呉座勇一のレビュー一覧
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室町幕府の権威失墜を招き、戦国時代への道を開いたとされる応仁の乱。何かよくわからないまま始まり、はっきりした決着がつかず終わったような印象だった。本書では、奈良興福寺の二人の僧侶、経覚と尋尊が書き残した日記を軸に、乱の経緯と参加した人々の思惑、それが何をもたらしたかをみてゆく。
乱のきっかけは畠山のお家騒動だが、それも足利義教の恐怖政治が残した禍根と言える。畠山政長と畠山義就の争いとして勃発した御霊合戦において、義就に加勢した山名宗全と、政長を支援するも義政の指示に従って直接の加勢を避けた細川勝元。二人の実力者の対立から、応仁2年に武力衝突が始まった。
東軍の細川勝元と西軍の山名宗全の対立に足利義政が絡む形で乱は推移する。京都だけでなく、領国での争いが戦況を左右する。西軍は山口と北九州の兵を引き連れて西上した大内政弘の入京によって一時優勢になった。しかし朝倉孝景の西軍から東軍への寝返りによって戦局は転換し、結局朝倉は越前を掌握した。講和の機運が高まる中、山名宗全と細川勝元が相次いて死去。あいまいな結末の講和によって乱は終結した。
興福寺は局外から事態を見守りつつも、混迷する大和の状況の中で権益を守るために奔走している。乱後は守護大名の在京制が崩れ、地方を実力で制した者が実験を握る戦国大名の世界へと移っていった。
元々錯綜した経緯を辿っているのでややこしくはあったが、よく整理されていてわかりやすかった。登場人物が多すぎて、時間をかけると誰が何をしたかを忘れてしまう。一気に読んだのでまだなんとかついていけた。 -
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タイトルはおどろおどろしいが、要は日本中世史に蔓延るトンデモ話を1つ1つ丁寧に斬っていこうと言う本である。どこかで聞いたことのある話から存在すら知らなかったもの、果ては部分的に信じていたものまでその内容は多岐にわたる。
大事なことは歴史であろうと情報のアップデートは必要ということ。たとえば頼朝義経初期から不仲説や日野富子悪女説などは30年前に歴史を齧って以降そのままという人は割と信じている可能性が高い。全てのアップデートについて把握することは不可能であるしまたその必要もないのだが、自分の頭の中に刷り込まれた歴史観が絶対ではないということを前提に情報を仕入れた方が良いのだろう。
またトンデモ論に関してある程度存在を把握しておくとともにその特徴を掴んでおくことも肝要だ。「因果関係が単純明快」「完全な反証が作りにくい」物に関してはすぐに飛び付かず、一旦話半分に聞いておいた方が良いだろう。 -
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上手く事が運び、類似事案に直面して「あの時に上手く運んだ」と繰り返して成功する場合が在る。他方に上手く事が運ばず、類似事案に直面して「あの時はうまく運ばなかったから少し考える」ということをして成功に到る場合が在る。
その後者の考え方で、史上の知られるような実績を上げた人物が「敗者」になって行ってしまった経過を考えるのが本書であると思う。
「敗者」とは言え、その名や事績が伝わる成功はしている。それが何故上手く事が運べなかったのだろうかと考えるのが本書だ。非常に興味深い。
本書では源義経、西郷隆盛、山本五十六、明智光秀、石田三成、田沼意次、後鳥羽上皇、織田信長という史上の人物達に纏わる話題を取上げている。何れも「敗者」というイメージが強いということでもない人物達であると見受けられる。一定以上の活躍を知られている。が、最終的に巧く行かなかった面がある。そういう失敗に到った経過を考えるというのが本書なのだ。
「失敗に到る」ということ、「敗者」になって行くことに関して、3つの型を設定している。「現場主義・プレーヤー型」、「サラリーマン社長型」、「オーナー社長型」である。
源義経、西郷隆盛、山本五十六、明智光秀、石田三成、田沼意次、後鳥羽上皇、織田信長という史上の人物達の名を挙げれば、小説やドラマの作中人物として親しんでいようと、何かの本で色々と語られているのを読んでいようと、「昔の偉い人」というような「遠い存在」であることに変わりは無い。が、「現場主義・プレーヤー型」、「サラリーマン社長型」、「オーナー社長型」となると、急に何十倍も身近になる。こういうような類型ということなら、手近に幾らでも居そうで、場合によっては自身が該当する可能性さえ在る。「現場主義・プレーヤー型」、「サラリーマン社長型」、「オーナー社長型」ということで、何かが巧く行く例、巧く行かない例は非常に身近で、著名な史上の人物達が俄かに手近な存在になるかもしれない。
本書で取上げられている様々な時代の多彩な人達を巡る挿話等は本書を是非御覧頂きたい。「現場主義・プレーヤー型」、「サラリーマン社長型」、「オーナー社長型」と類型が設定されているのだが、何れにしても「リーダーシップを取る。または発揮する」ということの難しさは、時代を超えて人のテーマかもしれない。そして色々な意味合いが在るであろうが、「中途半端」では何かが破綻してしまう。そういうような共通項に気付かされる。
歴史というのは、用語や年号を強いられて記憶するという、学校での苦行の類ではない。本書のように、人生の色々を考える材料となるような話しを知って行く「学び」ということなのだと思う。そんなことにも思い至らせてくれる本書は素晴らしいと思う。 -
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名前は知っているがその内実はほとんど知られていない応仁の乱。そのあまりの縦横無尽ぶりに高校の教科書でも概要以外はさじを投げるほどだが、本書ではその応仁の乱を大和国・興福寺・畠山氏の諍いから方程式のように紐解いていく内容となっている。
大元は6代将軍足利義教の短気が尾を引いていること、日野富子と足利義視、細川勝元と山名宗全の関係は義尚誕生時点でも決して悪いものではなかったこと、実質的には勝者のいない泥試合でも形式的には結局どちらの勝ちで終結したのか、応仁の乱は何をもたらして戦国時代に繋がっていったのかなど、視点を変えるだけでこれだけ明瞭になるものかと非常に驚く(ただ、これでもまだ相当に複雑ではあるが…) -
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大河ドラマの副読本として最適!
2022年6月読了。
「鎌倉殿の13人」を見ていて、「これは何処まで史実なの?何処からが創作なの?」と感じることが多く(それだけ三谷幸喜氏の脚本が素晴らしいのだが)、副読本に成るような文献を探していたが、単なる便乗本や執筆年月が古過ぎる本など、色々有って困っていたのだが…、コレは正にドンピシャ!!と膝を打つ良書だった。
当の著者が、そのドラマの歴史考証から外された事は全然知らなかったが、正直視聴者としては史実について教えてくれればそれで良いのだ。
読了後に感じたのは、脚本の三谷氏は「あくまで『吾妻鏡』を原作として書いている」と仰っていたけれど、中々どうして、著者の様な専門の研究者達の新しい考察等も上手くブレンドして、観る者を唸らせる独自の解釈を抽出している事が良く理解出来た。
要するに「一次資料に記載が無い(又は信憑性が著しく低い)部分は、正直誰にも分からないが、整合性の取れる範囲内で一番素晴らしい物語」を目指しているのだなと。
だから、「全てが真実では無いかもしれないが、こういう内幕が実は有ったのかもしれない可能性」を、より多く含んでいるのである。
ハッキリ分からない様な諸説有るような部分でも、それぞれの説を紹介し、各説の妥当性を検討し、「これが事実です!」と軽々に言い切らない所も、本書を読んでいて好感が持てた。文中にも有ったが、「在野の」歴史家さんは結構気軽に言い切っちゃう人が多いですもんね…ww。
この本は、そんな風に今観ているドラマを何倍にも面白くさせてくれる素晴らしい副読本だと思う。
色々事情は有ったのかもしれないが、とにかくこんなに楽しく読めた歴史本は久々でした。ありがとうございました。 -
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題名の「虚像と実像」というのは、史上の人物達に関して、実は“虚像”が創られ、創られた“虚像”も様々な変遷を経て現在に至っているという指摘であり、そういう事柄に「気付いてみるべきではないか?」という内容になっていると思う。
本書では、史上の人物達の中で、様々な形で一際多く取上げられているのが戦国武将であるとし、戦国武将達を巡る人物像が論じられたような経過を色々と掘り下げている。
本書で取上げられているのは、明智光秀、斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉、石田三成、真田信繁(所謂、真田幸村)、徳川家康という人達だ。小説や映画やテレビドラマや、その他にも色々と登場する人物達ばかりで、各々の人に関して「或る程度強いイメージのようなモノ」が在る人物達ばかりを取上げている。
上述の本書で取上げられた戦国時代の武将達だが、何れも江戸時代には既に物語の題材になっている、または伝えられる行動や挿話に関して誰かが論評していて、芝居の題材になって広く様々な人達にも知られていた。内容そのものが興味深い本書なのだが、内容の中で引き合いに出される、江戸時代の文化活動の広さや深さというようなことにも些か驚かされる。そしてそうした諸活動を経て「大衆的な歴史観」というようなもの、史上の人物達の“虚像”が創られたこと、それが明治期以降も変遷を続けたことが説かれているのだ。
「歴史に親しむ」というようなことを言う場合、結局のところは小説や映画やテレビドラマ等に登場する「劇中人物」に親しんでいるというような要素が大きいのかもしれない。そういうことなので、様々な史上の人物達に関して「或る程度強いイメージのようなモノ」とは、「存外に新しい、創作が交るモノ」という面も在るのかもしれない。そしてそういうイメージは、或る時点で創られ、後退してしまい、また誰かが取上げて注目というような変遷も繰り返している訳だ。
本書で取上げられているような人達の歩み、事績、挿話というような事自体が面白い訳だが、その「取上げられ方の変遷」というような事、「大衆的史観」というような事柄も非常に大きなテーマであると考えさせられた。
過去の人物の歩み、事績、挿話というようなことを或る時点で論じようとするのであれば、「論じようとしている時点」で主流な考え方、観方の影響を免れ悪い面も在るのだと思う。故に「取上げられ方の変遷」というような事、「大衆的史観」というような事柄が在る訳なのだ。
自身の場合、所謂「時代モノ」の小説や映画やテレビドラマ等は凄く好きなのだが、「飽くまでも、全体として創作」と受け止めようとする。「史上の人物」がそれらに登場するにしても、「史上の事物をモデルとした、或いは着想を得た劇中人物、作中人物」と考えるようにしようとしている。更に各作品は「興味の幅を広げ、新たな知識を得て行く場合の入口」という程度に考えている。言葉を換えると、「親しんだ作品の魅力的な作中人物に導かれるように、その舞台となっている地域を訪ねてみる、言及が在った文物に触れてみる機会を設ける」ということにでもなるのだと思う。
本書は大変に有意義だと思う。見過ごしてしまうような事柄かもしれないが、実は非常に大切であることを詳しく指摘してくれている。上述の戦国時代の武将達はかなり知られているが、他にも知られた武将達は在るであろうし、色々な時代の「教科書に名前が出ている」という程度に知られている史上の人物達は多く在る訳で、それらを取上げて「シリーズ化」という展開が在っても面白いかもしれない。