あらすじ
普段遣いの言葉の成り立ちや変遷を、豊富な知識と多くの方言を引き合いに出しながら語る。「なんにでも『お』を付ける風習」「二言目にはスミマセンという」など、今でも興味深く役立つ内容。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
言葉の語源。
結構詳しいほうじゃないかと自負していた。
けれども、一般的に言われる語源のさらに先、そこから説明されると、もういちいち新鮮でたまらない。
「挨拶」というのは近世の漢語で、もともとそんな言葉のなかった頃は「言葉をかける」「声をかける」という行為を挨拶としていた。
「挨拶」という言葉とともに、ある種の形式が伴うようになり、「言葉かけ」のような言葉が消えていく。
と言われると、確かに挨拶の決まり事を守ることが第一義となり、相手の様子などはろくに見もしなくなったのかもしれない。(ビジネスあいさつの場合)
今挨拶の言葉として使われている「おはよう」「こんにちは」「さようなら」などは、それぞれ文章の一部が残ったもので、省略をしてしまったがために言葉が形骸化していくのだと。
著者によると、言葉は変化して当たり前であり、大切なのは美しい方向に変化させていこうとするひとりひとりの意志だ、と。
けれど、この本が書かれてから何十年もたった今、日本語はもっと乱れてきている、と言われている。
けれど、「漢語の名詞+する」で、新たな動詞を作ってきたのが、私達世代の正しい新語の作り方だったと思うけど、大昔の日本は「名詞+る」で作って来たではないか、と言われると、「タピる」は古来の方式にのっとった新語になるのか!?と思ったり。
そういうことも含めて、言葉は変化しているんだよね。
つまり自分が親しんできたこと以外はすべて「乱れてきている」と判断しちゃうんだろうなあ。
地方の方言から語源を探るのは、さすが柳田国男と思うことしきり。
Posted by ブクログ
200ページ足らずの薄い本ではあるが物足りなさは感じない。
本書では、いただきます、ありがとう、すみません、などのような、あまり深く意味を考えず習慣的に使ってしまいがちな言葉の成り立ちや元来の意味について、各地に残っている膨大な数の方言を手掛かりに考察している。
結論の出し方はやや感覚的であいまいであり、もう少し明確化する余地があるようにも感じられるが、言葉を使う際は何も意識せずに周りを真似るのではなく、その意味をきちんと理解し、使うべきかどうか、使うならどういう場面で使うべきかを考えてほしい、という柳田の切なる願いはひしひしと伝わってくる。それは言葉に対する柳田の考察が真摯な態度と豊富な知識に基づいて行なわれているからである。
私も読後改めて自分が言葉を粗末に扱っていることを反省した。
「もっぱら若い女性を読者に予想して、書いてみたもの」(p7)と柳田本人が自序で明言している。決して押しつけがましくも高圧的でもないのでぜひ世の女の人に薦めたい。
Posted by ブクログ
この本に収められた文章は、どれも「言葉」をめぐる民俗学的検証である。だから見ようによっては、言語学がなすべきだったかもしれない仕事を、民俗学者柳田国男が博識を注入して、独特の視点でやってしまっているという奇妙さが感じられる。
たとえば「ありがとう」「もったいない」といった、極めて日常的な言葉をとりあげ、歴史的な文献をもとに、それは「元はそういう意味ではなかった」という指摘を次々に繰り出してくる。
柳田はここで、みんながそれぞれの日本語の由来をより深く学び、もっと美しい日本語を話して欲しい。という思いを打ち出している。しかし言語は通常、誰が規定するのでもなく、人々のあいだで自然に成長・変容していく「生き物」であるということを考えれば、柳田の姿勢には若干お堅いんじゃないの、という気がしないでもない。
この種の本は、現在では「雑学」本として多数書店に並んでいるが、柳田国男の本書はその先駆けであるとともに、楽しく読み通せる優れた書物だと思う。
Posted by ブクログ
言語にまつわる書籍ははじめてで、新しい知識ばかり。女性向けに書かれていることもありとても取り組みやすい一冊ではないかしら。
巷ではサヨウナラについてその言い方の美しさをまことしやかに語られているが、その誤りに気づかせてくれる。(あいさつの言葉)
また頻用するドウモアリガトウやモウシワケゴザイマセン、ボクなどもそのルーツを知り考え方を変えられた。