あらすじ
「従順な子」をつくる教育は、もう終わりにしよう!
ブラック校則、いじめ、心の教育、不登校、教師の長時間労働――。
日本の教育が抱える最大の問題とは?
『学校の「当たり前」をやめた。』著者と、日本の同調圧力を追及してきた演出家による必読の学校論!
・教師への信頼を失わせるブラック校則
・「服装・頭髪の乱れは心の乱れ」という迷信
・不登校からのリハビリ
・いじめの件数に意味はない
・「朝の挨拶運動」はただの時間外労働
・「国や社会を変えられると思う」は18.3%
・「わかる授業」が良い授業なのか
・30人を超えると集団の質が変わる
・スマホのルールは子どもたちが決める
・ぶつかり合うのは当たり前
・スーパー教員がもたらした学級崩壊
・「絆」と「団結」が目標になってしまう
・対話が苦手な日本人
・感情をコントロールする技術
・日本にユニコーン企業が少ない理由
ブラック校則に直面する生徒、子の不登校に悩む親、長時間労働に疲れる教員……すべての人に贈る、常識を疑うヒント。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
大学の教育学部・教職課程の課題図書にするべき一冊。
◯何のために教育はあるのか
◯そのために絶対にやらなければいけない事は何か
◯違いを受け入れるための対話
◯意見の相違と感情の対立
◯子どもの失敗する権利
◯13の優先順位リスト
教育は子どもたちのもの。
それを再認識した。
また読み返したい。
Posted by ブクログ
いろいろと、頭をガツンとされた感じ。「日本の教育は精神主義」は、耳が痛い。子どもにいきなり「決定権」を委ねても、難しいかもしれないが、少しずつ慣れていくことが大事だなあと改めて思いました。
Posted by ブクログ
学校ってなんだ???何が理想の学校なんだろう。学校が大切にして、そして生徒に一番還元するべきことは…。悩みはいっぱいありますが、工藤先生はズバリと明確にわかりやすい解答を提示してくれます。そして実践されているからすごい。実践するには勇気と労力が必要。想像を超える苦労があると思います。できるかどうかは別として、工藤先生の言葉を胸に入れながら指導にあたることだけでも価値大です。
Posted by ブクログ
目から鱗。
今までの教育って何だったんだろう?自分の子育ても反省することだらけ、だな。
日本の教育、何とかせねば。
以下、本文よりメモ。
目的は何なのか?細かい論点ではなく、大事にすべきことを考える。
戦う、のではなく、周りと対話する。
必要なのは対話
声のでかい人に合わせて折り合いをつけることでもなく、議論に勝つことでもなく、お互いの共通の目的を探し出すことこそが真の対話ではないか?
校則変更、全員担任制の導入、定期テストの廃止などは、結果であって目的ではない。
学校の目的
社会でよりよく生きていく力をつける
持続可能な社会を築いていくための方法を学ぶ場
Posted by ブクログ
校則問題を闘うことは些末なこと、と語る工藤さんのお話にぐいぐい惹き込まれていく。子どもの自律のために何ができるか、何をすべきかと考え、現場で奮闘されている。この考えが日本中の教育現場に浸透していってほしい。保護者目線で読んでもハッとさせられる文言ばかり。自律してほしいはずなのに、自立を阻害してしまっている矛盾。許可を取ったり顔色を伺ったりしている息子に、ダメダメ言い過ぎたなーと反省しきり。カーリングママなんかになりたくないのに、気づけばその方向に行ってしまっている自分が恐ろしい。子育て難しい。
Posted by ブクログ
学校関係で働き初めて2年目。
少し現場がわかってきたタイミングで読めてよかった。
学校の範囲に収まらず、これからの社会のこと、自分のこれまでとこれからの生き方について刺さる内容だった。
Posted by ブクログ
本書は、工藤先生と演出家の鴻上さんの対談本です。
学校を「変えた」人として注目される工藤先生ですが、全編を通じて、工藤先生も鴻上さんも、何も難しいことはおっしゃっていません。
大事なのは自分で考えること。大事なものとどうでもいいものを間違えないこと。
それに、命より大事なものなんてないじゃないか。分かり合えなければ、分かり合えるまで対話したらいいじゃないか、と。
決して精神論や根性論ではない具体的な思考プロセスが示され、非常に納得感のある内容でした。誰かに責任を負わせるのではなく、何はなくとも現場でこれだけのことができるんだよ、と道筋を示しているところが良いです。
繰り返し読み、自分なりに理解することで、十分家庭にも応用できる内容です。
Posted by ブクログ
鴻上尚史さんと工藤勇一先生の対談集。演劇と教育の共通点という視点が面白い。当事者意識の必要性、他人事にするからクレームが多いなど、自分自身がこれからどのように教育に向かうのか、しっかり考え、行動していきたい。
Posted by ブクログ
学校って団体の中で、これから世の中に出て普通に過ごせる様、基本的な事を学ぶ・教える所だと思っています。
生徒主体に学校を持って行くのは本当に大変だったと思います。
工藤さんすごい!
やはり先生作り?から始めないとダメですよね。
昔、中学校の用務員を3年間勤めていました。大学出てすぐの世間も知らない22歳の新人教員が、生徒、親、みんなに「先生!先生!」って毎日呼ばれていると普通の人でも調子に?のりますよね。そうゆう新人先生を沢山見てきました。
一般社会を何年か経験してから「学校の先生」になるのがいいのではないかなぁ。
教員になるための仕組みを変えないと、本当の「学ぶところ」、学校にはならないと思います。
Posted by ブクログ
新しい気づきがある本だった!
自律・対話・創造
本当に守らないといけないことを考えると校則のバカバカしいところが見えてきたりとか、宿題はいらないとか(できる人にはムダ、できない人にはただの壁。机に向かわせるのが美徳という観念だけであり、時間マネジメントの概念も大切)、定期テストは一夜漬けを産む悪しき慣習で、単元テストで履修確認すれば良い(テスト失敗したらやり直しあり)とか、物の見方を覆されるような討論がされていて、面白く読んだ。
横浜創英、3年前に見学会行ったときは本当に普通のややかっちりした高校だと思ったけど、工藤校長になって変わったのかなぁ。秋に学校説明会行く予定なので、変化と校長の話がかなり楽しみになった。
鴻上さんは光村国語6年に掲載あり。
Posted by ブクログ
予想外だったのは、「ブラック校則」の撤廃そのものは重要ではなかった、ということでした。ブラック校則自体は、生徒が自分の生きる社会を変えていく過程で削ぎ落とされた、硬直した不要なシステムの一つに過ぎなかったのです。
それは学校という社会の本質的問題ではありませんし、校則についての議論を深めると、子どもたちを大人が作った無意味な対立軸に閉じ込めてしまい、本質的問題の議論から遠ざけることになってしまいます。
作られた対立軸のトラップは、学校に限らず、政治や統治の思惑が働く場面ではよく見られるものです。大人の社会でも瑣末な対立軸を与えていないか、手近な対立軸に乗っかっていないか注意する必要がありそうです。
もう一つ印象的だったのは、「自分がされて嫌なことが相手にとって嫌とは限らないし、自分がしてほしいことが相手もしてほしいとは限らない」という記述です。
私は論語の「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」という訓言が好きなのですが、よく考えてみればこれは「世間」の言葉であり「シンパシー」なのです。
ハイコンテクストなコミュニケーションが成り立つ仲間内ならまだしも、多様性を抱える組織の一員であるならばもう一歩踏み出して考えなければならないなと自省しました。
工藤先生と鴻上さんは現場感覚を知悉し重視しながらも、俯瞰的な視点から教育の位置付けを捉えることを忘れません。そのため、教育論にとどまらず、教育政策、組織論、経営論、DEI、対話・コミュニケーションの領域に広がりのある内容でした。
Posted by ブクログ
学校の制服や頭髪のルールは無意味と感じていましたが、今までなぜをうまく説明できませんでした。
他に学校として優先することがたくさんあり、それができていないのに必要のないルールを作っているためということがこの本から分かりました。
学校のルールだけでなく、仕事の中でも変なルールのために目的達成できていないことが多々あり、達成したいこと、優先順位は明確にしておくことでスムーズに仕事ができるなぁと考えさせられました。
Posted by ブクログ
日本の教育者にとって必読本であろう。
校則を中心に書かれているが、なぜ目の前の問題にしか目がいかないだろうかと自分自身に疑問。
教育の目的とは、自律させること。その自立に必要なことは何か。そして、重要でないのは何かを考えさせられた。
学校での改革の仕方や、授業はこうあってほしいという具体例が上がっていた。そのようなことを自分の子どもにもやってみたい。
「こんなこと無理だ」と思わず、自分ならどうするか、何ができるのかを問うことから始めていきたい。今の社会を変えられるのは、自分だ。その社会を変える人がたくさん集まれば、未来は明るい。
Posted by ブクログ
教育の最大の目的は、自律と対話である。無駄に厳しすぎる校則や、教科書一辺倒の大人数授業などなど、生徒の自律を妨げるものがたくさんある日本の教育。。について語られている。これからこどもを日本で教育せんとする私には、大丈夫か?!ニッポンの学校?!と思わざるを得ないが、少なくとも家庭では自律優先でやろうと思う。
わりと目からウロコだったのは、歴史やら政治やらナーバスなものを取り上げないのは、むだな二項対立を産まないようにむりにしなくてもいいとあった。それよりも、ものを言いやすく(対話)することのが先決と。
Posted by ブクログ
校則撤廃など派手なところに注目されがちですが、対談から見える工藤氏の教育に対する考えにこそ学ぶところが多かったです。教育の本当の目的は何だということを考えるきっかけにもなりました。自律や多様性という言葉も多く出てきましたが、何よりも言葉に実感を伴わないと伝わらないって、ホント、感じます。卒業式での来賓の挨拶、つまらないですからね(笑)。最後にこれからの学校は「すべての子どもたちが持続可能な社会を築いていくための方法を共に学び合う場」と言っています。
Posted by ブクログ
麹町中に子どもを通わせたいなぁと工藤校長の教育方針にとても興味があり(麹町中にはもういらっしゃらないので残念)、
たまたま最近、鴻上尚史さんの物語も読んでいたので、どんな内容かとても楽しみでしたが、本当にためになりました。
他の方の感想にもありますが、「対話」をすることの重要さを改めて感じ、ついお二人が語っている先生のような親になってしまっているなと反省してばかりです。
人と人との関わりの中で必要なことを教えてくれる、いつまでも大切にしたい本です。
Posted by ブクログ
人との違いを受け入れ、対話を重ねる。
そして、誰ひとり取り残さない。
人はみんな違って当たり前という事を、改めて気付かされる一冊。
学校をテーマにしているが、会社などあらゆる場所で通用する普遍的な考え方が本書に記されている。
Posted by ブクログ
多くの方に読んでほしい。
「学校」の当たり前を問いなおす姿勢に、大変刺激を受ける。
鴻上さんは教育畑ではないが、学校教育に対する疑問をずっと持っていたところや、演劇を通じて対話を重ねてきたところから、工藤勇一先生に対してかなり鋭い質問をバンバンぶつけている。教科書の編集委員をしている関係で、教育の裏事情もかじっている。
このおふたりの対談だからこそ、教育のいたるところにメスを入れて、「それってそもそも何のため?必要なの?いらないでしょ」みたいな本質的で深い議論ができている。非常に面白く、刺激的。
Posted by ブクログ
この本、めちゃくちゃいい。
何が良かったかというと目的と手段、そして対話を大切にすることが
一貫しているところ。
何のための教育なのか。
それを目指すために何をするのか。
目的を達成するために対話を通して手立てを生み出す。
校則がなくなったのはただの結果。
校則をなくすために工藤先生は学校経営をしたわけではない。
メディアがクローズアップするのは
学テの結果、校則の廃止、支援学級がない などの
ただの結果でしかない。
結果を残すために自分たちは教育をしてるのでない。
何を大切にしたいか、最上位の目的を対話により確認する。
こうも書くと難しいよそごとのように見えるけど
対話っていつでもどこでもできる。
研修の時間じゃなくて朝でも放課後でもいつでもできる。
自分の席の隣の人はきっと自分の話を聞いてくれる、
対話してくれる、と
隣の人を信じてこそ対話が始まる。
勇気がいるかもしれないけど
信頼は、まず自分が人を信頼することからはじまる。
Posted by ブクログ
校則問題を解決しようとすればするほど、生徒も教員も不幸になっていく不毛な構図であることは、すごく納得しました。木を見て森を見ずという感じで、視野を広くしてもっと高いところから見て本質の課題解決わ、していく必要があると思わせてくれる本でした。
Posted by ブクログ
「服装や頭髪の乱れが心の乱れにつながる」というなんの根拠もない迷信を信じて止まない多くの学校現場において、その表面的な問題に取り込まれ教師の掌の上で踊らされることのないよう、子どもたちは優先して取り組むべき課題を見極めることが必要だと感じた。
千代田区立麹町中学校において革新的な学校改革を行なってきた工藤勇一さんは、純粋な疑問に骨太に向き合い、立ち向かっていくバイタリティに溢れた人だと感じた。
鴻上尚史さんの言う「世間」や日本社会全体に蔓延る同質性に対しては、工藤氏の言う「自律」や鴻上氏の言う「健康的な自立」を行なっていくしかないと感じた。またその際、当事者意識を持ち、感情を出さず「対話」を行なっていくことが必要不可欠だと確信した。
Posted by ブクログ
工藤校長が、部活動をPTA主催にし、部活動を指導する教員はPTAに入って指導することで、保護者からは文句の代わりに感謝の言葉をかけられるようになったと言うのは、凄まじい発想の転換。部活動以外の様々なことに応用できそうである。
演出家の鴻上さんが「このシーンで1番大切なことは何か?」を俳優とともに話して「何を表現すれば良いのか」を俳優が自分で気づくかたちで導くことができるのが1番良い演出家というのは、良い教師と重なると感じた。
「社会のために学校は何ができるのか?」を常に意識していくことが大切だと感じた。その為には教員や大人達が常に社会にアンテナを立てていなくてはならない。
Posted by ブクログ
身を置いてきた学校というシステム、それにあまり疑問も持たずにきた自分に辟易すると同時に、今この本を読めて良かったなと思う。
対立軸ってキーワードが1番印象に残った。学校や職場じゃなくてもっと身近な家庭でも、安易に対立軸を持ち込んで(家族の非を感情的に責め立てたり)、それで結局何もならない、分かり合えなくてってことは多い。相手を思い通りにはできないってそもそもそういう前提であること、そして妥協点を探していけるってことはどんな人間関係でも大事なのかなと思う。
自分の感情を押し通す、相手を思い通りに動かす、そんなことじゃなくて、もっと本質的なことは何かにいつも焦点を置いていたいと思う。
加えて無意味なスローガンの話で、みんな本気で思ってないよねっていう同調圧力というか、そんな姿勢が内面化されてるっていうのはハッとしたというか、結構やばいなと思う。長年感じてた理不尽さ、意味のわからなさとつながった気がする。
Posted by ブクログ
今振り返ると学校で生活することはとても窮屈だったが、それはおかしなことだと思い込み、無理やり学校生活に合わせて自分を作っていたんだなとこの本を読んで思った
日本の学校は規律と同質性が強調され、他人の利益が重視されるから自己肯定感も低くなるのだと改めて気づいたし、考える仕事ではあるものの自分で考えるのは今でもちょっと苦手
学校のあるべき姿を語っているが、社会にも通ずるところがあり、社会人として学ぶところが沢山あった
とある学校のコンピテンシーは会社で掲げているものに似てるし
そして対談形式なので読みやすい
Posted by ブクログ
多様であることは、とても難しくて、対立が生じるのは当たり前。他の著書でも書かれていることだけれど、心に留めておきたい。
大事なことは、当事者意識をどう持たせるか。
やったことではなく、最上位の目的は何かを考えていくこと、それを現場で共有していくこと。
ブラック校則が注目され、声をあげる「当事者」も増えた。今までの「当たり前」を立ち止まって考え直すことは大切だけれど、工藤さんの指摘していることに、はっとさせられた。
Posted by ブクログ
いゃあ 面白かった
それでも… と思ってしまう部分と
だから… と強く思ってしまう部分と
「学校」というところは
ある意味で 日本の社会の縮図のように
感じるところが多い
今の日本の社会を眺めて
いまや 制度疲労化している部分が
とくに「学校」には顕著に現れている
ような気がする
そんな もやもやを 丁々発止の対談で
言語化し可視化してくれた一冊
Posted by ブクログ
学校の当たり前は社会の当たり前ではないことが度々ある。本当に今していることは生徒の将来に役に立つのか?何のためにしているのか?本当に必要なのか?常に考えていかなければいけないと思った。
工藤校長曰く「朝の挨拶運動は無駄」
生徒も教員も辛い中朝早く来て行う意味、効果の有無…。当たり前のように良いことと思われてしていることもよく考えれば何のために?が分からないものが多い。
これをしましょう!と上に立つ人が言い、従うことも社会をうまくわたる上である意味大事かもしれないが、何故?本当に必要?と疑いかかる、一度考えてみることはとても大切だと思う。
それがなければ大人としてこれから社会を生きていく上で必要な力を生徒に、なんてとうてい無理だと思った。
委員会活動がミニ先生(先生のやりたいことを生徒が皆の前に立っていかにも生徒主体として行うこと)を作ることなら、意味がない。よく聞く教師の言葉「やる気あるのか!!!」「(生徒の内心)別にやりたいと言ってやってるわけじゃないし…」その通りだな〜。『生徒の自主性』これが大切。