浅井晶子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
恋人や友人もおらず、仕事も上手くいっていない39歳独身女性ケイト。ここまで自己肯定感が低い人物が主人公なのも珍しい。読み進めるうちに、彼女だけでなく、誰もが表向きの人格とは別に、孤独や闇を抱えていることが分かっていく。人の温もりを欲しているくせに、己れの醜い心まで覗いて欲しいわけではない臆病な気持ちは、共感しかなかった。
途中で話が繋がっていくステラのパートは、不穏過ぎて、ちょっと読み飛ばしてしまった。小さな子供がいると辛い。すべての人が傷つく結果になってしまったが、終わってほっとした。ケイトは少しだけ未来が見えたのか。シリーズものらしいので、次が楽しみ。 -
Posted by ブクログ
言語化することは、その治療的側面からとても深い意義がある。その人の内面の課題を解決するためには、内面を言語化するしか方法がないと私は思っている。
カウンセリングにしろ、トラウマ治療にしろ、その基本は「傾聴」することだ。すべてそこから始まる。ナラティブセラピーしかり、メンタライジングしかり。発達の未熟さから言語化が難しい幼児は「表現」でその代替行為をする。絵を描いたり、工作をしたり、箱庭療法なんかもその一つだ。言語にするなり形にして表すなりすることで、内面にあるイメージ、感覚、感情を整理し、内面を客観的にして初めて自分自身の状況を把握できるのだろう。「治療」というが、つまるところ、自分自身で自分の内面を整理整頓することじゃないかと私は思っている。
本書で著者が繰り返し言っていることは、言葉にすることの力だ。時に困難であり、残酷でもあるけれども、それをしないでは人はそこから前には進めない。傷ついた状況から前に進むには、言葉にすることが絶対的に必要なのだ。取り上げられている素材は、戦争やホロコーストであったり、内乱であったり、天災であったり、虐待であったりするが、その苛酷な状況に立ち向かわなければならないのはいつも「普通の人々」で、彼らの内面に起きることは、どんな社会でどんな場面であっても共通の普遍性を持つ。
だから、本書が書かれたのは数年前であっても、今のロシアのウクライナ侵攻にも、日本で事件や事故、虐待で心身とも深く傷ついた被害者にも、そのまま通じる考察だと思う。とても深くて優しく、そして厳しい。
ジャーナリストではあるが考察はかなり哲学的だと思ったら、大学時代の専攻も哲学だったよう。
一読の価値あり。 -
Posted by ブクログ
旧西ドイツに生まれた著者、カロリン・エムケは、日本ではまだメジャーではないジャーナリストだ。
現在は議論の場を設けたり、幅広いテーマで著作活動を行なっており、精力的な活動を行なっているという。
彼女、そして本書に出会えたことは、大変良い出会いであった。
日々、私には何ができるのだろう、とか、なんとなくの違和感とか、不快とは言えないけれど、モヤっとすることがある。
それは会社での会話だったり、新聞の投書だったり色々なのだが、こんなことが一例としてあげられる。
ある日の新聞のオピニオン欄で、女性の生理用品を買えないことについて、識者や読者の意見が載っていた。
読者である年配の男性は、たかが数百円のものが買えないなんておかしい、生活を見直せ、という意見を述べた。
その意見は、この事を矮小化しているように感じた。
そんな意見を読んで感じたモヤモヤを、本書の一節が私の思いを端的に言い表した。
「他者の体験に耳を傾けること。彼らの話を、自身では一度も体験したことがないというだけの理由で、即座に「あり得ない」と否定しないこと。」(62~63頁)
例の投書の男性を責めるつもりはないが、どうか即座に否定せず、想像力と、聴く姿勢は持って欲しい。
著者はこうも述べる。
「多様な関係性を常に自覚」することを大切にし(68頁)、「尊重は、誰にも与えられてしかるべきもの」(91頁)だと。
私たちは互いに尊重しあい、自分自身の事も尊重していい。
誰かの価値観で自分を縛らなくていい。
私の価値をなぜ、他人が決めるのか?
相手の思い込みで「私」を取るに足らないもの、なんて思う必要はないのだ。
じわりじわりと響いてくる著者の言葉は、地下水脈のように私を潤す。 -
Posted by ブクログ
強制収容所での拷問、戦時中の集団強姦など、悲惨な体験をした被害者たちの話を聞いてきた著者。彼らが「それ」としか呼ぶことができない体験を言葉にしていくことの意義や、その過程で聞き手側に望まれる態度について論じるエッセイ集。後半は、故郷についてや、旅をすることについても語っている。
印象に残った部分を抜粋。
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こういった理解不能な世界は、子供たちとは違った形で大人たちを脅かす。「残虐の規範」に直面したとき、誰よりもまず打撃を受けるのは大人たちだ。別の規範、別の秩序のもとで育ってきた彼らは、新たな規範を理解することができないのだ。(P.35)
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アウシュヴィッツでの絶望的な拷問の日々を乗り越える唯一の手段は「理解しようとしないこと」であると主張している、上の引用に続く箇所が特に印象に残った。同時に川上未映子「ヘヴン」を思い出した。
「ヘヴン」において、主人公の二人は凄惨ないじめの被害だが、それぞれが取った行動は対照的だった。一方は、自らが貶められている現状に、論理の力でなんらかの意味付けと救いを見出そうとした(こんな酷い体験をしたからこそ見えるものがあるんだ、等)。もう一方は、自分に向けられる敵意に「的」となるものがあるとするならば(この物語においては彼が「斜視」であったことが的になった)、たとえそれが全くの言いがかりだったとしても、排除(=治療)することに決めた。
つまり、理解不能な絶望的な状況に陥ったとき、前者は合理的に強くあろうとひたすら自らを律し、後者は論理や理屈を放棄してとにかく生き延びることを最優先事項とした。フィクションとは言え、前者は精神を崩壊し、後者はそうならなかったという結末には納得がいくように思う。
人間は「強くありたい」「強くなりたい」と願う生き物なのだと思う。頭で理解して、分析して、苦境に立ち向かえるよう自分を鼓舞して。しかしその願望は、平和な状況下で成り立つものであって、平和さが崩れた瞬間、潔く手放す必要がある。「ヘヴン」読んだときに感じた思いが、この本を読んで一層強くなった。
もう一つ抜粋。
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適切な批判と不適切な批判との区別、啓蒙とイスラム敵視との区別は、批判の対象が差別的な行為や犯罪的な行為それ自体なのか、それとも特定の集団全体なのかという点にある。(P.173)
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家族の伝統や信仰に背こうとするムスリムの少女の自己決定権と同様に、家族の信仰を自身のものとし、実践していこうとするムスリムの少女の自己決定権もまた、認められねばならない。(P.174)
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イスラム敵視の問題は、日本で生活しているとほとんど無関係なことのように見える。でもこの「適切な批判と不適切な批判との区別、啓蒙とイスラム敵との区別」についての考え方は、身近で起こっているいじめ問題や、もっと広く捉えれば自分と違う価値観を持った相手との関わり方という観点で非常に役に立つ。集団の一員としての個人ではなく、あくまでその人自身を、またその人の行動そのものを見ること。そしてどんな行動や思想も、リベラルな社会においては容認されてしかるべきだと著者は説く。
後半の引用について。
私は専業主婦なのだけど。子供の頃から昔ながらの「夫=仕事、妻=専業主婦」というスタイルに強い憧れがあった。父親がいなかったし、祖母と祖父も実はちゃんと結婚していなかったということを大人になってから知った。そんないわゆる「普通」じゃない家庭に産まれたが故の不自由さを感じたことは、ラッキーなことにほとんどなかったけれど、結婚の理想像という一点においては、昭和のまま時間が止まっていたように思う。
頑にこだわってきた昔ながらの夫婦のスタイルは、私がそれを手に入れたときにはもう、完全に時代遅れになってしまった。がーん。共働きの夫婦に比べて専業主婦だから発言権がないのではとか、男尊女卑でも文句を言えないのではとか、思いがけないネガティブな意見と遭遇することも少なくない。がーん。
そんな中、この後半の引用を読んで。外野がなんと言おうと、それを選んだあなたが幸せならいいじゃない、と言われたような気がして心地よかった。ときどき共働きの友人夫婦の自由さが眩しく見えるけれど、自分がそうなりたいかと考えると、答えはいつもノー。だからいいんです!時代遅れでも。ずっと憧れてたんだから。
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いろいろ書いたけれども、正直、三度くらい途中で頓挫しそうになった。そもそもなんで読もうと思ったのか全く思い出せないし、アウシュヴィッツとかイスラムとか、テーマがあまりにも今の私の実生活からかけ離れている。とはいえ、読書においては自分のコンフォート・ゾーンを積極的に飛び出すことを目標にしているので、なんとか最後まで踏ん張った。著者が伝えたい内容の二割も受け取れていない気がする。でも一応、読み終われてよかった。 -
Posted by ブクログ
ドイツの国民的人気作家のミステリ。
舞台はなぜかイギリスが多いようで、今回もそう。
元ジャーナリストのロザンナが復帰後初仕事として、行方不明事件を取材することになる。
それは5年前、ロザンナ自身の結婚式に招いた幼馴染のエレインが失踪したというもの。
霧でジブラルタルへ向かう飛行機が欠航となり、やむなくエレインはとある弁護士の家で休んだのだが、以来行方がわからない‥
疑われた弁護士は家庭も仕事も評判も失ったが、何の証拠もあったわけではないのだ。
エレインの行動を追うロザンナ。
弁護士を疑うエレインの兄。
一方、妹を殺されたアンジェラ一家の悲しみと、誰かから逃げているパメラの章が交互に描かれ、どう関連してくるのか?わからない!
読んで時間がたってしまったので、紹介を書くのもどうしようかと思っていましたが、いつまでも内容を覚えているので、これはそれだけインパクトがあった、ということだろうと。
ぐいぐい読ませますよ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレミステリとして、ものすごく秀逸である本作。
けれど滲み出る人間の欲深さや執念に恐れ慄きました。
特に「強姦」。中でも1番センシティブな話であり、個人的には1番人間の醜さを感じた話でした。手を出した男たちが100%悪い。
けれど、ただ1人罪を犯さなかった男。その1人が誰かわからないために、全員が無罪にされる可能性がある。本当にしていない男が1人いるけれど、他は自分が無罪になりたいがために嘘をつく。この期に及んで逃げようとする悪質さに嫌気がさしました。
対して被害を受けたゾフィア。彼女と母は全員が無罪になってしまうのであれば、罪を犯していない1人も含めて全員有罪になればいい。そう考えて行動する。彼女は確かに被害者だったけど、加害者にもなってしまった。
本当はああだろうと思いつつ、その証拠がない以上法律に則って判断しなければいけない、弁護士という職業は難しい。望んでいなくとも加害者になりうる職種ではないかと気付きました。本作はあくまでミステリだけれど、私には恐ろしいホラーのように感じました。