呉座勇一のレビュー一覧
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「応仁の乱」の著者による、中世史の大きな戦乱を、最新の学説を基に解説をした書。
例えば「本能寺の変」は、昔から様々な黒幕が挙げられてきたが、現在では信長の粛清を恐れた光秀が、軍事的空白をついた単独説が有力なのだとか(動機は長曾我部元親の勢力伸長による四国政策の変更)
文中で作者も書いているが、陰謀は関係者が多ければ多いほど情報漏洩の危険性が増す。勝負というものは双方が多くの過ちを犯し、より過ちが少ない方が勝利すのであるというのは、戦略論の基礎ともいえるのではないだろうか。
最終章で、前章までを引いて「陰謀論」が人々に受けいられる理由を述べている。「陰謀論」「オカルト」のみでなく、「ヘイトクライ -
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【相手にふりかかった問題を自分の問題として考え、親身になって、その解決に努力する。実は、これこそが一揆という人間関係の本質である】(文中より引用)
権力層への抵抗という意味も込めて使われることの多い「一揆」。時代ごとに異なるその言葉が意味するところを探るとともに、一揆が抱える現代的な意義についても考察した作品です。著者は、『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』がベストセラーとなった呉座勇一。
堅苦しい説明が続くわけではなく、時にユーモアや今日の出来事とも絡めながら筆が運ばれているため、中世のことを主に取り上げていながらまったく古さを感じさせない一冊。一揆に関する解説という魅力はもちろんですが、 -
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漫画の「カムイ伝」やクロサワ映画「七人の侍」などの影響で、一揆とは農民が一致団結し、竹槍を手に悪代官らに生死をかけて立ち向かう強訴活動というのが世間一般のイメージ。が、古文書を調べていくと、一揆とは常に大掛かりなものではなく、竹槍を使った形跡もない。農民だって死は怖いし、標的にされた代官や大名も年貢を納めてくれる農民からのストライキは大ダメージだ。お互いに適当なところで手打ちにしたいというのが本音。
社会保険や福利厚生、ブラック業務を訴える労働基準監督署などのない時代、農民や国人がアコギな取り立てを公にし、交渉のテーブルの役割として一揆は行われた、というのが著者の主張。世直しとか、革命、直接 -
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ネタバレ日本史研究の最新の地検を紹介しつつ、様々な陰謀論を否定し、最後は現代社会における現在進行形の陰謀論についても触れている。
確かに、「結果から逆算」して構築した陰謀論の方が「因果関係が単純明快」になるよなw
現実がそのように「単純でわかりやすい」筈が無いって知ってるはずなのにさ。
あと、「日野富子悪女論」を誰が何のために持ち出し、どうして定着“しちゃった”のかについての考察はとても興味深かった。このあたりは「蒙古襲来と神風 中世の対外戦争の真実」や「興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話」「秀吉の虚像と実像」にも通じるモノがあった。 -
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“一揆”というモノが「関わる人達が互いに対等で、一定程度の匿名性も在って、或る種のパフォーマンスも含めた誓約のセレモニーを経る場合も在る契約のような関係で集まり」であったという辺りに、筆者は色々な国々で政権交代を促した市民運動や、何かを訴えようと発生するデモとの共通項や相違点を視ている…
中世から江戸時代位までの“一揆”と呼ばれていた営為に携わった人達の様子が、「より色鮮やかに、より活き活きと」という具合に詳細に解説されていると同時に、「先学の研究の積み重ね」を深く広く意識しながら“一揆”に纏わる新しい説や自説をとき、「そこから現代の人々が何を見出して、何を想うのか、そしてどうするか」と「現代 -
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徳政一揆は、土倉・酒屋といった京都の金融業者(というより高利貸し)を襲撃している。借用証書を強引に奪いかえすという行為も散見される。このため「古い研究」では、「悪徳高利貸しに苦しめられた民衆の怒りが爆発し、徳政一揆を起こした」と考えられてきた。論文調で書くと、「貨幣経済の農村への浸透を契機とした都市高利貸資本の農村侵食」ということになる。なんのことやら意味がわからない読者も多いと思うが、このような分かったような分からないような説明でごまかしてきたのが、かつての戦後歴史学であった。p103
この記述にガツンとやられた。受験勉強以来長らく「貨幣経済の農村への浸透を契機とした都市高利貸資本の農村侵食 -
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中世史と言うと教科書で(大学受験論述で)紋切り型のように「貨幣の流通」「農民の成長」「生産力の向上」「インフラの発達」といったワードで多くのことが説明され易い。無論それらも大事なのであるが、もっと時代に即した事情があるのではないか。そうした観点から書かれたのが本著である。
といっても、新資料や奇想天外な新説でアッと言わせるというようなものではない。教科書の記述にもとになるような資料から、どのように推論できるか、その幅を教えてくれる。
歴史家はどのように資料を読んで行くのか、どのように歴史の流れを組み立てていくのか、といった点にについて目から鱗となる良著。