柳田国男のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
書名に「随筆」とあるとおり、やや軽い読み物といった趣だが、さすが柳田國男、いつものように博識ぶりを発揮し、民俗学的な思考にいざなってくれる。
狐や犬のような動物を巡る民間伝承や文献をさぐり、彼らのイメージが人間にとってどのようにあらわれてきたかを記述しようとする。
柳田國男の文章はいつも、どこか随筆のような飄々とした雰囲気があり、「民俗学」という学問上のいかめしい論文というより、きまぐれな道草や方向転換をもふくんだ、文体自体が味わい深い文学作品という印象がある。
レヴィナスの哲学書が一種の文学として読めるように、柳田民俗学もすっぽりと柳田文学というパースペクティヴで捉え直すことができるだろう。
この文章はじっくり読めば読むほど味が出てくる。それは既に失われた、昭和初期以前の民俗的風景の匂いに似ている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『遠野物語』はずっと前に角川文庫で「補遺」まで読んだが、『山の人生』は読んでいなかったので、読んでみた。愛知県や岐阜県の例もたくさん引かれていて面白かった。柳田によれば、天狗や鬼というのは、山に住む漂泊民を平地人がうやまった者で、古代では国津神と呼ばれていた。彼らは平地人よりも大きな身体で、斜面を非常に早く移動することができた。凶悪な者は鬼として武力で討伐されたが、なかには里に買い物にきたり、山小屋でこっそり火にあたっていたり、米の飯をねだりにきたりしていたらしい。また、時には輸送に使役されたりもしていた。山人が配偶者を求めて連れ去ったのが「神隠し」だが、神隠しのなかには自ら山に入った者も多く、女性が産後に山に入ってしまったり、鋭敏な子供が山に迷いこんだりしたらしい。柳田の記述は脱線が多く、これがまた面白い。「カゴメカゴメ」は、鋭敏な子供(申し児)に神の言葉をしゃべらせるため、村人が集団で囲んでマジナイを唱えた行事が子供の遊びに変化したとする。「ゴヘイモチ」は今では「五平餅」と書くが、「御幣餅」「狗賓餅」(ぐひんもち:狗賓は天狗)などと書き、木を伐採する時に天狗や山人に供えたもので、岐阜の鵜沼などではこれを焼くと「天狗が集まってくる」から、村で焼くのではなく、山小屋で焼いたと伝えられている。