あらすじ
室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(一四六七~七七)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのか――。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。
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興福寺の僧による日記を主なベースとして、応仁の乱前から、乱後までを詳しく紹介してくれます。ただ登場人物と年号が多すぎて、巻末の年表に頼らないと、前後関係がわからなくなります。なんとか読み終えた感想としては、室町版「仁義なき戦い」をダラダラと続けていたのだなあと思いました。応仁の乱のはるか昔に、ローマがカルタゴをザマの会戦(アフリカ大陸)で破ったことを思うと、本書に描かれている争いのスケールの小ささに悲しくなりますよ。
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名前は知っているがその内実はほとんど知られていない応仁の乱。そのあまりの縦横無尽ぶりに高校の教科書でも概要以外はさじを投げるほどだが、本書ではその応仁の乱を大和国・興福寺・畠山氏の諍いから方程式のように紐解いていく内容となっている。
大元は6代将軍足利義教の短気が尾を引いていること、日野富子と足利義視、細川勝元と山名宗全の関係は義尚誕生時点でも決して悪いものではなかったこと、実質的には勝者のいない泥試合でも形式的には結局どちらの勝ちで終結したのか、応仁の乱は何をもたらして戦国時代に繋がっていったのかなど、視点を変えるだけでこれだけ明瞭になるものかと非常に驚く(ただ、これでもまだ相当に複雑ではあるが…)
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戦国時代の契機となったとされる応仁の乱を大和国興福寺の視点を交えつつ描く。戦国時代の始まりは、応仁の乱とされるが、明応の政変がきっかけと著者は指摘。応仁の乱後もかろうじて維持されていた守護在京制は、明応の政変を機に完全に崩壊し、守護は国元帰り国人を統率せねば領国を維持できなくなった。
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ロシア文豪による長編小説のような複雑さと面白さ。多くの人がしているように、登場人物とその相関図をメモしながら読んだ。800年も前なのに、こんなに詳しいことがわかっているなんて驚き。日本人って昔からほんとに筆まめ。
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戦国時代に突入する直前の、混乱した室町時代後期。
仏教勢力が支配する大和国の二人の僧が残した日記を読み解き、応仁の乱の起こる背景、直接の切っ掛け、戦況をつぶさに記します。
近年の歴史研究の飛躍的な発展を反映させており、紋切り型でない実情を交えた記述に感じるところが多くありました。
実際の領地支配の様子、地域支配者同士の小競り合い、室町幕府と有力な大名との関係などがわかりやすく感じました。
その後の戦国時代、織田信長が仏教勢力に手を焼きつつ徹底的に武力でけりを付けようとするのも尤もだと思う一方、筒井氏を守護に任命したあたりが、改革の放擲とも感じられる、破滅への転換点だったのかも。少々飛躍して思いを馳せました。
江戸時代の講談などを元に、俗説で語られる事の多い歴史ものとは一線を画し、最新の歴史学の成果を誠実に、しかもわかりやすく示した良書だと思いました。
主に用いる資料は二つ。
経覚による『経覚私要鈔』
尋尊による『大乗院寺社雑事記』
本書の特徴は「資料に書いてあるから」と、無責任に現代語訳する態度ではなく、
資料を記した二人の僧の性格にまで思いを巡らし、実際の出来事と記録の差異までを読み解いている点です。
「噂を鵜呑みにして、驚喜している。」
「×○と予測しているが、見事に的中した。」
というような感じ。
この効果がよく出ているのが、
古市胤栄についての記述だろうと思います。
従来の記述だと、文化人としての側面と、強権的に家中を統率する人物像が一致しません。
でも、この一冊を読むと「なるほどな。」と思いました。
同じく、足利義政についても「こんな人だったんだろうな。」と人となりが感じられるようでした。
実像をあまり描いていない重要人物が畠山義就です。
で、今wikipediaを読みました。なるほど、この人にはスポットライトを当てないのが無難だろうな、と思いました。
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応仁の乱の全貌が結果的に乱の発生につながった紛争にまでさかのぼり、そこから丁寧に時系列に追って書かれている。応仁の乱の原因は単純な対立構造によるものではなく、対立の背景に加え偶発事象や意図の不一致などが重なったことが分かり、応仁の乱の全貌がある程度整理された。現実世界を単純化してとらえようとする風潮もあるが、この本はそうした風潮を否定し、複雑なままとらえる必要性を伝えるものであろう。
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名前だけは知ってても、で、何がどうなったのか全くわからないまま放置してた応仁の乱。新書一冊なのでこれでわかりやす…
ダメだ。ややこしいというのはよくわかったが、きちんとノートをとりながら読み直します。(特に、冒頭で興福寺云々から始まって面食らった。勿論、その先を読み続けてなぜ興福寺から始めなければならないのかわかりましたが)
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戦国乱世の扉を開いた応仁の乱はいかに起こり、なぜ長期化したのかを読み解いた本。
高校日本史の知識が身についていることが必要。授業だけでは見えてこない、戦の経緯や室町時代の本質を学べます。
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経覚・尋尊という奈良 興福寺の僧侶の眼を通しての、新しい「応仁の乱」像。
経覚の父は関白・九条経教、母は浄土真宗大谷本願寺の出身。尋尊の父は関白左大臣一条兼良、母は中御門宣俊の娘と言う、所謂良家の出家者。当時はこのように公卿からの出家者は、大きなお寺の今で言う貫主の地位につけたようだ。
さて新しい視点の「応仁の乱」と言っても、高校の授業で、恐らく教科書の数行程度の記述でしかなかったと思われ、自分にとっては新しいも古いもなく、そのまま素直に読解することを心がけた。
この時代、敵になったと思ったら寝返ったり、親子・兄弟の間でも敵味方になったりと、実にややこしい。で、なかなか読み進めることが出来ない。
自分にとっての発見は、この時代、新しい文化が武家の経済的支援によって花開いていったということ。
15世紀後半以降、在国するようになった守護・守護代は、国元に立派な館を築いている。
実際守護館(守護所)の遺跡は発掘調査によって全国各地で見つかっているが、そのほとんどが平地の、一辺が150~200mほどの方形館で、その敷地内には連歌や茶の湯を行う建物「会所」があった。主殿・常御殿・遠侍などの配置も判で押したようである。主家斯波氏に対する「下剋上」を果たした朝倉氏の居城として知られる越前一乗谷の朝倉氏館も例外ではなく、地域的な特色・個性は見られない。こうした守護館の構造は、「花の御所」(室町殿)などの将軍邸を模倣したものだったらしい。
山ロも周防守護の大内氏によって、京都をモデルにした地方都市として整備された。しばしば「小京都」と呼ばれるこの都市の原型は、大内氏が抱いた京都文化への憧れによって生み出されたのであるとのこと。
一方、現実の京都はというと、守護や奉公衆の在国化によって住民が激減し、市街域も大幅に縮小した。
と言うことだ。
京都のほとんどが焼けただけではなく、新しい芽が外に伝播して行ったのね。
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日本の歴史は応仁の乱前後で分かれるといわれるほどの戦いなのに、ほぼ内容を知らなかったため、手に取りました。
主に以下のことが新しく知れて、興味深かったです。
・応仁の乱の発端は、足利義政の後継者争いではなく、有力守護大名の畠山氏の家督争いであった。
・主な対立軸である細川氏、山名氏は早めに和睦を結んだものの、他の同盟者の思惑が入り乱れ、最終決着が長期化。
・足利義政が、畠山氏や他の有力者の争いで、討伐と釈免を繰り返し、節操が無さすぎる。。
・応仁の乱までは、守護大名は京都に住むのが普通であったが、乱後、自国の統治の重要さを感じ、自領地に住むようになった。
・足利義政・義尚親子のどちらが最高権力者か不明、義尚より後の将軍家がニ系統で分裂など、権力機構が思ったよりあいまい。
・将軍の力が弱くなった故、細川氏は、要職である管領を儀式の時だけ仕方なく拝命し、その後辞職する自由さ。
興福寺のニ高僧の日記をもとに当時の状況が説明されているため、直接応仁の乱とは関係ない興福寺及び奈良周辺の説明が長い、家督争いとそれぞれの同盟関係等が重なり、勢力図が覚えられない、そもそも人名が読めない等、読むのが困難な部分が多かったですが、全体的な応仁の乱前後の流れが知れて、とても有意義な本でした。
デマや噂話も多く、詳細な記録を辿るのも難しい時代を、このようにまとめられる学者の方の凄さも改めて感じました。
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複雑。戦乱に直接関係はないと思われる経覚と尋尊を軸に語っていることが、読者にとっても幸いしているのかもしれない。客観的に見れたし、二人の物語りに若干の興味を持てたので、何とかダラダラとしつつ、複雑な、この戦いの顛末を最後まで読むことができた。
内容としては大満足。昔読んだ専門書ではない、一般読者向けの応仁の乱の記述に対する自分の記憶がかなり誤っていたのがわかった。自分の記憶だけでなく、当時の記述自体もあやしかったものだと思う。
実質東軍の勝ち、というとは勉強不足で知らなかった事実。また、足利義視が徹頭徹尾西軍だった訳ではないことも、記憶の修正対象案件。
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数年前に話題になった中公新書の応仁の乱。これをきっかけに中公新書は歴史実証的な著作が増えていく。
本書については、個人的な知識の問題で登場人物がビビッドにイメージできずにやや字面を追っていたところがある。とはいえ、メインのストーリである管領家をめぐる対立がきっかけとなって天下の大乱に至り、和平交渉もステークホルダーの多さから落とし所をつくることができずにまとめることができなかったこと。すなわち、幕府の力が低下し大名をまとめられなくなっていたこと、加えて将軍義政が日和見的でどっちつかずになっていたため、各勢力がお互いの利益を主張しあった結果、いくさにもなり和平もできなかったという点は理解できたんだろう。結局、幕府の力が落ちていてもはやまとめる力を持ち得なかったということなんだと思う。室町幕府のこのどうしようもない弱さはある意味興味深い。鎌倉・江戸と比べて何がいけなかったのか・・・。
加えて、応仁の乱によって京都が荒廃したこと、守護大名が地元で直接統治しないと統治が難しくなったことなどを背景として、京都の文化が各地に広まったということは興味深かった。越前や周防などの小京都と呼ばれる文化を花開かせたことを、多大な被害をもたらした応仁の乱の副産物として見ることもできるわけで、ありきたりだけれど歴史は一筋縄ではいかないなとも思う。
それにしても、現代の基準で見てはいけないことは当然ながら、いくさばかりで庶民はどうやって暮らしていたんだろうという点、そして代替わり時には徳政令を出すのが当たり前とされていて商売人はどうやって対策していたのかという点は素朴に疑問に思う。現代において徳政令なんて出したら金融が成り立たなくわけで、デットファイナンスはなくなってエクイティファイナンスだけになったりするのではと思ったりするけれど、それでも金融業は続いたんだろうし。
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歴史の本は登場人物が多く、状況の推移を追うのには根気がいる。本書はよく整理されていて読みやすいのだが、やはり根気は必要。手っ取り早く応仁の乱とその後の見取り図を得たいならば、終章および後書きを読むだけでも十分勉強になるし、そこだけでもかなり面白い。
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室町時代の動乱期をあるお坊さん2人の記録をもとに紐解く本書
お坊さんのそれぞれの性格の差から来る事件等の評価の違いもおもしろいし、もちろん歴史の事実としての応仁の乱(とその前後)もおもしろい。
ただ、登場人物の多さに誰が誰だかわからなくなってくるところがたまに傷であり、そこは乱れた世相だったから仕方なしとして頑張って読み解いていかなければならないのがすこし辛かった。
自分は動乱の歴史とか読むのが好きなのでそういった人にはオススメ
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歴史書を読むことは人の名前を読むことで、その点でいつも苦労する。人名索引と行ったり来たりで、できれば索引にもフリガナを振っていただけると助かる。資料の綿密な読み時による詳細な説明と考察には敬服する。
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今までほとんど関心のなかった時代だったので、新しい発見があって面白かった。この時代の権力者や武将の名前もほとんど知らないうえに、登場人物が多くて読むのに時間がかかった。
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応仁の乱について、著者の意見が述べられている。
「はじめに」と「終章」に特に著者の意見が書かれており、他の部分は補足資料的な側面が強い。(まぁ、そもそも形式的にそういう本である。)
なので、それら2つの章を読んで、気になった部分だけ他の章を読んだ。
応仁の乱の展開が整理されていて、資料として面白く読めた。また、足軽の誕生などの副次的なお話も興味深くて良かった。
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応仁の乱と言えば、無気力な将軍義政に、好戦的な弟義視、狡猾な富子・・・とわかりやすい人物が描かれるのみで、戦闘の主役たちがなぜそのような行動をとったのかの観点で語られることは余りなかった。本書は奈良興福寺のトップ経覚と義尋の記録を基に、乱前の大和争乱から乱後の明応の変あたりまで、登場人物たちの行動を克明に描いていく。何故そのような行動をとったのか、10年もだらだらと戦い続けたのか、というような何故の答えまで用意されている訳ではないが、もうちょっと考えてみると面白い。
思うに、細川勝元も山名宗全も、源平合戦以来の武士の行動原理に従っているが、現代の我々はその後訪れた戦国時代の大名の有り様を知っているから、どうしもそちら側の眼鏡で見てしまう。戦国時代の大名たちは領域を支配し、そこで軍事力と経済力を養成し、基本的に領域を拡大することで成長を遂げようとした。しかし室町中期までの武士は荘園制を前提に生きており、武士とは荘園の管理人であり、その棟梁は京都を確保することで正当性を得、守護とはその地に駐屯して荘園から軍事費や賦役を徴発する存在だった。後代の常識からすれば、京都で戦っている間に本国の方を占領してしまえば良いのに、となるのだが、そのようなことを実行したのは越前の朝倉孝景くらいで、故にこそ彼は戦国大名の先駆になった。
本書の面白さは経覚や尋尊という荘園制の旧体制にすがって生きる人々の視座で描いている点にあるのだが、荘園制から目覚めていく武士の側はあくまで客体として登場するところが限界なのかもしれない。河内の暴れん坊畠山義就のモチベーションは何か、細川勝元は幕府と細川家のどちらを大事に考えていたのか、朝倉孝景はどこをどこまで計算していたのか、など、目覚めゆく武士たちの苦悩と葛藤もまた面白かろうと思うのだが、残念ながらこのような人々のそばで記録を残した人はいないので、どうしても旧体制側から描いていくしかないのだろう。
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日本史上屈指の大乱ということであるが、応仁の乱が始まる前もそこかしこで戦いは始終起きているし、乱が終わった後もいろいろなところで戦が絶えない。京の都が思いっきり戦場になったというところや、動員された軍勢の規模が違うのだろうが、この情勢であればいつ大きな戦争が起きてもまったく不思議がない
著者は応仁の乱が当事者の意図を超えて拡大した様子を第一次世界大戦になぞらえるが、『八月の砲声』を読んだときも、「列強がそれぞれ軍事力で相手を潰すことしか考えていない。これは戦争にもなるよな」と思ったので、両者が似ているという点に関しては同意見である
名前がたくさん出てくるし、集合離散も激しいし、一族の中でいがみあうので、誰と誰が敵で、誰と誰が味方なのか、頭の中を整理するのが大変。国みたいなものもぶつかり合いではなく、やくざの抗争のほうが近い
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何年も前に話題になった本で、ずっと読みたいとは思っていたのですが、ついつい後回しにしてしまい、このタイミングでようやく手に取りました。
応仁の乱については、小学校でも中学校でも高校でも習ったはずなのですが、戦いの中身についてはほとんど記憶に残っておらず…。
そんなわけで、新たに学ぶつもりで、読み進めました。
応仁の乱は、領地の争いや家督の争い、後継者問題、役職の争い、武士としての仁義、過去のしこりに由来する仇討ち、といったものが入り組んでの戦いであり、しかも、戦い開始時の東軍の総大将の細川勝元と西軍の総大将の山名宗全は、別にバチバチの関係にあるわけではなく、むしろ畠山氏の家督争いに巻き込まれた結果、いずれも総大将になるなど、応仁の乱は、覚悟を決めてのスタートではなく、やむにやまれぬ事情で始まったのですね。
まったくの素人の自分からすると、詳しすぎてついていけない部分も多かったのですが、それでも、応仁の乱の概略はつかめた気がします。
ちなみに、本書は、奈良の興福寺にまつわる二人の僧(経覚(きょうがく)と尋尊(じんそん))が残した記録が柱となって構成されているのですが、約500年前でありながら、京都での出来事を奈良にいながら把握していた二人の情報網は、驚き以外の何物でもありません。
本書を読んでいて思ったのですが、応仁の乱をもっとちゃんと理解するには、当時の価値観や道徳観や生活や制度をもっと知らないとだめですね。
今回は、それらがないまま読んでしまったので、浅い理解で終わった気がします。
そこはやむを得ないとは思いつつも、反省点。
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応仁の乱(1467-1477)は、日本史の画期と言われる。
画期というからには、日本史は「応仁の乱」前と、「応仁の乱」後に区分出来るということだ。
ということは、我々は「応仁の乱」後を生きている、と言える。
日本の文化、日本人の宗教観•意識、日本語は、この乱を境に大きく変貌した。
本書は、その画期を成す乱をコンパクトにまとめているが、その全容を掴むのは極めて難しい。
何故なら、保元•平治の乱のように、敵対勢力を明確に区分して、勝ち負けをはっきりさせることができないからだ。
最初は、敵味方、勝ち負けがはっきりしているように見える。
しかし、それがズルズルと全国レベルに広がり、10年以上もそんな状態が続くのだから、明確さを欠くこと夥しい。
我々が歴史で習うのは、将軍家、摂関家、各大名家の対立による、京都を戦場とした戦いだ。
「応仁の乱」は、細川勝元と山名宗全を両対象とする戦乱であると習ったはずだ。
だが、それは「応仁の乱」の発端に過ぎない。
守護大名から、寺院、地侍に至るまで、あらゆるレベル、あらゆる地域で、内紛、抗争が、燎原の火のように広がり、日本列島全体が混乱の坩堝に巻き込まれたのだ。
それが「応仁の乱」の捉えどころのない真の姿だったのだ。
誰もが直ぐに終わると思っていた京都の擾乱は、直ぐに地方に飛び火し、従来の体制を悉く破壊し尽くし、遂には、戦国時代の幕を切って落とす。
本書は、日本史の時代の変革を画する日本最大の内乱の動的メカニズムを詳細に描く。
しかし、それも簡単ではないことは言うまでもない。
読み通すには、忍耐が必要とされるが、読む価値はある。
Posted by ブクログ
年号は覚えたが、前後の出来事はほぼ知らない状態で読み始めた。一応、最後まで読んだ感想は、難しかったの一言。
しかし、少なくとも読む前よりは「応仁の乱」の理解が深まったので、2回目があればより理解できると思う。特に、応仁の乱後の戦国時代への流れや京の文化が全国的に広がった経緯など、なるほどと思う。
「終章 応仁の乱が残したもの」がまとめ的だったので、この章を先に読むのも有りかと思った。
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なぜかこの難しい本がベストセラーになったらしい。
なかなか理解が不足していると感じているが、中央の幕府の力が弱まって、地方の力が相対的に強くなったことで戦国時代が始まったとも言えるという側面は良く分かった。
何度か読み返して、理解を深めたいと思うのと、大河ドラマ「花の乱」は出来が良かったらしいので、いつか見てみたい。
Posted by ブクログ
応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書) 新書 – 2016/10/19
馴染みの無い登場人物が多すぎる為に途中で挫折する可能性高し
2017年6月24日記述
呉座勇一氏による著作。2016年10月25日初版。
1980年(昭和55年)東京都生まれ。
1999年3月 海城高等学校
2003年3月 東京大学文学部国史学科卒業
2008年3月 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学
2011年6月 「日本中世の地域社会における集団統合原理の研究 領主の一揆を中心として」で博士(文学)
2012年4月 東京大学大学院 人文社会系研究科 研究員
2014年4月 東京大学大学院 総合文化研究科 学術研究員
2014年10月 角川財団学芸賞
2015年4月 国際日本文化研究センター 客員准教授
2016年10月 国際日本文化研究センター助教
昨年から異例の売上部数を誇っており、気になった為読んでみた・・
2017年6月23日(金)の読売新聞朝刊の広告には38万部とあった。
しかしである。本書を途中まで読み進みあまりの登場人物の多さに辟易した。
購入された方々も読んできちんと内容を消化しきれているのかどうか疑問だ。
別にマルクスの資本論のような訳のわからないレトリックや修飾語が使われている訳では無い。
本当に知らない人物が多すぎるのだ。
しかも殆ど馴染みの無い人物ばかりだ。
数ページおきでは無く数行おきに出てくる感じだ。
(池田信夫氏もTwitter上で登場人物が多すぎで途中で読み止めたと指摘している)
あと奈良の地名や地理についてある程度把握していないと
土地勘も無い為イメージがわかない部分も多い。
地図が多く載っていれば問題ないが、本書にはそれが無い。
自分自身、大学受験で日本史Bを使ったし歴史は好きだし得意だと思っていただけにまさか歴史の本で途中で読むのを諦めるとは予想も出来ず驚いている。
途中からじっくり読み込むのは止め経覚、尋尊の記述部分のみさっと読んだ。
ただ客観的事実の羅列で本書から何か今の時代に通じる何かを読み取るのは難しいと思う。
*もっと知識があれば本書から多くの事を吸収できるとは思う。
しかしそんな読者が何人いるのやら。
個人的に非常に参考になった部分は下記の内容だ。
尋尊が経覚が死ぬ前に経覚の謝金が興福寺に及ばないように尋尊が経覚の弟子ではない事を証明する文書を集積し理論武装していた。
この危機管理、危機回避能力は凄い。
ビジネスパーソンも是非見習うべき点だ。
突き詰めると井沢元彦氏や磯田道史氏のような一般人レベルに伝える、伝わる記述スキルが
現在の呉座勇一氏には欠けていると言わざる得ない。
結局、難しい専門的な話を、格好つけて難しく書いても一般大衆には伝わらないし、
影響力は持ち得ない。
しかし呉座氏は多くの人に届けたいからこそ新書で世の中に出したのではないか。
学術論文ではないのだから、もっと多くの工夫、編集が本書には求められた。
本書のヒットは残念ながら一過性のもので継続性はないだろう。
ただ本書には巻末に人物索引が付いている。
これは高く評価できる。なぜなら索引をつけることは編集の最後になってしまう為に
非常に面倒で索引が無い専門書が多いのだ。
この索引のない専門書は本では無いということを野口悠紀雄氏は常々指摘している。
本書はその意味で紛れもない専門書である。
*ただし一般人には敷居が高い。
願わくば本書の入門的な情報を網羅したものが必要だろう。
(というかたくさん出てる)
池上彰氏が本書を紹介するとしたらその点は指摘するであろうと思われる。
Posted by ブクログ
難しかった。
この本は戦乱の中心地の京都ではなく大和国の興福寺の別当の二人、経国、尋尊から見た応仁の乱を記録したものを中心に書かれている。興福寺は守護が置かれず、実質的に興福寺が大和を治めていた。戦乱についてもだが、世間の噂や興福寺の所有する荘園の年貢の徴収など、いろいろと書きつけていたようだ。
人の世むなし(1467)応仁の乱、くらいの知識しかなかった私なので、難しく思えたのかもしれない。
家督相続争いが重なり、そこに所領問題が関係して、戦乱が起こっていったが、犠牲が出ると、それを埋め合わす何かを得ないと戦を止められない、という気持ちがどんどん戦を長引かせてしまった。仲間を引き入れると、さらに埋め合わす何かが必要になって、ますます戦乱が長引く…。そこは現代と同じかもしれない。
また敵の補給路を断つ、というのが戦いに勝つ手段というのが昔も今も変わらないのが面白かった。戦いというのは武力だけではない。
名前も知らない武将が沢山出てきたが、畠山義就に関してはドラマにしてもいいんじゃないか、というくらい傑出した武将だったと思う。畠山氏の家督相続が応仁の乱の一因であることは間違いないと思うし、日野富子じゃなくて、畠山義就を中心にしたドラマのほうが面白いと思うけどなあ。
山名宗全が畠山義就の肩入れを御霊合戦の時にしてしまったのが、山名宗全と細川勝元の決裂の引き金なんて、武士はメンツで生きているんだなあ、とつくづく思う。
あと山名宗全と細川勝元の年齢差が驚きであった。
Posted by ブクログ
各メディアで紹介された話題のベストセラー。かつてない明快さと圧倒的な筆力!
室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(1467~77)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分に知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのか・・・・・・。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。
(当書裏帯裏紹介文より)
2020年大河ドラマ『麒麟が来る』の主人公が明智光秀。描かれる時代が室町時代末期から安土桃山時代で『応仁の乱』のその後になっていたことが実に良いタイミングでした。
ドラマで聞いたことのある人物名が出てきたり、応仁の乱から戦国時代にかけての期間が100年にも及ぶことをドラマで言われたり、本とドラマが良い感じでリンクしていて面白かったです。特に戦乱が100年にも及ぶ、ということが自分の中で改めて浮き彫りになったことで『江戸時代の平穏が200年に及んだのは世間が平穏を切望していたから』と実感できたことでしょうか。
私、日本史は○○時代って覚えています。
『平安時代⇒鎌倉時代⇒室町時代⇒戦国時代⇒安土桃山時代⇒江戸時代⇒明治・大正・昭和・・・』って感じで。
でも江戸時代から明治の間には幕末の動乱があり、京都・江戸・北陸・東北と続く内戦が存在するんですよね。そういう意味でいうと室町から江戸の間にも戦国時代が存在しているわけですよね。その戦国時代の引き金になったといわれる『応仁の乱』。
ということで、判りにくいことで有名な『応仁の乱』を判りやすく解説している。
という評判を聞いて読んでみました。
正直、まだしっくりと来ていないです。出てくる人物が多すぎて自分の中で上手く咀嚼できていない、といったところでしょうか。
あと2~3回、読んでみないと自分の中に入ってくれないかな、と思っています。
司馬遼太郎の幕末モノを、複数作品・何度も読んだことで、幕末史を覚えることができた経験があるので。
不満点は一つ。
人物のフリガナを振ったり振らなかったり、というところ。読み方、一回では覚えきれません。ずっとフリガナ振ってほしかったw