原武史のレビュー一覧
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著者の2年年長で、同じ東久留米市(当時は北多摩郡久留米町)の小学校に入学した者として興味深く読んだ。とはいえ、当時、新興の滝山団地ではなく旧市街であったが。その微妙な場所と年次の差か、あるいは学校や担当教員の考えの違いか、はたまた3年生終了時に転校したために、まだ理解できていなかったのか、はわからないが、著書にあるような日教組の「洗脳」なかったように思う。
それにしても著者の記憶の良さと子供ながらの観察眼には感服する。
この時代までの公立学校に侵入してきある種の思想とそうした思想から正反対にある中学受験という行為が縦横の糸となって時代を活写している。 -
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70年代はじめにある団地と小学校で発生した民主的な教育運動。児童側の当事者として体験した著者が、当時の記憶を掘り起こしながら社会情勢とともに振り返ってゆく。
著者はこれに滝山コミューンと名付けるが、コミューンというほど確固たる共同体が作られたわけでも集団的な運動が展開されたわけでもない。ひとりの教師の積極的な働きかけがあったほかは、時代の空気としか言いようのない漠然とした流れによるものにみえる。しかし、その漠然とした流れこそ、当時の状況をよく表しているように思う。
だからこそ、著者も、ただ滝山コミューンを追うだけでなく、それに軌を同じくする様々な要素を併置していく。それは、革新政党の躍進であり、団地開発による郊外の山の手化であり、四谷大塚に代表される受験戦争であった(特に筆者は西武線沿線に開発された滝山団地という空間を強い執着を持って描出し、それが本書に独特の雰囲気を与えている)。そのような中に位置付けるなら、確かに滝山コミューンと呼べるだろう。
そして、民主的な教育という"美しい物語"のもと、「自らの教育行為そのものが別な形での権威主義をらはらむことになるなどという自覚」の欠如した無邪気な実践が行われた。もちろん、実践が短期的にであれ成功したのは、そうした教育に多くの児童が目を輝かせたからであり、それは著者も否定はしない。
しかし一方で、そうした空気に違和感を持ち権威から逸脱した著者のような児童は疎外されるほかない。あるいは疎外されないまでもその空気に順応することを余儀なくされる。コミュニティの強い同調圧力にたいして、著者は四谷大塚という別のコミュニティを持つことで対抗しえたが、そうでない児童に逃げ場はない。
教科書に乗る歴史的事象ではないが、東京の郊外にある一時期存在したであろう空気とその記憶を、本書は確かに描いている。 -
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ネタバレ2011.3.11の東日本大震災による鉄道被害とその後の復興についての苛立ちを綴った、言わばJR東日本・JR東海への批判の本である。
特に、震災前からJRは国鉄時代の地方の赤字を抱えたローカル線を次々と廃線し、または第三セクターに売却して国鉄時代の鉄道ネットワーク網から寸断させてきた。そして、地方在来線の運行本数を減らして地域の足を奪ったあげくに、新幹線を通して言わば「地点から地点へ移動するための手段」を通して、日本が特有に抱えてきた、鉄道が有する公共性・コミュニティ機能を次々と壊滅に至らしめたと、痛烈に批判する。その批判の手は現在計画が進められているリニア新幹線にも及ぶ。リニアだろうが新幹線だろうが、要は東京(名古屋)へ行くための利便性を高めるために過ぎず、新幹線が開通しても通過する駅には何ら恩恵を与えず、ストロー効果により余計に地方が疲弊していくと、その忸怩たる思いを赤裸々に綴る。
そう、鉄道を使って地域を独占的にコントロールしてきた構図は、まさに東京電力と変わらないではないか、とその鉄道事業の社会的責務を東日本大震災が起こっても全然果たしていないと、氏は批判を重ねる。そして、鉄道が日本で果たしてきた公共性や余暇の機能を取り戻すことが、震災の復興だけでなく、今後の高齢化・少子化・人口減少社会の日本で欠かせないことであると、本書では強調されている。
日頃、電車通勤で苦しんでいる身としては、JRの姿勢に疑問を呈することも少なくない(特に夜のラッシュ時での私鉄との運行本数の差)。やはり巨大な企業だから様々なニーズに対応しきれないのだろうか。 -
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震災と鉄道は今年もっともホットな話題である。
インフラ、環境、経済、交通、電力、安全、インフラ、技術、文化、幸福に関する国家観が問われるテーマである。今、世界は信用を失う出来事で満ち溢れ、今までの安心・安定した世界が、壊れていっている。日本は未曾有の大災害で破壊尽くされた感があるが、その他の国家は自滅に近い形で、崩れつつある。国家さえも崩れ落ちれば、この世にはもう信用できるものがないのかもしれない。間近にいる人間さえ信用できない世の中で国家は自らを定義できるのだろうか。
鉄道が象徴的なのは、インターネットができるずっと前から、鉄道はネットワークを築くことが目的であったということだ。道路はもちろんそうなのだが、道は点と点をつなぎ線にする役割を果たす。それが網の目状に張り巡らされネットワークを築く。ここには、交流があり、信用がある。東日本大震災によって寸断された東北海岸の鉄道線をフォローするのは、新潟・山形・秋田の鉄道路線であり、道路である。ネットワークを築く意味はそういうところにある。経営だけの意味で路線を考えていては、保障された生活は守れない。震災という強力な分断の力に対抗できるのは、もう一度ネットワークを構築しなおすような信用の力しかない。今、日本に求められているのはその力であり、今世界が失いつつあるのはその力である。
また、著者の「リニア鉄道」に対する意見も今まで考えたことがなかったが一理はある。速度ばかりを追い求めるのではなく、ゆっくりと観光ができるような特別急行を作れというものだ。だが、それは、両立できると思う。世界最高最速の世界一安全な乗り物を作る気概がなく、豊かな生活は得られない。ゆっくり旅をする楽しみもまた豊かな生活であるかもしれないが、世界一という自負心を持てることはそれもまた豊かな生活である。
震災に負けない世界一すばらしい社会を作ろう。
鉄道建設にはその可能性があるといえる。 -
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原さんは政治学者でてっちゃん。
小生も、鉄道は好きで、世田谷線沿線にマンションを購入し、毎日ご機嫌で世田谷線に乗っている。
原さんは、てっちゃんとして、今のJRの体質を厳しく批判している。
①東日本大震災の際のJR東日本の対応について、「帰宅難民」をできるだけ減らすためにも、JR東日本は私鉄各社と連絡をとりつつ、私鉄への影響が大きい山手線を優先して動かすべきでした。(p29)
原さんによれば、東京大空襲や広島原発のときにも、国鉄は翌日から動き出したとのこと。それに比べて、JR東日本の対応はひどかった。
②ディーゼルの機能が向上してきたことを踏まえ、電車の電力消費によるCO2排出量とディーゼルのCO2排出量を比較し、エネルギー効率やコスト面、災害時のリスクなどを総合的に考慮して、両者をベストミックスで使い分ける。(p37)
こういう発想は、コジェネなどをつかった面的エネルギー利用の発想と近いと思う。
③リニアについて地震時の代替手段となるという主張に対して、既存の路線に必要な対策を施せば、9兆円もかけて長大なトンネルを掘らなくても済みます。(p161)
リニアについては、JR東海が自費で整備するのであまり目が行き届かないが、そんな国家プロジェクトを一つの会社ができるということは、東海道新幹線の料金が不当に高すぎるのではないか。
そういう意味では、リニアの整備費用は新幹線利用者である国民の負担だとも考えられる。
いずれにしても、てっちゃんにして政治学者の原さんの意見がとてもユニーク。