原武史のレビュー一覧
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『松本清張「隠蔽と暴露」の作家』からの『松本清張の「遺言」』。本屋さんの文庫コーナーでたまたま見つけて。文春新書で読んだことあったけど、文庫だったっけ?と、よくよく見たら新書の時の「神々の乱心」だけじゃなくて文藝春秋で掲載された「昭和史発掘」についても一緒になっていてお得!今年3月に放送されたEテレ100分de名著の松本清張シリーズの後、出版されているらしくホヤホヤの旧著でした。「隠蔽と暴露」では政治体制と官僚制と経済界に召喚され、「遺言」では天皇制に呼び出され、今、松本清張、大忙しです。それは、「昭和」という時代を大きく捉えることについてのニーズがかつてないほど高いからなのだと思います。新し
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どうして日本人は保守もリベラルもいつのまにか権威主義、異質なものの排除という方向に向かいやすいのか… 戦後史における政治の時代と団地文化を関係付けた論考はとても面白かった。
その一方で筆者も自分で書いてはいるが、「学者が自らの体験をもって語った」という構造上、そこには小さくない歪み、思い込みが織り込まれている。言ってしまえば、「あなたの小学生の記憶、それも学校やクラスメイトに少なくない疎外感、反発を抱いていた状態での主観的な記憶がどれだけ真実性を含むか」という批判である。その点からも、筆者の記憶や日記だけでなく、級友や保護者たちの証言ももう少し欲しいところだった。
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神功皇后から始まり、現代の皇后陛下まで、代々の権力のそばにあり、また権力そのものの力を持っていた女性たちについて書かれています。権力者の、妻であり、母であり、影で支えつつ、政権を支え続けた彼女たちの大きな影響について知ることができます。またその歴史が、模範としてきた中国や韓国などとも、似て違っていること。最終的にそれが、現代の日本での女性の社会進出に影響を与えていること。ちょっと突飛な結論と感じますが、わかるような部分もあり考えさせられました。歴史に出てくる、権力を持った女性の姿を読むにつれ、似たような構図になっている身近な家庭や会社などの組織に既視感を覚えることもありました。現代社会を見る、
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私は著者よりもいくつか年下になるのだが、1970年代が小学生時代
だったのは一緒だ。クラスに班分けもあったし、卒業式では卒業生に
よる「呼びかけ」もあった。しかし、著者が経験したような集団主義
教育ではなかったと思う。
それは居住環境の違いなのかもしれない。住宅不足解消の為にと
東京郊外に作られた団地住民の子供が多い小学校と、東京への通勤
圏として発展しながら、昔ながらの地主さんなどもいたベッドタウンの
小学校。確かに地元にはいわゆるマンモス団地はあったが、学区が
違った。
ひとりの若い教師が担任したクラスで始まったのが、日教組の教師が
多く所属する全国生活指導研究協議 -
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「私は この小説を書くときに、読んでくださる人が小学六年生までの漢字を読む力があれば読んでもらえるものと思ってこの作品を書き始めました」
と「氷点」を書いた三浦綾子さんがいってらっしゃいました。
この本の中で出張授業をされる先生たちは
もちろん、その道のプロフェッショナルの方たちです
そして、聴いている対象者たちは 中学生、高校生たち
その語り口が そのまま 一冊の本にまとめられました
その「語り口」を読んでいて
冒頭の三浦綾子さんの言葉を思い起こしたのです
本当の専門家は
ただ感心させるだけでなく
それなら 僕も(私も) 何かやってみよう
そんな気にさせてくれる方なのです -
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東京都東久留米市に存在する滝山団地。高度経済成長のさなかの典型的なベッドタウンとして開発された郊外団地の一つであるこの地において、1974年にある教育改革が行われようとしていた。
社会学者の原武史が自らが体験したその教育改革を「滝山コミューン」と名付け、いったいそこで何が行われようとしていたのかを自伝的に語るドキュメンタリー。
大きくこの改革は既存の算数についていけない小学生を対象とする「水道方式」という指導法と、自由で民主的なクラス作りを目的とする「学級集団づくり」という2つで構成される。一見まともなように見えるこの方式が、小学校という極めて閉鎖的な集団の中で変質していき、次第に生徒を追