原武史のレビュー一覧
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まず、装丁がすばらしい。
カウンターが示す1974とその数字のズレは固まった過去ではなく、つながりと変化の印。むちゃくちゃにセンスがよかったから、アヴァンギャルドな内容を若い研究者が書いているのかと思ってたんですが、読んでみると大学教授が自叙伝的に記す戦後民主主義の話でした。読んでいる途中思わず背中がゾクっとしました。装丁も内容もいいなんてなんてすばらしい本なんでしょう。
民主主義の裏にある集団思想の影は、ニュータウンにある学校でのとっても局所的な、ある意味奇跡に近いような「優性な世界」。筆者は感情的な拒否しているけど、考えとしては否定も肯定もしていないように思う。僕も同じように思う。肌には絶対合わないけれど、集団を扱う上では成果を出せる主義思想なんだと思う。
民主主義とか大きな話はわからないけど、弱さについてどう向き合うべきなんでしょうか。
とにかくいい買い物でした。 -
Posted by ブクログ
週刊誌に連載していた書評エッセイをまとめたものが単行本化され、それが文庫本になったもの。書評の内容もあるのだが、その書評よりもメインはむしろ著者の日帰り電車紀行。書評を強引に旅の記録に結びつけているものがあるが、それは著者も言及している通りで、いろいろな所へ行ってみてそこで体験したり思ったことと、本で読んだことを結びつけることは、そこでまた新たな発見があるものだ。
鉄道と風景や人々の日常生活、社会・歴史の心象風景を結びつけて綴られているのがとても面白い。著者はもちろん筋金入りのテツだろうが、むしろ鉄道をインターフェイスに、日本政治史・日本政治思想史分析や生活体験を絡めての社会分析がとても勉強になる。特に文庫特別番外編は元ジモティーには懐かしさが(弁天洞窟行きまくっていたので)。 -
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著者が生まれ育った東京都東久留米市にある滝山団地にあった、東久留米市立第七小学校(通称「七小」)を舞台に、当時の日本の社会や政治の時代の空気に反映された、著者が「味わった」出来事を綴った本である。
当時の七小は団地に住む大人や当時の時流だった民主主義的教育を実践する教員たちの思想が如実に児童たちの行動様式に反映されていた。著者曰く、最も民主主義的な学校社会が形成されていた「滝山コミューン」であった。特に全国生活指導研究協議会の「学級集団づくり」による学級(学校)の運営が、団地という言わば閉鎖的なコミュニティと相まって、見事なまでに浸透し、「教育」と呼ばれる思想伝播が個人から集団へ、また学校全体へと波及していく様子が、学校での授業や学校行事を通じて見えてくる。
そこで見られるのが、当時のある教員から波及した「民主主義的教育」と呼ばれうる〈全体主義〉が生徒に浸透し、著者がその息苦しさに苦しむ様であった。学校の中の社会も、当然ながら学校外の社会状況や社会思想から影響を受けている。著者の個人的な体験からの主観論の部分は確かにあるけれども、学校での〈全体主義〉の浸透で、その鏡ともいえる社会でどのような思想構造があったのかも時代背景を交えて記録されている。特に公立学校は、教育基本法や学校教育法、学習指導要領、自治体の教育目標を踏まえて学校目標が設定されているが故に、教育内容も当時の社会状況とは切っても切り離せない。この点は踏まえるべきだろう。 -
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過去の物語か、今も現場で起きているのか? 「自由で民主的な、生徒が主体となって活動する小学校」での鬱屈した日々を、筆者が振り返る自伝的ノンフィクション。
筆者が小学生時代を過ごした1970年代の滝山・東久留米市立第七小学校では、若く熱意のある教員と、それを支えるPTAによって、全国生活指導研究協議会(全生研)の指導方針を軸とした「民主的教育」が追求された。班単位での生活指導、代表児童委員会による選挙と委員会活動、生徒主体の林間学校...。しかし、その中で連呼される「みんな」という言葉に違和感を抱き続けた筆者は、中学受験塾に自分の精神的基盤を置き、学校を批判する側にまわる。そして30年以上たった今になって、筆者は当時の関係者を尋ねてまわり、あの時あの小学校で何が起きていたのかを振り返って行く。
筆者が振り返る当時の様子は、今の学校現場とはかけ離れているようで、しかしどこか今もどこにでも見られる要素も残っていて、読んでいてうすら寒い思いを抱かせる。
僕は小学校の教員でもないし、勤務校もやや特殊な環境なので、事情がわからないところも多々ある。しかし読んでいて痛感するのは、小学生に対する担任の一時的な影響力は、中高に比べてはるかに強いのだなということ、そして担任の側でも「いい学級」を作ることへの欲望が強いのだなということだ。少なくとも「学級」というシステムが、個々の志向や能力を超えて、生徒や教員をそのようにふるまわせる構図を持っている。そのことに充分に自覚的でなくてはならないだろう。
第七小では、「いい学級」を目標に、日常的な班活動を基盤としつつ、合唱やキャンドルをはじめとした行事の工夫が小道具として配置され、抑圧的な空間が形成されていく。若く魅力的な教員の指導のもと、そのような学級づくりが完璧なまでに機能していくその様子、そして「自由」や「生徒主体」という言葉がどんな中身でも入れられるマジック・ワードとして機能する実例を見られたことは、教員としてとても「勉強」になった。
このストーリーはあくまで筆者の側から語られる一面的な記録にすぎない。当時の教員や生徒たちの思いには充分に踏み込めていないし、公正ではない。第七小の取り組みを評価するには、別の記録を見る必要もあるだろう。
しかし、日本の学校が「学級」という制度のもとで作られ、そこが権力発動の場となる生々しい実例がここにはある。学校空間を相対化し、適度に距離をとってその意味を問い直すためにも、教員は読んでおくといい本だと思う。それだけでなく、その中を生きることを余儀なくされている生徒にもおすすめできる一冊。面白いよ。できれば柳治男「<学級>の歴史学」とあわせて読むとなお面白いかも。 -
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1974年。西武新宿線沿線の北多摩郡久留米町に開発された滝山団地。総戸数3080戸。開発前に約19600人しかいなかった久留米町の人口は10年後の70年には4倍の78000人となり市制を導入して東久留米市となり、北多摩郡は消滅した。そして著者がこの滝山団地から通ったのが東久留米市立第七小学校である。第七小学校は滝山団地の児童を受け入れ、全校児童の殆どが団地の児童となった。均質化された団地住まいの家庭の児童が大挙して通ったクラスは児童や両親の考え方も均質化していた。先ず始めにP.T.Aの民主化が行われ継いで団塊世代で先日まで学生運動をしていたような新任の教師が赴任して「水道方式」と「学級集団づくり」に基づく新しい教育方法を実践する中で達成されたのが「滝山コミューン」「民主的」という言葉を使いながらその中身は全体主義でソビエトや中国の共産主義の「悪い部分」を抽出したかのような「組織づくり」に著者は困惑と嫌悪を覚え、当時まだ少数派だった私立中学受験たのための学習塾通いに息抜きを見つけようとする。当時から30数年経ってから振り返り、検証する渾身のノンフィクション。
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原さんのオタクっぷりがすごいし、それについていける三浦さんもすごい。こんなに話が盛り上がるなんて気があうんだろうな。
皇室のことは、根深い確執とかしがらみとか色々あるんだろうな…と想像できました。女系天皇を認めないとするのは意外と歴史が浅く、女性が天皇になったらなんかまずいのか?意地になってるように感じます。
正しさだって時代で変わるのだから、伝統だって合わせて変えていけばいいのにねー、と思う。
鉄道も大衆の乗り物から悪い言い方をすると富裕層に媚びるようなサービスをすることで格差をつくっている。ただ、移動中に快適に過ごしたいというニーズもあるわけで、公共性の高い乗り物だから、そことのバランスが難しいんだろうな。