信田さよ子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
信田さよ子氏が『依存症』の続編として25年の時を経て書いた本書。中身は濃い。
欧米に比して日本では『〇〇依存症』と言えば、本人の意思が弱いから止められないのだという見方が特に強い気がする。
〇〇中毒が依存症と名前を変えても世の見方は大して変化したとは感じない。
なぜ依存症になるのか?本文中には
《依存は自前のトラウマケアなのだ》
という一文がある。そういうケースが殆どだったのだろう。
依存とは少し異なるが…
著者は、第二次世界大戦で兵士が受けたトラウマについても言及する。当時は誰もそのトラウマに気付かず、トラウマを抱えた本人は家族内にその行き場(に暴力で)を見出す。そして、その結果は、母から娘、娘から孫へ…と連鎖する。
そして、現代の依存症。
女性の割合が増えているという。アルコール依存はもちろんのコト。
行き場を失った女子中高生がトー横に集いオーバードーズして自殺を図ったり、売春に走ったりする。先の家庭内暴力では受け止める「底」迄の距離があったが彼女たちは既に「底」にいるのだという…逃げる道も助けもない。
以下、これを依存として見るかは人それぞれでであろうし、後者に関しては全てに当てはまるとは思わないが…
ホスト狂いや過渡の推し活。その心理の根底には矢張りトラウマを見る。
そして.『この依存はオンラインギャンブルと同様に依存するように【仕組まれて】いる』
更に、突拍子もないかも知れないが、もっと大きく、世界経済にさえ同様の仕組みを見ることが出来るのではないか。《資本主義自体がカジノ化しメジャーな銀行が率先して投資を煽る姿に隔世の感をおぼえるのは私だけだろうか。》と。
資本主義社会がアディクション化し、まるでギャンブル依存になったかのような現代の社会。
まぁ…ここまで広げると余りにも救いが無さすぎる気もするが…(^^;;
最後に、全ての人に知って欲しい。
依存は自分では『治せない病』なのだ。自分の意思で治ることは決して無い。
そして、原因を探るのではなく、ひたすら依存している対象を断つ。断ち続ける他に道はない。
依存症の人を責める社会は未熟な社会だと私は思う。 -
Posted by ブクログ
いつも冴えている信田さん。現代的な依存とアディクション論。著者が強調しているが、この10年で依存症の見方にトラウマ論が入り非常に理解しやすくなった。その延長セイン上に戦争トラウマも知られるようになり戦後81年の精神構造がトラウマ論から読み解く論も出てきたのは蓋を閉めていた部分ふが開きつつあるのかも。セルフケアの二面性についても依存症からの視点で、容易に自己責任論に陥らないためのグループ対応など、依存症臨床をしている部分からは言語化してくれているところがあり、スッキリした。最後に現代資本主義自体がアディクションになっている部分があり、その点での社会の見方は同感です。
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Posted by ブクログ
なぜ自分を責めてしまうのか、「私のせいだ」「私なんて生まれてこなければ」と感じてしまうのか、を親子(特に母と娘)の共依存的な関係性にスポットを当てて紐解いている。
著者がセミナーで話した内容をベースとしているため、心理学やカウンセリングに知見がなくてもさらさら読みやすかった。
最近話題のAC(アダルトチルドレン)とは、著者の定義では「現在の生きづらさが親との関係に起因すると認めたひと」としている。
そしてACの母親、毒親と言われる母親はDVの加害者と似ているところがある。「自分はこれだけ苦労している」「あなたのためを思って」と相手を非難するところだそう。これにはなるほど!と思わず唸った。
ここからは個人的な話になる。
今思えば、子どもの頃私と母も共依存的だった。
母はとてもしっかり者で、世間をなにも知らない私の指針となる人だった。というこの自己評価も、考えてみると母に小さい頃からよく「あんたは頼りないなぁ」と言われたことによる刷り込みから生まれた気がする。とにかくなにをするにも、母に相談して決めていた。
そして母は父の愚痴を子どもにこぼす人だった。父の不甲斐なさのせいでいかに自分が大変な思いをしているか、ということを私は小学生のときからよく聞かされていた。
私が20歳のとき、母は病気で亡くなった。とても悲しくて直後は心身に不調を来したし、今でももっと長生きしてほしかったと感じる。それでも、亡くなったとき肩の荷が下りた感覚があった。あぁようやく解放されたと。
ずっと、なぜそんなことを感じたのだろうと考えていた。しかし本書を読んで初めて、私たちは共依存的だったからかもしれないと気づいた。
私は母の言葉の影響もあって自己評価が低く、いつも母に頼っていた一方で、父への愚痴を聞くという役割をいつのまにか背負わされていた。それを父に相談できるわけもなく、今思えばとても閉鎖的な環境だった。
きっと私はどこかで母に支配されているような感覚を持っていて、母の死によってそれが解かれたことで自由になったと感じたのかもしれない。
子どもはみな親に多少なりとも支配されている。経済的にも、親に依存しなければ生きていけないし、それは当たり前のことだ。
けれど私は母に支配されていること、そして自分が母をケアする役割になっていることに無自覚だった。その怖さは感じる。母が生きていたら、大人になった今も共依存的な関係だっただろう。
今は私が母の立場になった。娘には夫の愚痴を垂れ流さないように、そして自己犠牲の気持ちで母親業をやって、娘が頼んでもいないことを「あなたのために」と押し付けないように気を付けたい。
これまでの経験を振り返っても、子どもや社会的弱者に向けて「あなたのために」と行動することは確かに気持ちがいい。自分が役に立っている実感があると、胸を張って生きていていいんだと自分を認められるから。
だけど自分の感情や欲望をおざなりにしてまで、「あなたのために」を続けていると自己犠牲になってくる。そして「あなたのためにやっているんだから」と押し付けのような形になって、それに応えること、従うことを相手に求めてしまう。
子育てはその塩梅がむずかしい…
自己犠牲にならないためには子どもに全ての時間を捧げる必要はなくて、親は親のやりたいことをやる、子どもに求められたときにしっかり対応できるようにしておく、ということが肝要かもしれない。
あとは著者も言うように、子どもに見えないところで夫や友人と愚痴を言い合ったりできると精神的に安定しやすいと思う。 -
Posted by ブクログ
自分自身がクヨクヨする性格のため、購入しました。筆者の明快な主張に心が洗われた気持ちになりました。
親が子どもに「(交通機関などで)そんなことをするとまわりの迷惑でしょ」と言っているのを聞くと筆者は呆然とするようです。「静かにしなさい」だけではいけないのかと思っているようです。その理由は、筆者の信念でもありますが「人は人に迷惑をかけずに生きることはできないと思っている」からということでした。(153P)確かにそうです。人は人に迷惑を掛ける存在です。そうだからこそ、人に迷惑を掛けられた時もお互い様という精神で乗り切れる(成り立っている)のではないかと思っています。
グループカウンセリングで上岡陽江さんという薬物アルコール依存症・摂食障害の回復者の方がいて、その方の言葉に「この世でもっとも悲惨でもっとも残酷な話が、仲間の希望になる」という言葉があり、筆者はその言葉に尽きると思ったようです。(208P)ミーティングで自分の経験を話すと、聞いてる人の希望になる。これがグループの最大の意味じゃないかと思う。「話したことが否定されないこと、コメントされないこと、評価されないこと、比較されないこと。これが、本当に大きい」と筆者は言います。
この本は自分をクヨクヨと責めてしまう方が読めば気持ちがスッキリすると思いますので、お薦めします。最後になりますが、この本の筆者と素晴らしい本を出版してくれた筑摩書房さんに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。 -
Posted by ブクログ
著者の考え方、いいと思う。
「母の愛」「あなたのために」という呪いの言葉を否定している。
母と娘の関係。
父と息子のことは西洋の心理学者もよく語るが、母と娘はあまり語られないとも。
女同士の母と娘。
母をそういう位置づけに追いやったのは明治時代。
窮屈な規範に押し込んだ。
その亡霊はいまだ生きていて、母はこうあるべし、家庭はこうあるべし、と縛る。
ミソジニーは男だけのもの、ではなく、女が女を蔑視する。「あんたは女なんだから」と。
工業化時代にはそれが効率が良かった。男が工場で朝から晩まで働き、女は子を育て家庭を守る。
そんな時代はとうに過ぎた。
なのに明治時代の仕組みを懐かしむ輩が多数いる。というか日本の真ん中にいる。
だから世界から取り残される。それに気づかない。
この新書はある意味その警鐘でもあろう。
あげく子は、自分がいるから母が不幸になる、などと思い込む。
自立させなくては!
「自己肯定感」という言葉も著者は嫌う。「人に迷惑をかけない」も。
言葉に責任を持つ、クレバーな方だ。
まえがき
第1章 母はまだ重い
1 「母と娘」の時代の幕開け
精神分析のなかの女/フェミニスト・カウンセリング/アダルト・チルドレン/被害という概念の広がり/『母が重くてたまらない』へ
2 母と娘のいま
母娘問題のはじまり/毒母、毒親という言葉/母の老い/自分の限界は甘く見積もる/亡くなった親
3 母を俯瞰する
定義にこめたもの/母親の三大原因説/謝罪になっていない謝罪/母と娘は和解できない
4 グループの力
解釈を一切しない/母親研究/言いっぱなし・聞きっぱなし/生育歴が母親研究になる/母を俯瞰する/不均衡な力関係の表れ方/母が怖くなくなるような状態を目指す
第2章 共依存を読みとく
1 共依存とシステム家族論
当事者の言葉/アルコール依存症の治療現場から/システム家族論の登場/システム家族論の影響
2 支配としての共依存
共依存の発展/従来の共依存理解の限界/依存ではなく支配/「あなたのために」が不幸のはじまり/言葉が現実をつくる/母の愛のいかがわしさ/被害者権力/パターナリズム
3 母と娘の共依存
母のケアが力を奪う/あなたがいないと生きていけない/女性と共依存/共依存的な人にどう対処するか/共依存的になってしまうとき/被害者は無力化されているのではない/権力は状況の定義権/支配の根幹
4 複雑化したトラウマ
苦しみと鈍感さ/ありふれている共依存/支配性を自覚する
第3章 母への罪悪感と自責感
1 近代と母性愛
母と娘に関する3冊/罪悪感の正体/つくられた家族像/母性愛のふたつの柱
2 母のミソジニー
精神分析にとって女とは何か/阿闍世コンプレックス/受け継がれる母性信仰/ミソジニー
3 母性愛と罪悪感・自責感
反出生主義/虐待の影響としての自責感/母性愛なんてものはない
4 第三者の介入
最良の第三者は、父であるべき/キーワードの整理
第4章 逆算の育児
1 子どもとは何か
アルコール依存症とフェミニズムの合流/年代のはじめの孤立/ACの親のように、じゃない育児/子どもという存在
2 親の言葉による支配
親の暴言/自立という言葉/人に迷惑をかけずに生きることはできない/家族と差別/加害と被害をひっくり返す/普遍的な価値を利用する支配
3 幸せでいる義務
抑圧移譲/強迫的なケア/子どもの前では幸せでいる義務がある/閉ざされた家族/幸せなふりをする
4 とりかえしはつく
子どもの恐怖/子ども以外の存在から支えられること/子どもが許せない気持ち/とりかえしがつかないことはない
第5章 なぜ人は自分を責めてしまうのか
1 自責感と規範の関係
規範を取り込む/規範の一貫性
2 「すべて自分が悪い」という合理性
感情を抱けない/子どもの文脈/たったひとつの合理性
3 根源的受動性
子どもは責任ゼロで生まれてくる/孤独感は高級な感覚/虐待の罪
4 自責感のあらわれ
自傷はサバイバル/アディクション/接触障害/性的な問題/反転する自責感/家族と正義/あなたは悪くない
5 これからの旅へ
グループの意味/ヴィクティム・ジャーニー
あとがき
索引
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Posted by ブクログ
なぜ人は自責思考に陥るのか。その根幹は、自分が悪いと思い込むことで世界を理解しようとする心にある、と著者はいう。
たとえば、虐待される子どもやDVに遭う嫁や旦那が相手を庇うのはなぜか。それは文脈のない攻撃に耐えられないからだ。どうにか理屈をつけなければ、自分を保てない。これは、親と子の関係にも言えるという。
親子というのは、一筋縄ではいかない。昨今では毒親や親ガチャという言葉があるが(この言葉自体ですべてを括るのは私は他者依存すぎるから好きではない)、子は親を許すべきであり、自立して親孝行するのが立派だと言われる一方で、親は子を守るべきであるという世間の"常識"に私たちは、生まれた時から雁字搦めにされている。
つまり、生まれた時から私たちは、自責思考を持つように社会に育てられてきたのだ。
今の時代は、他責思考を勧める投稿がSNSで散見されて、それはそれでどうかと思うが、関係性に囚われて固定された視野から世界を眺めるのではなく、他者との距離はそこそこに世界と自分とのバランスをとっていけたらいいんじゃないだろうか。
ま、それが一番難しいんだけどね。愛というものは尊いけど、それ故に関係性を複雑にするもの。 -
Posted by ブクログ
親になったので、どうしたら自分の子が健やかにのびのびと育っていけるかなーと思い、参考にしたくて買いました。ケアすることの危うさなんて考えたことがなかったので驚いた。ケアと支配は表裏一体。子どもに対して支配的な言動を無意識のうちにとっていないか気をつけなければと思った。特に「あなたのために」「あなたのためを思って」は要注意、今のところ言ったことはないけどこれからも言わないように気をつけよう。
子は責任ゼロで我が家に生まれてきてくれたのだ、わたしは幸せでいる(または幸せなふりをする)ことで、親としての義務を全うしたいと思った!
もっと理解を深めたいので他の本も読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
まさかアダルトチルドレンや娘母問題が出発点の新書とは思わなかった。
タイトルにもなっている最後の自責感の章素晴らしかった。「すべて自分が悪いと責める」ことは理不尽な世の中(本書では家族)を合理的に捉えるために生み出されたものだと言われた。
188ページの「自分を徹底して否定することで、世の中が説明できる。世の中はそれなりに合理的なんだ、なぜなら自分が悪いから。」という文章に衝撃を受けた。
自分自身物事に論理性を求める。しかし世の中は不合理で論理的ではない。これは仕方ないことだと思う。これを認めない限りは自分を卑下し続けることになるのではないかと気付かされた。
すぐ自分を責めることを「自己肯定感が低い」ことを原因と考える節があるが、著者のあとがきにはそんな問題の立て方では「出口がない」と言われる。自分だけを見て、自分で自分を操作することは不可能で他者との関わりあいの中で解決するしかない。ハッとした。
恐らく自分の自己肯定感が低いのは中学のあの合理性のない生活のせいだろう。
読んで良かった。 -
Posted by ブクログ
カウンセラーの信田さよ子さんと、沖縄の社会学者の上間陽子さんの対談集。とても読み応えがあった。信田さんは、カウンセラーのこれまでの歴史、精神科医との向き合い方の違い、そして性加害者、依存症への対処の遅れの指摘があった。昭和の男性は自らの性を語るとみな渡辺淳一になるという言葉には爆笑!カウンセラーとして、安易な共感はせず、抽象語にまとめてしまうことを許さず、体験を具体的に語らせる、語った言葉から構築できた事のみに対峙するという姿勢がかっこよい。上間さんは、家庭的に恵まれず虐待や性加害のあった少女・少年たちが、安心して被害を語れる場・機会に恵まれていないこと、加害者の卑怯さへの怒りが語られる。DV加害者への公的プログラムが、刑務所にないのは日本と北朝鮮だけ!というのが驚き。まだまだ、被害にあうほうが悪いとか、懲らしめれば反省するという思考、何か根本的に遅れている。プリズンサークルのような実践も始まっているし、これからいい方向に行ってほしいぞ。