呉座勇一のレビュー一覧
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荘園制が終わりの始まりを迎えた平安後期から戦国大名が統合的な統治を実現する16世紀にかけて、天皇家・公家の統治は空洞化し、権力と経済力を蓄えてきた武家により解体されていく。このプロセスがあったからこそ日本版絶対王政というべき豊臣政権・徳川政権が実現したのだし、その前に「戦争の中世」があったのは欧州も日本も同じ。本書はその戦争の中世の中後期、13世紀末の蒙古襲来から15世紀の応仁の乱前までを考察し、武士や民衆の下剋上が線形に美しく進んでいく、という唯物史観に警鐘を鳴らす本。ただ、線形ではないが、トータルで見れば下剋上が進むことで新秩序の実現に近づいていくことは間違いないだろう。
室町幕府の失敗は守護大名に京都近隣の大領を与えたことである、と言われる。江戸幕府は関東近隣には親藩や小身の譜代を配し、参勤交代や様々な賦役を課して大名のパワーを削ぐように努めた。そういう「元和偃武レジーム」の中で大名間の私闘の禁止が定められる。これは、鎌倉幕府や室町幕府の当事者には思いもつかなかったことかもしれない。
鎌倉将軍は関東の御家人に推戴された存在に過ぎず、各国の守護は任地内の動員権を持つに過ぎなかった。武力で木曽源氏と平家を圧倒して壇ノ浦まで遠征したとはいえ、日本中の武士が「鎌倉幕府になど従わない」と蜂起したならば、頼朝の平和はあんなに早くは実現しなかったに違いない。
当時の武士は荘園の現地管理人ないしは在地領主に過ぎず、近隣との小競り合いから身を守るのが仕事だったが、南北朝期にオレに味方すれば敵方の領地を取らせて遣わす、という書状を乱発する迷惑な存在が出現し、戦闘が各地に広がる。その時の現地司令官が守護・大将であり、武士たちを脅したり宥めすかしたりして動員し、食糧を賄うために中央貴族の荘園を接収するのが仕事だった。司馬遼太郎さんは「尊氏は部下に気前よく領地を与えた」と分析したが、そういう意識はなく、最適な軍団配置を考えたに過ぎないのだと思う。
やがて彼の孫が「義満の平和」を実現し、呉座さんはこの時の一連の政策を「戦後レジーム」と呼んでいる。義満も有力守護の力を削ごうと相続介入という手法を編み出すが、結局は武力行使にならざるを得ない。義満の孫の義教は将軍権力強化のために更に守護人事に介入するが、もともと脆弱な戦後レジームを更に脆弱にするに過ぎなかった。そして応仁の乱。短い平和に終止符を打ったこの戦いの原因は日野富子ではなく、南朝方から降る時に優遇され、京都近隣に大身を得ていた山名氏に求めるべきと呉座さんは言う。
元和偃武は義満の平和に比べ長く続き、強固であったが、その重要政策の一つに儒教がある。忠孝という価値観が導入され、平和下での武士のあるべき姿が模索された。我々はそれをサムライだと思っているけど、中世の武士は江戸期のサムライではない。清廉なサムライが惰弱な貴族の世を変えた、という階級闘争史観では中世を語れない。近隣領主と小競り合いを繰り返し、貴族の荘園を横領し、守護大名になっても武力闘争を止めないような連中だったが、やがてそういう統治体制も限界に達し、新しい姿の武士が統治者になっていく。そういうことなのではないか。 -
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『陰謀』、そう、モワモワとして空気を包むような縮れ具合で、最近は男性でもツルツルに剃ると言われているそれではなく、ぶら下がった2個で1セットの袋の部分ではなく、『陰謀』です。
陰謀好きは多いですよね。私も好きです。なんか夢がありますよね。そうであったら面白いとか。弊社の売り上げいまいち上がらないのはユダヤの陰謀とか、まさにそれです。
そんな奴らに喝を入れたのがこの一冊。
結果から逆算した陰謀論。
最終的な勝者が全てを予測して状況をコントロールしていたと考える陰謀論者の特徴で、本能寺の変は豊臣秀吉の陰謀だとか、徳川家康が黒幕とか、まあ、勝者を基準にしたら何でも言えますわな、陰謀か黒幕がそうではないという証拠がないんですからね。まさに悪魔の証明。
でも、丹念に一次資料を読み込み、当時の様々の事実を徹底的に突き合わせていきますと、すぐ論破されてしまうもんなんですね、筆者の呉座氏に感服致します。
事件によって最大の利益を得た者が真犯人であると言う陰謀論者さん、お前はどこのコナンだよ。死角のない完璧な犯罪計画など存在しないと筆者様のお言葉、まさにのそれ。歴史は偶然の結果であってもっとお前ら落ち着けよと。
まあ、そういう方々がホメオパシーとか水素水とか、疑似科学に簡単に引っかかってしまうんですよね。最近話題になった水素の粉末には全日本が泣いたもようですし。
前著『応仁の乱』のように、一次資料に基づいた、またそれに近い資料を基に淡々と事実を描かれておりますので歴史に詳しくない方にはちょっと読み辛いかもしれませんが、結構有名な歴史上の陰謀論を論破して頂いておりますので、私としては非常に面白い内容だっと思います。
因みに地震兵器なんてないからなw -
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本書は武闘派で過激な一揆より、目立たなくも一般的な交渉のための一揆に主眼を置く。文中で「だろう」「思う」の語尾が多くことから、歴史として解明が難しいジャンルであることが想像される。
中世の一揆を中心に、現代のデモとの相違やsnsとの類似性を指摘しながら、読む者の一揆に対する想像力を深める工夫が多い。また、戦後歴史学がテーゼとした一揆ニアイコール反体制運動という解釈を批判することも、一般的な一揆の輪郭を際立たせている。
公家、武家、寺社、民衆とわずそれぞれの社会が徹底的な階級社会だった時代において、一味神水を経てフラットに同心した集団とは、交渉を求められる側からすれば異形の存在だったことだろう。
1980年代ファミコンの「一揆」に無理やり触れるところで笑った。 -
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元寇から応仁の乱にかけての武士たちの動向を分かりやすく解説しています。
鎌倉時代後期からは戦で武功を立てても新しい土地がある訳ではなく、命を失えば家族が路頭に迷う可能性が高いので、なるべく無駄な戦には出たくない武士が多かった、という解説は、中世の武士たちが現代の人類と何ら変わらない、普通の人間であることが良く分かります。
著者は全編を通じて、マルクス主義的に歴史を見るのではなく、あるがままに中世の武士、民衆を見ようと主張しており、この点も同意できますね。
後、これは著者の責任ではありませんが、当時の武士の名前に偏諱が多いので、少し混乱するところはありました。 -
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蒙古襲来(元寇)から、応仁の乱まで、主に南北朝期を中心に、日本中世の戦争の歴史について、新たな見方を示している。本書の基本的な視点は、従来の歴史学が、階級闘争史観の影響で、中世の武士や民衆を社会の変革主体と位置付け、被支配階級が支配階級に立ち向かう階級闘争として「戦争」を捉えがちだったことへの批判だ。例として、従来、社会の変革主体として高く評価されてきた「悪党」を再検討し、史料に現れる「悪党」は多様で、「悪党」と一括りにできるような集団が存在したわけではなかったと主張している。また、当時の武士は喜び勇んで戦争に出かけて行ったわけではなく、戦の最中も家族を気にかけるなど、戦争に必ずしも積極的でない「軟弱」な姿を指摘し、サバイバルという観点から当時の戦争を見直している。少し階級闘争史観憎しが行き過ぎて、ちょっと牽強付会ではないかと思える部分があったが、本書は、中世の戦争や武士の等身大の姿を描き出している良書だと思う。
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本書は序盤で、日本における軍学が呪術的性格が中心であったこと、平安末期から戦国期における武士のマインドが個別の武士集団であり、統合作戦を企図していなかったことなどを根拠に「軍師」が活躍する素地が無かったと論じ、さらに「軍師」という言葉の由来についても論じている。さらにこの「軍師」がなぜこのように大衆の人口に膾炙するに至ったかについて、大衆文学における「軍師」の描かれ方や、ビジネスパーソンの処世術と結びつけた「プレジデント史観」を通して述べている。のだが、その「大衆文学における「軍師」の描かれ方」の部分が多すぎる。あとがきで著者は『戦国武将 虚像と実像』の続編に当たると述べているが、だったらそのように分かるタイトルにしてほしい。あるいはその部分は独立すればよかったと思っている。正直、その部分を抜きにしても本書は成立するし、読者がタイトルから想像し、求めているところからはやや外れた内容になっていると感じてしまい、大変残念であった。
それと個人的な感想だが、呉座先生、海音寺潮五郎先生へだけアタリが少し強くない?と感じた。嫌いなのかな。
ただ、これをきっかけに以前読んでいた歴史小説の大家の先生方の著作をもう一度読み直そうか、とも思ったので良い動機づけにはなった気がする。 -
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全体としては、読みやすいが、内容は驚くようなこともなく、そうだろうというものをまとめたもの。知識の整理や常識の確認としてはいいかもしれない。
戦国時代の軍師とは、江戸時代の講談や戦後の小説の中で作られ、その後押しをしたのが参謀本部という論旨はわかりやすい。
そもそもシナでは、古代の孫子から三国志の孔明までたくさんの例もあり、発想しやすかったのだろう。
なるほどと思ったのは、シナは、中央集権で流れ者が権力と対峙する構図のため、地元の信望ある知識人が参謀のような役割をしたが、日本では地元に根を張る権力のため、シナ型の知識人は不要であったということ。
そういう意味では、播磨に入った秀吉は、地元のことを知る官兵衛を参謀的に使ったことはあったのかもしれない。
ちなみに、二部は一段落ちる内容。新書を作るためになんとか埋めたのか。小説のストーリー紹介と感想で、目新しいこともなかった。 -
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要約:応仁の乱は、家督や後継者を巡る利害と権力闘争が複雑に絡み合い長期化した。権力者の保身が優先され将軍の権威が失墜する一方、戦後に大名が全国へ散ったことで京都の文化が地方へ広まる契機ともなった。
感想:以前は単なる不毛な権力争いという印象を持っていたが、一度失脚した者が情勢の変化で復権する姿を見て、諦めず行動すれば再起できると実感した。また、体制を動かすには実力だけでなく世間を納得させる名目や大義が必要だと感じた。
アクション:目の前の状況に一喜一憂せず長期的な視点を持って挑戦を続けつつ、周囲から信頼と納得を得られるだけの実力を地道に磨いていきたい。 -
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ネタバレ<目次>
序章 軍師とは何か
第1節 日本における兵法
第2節 日本における陣形
第3節 戦国時代の合戦と軍配者
第4節 「軍師」の誕生
第1部 軍師の虚像と実像
第1章 山本勘助の虚像と実像
第2章 宇佐美定満の虚像と実像
第3章 黒田官兵衛の虚像と実像
第4章 徳川家康と軍師
第5章 軍師と参謀
第2部 戦後大衆文化の中の軍師
第1章 山本勘助と宇佐美定満
第2章 竹中半兵衛と黒田官兵衛
第3章 太原雪斎と本多正信
終章 私たちはなぜ軍師に魅せられるのか
<内容>
はっきり言って第2部はいらない。章立てはまだしもあれほど詳細に論じる意味がわからない。
もはや日本に「軍師」はいなかった、が定番化していると思われる中、それを肯定した第1部で十分であった。 -
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著者の呉座先生はリハックで知りました。説明がわかりやすくて話を聞いていてとても面白く、もっとその時代を呉座先生の本で深掘りしたいと思い手に取ってみました。
誰が平家物語と太平記を書いたのがという所から始まるのですが、これがまた難しい。当時の人の名前がこれほど頭に入ってこないのかと嘆いてしまうほどです。そして文章も先のリハックでの呉座先生の語り方とは違い真面目過ぎる。例えるなら、学生時代に廊下では面白い先生なんだけど授業を受けたら真面目過ぎてギャップに驚いた。という感じでした。
とはいえ頑張って読み進めて第二章からの当時の実際の戦い方に話が移ると面白さを感じましたが、その後の章も難しい。
ただ、言葉が出てきた後に()で何ページで触れたという注釈があるのは親切に感じました。数回読んで当時の名前に慣れると頭に入ってくるのでしょうね。