野崎歓のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
【コメント】
子供だった大人たちにむけて描いた物語り。
こう書くとなんだかワクワクする。
主人公と男の子が出会い、交流を通して
本当に大切なものは何なのかに気づいていく。
優しくユーモアがあり、ちょっと切なくなる
お話し。
*** 作品の時代背景
この本は著者が実在の友人のレオン・ヴェルト
に向けて書いた物語り。レオンはユダヤ人で
大戦で迫害を受けていたのだ。著者自身も
フランスがドイツに敗れ自身はアメリカに亡命
している。
そういう背景を知って作品を見てみると、
これは単にファンタジーを描いただけの
作品ではないときづく。そこには風刺
(王子が様々な星で出会う奇妙な大人たち
に対する)があり、友人レオンと同じよう
につらく孤独な思いをしている大人たちへ
のメッセージがこめられている。
【内容】
著者は、独り砂漠に不時着し難儀する。
そんな時にであった小さな男の子との交流を
通して、人生で本当に大切なものは何なのか?
に気づいていく。
小さな男の子は星の王子さまなのでした。
王子さまは、大切なものを自分の星に残して
旅にでてしまう。様々な星を渡って冒険する。
そうして地球にやってきたのでした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ何度も叫んでしまった。「ジュリヤンこのやろーーー!!!」と。
この野郎、一人の親友に恵まれ二人の女性に愛され三人の恩師に助けられ(ピラール神父、シェラン司祭、ラ・モール侯爵)多くの民をその美貌と才知と得体の知れなさで魅了し死んだ後は小説になっちゃって今でも数え切れない人間の心に語り残り続けているというのに、出世?権力?なんじゃそりゃ!人間不信にも程があるし、勘違いも甚だしい。感情に煽られっぱなし。コミュ障。KY。挙げだしたらきりがない。でも憎めないんだ。嫌いになれないんだよ。「死ぬな」って願っちゃうんだよ。愛しちゃうんだよ。君みたいな男を。君だから。だからもう一度叫ばしてもらおう。「ジュリヤンこのやろーーー!!!」と。 -
Posted by ブクログ
この訳者は『星の王子さま』の題名の反対派。タイトルの”petit”、つまり「小さい」という形容詞を重要視しているからだ。確かに、小さな星からやっていた、小さな王子の、小さな物語かもしれない。
また、訳者は、この話の中で語り手が「おとぎ話みたいにはじめてみたかった。」とあるように、この話は、おとぎ話調、童話調ではない点を指針とした、とあとがきで書いている。とはいえ、様々な訳を読んだ中では、印象としては、おとぎ話風の印象を持った。
もしかしたら、これが訳者のいう、第二の指針とした、この物語の「温かさ」、サン=テグジュペリという人物のぬくもりの現れなのかもしれないな。 -
Posted by ブクログ
面白かった・・・。
以前に別訳で「日々の泡」のタイトルの文庫本を買ったことがありました。もう10年以上前だったか。そのときは申し訳ありませんが、何が何だか訳のせいかのめりこめず、早々に脱落。
今回は、ほぼ盲目的に信じている光文社の新訳であることと、野崎歓氏の訳ということで再購入。読破。
いやあ、これはすごい小説ですね。
以下、ネタバレ。ただこの本は、ネタバレがどうこうという本じゃないですけど。
よほどの好みを持った人以外は、むしろ情報を色々仕入れてから読んだ方が良いと思います。
主人公はまあ、コランという青年ですね。この人はお金持ちで働く必要がない。ニコラという料理人を雇っています。友人でもある。
他に、シックという友人がいます。この三人は男性です。
シックの恋人が、アリーズ。ニコラの姪がイジス。そして、コランが出会い結婚するのがクロエ。この三人が女性です。みんな若くて美女です。どうやら。
コランがクロエと出会う。恋をする。ふたりは愛し合う。結婚する。
コランは労働者であるシックにお金をボンとあげる。コランはクロエと幸せに過ごす。
だんだんお金がなくなってくる。困った困った。
その上、クロエが病気になる。肺に睡蓮が生えてきてしまうのです。花が必要なんです。お金がかかります。
コランにお金を貰ったシックは、パルトルという思想家/文化人に夢中になっていて、その人の希少本を買ったりなんだりで、やっぱり無一文になります。
シックはお金がなくて、アリーズと別れます。もうアリーズを愛するより、パルトルが大事なんです。
コランはクロエのために労働してぼろぼろになります。
シックは税金未納で破滅していきます。
クロエは病気で死にます。
というお話ですね。
で、この本は、普通で言うところのリアリズムじゃないんですね。
なんていうか、サージャント・ペッパーの世界なんです(笑)。
お金の単位から人体の構造から建物まで、全部とにかくラリっちゃってるんです。
ぶっこわれてアッパラパーなんですね。
なんだけど、それは無茶苦茶なだけではなくて、物語になっている。
というのは、コランを筆頭にヒトの感情は、ものすごくわかる。切ない。
そしてとにかく、社会的じゃないんですね。一見。その奥は社会に背を向けているけれど社会に飲み込まれていってしまうので、コレホド社会的な小説もないんですけど。
ワケワカンナイことが、その内に読書的快感になっちゃいました。
後半は止まりませんでした。
解説に詳しいですが、これが書かれた時代背景とか作者のボリス・ヴィアンの生涯とか、
パルトルがサルトルとか、その辺を知ってから読むというのもありですね。
なんていうか、理解して解釈して読むとすると。
ただ、そういうのじゃないのかもしれませんね。解読してもねえ。味わうなら先入観なしで読むのも、楽しいですね。
色彩が豊かで音楽があふれて、機知と愛と憎悪と暴力と虚無と享楽が怒涛に押し寄せる快感ですね。
村上春樹さんのシュールな小説とかありますが、あれが突き抜けるとこういう風景があるんですね。
小説という地平線でとにかくラディカルであるということと、
作家そのものにポップ・スター性があったということ。
それが、ポップ・カルチャー、規制価値破壊流行とでも言うべき風俗や経済が降臨しはじめた60年代にこの本の流行を生んだことは、
僕の生前の話ですが現代史の気分的解釈では納得がいくことです。
言ってみれば小説界のセルジュ・ゲンズブールですね。
たった一冊の本で、それも60年前に外国で書かれた本の翻訳で、こんなに陶酔できるというのは素敵なことですね。
ま、それに、その非社会的というか反社会的というか刹那的というか美しい虚無というか、
そのあたりの感じがカッコイイんですよね。
ゴダールの映画に出てきそうな女の子がカフェで読んでるなら、「うたかたの日々」が似合うんだろうなあ、という発想が陳腐ですが(笑)。 -
Posted by ブクログ
キッチュ!これに尽きる。読みやすくてサクサク読みすすめられる。
ガジェット満載の楽しいB級文学といったところ。
そんなジャンル存在するのかどうか分からないけど、大好きだ。
例えば映画『唇からナイフ』を観たときの感覚。ワクワクする。
いや待て、そういやこれの映画版観にいったわ。いまはなきシネセゾン渋谷かどっかでやってたような……?
映画もとことんキッチュだった、それだけ憶えている(笑)。
1968年製作だから30年近く経っての日本公開。そしてさらに20年が経過しようとしている今、新訳で原作を楽しむ——なかなか感慨深い。
この物語を完全視覚化するのは難しい。チャレンジングだったろうなー。
アニメと実写混ぜて現代風にアレンジしたら、面白い映像作品になるかもしれない。60年代風ファッションと相まって、これぞまさしくフランス流“kawaii”だ。
もちろんkawaiiだけじゃない。どころか、カラフルなイメージに突如ジャックインするグロテスクなシーン、言葉遊び、青春の儚さ、皮肉、喪失感、執着の成れの果て、斜陽、すべてが灰に帰す絶望などなど、よくよく考えたら全然明るくない。
この混沌とした物語世界に、シュルレアリスムの影響がないっぽいのも興味深い。
優れた作家かどうかはさておき、唯一無二な作品世界を構築した人だとは思う。
他の作品も新訳してくれないかなぁ。 -
Posted by ブクログ
相反する貞淑と自由恋愛の概念、オクシデントへの僕らの眼差しは依然として、性に対しては十分に自由な選択を彼らは行っているに違いないというものだといえるが、本書を通してみると、月並みな表現であるがなにもかもいいことづくめではないようだ。
「恋愛先進国」(こういってよければ、そして現代において恋愛とはすなわち性行為と結婚を後に控えた個人の一大スペクタクルである)フランス作家界の旗手ウェルベックの最高傑作と謳われる今作、一般的には個人的な問題として片付けられて来たセクシュアリティを、遺伝子と先端科学というフィルターを通して、社会変革プログラムの超えるべき壁として呈示する。
日本においても、高度経済成長を境に進む都市への人口流入、それによってもたられた「核家族」という家族構成の最小単位と、凄まじい移り変わりの中に僕らの”性”こういってよければ”生”は置かれてきたといえる。人間を取り巻く環境が人間を作り出すという「唯物史観」的な観点にたてば、観念的な異性関係とは、正しい性関係・夫婦関係とは、などという論の立て方は、厳格なカトリックがその信徒に教会を通して指導してきた方針と同様にお笑いぐさである。
しかし、ポストモダン的・脱構築的手法がすべてを解体し、白日の下に曝したとき、僕らがこれまで信じて来た”性関係”とは空無であったという”衝撃的”な事実に未だ耐えられない”ピュア”な僕たちというのもまた事実である。論理だけで生きていくことはできない。いかに馬鹿な決まりであれ、文化というのは撞着語法的なものなのである。そこに”ある”と強く信じることにによって何かが見たされている空無、それが文化の本質である。
ラカンのテーゼに従えば、「異性関係は存在しない」。ここでいう異性は、広く他者ということもできるし、言葉通りの異性でも言える。僕らは性交を行うとき、相手の性器と自分の性器をこすりあわせてマスターベーションをしているのである。平たく言えばこういうことだ。それは、とりもなおさず他者表象や他者とのコミュニケーションの地平を揺るがす、断絶である。
そういった、不通・不全のなかで、僕らの性関係、言い換えるなら遺伝子にインプリントされた醜いプログラム”再生産”をどう扱うのか、唯物的に歪められてきた性の変遷に終わりはあるのか、日本においては現代美術家の中原浩大がその作品『デート・マシン』で表現した”再生産過程の現時点におけるスペクタクル的表象”をどう乗り越えていくことができるのか、性の商品化の動きと、それらと切り離せない、”性の実験”ともいえる西洋のニューカルチャーの歴史的記述と、それらに対する辛辣な批判と幻滅、そしてそれの悲しい残滓をあけすけに記述してゆく。
弁証法的な解決を著者自身ももはや望めない世界に対して、SF的な解決を用意するあたり、個人的には非常に面白いが、ここでは善し悪しが別れるところであろう。 -
Posted by ブクログ
一度読んでそのままだったが、最近思い出し再読。
著者の主観が非常に強く偏見に満ちた書き方をしているので、感情移入しないで見世物として読むことを推薦します。
母親の愛を知らずに惨めな人生をおくる兄と、遺伝子物理学の天才である異父兄弟の弟のそれぞれの生き様が描かれている。
性に振り回され滑稽な悲劇ばかりで彼らの相方も皆不幸せな生き様ばかり。こっけいな行動は身にしみる箇所があって苦みばしった笑いしかでてこない。
そんな描写が延々と続くのですが、哀愁ただよう表現とポエジー溢れる文章が心地良い。
くだくだしい部分が多々ありますが好きな人にはたまらないところがある作品です。