金森修のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
面白かったし最後ちょっと泣いた。
ベルクソンの内容というより金森さんの溢れ出る情熱と優しくユーモアのある語り口が非常に魅力的で、優秀な案内人に導かれながらあっという間に読んでしまった。
ここまで噛み砕いてくれているのにところどころ難しいところもあり、ベルクソン本体はかなり難しいのだろうな...と思ったが、なんとなく分かった気にさせてくれる。
ベルクソンは当時の科学史上主義のような風潮に正面から対立するわけでもなく、むしろかなり実証主義側を理解したうえで、それとは別の世界の枠組みを提示した人なんだな。
ベルクソン自身の人生も少し知ってみたい。 -
Posted by ブクログ
感動したかと言われれば、かなり感動した。
著者の息遣いを感じる。
ベルクソン初学で読み、唯物論的世界観に生きながら唯物論的ではない世界観に触れた。金森ーベルクソンの「唯心論」は現実的、常識的に感じる。全て数式で説明付けられるとは、必ずしも言えない、というのは僕には痒い所に手が届く意見。「必ずしも言えない」という控えめな主張に留め、科学的説明の価値は認める知的誠実さを残して、しかしその万能性に疑いを挟む。たしかに測定できる時間ではない時間感覚があるように思えるし、数字に置き換えられない瞬間瞬間の変化を自分に感じる。実体験に基づいて感じるところを起点とすると、唯物論よりも納得がいくオルタナティブな立場であると感じる。
詳しくはわからないから、金森が勧める本を少しずつ読むといいのかもしれない。それか科学史家である金森を追っていくのがむしろ正攻法かも知れない。
とにかく分量的には小さい本だが内容は厚く、感じるところが多かった。 -
Posted by ブクログ
「チフスのメアリー」症例がステレオタイプ化されてゆく過程をていねいに追ったモノグラフ。今回のコロナウイルス禍をうけて再版されたようだが、たしかに、いま読む意義は大きい。内容はポイントを押さえ、深いが、プリマ—新書のフォームで平易かつ簡潔、コンパクトにまとめられている。
二〇世紀初頭、アメリカ。移民のお手伝い女性メアリーが、チフスキャリアである可能性が判明し、自由を制限されて隔離される。当時の公衆衛生的状況もあいまって、キャリアであることがスティグマ化され、患者がひとりの個人であるという事実が消えてゆく。
これをみてなんとなく思い出すのは、最近のラノベなどで見かける著名作家などを用いた歴史改変的なフィクションのアイデアである。ラノベに限らず、政治家などを戯画化・物語化する演出も同じだろう。実在の人物をキャラクター化して面白がる、エンタテインメントとして消費するというメカニズム。
実在の人物が存在しているということが分かっていればよいが、通常、大衆はメディア上に現れたイメージをホンモノだと思い、好き勝手に消費してゆく。現実のその人物の生き方と、メディア上のイメージの乖離がおそらくは本書の一つのテーマになっている。
物語化・ステレオタイプ化の誘惑は大きいし、特に大衆・マスメディア社会にとっては強力なルアー(疑似餌)であることが再認識される。 -
Posted by ブクログ
哲学者の考える科学の話だが,教えさせられる点が多い.科学者の仕事が個人で完結した時代から,次第に社会との接触が始まり,さらに社会から規制される過程を克明に描写している.「古典的規範」がCUDOS,さらにはPLACEになっていく.多くの科学者の事例を取り上げていることも理解しやすい構成だ.国家が主導する不適切な科学政策への抵抗として,P211に挙げている次のパラグラフが良い.「国家の中枢でなされる決定に参加できる成功した大科学者が,審議会や学術会議などの発言機会を利用して,自分の優雅な老後や帰属領域のことだけを考えるのではなく,科学の古典的規範に照らした上で少しでも健全な知識生産体制を整備するための提言を,たゆまず行っていくべきだ.」
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Posted by ブクログ
最近受験生の我が息子は、少し遠くの塾に
日曜日の夜間に通っています。(そんなに必死に
受験勉強しているわけではないのですが)
そこで、夫婦も揃って息子を送り届けて
塾が終わるまで二人でスタバに行って2時間
くらい待っています。私はじっくり本を読める時間
なので割と気に入っています。そこで読み終わった
今回のこの本。
川崎の桐光学園高校に様々な
論客(日本のトップクラス)が特別の授業をする
らしいのですがその授業の内容が本になっている内容。
こんな高校生はとても幸せだと思いますが
多分自分が高校生だったときはあまり興味を
覚えなかっただろうなあと思います。
でも、それでもそういうことを言っていた人が
いたなあとかすかに覚えていたり、そのうちの誰かの
話す内容に衝撃を受けたりすることが少ない確立でも
あったら、それって素晴らしいことなのではないかと
思います。
内容的には、とても知的な好奇心や問題提起がなされて
いてとても面白い内容です。おっさんがよんでも
とても勉強になり、感動し、納得し、面白いと
思える本です。
ぜひともいろいろな人に読んでほしいと思います。
やっぱりとりわけ若い人に読んでほしいと思います。
高校生でなくても、大学生や社会人でも。 -
Posted by ブクログ
「チフスのメアリー」と呼ばれた女性をご存知だろうか。
メアリー・マローン。1869年生まれ、アイルランド系移民。少女の頃にアメリカに移住し、大人になってからは賄い婦として働いた。料理はうまく、子供の面倒見もよかった。勤め先は何度か変わったが、雇い主からは総じて、よい評価を得ていた。
だが、37歳の時、彼女の人生は急転する。1900年初頭、腸チフスが流行しており、死者もかなり出ていた。公衆衛生の専門家が腸チフス患者を複数出したある一家を調べていたところ、1人の賄い婦の関与が疑われた。その足取りをたどると、彼女が務めた先々でチフスの発生があったことが判明した。その賄い婦こそ、メアリー・マローンだった。
メアリー自身はチフスの症状を示していなかった。健康状態は良好でありながら菌を身体に持ち続ける健康保菌者=無症候性キャリアだったのだ。
ある日突然見知らぬ男が訪ねてきて、あなたは病気をばらまいているかもしれないから、糞尿のサンプルを渡せと言う。チフスに罹った覚えもなかった彼女は仰天した。専門家は何度も訪れたが、彼女は激しく抵抗し、格闘の果てに病院に収容されてしまう。排泄物を検査するとかなりの濃度の菌が検出され、メアリーは川に浮かぶ島の病院に隔離されてしまう。
それから死を迎えるまで、実に30年もの間、数年を除き、彼女は隔離状態に置かれることになる。
一度は解放されたものの、「今後は料理人として働かないこと」という条件付きだった。だが、数年後、彼女はやはり賄い婦として働いていて、感染源となってしまう。偽名を使っていたが、メアリーであることが露見し、彼女は再び収監される。その後は、自由の身になることはなかった。
再び賄い婦となった経緯ははっきりしないが、長年生業としてきたもの以外の職で生計を立てることは難しかったのかもしれない。
「チフスのメアリー」という呼称が使われたのは比較的早い段階からだったが、当初は彼女に同情的な見方も多かった。何せ、健康保菌者という概念がそれほど浸透していなかった時代である。彼女は病気を広めたかもしれないが、そこに悪意があったわけではない。
だが、後年、彼女の存在は徐々に象徴化していく。周囲に病気や害悪を垂れ流すものとして。
その死の直後よりも時が経つにつれ、50年代、60年代以降、その存在は創作に取り込まれ、都市伝説のようなものを生んでいく。はた目にはそれとわからず、社会に禍をもたらすもの、その1つの象徴となっていくのだ。
当時、チフスを撒き散らしたのはもちろん、メアリー1人ではない。多くの症候性、無症候性患者がいたわけだが、実は、彼女ほど長く収監されたものは他にない。そこにはおそらく、いくつかの偶然があった。彼女が独身であったこと。移民であったこと。貧しい賄い婦であったこと。弁護士や恋人などの支援者が亡くなってしまったこと。弱い立場の彼女はいわば「歴史のふきだまり」にはまりこんでしまったのかもしれない。
本書では、彼女の人生を丁寧に追っており、社会的背景も興味深い。
ちくまプリマー新書は、ヤングアダルト層をターゲットにしたレーベルで、本書も非常にわかりやすく読みやすく書かれている。
本書の発刊は2006年で、コロナ禍よりもずっと前のことだが、書かれている内容は現在の状況にも通じる部分があり、さまざま考えさせられる。 -
Posted by ブクログ
新型コロナウイルスの感染が拡大し続けている昨今、無症状での保菌者(キャリア)がどこにいるかはわからず、不安に駆られることも多いと思います。
特に、感染しながらも外出したり会食したりして(故意に)感染を拡大させていると考えられ、批判される人々も少なくありません。
そういった、多数の感染者を生むキャリアとして初めて歴史に名を残したのが、腸チフスを広めたメアリ、「チフスのメアリー」でした。
彼女は、社会の感染拡大を防ぐためとして、その半生を隔離されて過ごします。彼女以外にもキャリアと断定された患者もいましたが、彼女だけが「病原菌を垂れ流す悪魔」として非難され、隔離され続けたのです。
そこには、自分よりも弱いものを見つけて安心しようとする人間や社会の心理が働いていた部分もありますし、センセーショナルな報道をつづけたメディアの責任もあると思います。
「チフスのメアリー」として、もはや一般名詞のように使われている彼女ですが、彼女は悪意をもって感染を広めていたわけではないということも、その生涯をたどると見えてきます。
邪悪な象徴とされた人であったとしても、感情や悲しみ、夢を抱えた一人の人間であった/あるということを忘れず、「一人の人間を大事にする」ことが、特に今のこの社会では必要なのだと感じます。 -
Posted by ブクログ
「チフスのメアリー」が気になって読みました。
1人の女性がある日、腸チフスのキャリアの可能性を告げられる。
自覚症状はないので、女性は戸惑い、混乱する。
検査への協力を拒否したことで、捕らえられ、長い時間を監禁された環境の中で暮らすことになり、そこで人生を終えることになる。
公衆衛生の観点と、個人の自由という観点と。
腸チフスのキャリアは彼女1人ではなかったのに、なぜ彼女だけが長期間監禁されることになったのか。
そこにある社会的な背景。当時の、世間の眼差し。
新型コロナの感染予防対策が求められる今、1人の人を「人」としてみることの大切さを改めて考えさせられました。
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Posted by ブクログ
動物に魂があるかどうかの話をしていない(0_0)
話しているのは「人間が」動物の地位についてどう考えてきたかということ。それにペタッと「魂」というサブテーマを貼ってあるような感じだった。
メインテーマは動物機械論。この動物機械論というのが、動物たちの喜びも苦痛もすべて単なる機械的な反応であり、意に介する必要のまったくないもの、というかなり人でなし感ふんぷんのゲス理論。マルブランシュ許せない。
序章。著者が以前は昆虫についてほとんど機械のようなものだと考えていたこと、ゆえに昆虫は「死んだ」ではなく「壊れた」と述べても良いのだ、と自分の講義で発言して反感を買ったエピソードを読んで、自分もこの人無理だわと思った。
(その後自分でも違和感を感じて考えを変えたことも書いてある)
続いて第一章でまずアリストテレスを引用して霊魂(魂)の定義をするんだけど「アリストテレスは『霊魂論』でものをそのものたらしめる本質的なものを霊魂とし、さらにそれだけじゃなくて、ものの存在を生みだす要因(始動因)でありその存在を意味付ける目的(目的因)でもあるとしている」と述べたあと
となると、こうもいえるはずなのだ。
Aという生物がいる場合、Aの霊魂はAの運動がそこからくるところのそれ(始動因)であり、Aがそのために存在するところのそれ(目的因)、なおかつ、AがまさにそのゆえにAであるところのそれ(形相因)なのである。
と言い換える。
???
言い換える必要あった?
なんでわざわざこんな難しくいう必要あるの、と言いたくなるところはここだけじゃない。
さらに、頻繁に、この先は私の仕事じゃないので、本のバランスが崩れるので、紙面の都合があるので、と話を切り上げまくるし、著名な哲学者たちの著作と思想の紹介に徹するばかりでほとんど持論やまとめを出してこないのでおい哲学者仕事しろ、という気持ちにもなる。
サラッと切り上げるのは理由があって、「本書が行う中心的作業は、特定の思想家の思想を掘り下げることではなくある概念(動物は機械のようなものである論と、いやいや魂あるよ論)の命運とその消長をラフに描くことであり、それ以上のものではない」と終章付近で著者自身が述べている。
でもそれを踏まえても、この哲学者風を吹かしつつ本題に迫ってくれないフワフワ感にものすごく読む気力を削られ続けるので、もしかしてこの人持論がないのかしらと思ってしまう。
さらにさらに。
最終章になってタイトルのことを思い出したのか、著者自身が動物に魂があると思ってるのか否かについてやっと言及するんだけど、その段階になってこの人はするりと哲学者の皮を脱ぎ捨てて、何の根拠も考察もしめさずに「あ、ぼくは動物に魂はあると思うよ!あるある!だからみんな動物を大事にしようね」と言って終わるのである。
たまたま人気アニメの銀魂をちらっと見たときに、オバQのような宇宙生物について「こんな思想もないもの(宇宙生物)を好きも嫌いもなかろう」と言っているのを見て、ふと、思想=魂と言えるのではないだろうか、と興味をもって読んでみたけど、この本ではその手がかりすら見つけられなかった。
いろいろ突っ込みどころがあり、テーマとズレてると感じる部分も多いが面白くはあった。斜め読みでいいから3回くらい読んでみると、第一印象に惑わされずに内容を楽しめるのではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読書途中。20人の講師による。一人90分の講演会の収録である。一気に読めるはずもなく、じわじわと読んだ。
姜尚中の講演のなかで、夏目漱石が奥さんをなぐっていたエピソードがあった。ノイローゼであったらしい。私は夏目漱石になれないけど、夏目漱石よりましだなと少し思った。考えかたとしてまちがっているのかな?どんな偉い人もほんとうにいろいろな苦しみにもがいていきているのだと思い直した。
20名全て役に立つわけでないが、中には、気に入る人もいるかもしれないとのことだろうか?3.11後の話など考えさせられたり。光触媒の話は興味を覚えた。文学、美術に関心を持った。宇宙論や素粒子の話は、わからないので、もういいとの気持ちであった。こんな講演会を聞けるのは、エリートの家の子供だからいいなとひがみたくなるが、本として出版されているので、誰でも接する機会があるのだと思い直す。マスターキートンにあった、「勉強はどこでもできる。便所でも」を思い出す。