呉座勇一のレビュー一覧
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本書は武闘派で過激な一揆より、目立たなくも一般的な交渉のための一揆に主眼を置く。文中で「だろう」「思う」の語尾が多くことから、歴史として解明が難しいジャンルであることが想像される。
中世の一揆を中心に、現代のデモとの相違やsnsとの類似性を指摘しながら、読む者の一揆に対する想像力を深める工夫が多い。また、戦後歴史学がテーゼとした一揆ニアイコール反体制運動という解釈を批判することも、一般的な一揆の輪郭を際立たせている。
公家、武家、寺社、民衆とわずそれぞれの社会が徹底的な階級社会だった時代において、一味神水を経てフラットに同心した集団とは、交渉を求められる側からすれば異形の存在だったことだろ -
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応仁の乱と言えば、無気力な将軍義政に、好戦的な弟義視、狡猾な富子・・・とわかりやすい人物が描かれるのみで、戦闘の主役たちがなぜそのような行動をとったのかの観点で語られることは余りなかった。本書は奈良興福寺のトップ経覚と義尋の記録を基に、乱前の大和争乱から乱後の明応の変あたりまで、登場人物たちの行動を克明に描いていく。何故そのような行動をとったのか、10年もだらだらと戦い続けたのか、というような何故の答えまで用意されている訳ではないが、もうちょっと考えてみると面白い。
思うに、細川勝元も山名宗全も、源平合戦以来の武士の行動原理に従っているが、現代の我々はその後訪れた戦国時代の大名の有り様を知っ -
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元寇から応仁の乱にかけての武士たちの動向を分かりやすく解説しています。
鎌倉時代後期からは戦で武功を立てても新しい土地がある訳ではなく、命を失えば家族が路頭に迷う可能性が高いので、なるべく無駄な戦には出たくない武士が多かった、という解説は、中世の武士たちが現代の人類と何ら変わらない、普通の人間であることが良く分かります。
著者は全編を通じて、マルクス主義的に歴史を見るのではなく、あるがままに中世の武士、民衆を見ようと主張しており、この点も同意できますね。
後、これは著者の責任ではありませんが、当時の武士の名前に偏諱が多いので、少し混乱するところはありました。 -
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蒙古襲来(元寇)から、応仁の乱まで、主に南北朝期を中心に、日本中世の戦争の歴史について、新たな見方を示している。本書の基本的な視点は、従来の歴史学が、階級闘争史観の影響で、中世の武士や民衆を社会の変革主体と位置付け、被支配階級が支配階級に立ち向かう階級闘争として「戦争」を捉えがちだったことへの批判だ。例として、従来、社会の変革主体として高く評価されてきた「悪党」を再検討し、史料に現れる「悪党」は多様で、「悪党」と一括りにできるような集団が存在したわけではなかったと主張している。また、当時の武士は喜び勇んで戦争に出かけて行ったわけではなく、戦の最中も家族を気にかけるなど、戦争に必ずしも積極的でな
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三英傑他の武将の評価の変遷を記述したもの。
呉座先生らしくわかりやすく書かれているが、司馬遼太郎が蘇峰のパクリなどは谷沢永一も書いていたところ。
内容はなるほどねと思ったが、結論のところの、歴史観を教訓にするなは無理でしょう。
普通の生活人は専門書を読んでいる暇はないし、せいぜい大河ドラマと歴史小説が情報源。
だいたい歴史よりスラムダンクを教訓にした方がいいと言うのもどうかと思う。
そりゃ信長がとか、関ヶ原ではとか言った方がかっこいい。
どの国でもその国の大衆史観は偏っているだろうし、正すのは歴史学者の仕事ではないか。
そこは啓蒙書を多く出している呉座先生らしくない、責任逃れのように思えて残念 -
Posted by ブクログ
成功者についてそこから学ぶ類いの本は多いが、失敗にこそより多くの学びがあるというのは本当にその通りだと思う。境遇や幸運に恵まれていたため、それほどの才がなくても成功している人はたくさんいるけれども、単なる偶然だけで失敗した人はそれほど多くない。失敗には必ずその理由があるものだ。
本書はそんな観点から日本史上有名な失敗者についてそれぞれの属性ごとにセグメントしてその失敗の理由を考察している。まあ、特別に新しい見解ではないのだが、失敗から学ぶという意味ではとてもいい本だと思う。「失敗の本質」は重いですが、これはオーディブルでも十分理解できます。