橋爪大三郎のレビュー一覧
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著名な社会学者達の対談だけあって視点が多岐に渡っていて面白い。
人類史の中で、他の文明とか他の文化の真似や影響なしで独自に文字をつくったところは4つしかない。メソポタミア、エジプト、マヤ、中国。
頭の中が漢字でフォーマットされた中国人が日本を理解することは難しいという指摘は興味深い。
また一方で、日本には行動規範となるテキストが存在しない。イスラムのコーラン、インドのヴェーダ聖典、中国の経典。特に戦後の日本は何をよりどころにしてきたかといえば米国であろう。パックス・アメリカーナの中で平和を享受してきたわけだ。
経済の視点では、西側陣営で起きている資本主義の社会主義化と中国に代表される社会主 -
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3人の社会学者が、中国について話し合うという本。前半は中国、中国人に関する基本的な謎について。なぜ中国人は、日本人から見ると自己主張の強い人たちに見えるのか、中国人にとっての宗教とは何か、そもそもなぜ広大な地域が国としてまとまっているのか、といった問題や、共産党と毛沢東についての話。後半は中国の歴史問題に関する認識の捉え方と日中関係のあり方を論じている。
今回の3人のうちの2人が参加している『ふしぎなキリスト教』がとても面白かったという記憶があって、中国についてはまともに知らないけど、読んでみた。とても面白いけど、難しかった。まず中国の歴史、特に戦時の日中関係や日本の行動について、おれはあ -
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社会学の立場から「法」の基礎をわかりやすく解説している本です。
とはいうものの、いわゆるポストモダン法学が問題にしているような、法の基礎についての考察を展開することが、本書のもくろみではありません。本書の議論の枠組みになっているのは、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の発想を借りつつ、著者自身の「言語的社会学」の観点から解釈された、アメリカの法哲学者ハートの法哲学の理解であるといってよいと思います。もっとも、こうした論点について掘り下げた説明はなく、むしろそうした議論の枠組みを前提に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教の宗教が、近代法の形成にそれぞれどのような関係をもってきたのか -
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アメリカがどのような行動原理に基づいているのか、その歴史的背景と今後の展望について、分かりやすく解説しています。
アメリカでは、個人の自由を束縛するような中間集団の力が弱く、個人がそのつど合目的的なアソシエーションを組むことになります。そうしたアメリカの全体を束ねるのは国家しかありえないというのが、著者の示すアメリカの社会像です。また、旧大陸からの伝統を拒否して厳格な個人主義を掲げるアメリカの性格が、ピューリタニズムと深い関わりを持っていることが説明されます。
さらに、トクヴィルをはじめ、パーソンズ、サムエルソン、リースマン、サリンジャーといった人びとの言葉を紹介しつつ、個人主義とピューリ -
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宗教を、深遠な境地への道とみなすのでもなく、怪しげなオカルトとみなすのでもなく、社会の中で宗教がどのような役割を果たしているのかという観点から、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教について、分かりやすく解説しています。
「文庫版あとがき」に、著者は次のように言います。「本書について、「簡単すぎる」「知っていることが多い」という評を目にする。/それでよいのである。/本文を繰り返し声に出して読んでほしい。そして、まるごと暗記してほしい。そういう目的で書いたのだから」。宗教を敬して遠ざけるのではなく、セキュラーな立場から位置づけ正しく対処するための基礎的な知識を整理した本と言ってよいのではないかと思 -
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橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司の3人が、中国をテーマに語り合った本。
中国という国のあり方は、ヨーロッパの近代国家を基準にして作られた西洋の社会学の枠組みでは説明しきれないところがあるにも関わらず、文化左翼的な立場からの中国論者たちはポストコロニアル批評などの西洋の現代思想を当てはめることで中国を理解しようとしてきました。本書はそうした一方的な中国への共感を戒め、理論社会学についても独自の思想を展開し、中国の実情にも詳しい橋爪を中心にして、理論と現状分析の双面にわたって中国を分析しています。
日中の歴史問題や、今後の日中関係についての議論も、たいへん興味深く読みました。ただ、座談会形式とい -
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ネタバレ日の丸・君が代から始まった加藤・橋爪の毎日新聞の論争が、司会の竹田を交えた鼎談である本著を生みました。左からの主張ともいうべき国際関係論の加藤は「もし責任があるとすれば、戦後真実を語らなかった責任だとして、家永三郎・井上清・丸山真男ではなく、三島由紀夫こそ、その責任を正しく追及した人だ」と展開する。また、死んだ300万人の日本人たちへの責任はまずアジアで死んだ2000万人への責任に真直ぐに向かうことから始まると。これに対して右からの主張ともいうべき社会学の橋爪はむしろ天皇機関説的な立場から「天皇という場に選択の余地がなく座らされた個人の責任を追及したくない、それは主権者である日本国民としてのプ
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ネタバレ2000年以上にわたり論理学の教科書であり続けるアリストテレスの『オルガノン』p26
記号論理学
フレーゲ『概念記法』
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
「写像理論 picture theory」:世界(出来事の集まり)と言語(命題の集まり)はぴったり一致している。p71
【『論考』のエッセンス】p74
①世界は、分析可能である。
②言語も、分析可能である。
③世界と言語とは、互いに写像関係にある。(同型対応している)
④以上、①〜③のほかは、言表不能=思考不能である。
「世界は、言語があるようにあり、言語は、世界があるようにある」p88
マタイによる福音書21章42節
Jesus