信田さよ子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ自分に必要な本だ、と思って読んだ。
本書は、
第1章 母はまだ重い
第2章 共依存を読みとく
第3章 母への罪悪感と自責感
第4章 逆算の育児
第5章 なぜ人は自分を責めてしまうのか
の全5章で構成されている。
カウンセリングセミナーの講座の内容を文字にしたもので、話し言葉寄りの文章で書かれている。
思っていたよりも「母と娘」にフォーカスした話が多かったが、「第5章 なぜ人は自分を責めてしまうのか」に至るまでの章を読み、第5章を読み進めると、これまで書かれていたことと繋がり、理解が深まったような気がした。
「すべて自分が悪い」という思考は、虐待的環境で生きるために自分の存在を否定し、合理性を獲得することだ、という言葉に衝撃を受けた。
それと同時に納得した。
何か理不尽なことが起きたとき、自分を徹底的に否定してしまえば、説明できるようになる。
世の中は合理的なんだ、間違っていない、なぜなら自分が悪いから、と。
こう思わなければ生きていけない状況になってしまうのは、家庭環境によるものが大きいということも分かった。
もくじを見て気になる箇所がある方は、ぜひ読んでみてほしい。
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親が「あなたのために」と言ったとき、言われた本人は抵抗できなくなるんです。「あなたのことを思ってやってるのよ」という言葉がいかに脅迫的か。拒むという選択肢が奪われているからです。選択肢が奪われれば、強制になります。だから、使わないほうがいい。
言われるほうは、反論と抵抗が封じられてしまう。よそから見て問題のない家族でも、そこで育つ子どもたちがすごく苦しいというときに、やっぱり親から「あなたのためにやってるのよ、これが親の愛なのよ」というふうに言われていることがあるんですね。
(P79〜80)
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自責感というのは自分を責めることなんだけど、自分に責任があると感じることも同じです。自分にすべての責任があるという感覚。
家族の中でもっとも小さく弱い存在の子どもが、ひそかに「自分の責任なんだ」「自分は悪い子だからなんだ」と思って、その家族の中を生きてる。それがいかに残酷なことか、もっと多くの大人は気づくべきではないかと思います。
(P189) -
Posted by ブクログ
アジールとしてのカウンセリング
愛情はぐくみ思いやり温かさと共に語られて来た家族の関係を一切消去し、代わりに、
支配、力、被害加害、戦略、駆け引き、作戦といった言葉を登場させる、いわば、心理学から政治学へのパラダイム転換。家族はこのように政治的に解釈されることで変革の可能性、起動点が見えてくる。
137.138ページ。
世界観が、ガラリと変わるところ。
具体的には、私を主語に、私を語る、他人行儀な話し方を家族にすることで、境界をつくる!
もし大きな問題を抱えて停滞萎縮している方がいたら、まるで福音のようなことばであり実践できる道ではないだろうか。
信田さよこ先生節で、その世代であればこその、
明るいことは単にバカであることの証明でかり、肯定することは表層的で思索しないことの表れだった、とズバズバ書いておられるのも面白いなあ。
今の世の中、中身のない、バカっぽい、ネアカに通じる自己肯定感教が蔓延していてそこからはなにも生まれてこないのに人生観世界観自分の個性や信条なしの外形標準的な自己肯定感への持ち上げ、なぞりあげがあふれている。経済と政治の問題として。搾取の方法論として。
アディクションは心の中の問題ではなく行為の問題である、と明言し、心理学や司法や犯罪やさまざまな垣根棲み分けを、暴力、アルコール依存なもどの行為としてとらえ、こころの問題に還元することを提唱されている。歴史の問題でもあり、政治やイデオロギーの問題の中でやりこめられていることもある。被害者は被害者になるなという加害目線でのキャンペーンなど、社会、国家の側の言い分、誘導である。
被害者が自己認知する時にうまれる被害者の強さ意思の表明や明確性。被害者にならないために、とか、盗撮に気をつけましょうというなめたキャンペーン、プロパガンダをぶっつぶし、家父長的暴力、家庭内暴力、性暴力そして最近は認知度が上がりつつある、暴力を伴わない夫婦や恋人の関係性に基づく暴力に抵抗し告発しレジストしていきたい。
どのページも示唆に富み共感と勇気を呼ぶ。238ページ、後書き前の最後のパラグラフ、DV被害からの回復とは、被害者という自己定義を脱することを意味するのだ。始まりがありそこから脱する長いプロセスの一時期、レジスタンスのために必要なのが正義である。正義に寄りかかることで味わう「正しさ」という力に時として被害者は眩惑される。この危険性を自覚するために、思い出すべきは、城跡をみればそこに残っているのは礎石だけであり、闘いのあの砦はいつか必要なくなるのだ、ということば。圧巻。
知識は連鎖する。つたない知識への欲望からここへ辿りつけたことに感謝しかないし誇りに思う。
たまたまなんてことはない、伝統的なんてこともない、国家権力の意志として明治以降に形成され強固に守られてきた日本の家族観、おかしいと子どもののころから感じていたことが、積み上がるレンガのように、そうだ、構造的だ、たまたまなんかじゃないし伝統やあたりまえでもない、前に進め、認めるな、家、親、子の問題は国家の暴力につながるという自覚を強くしろ、意識しようと改めて思う。たまたまなんかじゃないんだ。 -
Posted by ブクログ
すごくわかりやすくて興味深く読んだ。
苦しんでいる人たちが自身の状況に気づくきっかけになればいいと思う。
今のこの関係、苦しいな、と思ったらぜひ。
山田詠美の『風味絶佳』、映画『嫌われ松子の一生』、映画『ジョゼと虎と魚たち』、社会現象になった韓ドラ『冬のソナタ』などの、エンターテイメントを例にとっている章もある。
『風味絶佳』は恐ろしいと思った。幽霊やお化けなんかより身近で、”いつのまにかそうなっている”のが、怖い。
『ジョゼと虎と魚たち』は好きな映画で、二十代で観た当時は「恒夫ひでー」と、思ってたのだが、“共依存”というキーワードでこの映画を観ると、なるほど、そうかと思える結末。
思えば「恒夫ひでー」という思いの奥底には、「(障害者の)ジョゼに責任取れよ!」といった、ジョゼに対する憐憫が隠れていたように思う。
それはそれでジョゼに失礼な話だなと、今では考える。←話逸れた。
『ジョゼと虎と魚たち』は原作と映画のラストが大きく違うみたいなので、見比べてみるのも楽しそう。
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購入済み
母の死をきっかけに読みました
苦手意識があり長らく距離を置いてきた母親の死をきっかけに読みました。
虐待を受けたわけではなく、それなりに母からの愛情を感じるし、大人になるまでお金に困ることなく育ててくれてたのだから母に冷たくしては親不孝だ…でも私の気持ちとしては、一緒の空間には居たくない。これまでこういったレビューは書いたことがありませんでしたが、思わずレビュー投稿したくなるほど、同じような葛藤を抱える方に是非読んでもらいたい良書です。 -
Posted by ブクログ
あの事件を起こしたのが、自分と同じ年の人だったと知ったとき、すごくショックで、気持ちがまとまらないまま書店でこの本を手にとってフラフラとレジへ。
著者がカウンセリングを通じて向き合った膨大な事例から、家庭における暴力の存在とそれを取り巻く国家の意図を鋭く問い、被害者支援と加害者更生に必要な新しい考え方を示した一冊。
虐待の事例は読み進めるのがつらくて、ときどき本をおいて深呼吸する必要があったけれど、著者の考え抜かれた言葉選びと文章を、できる限り読みこぼしたくなくて、一文一文をかみしめながら読む。
国家によって生じた戦争神経症も、家族の中の暴力も、長い間ないものとされてきた点で相似形を描いていること、衝撃的だったけど、どこかで納得している自分もいて。
そして、強者によって行使された権力を、自分にとっての弱者に同じように行使することを「抑圧委譲」という言葉で丸山眞男が表現したことを、この本で初めて知りました。
怖いくらい、日本の社会をよく言い表している言葉だと思う。
先の戦争がどのようなものだったのか、国家や軍にどのような意図があったのか、考えるのは重く苦しいことだし、私1人の力はあまりにも小さくて、有効な手立ても思いつかないけれど。
やっぱり、気がつかないふりをして生きていくことはできないから、自分なりに知識を身につけたり、目の前で起きていることを言語化しようと努力することだけでも、続けていきたいなと思います。 -
Posted by ブクログ
読もう、読もう、と思いながらもなかなか読めずにいましたが、ようやく読めました。
印象に残ったことをここでは2つだけ書きます。
選択不能性について。
ものすごく少ない選択肢の中からしか選べない状況にある人がいるということを、私はどれだけ理解して「自己選択」「自己決定」の言葉を使ってきただろうかと、自分の理解の浅さを感じました。
性暴力、DV加害をどのように見ていくかについて。
頷くばかりで納得しかない感覚でした。
怖さや危うさを改めて感じました。
カウンセリングから、社会調査から、多くの方の声を聴いてこられたお2人の言葉には、とても説得力がありました。
加害者の被害者性を取り扱うことのリスクについて知ることができたのもよかったです。
上間さんの本はまだ読んだことがなかったので、「読んでみよう!」と思いました。