鴻上尚史のレビュー一覧
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様々な問題に悩んでおられる相談者さんのお悩みを読んでいると、そんなことが自分の身におこっていたら…と考えてしまい、相談者さんの悲しみや怒りが直接心に届きます。
鴻上さんは、そんな相談者さんからのお悩みの解決策を丁寧にお答えされています。鴻上さんからの「心より応援します。」という言葉は、本当に良い言葉だなと思いました。
私自身も、先日、ちょっとした誤解から意地悪なことを言われて嫌な気持ちでしたが、この本を読んだら、悩みが消えてしまいました。そして、もしも誰かにお悩みを相談されたら、鴻上さんのようには解決策は浮かばないかもしれないけど、真剣にお話を受け止めて、「心より応援」できたらと思いました。 -
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学校って団体の中で、これから世の中に出て普通に過ごせる様、基本的な事を学ぶ・教える所だと思っています。
生徒主体に学校を持って行くのは本当に大変だったと思います。
工藤さんすごい!
やはり先生作り?から始めないとダメですよね。
昔、中学校の用務員を3年間勤めていました。大学出てすぐの世間も知らない22歳の新人教員が、生徒、親、みんなに「先生!先生!」って毎日呼ばれていると普通の人でも調子に?のりますよね。そうゆう新人先生を沢山見てきました。
一般社会を何年か経験してから「学校の先生」になるのがいいのではないかなぁ。
教員になるための仕組みを変えないと、本当の「学ぶところ」、学校にはならないと思います。 -
Posted by ブクログ
以前ここでも感想を書いた阿部謹也氏の『「世間」とは何か』をはじめとした、彼の「世間」にまつわる著作を非常に分かりやすく整理した一冊だ。
著者の鴻上氏は、自分に関係ある世界のことを「世間」、自分に関係のない世界のことを「社会」と位置付け、阿部氏の著作を引用しながら、「世間」の主なルールとして「贈与・互酬の関係」「長幼の序」「共通の時間意識」「差別的で排他的」「神秘性」があると述べ、これらのうちいくつかだけが機能している(鴻上氏は「流動化」と表現している)状態が「空気」だという。
さらに山本七平氏の『「空気」の研究』を引用する形で、「空気」の持つ絶対的な力のありようについて論じ、では我々はこの見えない「空気」にどのように対抗すればいいのかをいくつかの例を挙げて考える、というのが本書の大まかな構成である。
実に面白い。読んでいて腑に落ちる部分がいっぱいあったし、一神教における物事の捉え方についても勉強になった。
一神教については、理屈ではなく「空気」によって物事が決まる日本人はディベートが苦手であるという例を出したうえで、以下のように述べている。
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彼らは、神のこと以外は、全て、相対化の視点で語ることができるのです。
神だけが絶対である、すなわち、「人が口にする命題はすべて、対立概念で把握できるし、把握しなければならない」ということが一神教に生きる人たちの命題になるのです。
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乱暴にまとめると、日本における「世間」は一神教における「神」に相当するといってもいいのかもしれない。彼らにとって最終的な心のよりどころは神なのだから。
では一神教ではない、八百万の神(やおよろずのかみ)がいる日本で、一神教をベースにした西洋の個人主義を受け入れられるのか?キツいんじゃね?という点は重要な指摘だと思う。
他にも、グローバル化の進展によって、日本古来からの「世間」は徐々に壊れ始めているが、一方でインターネットによって生まれた新たな「世間」が力を付けつつあるとするくだりも興味深い。
ネトウヨを例に挙げ、彼らの「世間」をこう分析してみせる。
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常に「反日」的な書き込みに反応し、伝統的な「世間」を否定する人たちを攻撃することによってのみ、
「世間原理主義者」は自分が日本の伝統的な「世間」に所属しているという“幻の”満足を得ることができるのです。
そして、そうすることで、とりあえずの安心と連帯、安らぎを得るのです。
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私はこの文章の後で鴻上氏が述べている「古き良き日本」は単なるイメージに過ぎない、というのはちょっと違うと考えるけど、ネトウヨに対してある種の哀れみをも感じさせるこの考察は、確かに一面の真実としてあると思う。
彼らの書き込みを見ていると、体系立てた理屈で相手を説得するのではなく、同じネトウヨからの「いいね」を多く獲得することを目的としたような紋切型で言いっぱなしの文章に出会うことが多々あるからだ。
他の「世間」を攻撃することでしか心の安定を保てないなんて可哀想な人たちだなと思うけど、一方でどの「世間」にも所属しない「個人」として生きられる日本人なんてほとんどいないのではないだろうか。人間は強くないからね。
結局、「社会」でも「世間」でもいいけど、自分に合ったある種の「束縛」を受け入れるしかないのかなと思う。
そういったところに昨今話題の怪しげなカルト団体とかが入り込む余地があるのかもしれないけど、鴻上氏は数多くの共同体にゆるやかに所属することで、「世間」を相対化し、前述したような排他的な「世間」に100%取り込まれるリスクを減らすことができるという考えのようだ。
おおむね同感だが、さっきはネトウヨを皮肉っておいてアレなんだけど、私は「社会」のような「横軸」だけではなく、歴史や伝統といった「縦軸」(ここには「世間」は含めない)も個人を安定させるためには必要になるのではないかと思っている。
このあたりはまた別の機会に考えてみたい。 -
購入済み
悪名高い冨永少将
悪名高い冨永少将が登場し史実もそうであったであろう憎々しいふるまいをしている。今も昔も注意すべきはマスコミの役割である。この作品でも戦意高揚のためのみの役割をしているように思える。本来の役割は事実.真実の報道のはずなのだが。
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新しい気づきがある本だった!
自律・対話・創造
本当に守らないといけないことを考えると校則のバカバカしいところが見えてきたりとか、宿題はいらないとか(できる人にはムダ、できない人にはただの壁。机に向かわせるのが美徳という観念だけであり、時間マネジメントの概念も大切)、定期テストは一夜漬けを産む悪しき慣習で、単元テストで履修確認すれば良い(テスト失敗したらやり直しあり)とか、物の見方を覆されるような討論がされていて、面白く読んだ。
横浜創英、3年前に見学会行ったときは本当に普通のややかっちりした高校だと思ったけど、工藤校長になって変わったのかなぁ。秋に学校説明会行く予定なので、変化と校長の話がかなり楽しみになった。
鴻上さんは光村国語6年に掲載あり。 -
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どの相談の答えも、想像力の深さや頭の良さからくる、説得力と温かさがある。
一番納得した考え方は、子どもの人と理解し合うことは難しいのは仕方がないという、以下の考えから。
大人になる
というのは
他者となんとかやっていける人になること
他者とは
受け入れたいけど、受け入れられない
同時に
受け入れなきゃいけないんだけど、受け入れたくない
という矛盾した相手のこと
理解したいのにできない相手と、なんとかやっていけるとしたら、それは、大人になったということ。
成熟した人間になるということは、理解しがたい相手と、とりあえず、なんとかやっていける能力を身につけた、ということ。
自分を殺して相手を丸ごと受け入れたり、完全に拒否したりしないで、中途半端な関係のままで、相手とつながることができる能力。
子どもはその反対。
理解できないことは理解しようとしない。
理解したくないことは理解しない。
ただ自分の意見を押し付ける。
対立したらそれまで。 -
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ネタバレこれまで週刊誌で連載されてきた1,200本以上のエッセイから、人間とは、というテーマで30本までに絞り込み、厳選した、いわば「作品集」。
鴻上尚史さんの本は、コロナ前後からたくさん読むようになりました。
鴻上さんの文章のすごいところは、とっても「現実的」で、かつ「血が通っている」、でも「筋が通っている」ところです。
他人事のように、論文のように断定することがよしとされる風潮に疑問を持っている方には、すっと入ってくるんじゃないかなと思います。
個人的に印象的だったのは、
「色っぽくなるためにはどうすればいいのか」
と
「体と精神の不思議な結びつき」でした。
特に前者は、おおっぴらには言えないネタかもしれませんが、すごく納得しました。
想像や妄想って、思ってる以上に表に出るもんなんだなぁと。
そして逆に、体の状態も精神を左右する大きな要素なんだなぁと。
何度も読み返したい本でした。 -
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予想外だったのは、「ブラック校則」の撤廃そのものは重要ではなかった、ということでした。ブラック校則自体は、生徒が自分の生きる社会を変えていく過程で削ぎ落とされた、硬直した不要なシステムの一つに過ぎなかったのです。
それは学校という社会の本質的問題ではありませんし、校則についての議論を深めると、子どもたちを大人が作った無意味な対立軸に閉じ込めてしまい、本質的問題の議論から遠ざけることになってしまいます。
作られた対立軸のトラップは、学校に限らず、政治や統治の思惑が働く場面ではよく見られるものです。大人の社会でも瑣末な対立軸を与えていないか、手近な対立軸に乗っかっていないか注意する必要がありそうです。
もう一つ印象的だったのは、「自分がされて嫌なことが相手にとって嫌とは限らないし、自分がしてほしいことが相手もしてほしいとは限らない」という記述です。
私は論語の「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」という訓言が好きなのですが、よく考えてみればこれは「世間」の言葉であり「シンパシー」なのです。
ハイコンテクストなコミュニケーションが成り立つ仲間内ならまだしも、多様性を抱える組織の一員であるならばもう一歩踏み出して考えなければならないなと自省しました。
工藤先生と鴻上さんは現場感覚を知悉し重視しながらも、俯瞰的な視点から教育の位置付けを捉えることを忘れません。そのため、教育論にとどまらず、教育政策、組織論、経営論、DEI、対話・コミュニケーションの領域に広がりのある内容でした。 -
Posted by ブクログ
同じ舞台でも観客によって変わる、映像より生々しく感情が伝わるなどは授業に似ていると思った。私も教師という役を演じているから。
他人を生きてみる楽しさ、他人になりきる大切さがある。
なんとなく演じるんじゃなく、「こう演じる目的」を明確にするのも大事だという。そうじゃないと演劇ではなく演劇っぽい何かにしかなり得ない。ただそれを演技中は忘れるのだそう。綿密に計画を立てておけば想定外にも対応できる。相手やその時の状況を察しないで計画通りに無理やり進めると失敗する。演劇、芸術、文学、必要ないと思われるものこそが人生を豊かにする。
「芸術は人生を問う挑発的なもので、芸能は人生を肯定するもの」