原武史のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
明治時代における国家神道の形成の裏で、出雲国造の千家尊福がオホクニヌシを中軸に据える神学をたずさえて戦いをいどみ敗れた経緯と、彼の思想の背景にあった復古神道における幽界にまつわる解釈の歴史をたどった本です。
『日本書紀』の一書第二には、オホクニヌシが国譲りを承諾し、「顕事」をニニギに託すとともに、もうひとつの世界である「幽事」の支配を引き受けることになったとしるされています。このことに注目し、アマテラスを中心とする神道理論に対抗する言説を構築したのが、平田篤胤でした。本居宣長の没後の門人を名乗った篤胤は、死後の霊魂が黄泉国に赴くとする宣長の考えに反対し、われわれの死後のありかたについて独自の主張を展開しました。
こうした篤胤の思想は、江戸時代後期に大きな勢力をもつにいたりますが、明治になると水戸学や大国隆正の神道理論の後塵を拝することになります。明治政府は、アマテラスを中心とする神道理論にもとづいて、近代の国民国家の構築に好都合な国家神道をつくりあげようとしますが、そこに理論闘争をもちかけたのが、スサノヲとオホクニヌシを祭神とする出雲大社の千家尊福でしたが、最終的には天皇の勅裁によって彼の主張はしりぞけられるにいたります。
また著者は、「幽」の世界についての言説をつむいで、アマテラスを中心とする神道理論に挑戦した大本教をとりあげ、第二の「敗北」としての意味をそこに認めています。ほかに、出雲系につらなる埼玉県の大宮氷川神社について考察をおこなった文章も収録されています。
篤胤の思想のうちに、近代国家の確立をさまたげる要素がふくまれていたことが、歴史的な観点から跡づけられているように感じました。 -
Posted by ブクログ
書名にある通り、対談がまとめられたものなので、まとまった論考が展開されているわけではない。でも、明治以降令和にいたるまでの天皇や皇室の変遷を二人で振り返ってくれているので、頭の中を整理できる。昭和天皇の崩御で、それまで存在感が薄れていた天皇の身体が急に表面に登場し、天皇のタブー性を再認識させられたこと(p156)、平成天皇は雲仙普賢岳の大火の時被災地を訪れひざまずいて国民と対話する姿が印象的だったが、一方で戦地訪問先は敗れたところのみ訪れ、旧満州や真珠湾などは意図的に回避しており、平成天皇の訪問した戦地のみであの戦争を振り返るのは実態を歪めてしまうこと(pp166-177)、眞子さんのニューヨーク行きは、国民の平安を祈るよりも「私」を優先させますという宣言であり、皇室のイメージを変えると同時にパッシングにつながったこと(pp190-193)。本書の最後では、天皇制は、多様性やLGBTQを認めていこうという時代の流れと乖離しており、被災地の視察や祈りは政治家や宗教者に任せ、天皇の仕事を減らし、いずれくる、天皇の存在しない社会の姿を考えておくことが大切、という結論で締められる。
-
Posted by ブクログ
20世紀の総力戦に取材した小説を多く発表してきた小説家と、近代天皇制とメディアとのかかわりを粘り強く追いかけて来た政治学者との対談本。新書という媒体的な制約もあって、基本的な知識の確認に多くのページが費やされているが、大正天皇の振る舞いを「大正流」として取り出したり、徳川時代の身分差をめぐる人々の身ぶりと近代天皇制のそれとの連続性を問題化したりと、興味深い論点も提示されている。原武史が、近代天皇制を研究していて最も分からないのは、「なぜ民衆が天皇制を支持し続けたか」「いったい誰が宮中の儀礼を設計したのか」が分からないことだ、とコメントしていたことも印象に残った。原が構造的な女性差別性を提起することで、近年では絶滅危惧種(?)となった天皇制廃絶論に言及していることにも注目したい。
本書の中では、原が日経新聞記者時代、昭和天皇の癌の手術の際に遊軍的に宮内省詰めとなった際の経験についての記述が印象に残った。何一つ新しいニュースはないのに、「万が一」を考えて毎日深夜まで宮内庁記者クラブに詰めていなければならない。社の上層部もほんとうはどうでもいいと思っているのに、自社だけが「特ダネ」を逃すのは失態に当たると惰性で報道の準備を続けていることこそが、「王の身体が日本という国の時空間を支配している現実」を再生産している――。では、そのような天皇の権威は誰が・どんな理由で求めているのか? -
Posted by ブクログ
筆者個人の体験に根ざした半自伝的な一冊。
1970年代、都内の小学校で試みられた「自由で民主的」な教育。
それは個人の自由よりも集団行動を優先させた極端な民主化の姿でもあった。
集団行動に馴染まない筆者を追い詰めていく場の空気感が怖しい。
原センセよりは少しあとの世代ですが、やはり同じような雰囲気が、当時の公立小中学校にはあって、異常なまでに児童、生徒による「自治」が推奨されてたんですよ。生徒総会とか、生徒会選挙の熱狂が凄かった。
ただそれも、一部の先生方による強いられた「自治」だったのだなと、いまとなっては思う。
係を選ぶときに立候補させ「ダメな方」を落選させる消去法選挙。ベルが鳴ったら席に着く「ベル席」の仕組み(座ってないと減点)。非協力的な児童を責め立てて「自己批判」させる謎の空気。
当時はなんだかよくわからなかった「熱狂」の、思想的背景を知る意味で、ものすごく腑に落ちた一冊でした。
集団行動に馴染めなくて疎外されていく、原センセなのですが、鉄道趣味や、中学受験による塾通いで「外の世界」を持っていることが救いとなっていく。
学校や家庭以外に、第三の場所があることの大切さも教えてくれる一冊でした。