原武史のレビュー一覧
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平成の天皇皇后両陛下は、全国津々浦々を巡り、マイホーム主義を体現し、被災地では自ら膝をついて被災者を労われた。
この「国民と目線を合わせる」姿勢は、右派からは反発を買った。
しかし、結果として国民の皇室への敬意は高まった。その過程で美智子妃が果たした役割はおそろしく大きい。
一方で、国民がより天皇制にロックオンされたとも言える。
令和の両陛下は、平成の陛下の「仁や慈悲」よりは、「自然、環境」がキーワードに見える。全国の行幸よりも登山を愛される。
また、天皇の常に一歩後ろを歩く「日本の女性の鏡」として絶大な人気を誇った美智子妃との対比で、雅子妃は天皇陛下とごく自然に並んで歩かれる。また心身の不調もお隠しにならない。それはむしろ、現代の女性からは歓迎されるイメージかもしれない。
平成から令和に向けて天皇のあり方はどう変わるのか。リベラルに愛される存在か、それとも国防的ナショナリズム?に利用される存在に至るのか。
、、、と言った考察が、やや私の雑な要約によるざっくり本書の後半。
一方、前半の「おことば」考察は、率直に言って私としてはなかなか理解はしても同意は難しい内容だった。いろいろあるが、一言で言って、この「なになにに触れられていない」の類の批判は、時間と字数の制限がある声明においてはあまり意味のないことに思えるからだ。
ともあれ、右派による「時代錯誤な神聖視」を拒絶しているのはむしろ平成、令和の両陛下ご自身である、とのスタンスは例えば片山杜秀氏などともある意味共通するように見える。
同時に、平成の陛下の宮中祭祀を通じた国体護持への確固たる意思が、令和にも受け継がれるか、といった点は著者ならではの関心事と言えそうだ。
いろいろ意見はありつつも、「総じて」これだけ国民の尊崇を集める天皇陛下という存在は一体我々の国にとってなんなのかということについて、私自身は尽きせぬ興味を持っており、その意味では参考文献の一つとして読むべき一冊であった。 -
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昭和に生まれ育った人たちなら松本清張を読んだ人は多いのではないだろうか?
この本でも「点と線」、「砂の器」、「日本の黒い霧」、「昭和史発掘」、「神々の乱心」などが取り上げられている。
自分も「昭和史発掘」は長いので途中で挫折したりしたものの、自分も「神々の乱心」以外は読んだことがある。
社会派推理作家であり、ノンフィクション作家であるとされる松本清張氏の活動を、ノンフィクションが主軸であり、史料が足りず推測で埋めざるを得ない箇所が多い場合に小説=フィクションという容れ物を借りたというのは全くその通りだと思う。
そして、松本清張氏の視点を昭和における社会の格差や、差別、語られなかったタブーにメスを入れて白日に晒した先駆者というのもその通りだ。
推理作家として売れてしまったが故に、ノンフィクション作家として、歴史研究者としての評価が不当に低いというのもその通りだろう。
中で司馬遼太郎氏との比較が出てくる。
司馬遼太郎氏の描く時代小説はノンフィクションっぽくみせたフィクションだ。松本清張氏は史実を道具にしながらの推理小説(完全なフィクション)と史料をベースとしたノンフィクションの両方を描く。
作家としての技量の豊富さ、作品の面白さという点で僕は松本清張氏に軍配をあげる。 -
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明治初期の神学をめぐる出雲(オホクニヌシ)と伊勢(アマテラス)の論争を、本居宣長が初めて言及した「顕」と「幽」の考え方を手がかりに、彼の思想の系譜をたどりながら解き明かす。
第二部では、第一部で明らかにしたオホクニヌシが次第に言及されなくなった時代の流れと、埼玉県に多いオホクニヌシが祭神の氷川神社がある大宮の衰退を重ねて論じている。
維新政府にうまく近づけた津和野派の活動や、民権運動に乗じて勅命を勝ち取ったことなど、伊勢派が勢力を強固にする経緯を知りたくなった。出雲側からの考察だから情報が少ないのは当然なのだろうけれど、千家尊福の精力的な動き、教義面の充実、伊勢派神官の切迫感をもってしても出雲派が退けられてしまったのは権力側にいなかったからというだけなら、つらいものです。
とは言え、千家尊福のその後の活躍は清々しいほどで第二部にも絡んできてたくましい。
最初はとっつきにくいと思いながら読みましたが、慣れてくるとぐいぐい読み進める感じがしました。
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面白かったです。
松本清張はまだあまり読めていませんが、既読の作品や観た映像化でも昭和の暗部のようなものが描かれてるなと改めて気付かされました。「砂の器」も「ゼロの焦点」も。
そしてめっちゃ格差あるんだなぁ…見えなかっただけか。
皇室にも確執があったというのを初めて知りました。貞明皇后ってそんなに権力握ってたのかな…「貞明皇后実録」出版されてほしいです。秩父宮と二・二六事件と…「昭和史発掘」読もう。
終章の、司馬遼太郎は歴史を男性中心に見て、松本清張は歴史を女性中心に見てる、というのも面白いです。どちらもそれぞれ読み応えあります。
そして「国体」…かつてとは違う形で確立されているかもしれない。これちょっとひえっとなりました。 -
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没後28年。昭和を代表する作家でありながら、平成・令和になっても同時代性を失わず、いまだに映像化や数多の関連本も上梓される松本清張。著者曰く、作品そのものが戦後史の縮図であり、高度経済成長という時代の証言になっていると。
社会派推理と古代史と昭和史という3本柱の元、一貫して「格差」「差別」というタブーを作品テーマに据え膨大な作品を遺した。
本書は「鉄道」と「天皇(皇族)」に着目し、代表作である「砂の器」「点と線」「日本の黒い霧」「昭和史発掘」「神々の乱心」の5作品をテキストにし、昭和史の暗部に光を当てる。
序盤の鉄道篇は、清張の貧困・学歴差別等の生い立ちに触れつつも、鉄オタの著者の本領発揮も手伝い牧歌的な香りも漂い、穏やかな滑り出し。一転、天皇篇になるや著者の推理は冴えわたり、その考察は一読の価値あり。
二・二六事件は陸軍 皇道派 青年将校1,400名が決起した軍事クーデター。昭和天皇は激怒、断罪を即刻下した。その毅然たる態度の背後にある二人の身内の存在。貞明皇后(大正天皇の妻であり昭和天皇の母)が秩父宮(昭和天皇の弟)への偏愛。その秩父宮を担ぎ出そうとした反乱軍の策略。当時は「大元帥」。陸海軍を統帥し、武力という権力が集中していた時代。その裏で宮中では権力闘争と親子の確執があったのではないか…という清張の推理。
松本清張が社会派推理の巨匠でありながら、古代史と昭和史の研究者としての顔も持っている。これを指して共に昭和を代表する作家である司馬遼太郎としばしば対比される。
近代国家に駆け上った明治時代に日本人の清廉性と勤勉性を見出だし讃えた司馬遼太郎。方や昭和の暗部を徹底的に調べ追及した松本清張。
ちなみに明治維新から終戦まで77年。人間に置換すれば喜寿。このジェットコースター的栄枯盛衰–富国強兵から帝国主義−ぶりをふたりの作家から学べる手軽な方法が読書。今一度通読してみるべきだな思った一冊。 -
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『神社ツーリズム』と同様、2016年秋の、約13年半振りの出雲紀行を契機に購入。
古代神話や出雲関連の書籍は、とかく"古代史の謎解きもの"が多いが、あえて出雲というものを宗教的・神話的視点や、大衆受けするオカルティシズムではなく、思想面からの学術的アプローチで述べられていたところが購入理由である。
また、社会人大学院に通っているからか、学術的書籍を好んで読むようになったことが、本書を手に取った理由のひとつでもある。
著者は、冒頭にて「<出雲>とは、古代史ばかりでなく、幕末から明治維新を経て、昭和に至るまでの近代史にあっても、極めて重要な役割を果たした思想的トポスだったのではないか」と、基本的視点を設定している。
出雲は、古事記の神代の時代において、国の成り立ちにとって特に重要な位置づけとされ、現代においても出雲大社を中心として厚く信仰を集めている、くらいの感覚しか持ち合わせていなかった自分にとって、思想という視点は非常に斬新であった。
本書は、まず国学者である本居宣長と平田篤胤の生涯を賭けた研究テーマである「復古神道」における<出雲>の解説から論考が展開される。
特に、出雲神話の記述の多い古事記ではなく、日本書紀、それも異伝扱いである「一書」に焦点を当てているところが興味深い。というのも、日本書紀の一書第二に記述されている「顕」と「幽」の概念が本書の論考の根幹を成しているからである。
更に、この2つの対立概念が、平田篤胤以降の神学論争に発展し、様々な紆余曲折を経て、アマテラス<伊勢>とオホクニヌシ<出雲>の何れが国体の神として相応しいかという議論が、明治維新後の政府まで巻き込んだという事実には驚きを禁じ得なかった。現代の歴史・倫理教育には取り上げられないテーマであろうが、本書のような学術的な展開だと俄然リアルさが増す。
特筆すべきは、第80代出雲国造で、かつ貴族院議員、埼玉、静岡、東京の知事等を歴任し、政界にも神社界にも大きな影響力を持ったとされる千家尊福氏が、「出雲派」の筆頭として「伊勢派」と激しく対立した挙句に、政治工作により敗北したという事実である。
歴史にIFはタブーだが、妨害工作が失敗していれば国家神道の象徴が出雲大社であったかもしれないことを考えると、2013年の伊勢神宮と出雲大社の同時遷宮(出雲大社は定期的に執り行われるいわゆる"式年遷宮"ではない)や、2014年の高円宮典子さんと千家国麿氏の結婚は、庶民レベルでは推し量ることのできない、何か深い特別な事情があるのではないかと邪推してしまうのは自分だけではないであろう。
また本書では、復古神道から伊勢を中心とした国家神道成立までの思想史の他に、坂の上の雲で一躍有名になった秋山真之が傾倒したと言われている大本教と出雲との関係や、埼玉県さいたま市の大宮に鎮座する、武蔵一宮の氷川神社と出雲の関係などにも触れており、学術的内容でありながら読者を飽きさせない。
いかなる歴史的・思想的背景があろうと、出雲地方や出雲大社は、現代においても日本の聖地のひとつとして多くの人々を惹き付けてやまない魅力があることは紛れもない事実である。だからこそ、そこに秘められた"陰"の一面を垣間見ることによって、より深く、そして多面的に日本文化の重層性を感じ取ることができるのではないだろうか。
思想史的な書籍を読むのは初めての経験であったが、おかげで出雲紀行が精神的にとても充実したものとなった。そして、近い将来に訪れるであろう伊勢神宮に対しても、これまでとは違った心持ちで参拝できるのではないかと期待している。
少し大袈裟な表現かもしれないが、自分自身における新たな境地への扉を開くきっかけとなった一冊であった。 -
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本書は、折口信夫の「女帝考」を本歌取りして書かれた本と言える。「女帝考」考察されるナカツスメラミコトを体現した女帝として貞明皇后を、皇后の事跡を中心に論を進める。貞明皇后が皇后でありながら実質的に天皇として振る舞われた神功皇后を意識して起ち居振る舞われたというのである。体質性格上種々取り沙汰される大正天皇の皇后として摂政皇太子と対峙し振る舞う姿は、神意を仲哀天皇に仲立ちした神功皇后見習ったものではないかとする。皇后歌集『貞明皇后御集』『大正の皇后宮御歌謹釈』などを読み解き貞明皇后の心情を再現するのである。
敗戦により、天皇の人間宣言は皇后の立ち姿も変えていた。さらに”平民”出身の皇太子妃が誕生し「視覚的にも皇太子でなく皇太子妃、天皇ではなく皇后が中心となる天皇制の幕開け」となる。著者は美智子皇太子妃に皇族以外からの皇后であった光明皇后の姿を重ね合わせる。「象徴天皇制の正当性は、天皇ではなく、光明皇后をモデルとする皇后によって担われていると言っても過言ではあるまい」とする。さらに「もし皇后が皇后として十分な役割を果たせなければ、皇后に匹敵する有力な皇族妃が出てこない限り、象徴天皇制の正当性そのものが揺らぐことをもいみする」と言い切る。「この仮定が決して荒唐無稽ではないことは、近い将来に証明されるであろう」とも言うのであるが、如何であろうか。 -
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ネタバレ三浦しをんの新作ってことで借りる。対談相手の方は初めて知ったけど。皇室のことって興味なかったから初めて知ることが多かったけど、なかなか面白かった。昭和と平成で違うとか、天皇夫婦が訪問しないとこがあるとか、女系がなぜダメなのかとか。あの震災の時、精神の人の見張り番に立たされたことを私は忘れない。これも天皇達より周りの人の意見なんだろう。忖度か。三浦しをんの意見は新鮮だったし、やっぱ皇室だって時代に合わせて変わらなきゃなんだろう。離婚したら皇室に戻れるかとか、仕事してた方がいいとか、未婚ではいられないとか。本当気の毒だよなー。そういう気づきを得たという意味で星4つ。
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平成天皇が象徴天皇の役割として述べた2点「国民の安寧と幸せのために祈ること」「時として人々の傍らに立ち、耳を傾け、思いに寄り添うこと」。さらっと聞き流してしまいそうな点に大きな意味があることを初めて気づかされた。「祈り」とは宮中祭祀つまり天照大神に対するもの!そしていわゆる行幸。これらはいずれも憲法が天皇の国事行為として定めているものとは異なる!改めて天皇という存在の宗教的・歴史的な意味を考え直さざるをえなかった。美智子皇后が平成天皇の上回る影響力の大きさであったことへの右派勢力の抵抗、雅子皇后がむしろそれを糺すかもしれないとの逆転的予測も面白い。平成天皇の生真面目さが逆にユーモア・笑いを感じさせない重い天皇になっていたこと、大正天皇が最も人間らしい親しみに満ちた存在だった!などと興味深い。しかし、平成天皇夫妻が会わなかった人々。外国人、ホームレス(上野公園)の排除は衝撃的な出来事だ。令和天皇が平成の後をどのように継いでいくのか。そしてその後の秋篠宮の時代は!?興味は尽きない。