原武史のレビュー一覧
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<目次>
序
第1章 東日本大震災と鉄道
第2章 天皇・皇后と鉄道
第3章 沿線文化の起源
第4章 断たれた鉄路を行く
第5章 鉄道をめぐる記憶と文学
第6章 乗客の横顔
第7章 鉄道復興の限界
第8章 海外の鉄道で考える
第9章 よみがえる「つばめ」「はと」
<内容>
新しいタイトルだが、『鉄道ひとつばなし』の第4弾。東日本大震災もあり、タイトルを変更した模様。序のところとあとがきでいろいろ書いてあるが、変えた理由がよくわからない…。内容的には、東日本大震災後、三陸地域のJR東日本の対応がいいかげんと、批判の部分が多い。またJR東海の新幹線神話に対してもやや批判的(第9章 -
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後書きで「私の本職は、日本政治思想史の研究である。」と云われる原先生。「大正天皇」「昭和天皇」などの著作もある。鉄道好きでも有名。
主に東京近郊に鉄道やバスで出かける。あさま山荘や三里塚、上九一色村など昭和、平成の事件となった舞台や天皇の御用邸、大規模団地など。
小さな旅行記の中で、本が紹介される。新刊ではなく、昭和の時代の側面を伝えるノンフィクションが多い。文芸作品も多少。
書評というには言及は短いが、郊外に残る昭和の風景の記憶と本の話が、なんとも言えない味を醸している。
大本教を再訪するのが、チョッと不思議。昔読んだ栗本慎一郎の本でも大本教は取り上げられていた。当時に沢山出現した新興宗 -
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東日本大震災における各ローカル線とJR東日本の対応について、また今後の鉄道の役割についてまとめた本。全体的にJRに対して否定的なスタンスであるのは割り引く必要があるものの、鉄道を単にA地点からB地点まで乗客を輸送する手段と定義することなく、地域における多面的役割を担っているという言説は示唆に富む。
この本のなかに挙げられていた、盛岡~宮古~釜石を結ぶJR山田線のポテンシャルについては頷ける。イーハトーブの里として風光明媚な塩の道=宮古街道から三陸海岸に抜ける路線は、スローな展望列車などで巡るには非常に魅力的である。首都圏から盛岡駅までは2時間半でアクセスできるので、宮沢賢治や柳田国男の物語と -
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なんか3☆にしてしまったけど、結構好きな本といまになって思う。なんといってもコンセプトが自分向き。電車乗って、何か読んで何か食べて…。力が抜けているような気がするので、こちらも何か3☆くらいでおさめちゃった。あまり考えていないからね。
ポーランドとかゼミの郊外実習で奈良とか例外はあるが、基本的に首都圏から行ける距離の電車とかバスに乗って、読書と地元の食(多くはラーメン、うどん、そば)と絡めた本。こちらもビール(がんばってギネス)を飲みながら、楽しませてもらった。子供が小学校に入ったら、月一くらいで電車旅行やってみようかと思った。
行った先の土地や途中の風景の観察眼などは原武史ならではのもの。 -
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タイトルと装丁に魅かれたのと「文科系トークラジオLife」で紹介されていたのを微かに記憶しており、読んでみた。
読んでみて、タイトルから想像したほどの大仰な集団が組織されたわけではないし、その集団が社会に強烈な影響を与えたというような物語があったわけでもなかったので、少し拍子抜けした。ただ当時の全生研が推し進めた「学級集団づくり」が排除の倫理に基づく危険な思想をベースに実践されていたことには素直に驚いた。また「追求」と称して体制に反する者に自己批判を要求する行為を小学生が自発的に行っていた事実は、イデオロギーを強制的に押し付ける教育の怖ろしさを痛感した。
「学級集団づくり」の一つの要素であ -
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小学生という、無垢の子たちだからこそ、全体主義に組織化され、自分という主語ではなく、みんなという主語を持った時起こる出来事。
それは歳など関係なく、ある意味の恐怖を抱かずにいられない。
そして、それを正しい事だと組織化しようとする大人。
その矛盾に気づく幼少時代の筆者。
小学校の中心的な児童にとっては、筆者はつれないやつと思われただろう。
筆者にとっては、中心的な児童は踊らされて躍起になっている馬鹿なやつ。
そんな両方の認識は今の子ども達にも通ずるとこもある。
どちらにも考えがあり、間違ってはいないと。
団地、集団主義。自分の育った環境にはあまりなかった言葉たち。
前半に比重がおかれている