に残る昔話や神話として語り継がれた物語で、似たようなものを集めた本。
類似した昔話がある場所には、「姥ヶ池」などの似たような地名が残っているというのも印象的だった。
また、日本各地には様々なバリエーションのお地蔵様が記録されていた。願掛けのたびに墨汁や酒粕を掛けられて臭くなっているところを見かねた村人が綺麗に洗ったらバチが当たった話や、子供に悪戯されていると思い子供を叱ってお地蔵様を元の位置に戻した人の夢枕で「せっかく子供と楽しく遊んでいたのに」と怒る地蔵、歯が剥き出しの地蔵など。今では語る人も居なくなって、どうし -
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文化論ということだけど、その当時の東北各地を旅した気分になれる紀行文としても楽しめた。
柳田の目に移った自然、土地土地の植生の変化とそれがみせる美しさや物悲しさ。
人間についていえば、今に通じる三陸大津波や豪雨後の様子、それに巻き込まれた人々、旅先特有の哀しさ。
特に目は口ほどに云々を如実に語る「子供の眼」は悲惨な境遇・体験に面してしまった子供の状況とその眼が語る様が、ひどく胸に迫った。
ほかの著書の口碑・伝承などから考察を巡らす内容は最後の「東北文学の研究」になるけれど、ここでの海尊系の話と八百比丘尼伝承との結びつきは面白い。
紀行文?と考察が楽しめる点ではお得な感じの一冊。 -
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禁忌について収集した本なので、当たり前なんですが、やってはいけないこと、避けるべきことばかりが載っていて、読んでいると興味深さよりも窮屈で息苦しい気分に。
今と医療の状況が異なる上に、どうしてそうなるかが不明で、何かというとモノノケの類の仕業だったりしていた時代だと仕方がないのかもしれないのですが、とにかく血への忌避感が強い。
火に関しても興味深い。確かに今の時代でも「はるか昔から燃え続けている火」とか聞くと、「おお」と思うし、そこから分けられた火も「この火もはるか昔からの火か……」と思うので、感覚的にはなんとなくわかるのかも。
現代に生まれてきてよかった……面倒くさすぎる……100年後の人 -
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柳田國男が晩年に書いた論文をいくつか合わせたもので、日本国および日本人のルーツを辿ろうと試みた作品。そんなこととは知らず『遠野物語』の海版と思って読み始めたので何度か挫折しながら、無理やり読み切ったが、正直半分も理解できていない。
本書全体を通じて現れるニライカナイという単語がそもそも捉えにくくて困る。島で暮らす人たちの想像から生まれた水平線の果てにある別世界とでも言えばよいのか、のちに龍宮や根の国などと同一視されたらしい。根の国といえば素戔嗚尊が母を追って辿り着いた地下の国だが、著者曰く、根という漢字をあてたがために地下という意味合いが強くですぎただけで、実際はハジマリ(根本)という意味合 -
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ネタバレ「山に埋もれたる人生あること」
柳田国男は、歴史として農民の厳しい現状を様々な人たちに伝えたかったのではないかと考える。この本が出版されたのが1926年 また、本文の初頭に「三十年あまり前」 と書かれていることから、この本に書かれている時代として1896年以前に起こった貧困問題が書かれているのではないかと考える。なぜ、柳田国男はこのような文章を何のために書いたのか、という事だが、この時代背景として1880年代半ばに起きた日本での産業革命を中心に、政府が農民に負担をかけた地租改正などが、農民から餓死者を増やし、貧困や不景気の問題を巻き起こしていた一つの問題ではないかと考える。また、柳田国男自身