無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
室町幕府の権威失墜を招き、戦国時代への道を開いたとされる応仁の乱。何かよくわからないまま始まり、はっきりした決着がつかず終わったような印象だった。本書では、奈良興福寺の二人の僧侶、経覚と尋尊が書き残した日記を軸に、乱の経緯と参加した人々の思惑、それが何をもたらしたかをみてゆく。
乱のきっかけは畠山のお家騒動だが、それも足利義教の恐怖政治が残した禍根と言える。畠山政長と畠山義就の争いとして勃発した御霊合戦において、義就に加勢した山名宗全と、政長を支援するも義政の指示に従って直接の加勢を避けた細川勝元。二人の実力者の対立から、応仁2年に武力衝突が始まった。
東軍の細川勝元と西軍の山名宗全の対立に足利義政が絡む形で乱は推移する。京都だけでなく、領国での争いが戦況を左右する。西軍は山口と北九州の兵を引き連れて西上した大内政弘の入京によって一時優勢になった。しかし朝倉孝景の西軍から東軍への寝返りによって戦局は転換し、結局朝倉は越前を掌握した。講和の機運が高まる中、山名宗全と細川勝元が相次いて死去。あいまいな結末の講和によって乱は終結した。
興福寺は局外から事態を見守りつつも、混迷する大和の状況の中で権益を守るために奔走している。乱後は守護大名の在京制が崩れ、地方を実力で制した者が実験を握る戦国大名の世界へと移っていった。
元々錯綜した経緯を辿っているのでややこしくはあったが、よく整理されていてわかりやすかった。登場人物が多すぎて、時間をかけると誰が何をしたかを忘れてしまう。一気に読んだのでまだなんとかついていけた。
Posted by ブクログ
名前は知っているがその内実はほとんど知られていない応仁の乱。そのあまりの縦横無尽ぶりに高校の教科書でも概要以外はさじを投げるほどだが、本書ではその応仁の乱を大和国・興福寺・畠山氏の諍いから方程式のように紐解いていく内容となっている。
大元は6代将軍足利義教の短気が尾を引いていること、日野富子と足利義視、細川勝元と山名宗全の関係は義尚誕生時点でも決して悪いものではなかったこと、実質的には勝者のいない泥試合でも形式的には結局どちらの勝ちで終結したのか、応仁の乱は何をもたらして戦国時代に繋がっていったのかなど、視点を変えるだけでこれだけ明瞭になるものかと非常に驚く(ただ、これでもまだ相当に複雑ではあるが…)
Posted by ブクログ
『新九郎、奔る!』から興味をもち、読み始めたため、細川や山名、畠山などの主要人物を追うのは問題なかったが、経覚や尋尊を中心とした大和国の登場人物を追うのに苦労した。
しかし、読み進めるうちに、応仁の乱を「誰と誰が戦ったか」ではなく、なぜ人々がそう動かざるを得なかったのかという構造から見ることができて面白かった。
将軍の権威、大名同士の利害、家臣と主君の関係、兵站などが複雑に絡み合い、戦争が始まり、そして終わらなくなっていく。
最後の方で、応仁の乱と第一次世界大戦の共通点に触れており、両陣営は出口戦略を考えていたにもかかわらず、コミュニケーション不足やタイミングのずれによって、無意味に長期化してしまった構造は現代の自分たちにとっても大事な教訓になると思う。
Posted by ブクログ
【感想要約】
大和国情勢の叙述は難解で読解に相当の集中力を要するが、経覚・尋尊という性格の異なる僧の日記史料を対比することで、乱の同時代的認識を立体的に理解できた点が印象的である。応仁の乱の「混迷」は無秩序ではなく、各勢力の抑制的行動が逆説的に長期化を招いた結果と分かり、戦国化の契機を明応の政変に求める鈴木良一説にも一定の説得力を感じた。
【内容】
近畿における応仁の乱(1467〜1477年)の動向を、興福寺(当時大和国における事実上の守護職の位置付け)の別当職を務めた僧・経覚と尋尊の2人の日記に着目して再整理した本。応仁の乱だけでなく発生経緯から応仁の乱後の影響まで解説しているため、6代義教の性急な中央集権志向の強権政治とその反発から発生した嘉吉の乱から、明応の政変で10代義稙と11代義澄が並立し室町政権の権威が失墜するまでの約60年強を広く扱う。
8代将軍足利義政は将軍親政を試みて伊勢氏等を重用する側近政治を進めたが、守護大名の家督争いへの場当たり的かつ過度な介入によって逆に幕府権威を弱体化させた。そして自身の後継問題に細川家と山名家という有力守護が介入を許したことは、応仁の乱が発生する土壌を用意することになってしまった。
応仁の乱は旧来の管領細川家を中心とする従来勢力に対する新興勢力である山名家の挑戦が背景にあったが、両者はあくまで権力抗争であり時に連携することもあり必ずしも致命的に対立していた訳ではなかった。直接的な原因は畠山政長、義就の畠山家における家督争いに端を発する御霊合戦に山名宗全が介入してしまったことであり、それにより細川勝元が政長側に着いて巻き返しを図り、大内政弘が軍勢を率いて上洛することで全国的な大乱に拡大した。やがて西軍側は足利義視を将軍として擁立し、将軍家の争いにまで波及する。最終的に形式的には西軍側が東軍側の軍門に降る形で乱は自然消滅的終息を迎えたが、畠山義就は武力で河内を統治する等混乱は収束しなかった。室町政権は応仁の乱後も一定の権威を保つものの、明応の政変により将軍家は分立、以降有力者によって擁立、廃嫡、暗殺される立場に陥り幕府の権威は失墜した。
室町政権は将軍をリーダーとする諸大名の一揆だったが、嘉吉の乱後この一揆が分裂し二大陣営の対立として現れたのが応仁の乱だった。乱の後大名集団は解体し、室町政権は諸大名の意見を吸い上げ政策に反映する回路を失った。守護が各々の分国へ下向することで在京守護制は崩壊し始め、その傾向は明応の政変で決定的となる。そして守護代や遠国の守護が各地で実力を持って勢力を拡大する戦国時代に突入し、室町政権は近畿5カ国(当時で言う"天下")にのみ影響力を持つ存在に零落してしまった。
【感想】
応仁の乱が始まるまでの大和国の動向がとにかくわかりづらく難解。この部分で読者の半分が振るい落とされるのではないかと思えるほど。ここで挫けない胆力のある読者のみ読み進められると試されていたのか。
著者の狙い通り、性格の異なる2人の僧の視点から乱への当時の評価を整理することで、事実関係の整理だけにとどまらず応仁の乱をより深く追体験し理解を深めることが出来た。また尋尊の日記は元々「旧守派上層による現実から乖離した感想」と批判的に読まれていたとのことだが、経覚の視点と比較することで本人の慎重な性格や大和国支配層としての現実的な目線を再評価出来るとした点も画期的だと思う。
私個人としてはそもそも応仁の乱への理解が浅かったため、その概観理解に大いに役立った。また理解を妨げる原因の一つでもあるいわゆる「ぐだぐだ感」も、実際には各勢力がそれぞれ発生を抑制、発生後も収束に向けて尽力したがそれらが裏目に出て長期化したという経緯を知ると面白い。また応仁の乱の構図を第一次世界大戦になぞらえる筆者の指摘(新興勢力ドイツのイギリスへの挑戦、各国の複雑な合従連衡)も興味深かった。
応仁の乱後室町政権は一時的に立て直しており、戦国時代の契機をその後の明応の政変に求める鈴木良一氏の説は、本書を読むと一定の納得性を得られるように思われた。一方で明応の政変で発生した義稙系と義澄系の分立は、見方を変えれば応仁の乱時の西軍(義巳)と東軍(義政側)の対立構図であり、下位者が上位の権力者を擁立したり廃したりする下剋上の構図(明応の政変における細川政元と義澄)は、応仁の乱の西軍の義視擁立に見られるとする著者の指摘から考えると、応仁の乱は戦国時代的風潮の始まりに強く影響していると考えられる。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
ビジネス・実用
小説・文芸
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用