藤岡陽子のレビュー一覧
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小学生が中学受験を決意して、1年間の歩みを描く。自分の受験を思い出してハラハラし、お金と子供の頑張りを天秤にかけている親視点も理解でき、塾講師の仕事面でも気づきがあり…。各章良かったので、ページを捲る手が止まりませんでした。
一生懸命に黙々と取り組んでいる受験生がこの冬、力を発揮できるよう祈っておきたい٩(๑òωó๑)۶
『努力することの確実さを小学生の頃に肌で覚えてほしいと俺は思っている。勉強は努力を学ぶのに一番適した分野だ。』
何か1つでも、新しいことを毎日学ぶように過ごせたらいいなぁ。仕事の分野のこととか、読書から得られる知識、家電の便利機能とかでも。かつて受験のために努力したその延長線上に今いることを改めて噛み締めたいと思う。
2024.12 -
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藤岡さんの小説は好きですが、こちらも良かった。
宮城県の実家に息子を預けて東京で新聞記者として働くシングルマザーの可南子。そして戦力外通告を受けトライアウトに挑戦する深澤。
校閲部から運動部へ移動となり、仙台でのプロ野球12球団合同トライアウトの取材をきっかけに何度か会うようになった2人。恋愛に発展するとかではなく、少しずつ信頼感が増して行く関係性がとても良かった。そして可南子の息子である孝太が良い子過ぎて泣けました。実の父親は野球選手としては一流でも人としては最低。是非深澤のような野球選手になって欲しいな。
実際にテレビでプロ野球選手のトライアウトを扱ったドキュメンタリー番組を見た事があるが、なかなか難しくて、野球しかやったことがないのに一般企業で第2の人生をスタートさせる選手も多い。この小説の深澤のようにプロにこだわり海外に行くというのも選択肢の1つということを知った。
環境も待遇も違う海外に行く深澤と、息子と暮らす為に新聞記者を辞めた可南子の新たなスタートにエールを送りたい。
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プロ野球の合同トライアウト(自由契約になった選手を12球団のスカウトらが見て、復活採用する制度)に、今年も45人の選手が挑戦されました。年々採用される選手が減っているそうです。そのため今のところ、NPB主催によるトライアウトは、来年度以降行われないようです。(後日記載…選手会主催で続行されるようです。)
そんなトライアウトに挑戦した深澤翔介に、取材先で目を奪われた久平可南子。実は、彼の高校時代にも強い印象を受けていました。そしてその後から、仙台に住む親や、預けている息子の一大事で何かと力になってくれたのが、深澤でした。
小説では高齢の親のことや、少年野球をやっている息子の考太のこと、妹がパートナーとして選んだ人のことなど、人生を生きていく上で考えさせられることが、描かれていました。
読み進めながら、ずるい人達に負けないでいてほしいと思いました。また、可南子の不器用ながらも懸命に生きる姿と、考太がまっすぐに育っている様子に家族の協力があってこそのものを感じました。
最後は、「人は気もちがあるかぎり、どこまでも強く挑めるのだ」という言葉そのままの、深澤翔平の今後を応援したい気持ちで一杯になりました。
思わず空を眺めたくなる、読後感のいい小説でした。
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おもしろかった。
「リラの花咲くけものみち」の主人公が学生に対し、こちらは結婚を控えた大人の女性。
どちらの作品も悩み、葛藤しながら自分の生き方を模索する主人公を応援したくなります。
美大を卒業しインテリア会社に勤める美咲と銀行マンの和範。家業の跡継ぎとして帰郷する彼とともに、会社を辞めて彼の実家で同居することになります。
京都独特の文化、婚約者家族の威圧的な態度、これまで知らなかった婚約者の意外な一面を知っていく美咲。
日常の些事にも神経をすり減らし、疎外感、孤独感を増していく毎日。
これは辛い、先が思いやられる…。
そんな苦しさの中、美咲が少しずつ作る楽しさを思い出して、作業に没頭することで息を吹き返していく。やがては広い世界へと泳ぎだす様子に私もすごく嬉しくなった。
読むと、ちょっとお高い一点モノ商品をじっくり見てみたくなります。
美咲と圭太との静かで穏やかな時間が、心地よくて好きでした。
新たな一歩を踏み出す美咲の姿が心に響く。
ほぼ一気読みでした。
『行きたい場所にはロケットのようにまっすぐ飛んでいき、興味があることはとにかくなんでもやってみた。正解も成功も成果も気にしない。なにか新しいことを始める基準は一つ。自分が楽しんでいるか、わくわくしているかどうか。』
『運は信用に値する人間のもとにしか訪れません。あなたがこれまで運が良かったというのであれば、それはあなたが周りの人に信用されていたからですよ』 -
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藤岡作品としては今回作風の色合いが他と違っている感がしましたし、描かれた時代が明治なので文化や価値観に戸惑いながら読み始めました。
が、やはり稀代のストーリーテーラー。
いつの間にか物語に引き摺り込まれてしまいました。
どの作品も共通して言えますが、藤岡作品はこの引き込まれる感覚がとても心地良いのです。
随所に伏線が散りばめられていてどれを深掘りしても一つ一つのエピソードが面白くワクワクさせてくれますが、物語が果てしなく長くなってしまうのでページ数の関係で収束させた感も否めません。
そういう意味でも2時間程度の映画ではなくて朝ドラの原作になり得た作品だったとおもいます。 -
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主人公の「澤木ひかり」は教員生活5年目で、新たに水枝小学校へ赴任することになった。
前に勤めていた小学校の先輩教諭から「水枝小学校は大変だよ」と言われていたが、何が大変なのか具体的には教えて貰えなかった。
これまでは低学年、中学年の担任になった経験は4年間あるのだが、水枝小学校では6年生の担任を任される。
そして先輩が言っていた大変さに直面することになるのだが、孤軍奮闘の様相で、子供たちは勿論、親や上司たる校長・副校長とも対峙することになる。
『 空にピース 』は小学校の教育現場を舞台にして綴られているが、今の日本が抱えている社会問題ここに集積しているように思えた。
学校への不登校、度を越した考えのモンスターペアレント、児童虐待、ネグレクト、外国人児童への教育、そして貧困と暴力など、社会の縮図が水枝小学校を通して問題提起されていた。
まだ若い「澤木ひかり」教諭に立ち塞がる諸問題に対し、怯むことなく持ち前の正義感と使命感でなんとか解決しようと立ち向かう姿勢に胸を打たれた。 -
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最初は重くて気が滅入る…と思っていたが徐々に好転。心に残るセリフもあった。
自分の人生のダイジェストを辿った時に、必ずその場にいる人間が家族。確かにそうだと思ったしそうでありたい。そう思うと少し優しい気持ちになれる気がする。
以下は沁みた部分の引用。
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「家族になった人間とは、いろんな局面を共有できる凄さがあるぞ。人生においてこれ以上嬉しいことないっていう局面 とか、これ以上ないっていう悲しい局面とか。自分の人生のダイジェストを辿った時に、必ずその場にいる人間ってのは貴重だぞ」
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もしかすると、苦しみの量というのは、誰にも一定なのではないだろうかと。幼い頃に母親を失った優子の苦しみ、若くして妻を失った信一の苦し み、高齢の両親が離婚した香織の苦しみ・・・・・・。苦しみのない人生などなくて、貧困や病気や介護や孤独や不妊や育児・・・・・・人には言わないけれど、人の前では笑っているけれど、その人にしかわからない苦しみが存在する。自分はその苦しみがこれまで少なかったのかもしれない。だから今少し、その苦しみがやってきたような気がする。
でも、幸せの量は一定ではないのだと確信している。幸せは自分しだいで増やせるものだと聡子は気づいた。
「不幸せの量はみんな同じ。幸せの量はその人それぞれ」 -
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日本赤十字社から戦地に派遣された従軍看護婦も、戦争末期のフィリピンの惨状も知らなかった私だったが、本書を読むに当たって、あまり影響がないと思われたのは(勿論、これを読んで興味を持つことはあると思うが)、本書で教えてくれる大切なことは、また別のところにあったからだと感じられたからである。
平成生まれの看護師、「高橋紗穂」が夜勤中に見舞われた地震によって意識が遠退き、気が付いたら、1944年のマニラの地で倒れており、彼女の意識は紗穂のままであったが、その身体は、つい先程まで看護していた「雪野サエ」のものであり、当初紗穂は、何故こんなことになってしまったのかと悲嘆し、早く元の世界に還りたいことばかりを願っていたが、その心境は戦地に於ける青春時代を約一年間共にした、日赤救護班の仲間たちと生きることによって、少しずつ変わっていった、それは当たり前のことができることの幸せであった。
『そばにいる人が生きていて、ご飯を食べて話をして歩いて笑って。そんな当たり前のことがこんなに嬉しいということを、私は教えてもらった』
そして、そんな幸せを現代人の彼女が噛み締めることで、如何に戦争が愚かで悲しいものなのかを、より実感させられた、それは命も心も粗末にすることなんだと思う。
『自分は命が産まれる手伝いをする看護婦だ。だから、命を簡単に懸ける戦争を決して許さない』
日赤救護班看護婦は、目の前にいるすべての傷病者を救護するよう教えられており、そこには性別も年齢も国籍も関係ない、そんな彼女たちだからこそ実感できることもあり、時には『看病した兵隊が敵を殺せば、あなたたちが殺したのと同じ(一部、言葉づかいを変えています)』や、『看護婦っていっても戦争の加担者』などと、理不尽な事を言われることもあったが、それでも当時の、『私たちは求められてここにいる』ことを誇りに、できることをやりながらも、心のどこかでは誰が起こしたのか分からないものに、召集令状の紙切れ一枚で派遣されて、巻き込まれることへの虚しさも抱いていた。
しかし、そうした思いは決して口には出さずに、心の内に留めたままにしていたのは、周りの仲間たちのみならず、当時の風潮でもあった『国のために尽くすつもり』で、命は二の次であることを、まるで美徳のように捉えていた時代的背景が確固として立ちはだかっているからであったのだが、そうした、『弟のために死のうと考えていた』から、やがては『弟のために生きて帰りたい』という心境へと奇跡的に変化していくことで、戦争の虚しさと命のありがたみを教えてくれた、そうした当時の時勢からはまずあり得ないような、ある意味、痛快で爽やかな思いを引き出させてくれたのは、平成の時代からタイムスリップしてきた、紗穂のおかげなのである。
『いまの自分の唯一の武器は、この戦争の終わりを知っていること』
本書に感じられた、戦争を描いた小説としての独特さは、まずここにあり、過去にタイムスリップした人間が歴史を変えるような大活躍をするというのは、割とあると思うが、ここでの紗穂は、平成生まれならではの常識や価値観を身に付けているので、当時の人達からすれば、『あなたの常識は、私たちが持っているものとは違う』といった不思議な人となり、それが却って、物語を面白くも痛快なものにしている一方で、そんな彼女の当時とは違った常識に、皆が憧れを抱いていく展開に考えさせられるものもあったが、かといって、歴史は大きく変わるわけではない、寧ろ、とてもささやかな一人一人の命を繫ぎ止めるような役割ではあるが、実はそれこそがとても大切なのだという、至極、現実的な視点で描いていることに、私は女性ならではの慈しみを感じられ、それは、一気に形勢逆転して勝利を収めるようなすっきりする話でもなく、とことんリアルで凄惨な描写をしかと見ろ的な話でも無いということである。
『命を生み出し、そして育むのに、女たちがどれほどの時間と力を費やすのかを、男は知らない』
そして、そんな眼差しは上記の言葉からも感じられるように、女性側から見た男が引き起こした戦争といった一面を持ちながらも、そこにくどさを感じさせないのは、300ページ以上ある本書を書き上げた藤岡陽子さんの、丹念に紡ぎ上げながらも、どこか軽やかで爽やかな雰囲気を持つ文章力にあるのだと感じながら、別に男性蔑視の視点ではない、寧ろ、それぞれを平等に眺めている姿に好感を持ちつつ、目を覆いたくなる場面もありながら、上空を飛ぶ敵機よりも体を這う虫の恐怖に気をとられていた描写が表れるのには、やはり女性でないと書けない奥ゆかしさがあるようで、そこに戦争を描いた小説として、もう一つの独特さがあったことに、もしかしたら、これが藤岡陽子さんの作品の魅力なのかもしれないと感じられた、どんなに苦難を伴う時代に於いても、それは紛れもなく彼女たちにとって、かけがえのない青春の日々であったのだ。
そうした魅力は、平成からやって来た紗穂も、当時のサエの仲間たちも、お互いに教えられることがあったことに、それぞれの時代性を考えさせるものがありながら、もう一つ、女性的な眼差しの素晴らしさを取り上げなければならないのが、斎藤美奈子さんの解説にもあった、タイトルについてである。
このタイトルを見た瞬間、私はすぐにある曲を頭に思い浮かべたのだが(世代なので)、まさか本当にそれだとは思わなかった上に、歌詞についても新たな発見があったのが今更のように嬉しくて、この曲が恋人に向けたそれじゃ無かったことを、本書で初めて知った。
『昔みたいに 雨が降れば 川底に
沈む橋越えて』
特に上記の部分は、物語の展開とも相俟って心打たれるものがあり、また、これが1944年のマニラで歌われているというのが、なんとも不思議な感覚でありながら、なんて清々しい光景なんだろうと感じられて、特に皆で黙々と険しい山道を歩む中で、ふと誰かが歌い出した瞬間、堰を切ったように、次々とそれに続けとばかり、皆の声が重なり合って、やがては一つの大きな感情を伴った力に変わる、歌には、そんな皆の心をまとめ上げる叙情的高揚感がありながら、これを従軍看護婦たちがやっていることに、また違った感慨を抱かせるようで、当時の戦争の状況も正確に分からず、時折現れる敵機の影に怯えながら、食べ物もろくに無い中を、漠然とした目標に向かって歩まざるを得なかった彼女たちの心境を、まるで慮ったような温かみのある『if』の物語には、女性だからこそ書ける、そんな眼差しの必要性を証明するのに充分なのではないかと感じさせる程の、その軽やかさに、私は未来の可能性を見た思いがした。