岡本隆司のレビュー一覧
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・「いまの日本で、どんな職業・地位のものであれ、中国のことをまったく知らずに自由にふるまってよい、というのは軽率に失する」
というようなことがこの本のあとがきにあって、いやはやごもっとも、
と考えてしまうほど、日を追うごとに日本に差す中国の影がどんどん大きくなっています。
・「伝統」経済とは、つまり中国独自の社会趨勢や経済観に依拠した弾力的な構造であり、
すなわち根本的に、中国人の価値観・行動原理に深く根刺しています。
そしてそれはやはり、現代の中国人のなかにも脈々とうけつがれているようです(別の本も合わせて読んだ感想ですが…)
・どうして日本と中国は違うのか?という些細な問いにヒントをくれたような気もします。 -
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著者の岡本隆司氏は、中国近代史を専門とする歴史学者。
我々日本人にとって一見不可解な中国(人)の思考・発言・行動に通底している論理について、「いわゆる理屈のこね方・論理のパターンは、一朝一夕にはできあがらない。時間をかけて身に染みついた、いわば歴史的な所産である。目前にあらわれる言動から観察するより、論理の形成過程にそって考えるほうが、中国の謎の理解にたどりつく捷径になると信じる」と述べる著者が、歴史的なアプローチによって考察したものである。そうした意味では、社会・政治・国際関係の根底にある考え方を軸に見た、中国の古代から現代までの通史にもなっている。
著者は、その根本を貫いているものを以下のような二元構造の論理であるとする。
◆時間観念(歴史認識)においては、“正しい”方法・筋道に従った政権授受の経過・系譜を示す「正統」と、そうではない「僭偽」の二元構造。政権授受の“正しい”方法・道筋とは、「天」から「天下」を治めるよう「命」を受ける、即ち「天命」を受けることであるが、事実上は、勝ち残った者が政権を握ることになって、「天命」得たことになる。その「正統」を記録し後世に伝えるものが「史書」・「史学」であり、実情からかけ離れたものであったとしても、それを用いてでしか、歴史事実を認識・考察・記述できないのが中国の歴史の論理なのである。
◆社会構成においては、エリートである「士(=官)」と非エリートである「庶(=民)」の二層構造であり、その二層を分けるのは儒教が最も重視する「礼」の有無である。科挙の制度はこの構造を強めるものではあったが、両者それぞれの内容、互いの距離・関係は時代によって必ずしも同じではなかった。
◆世界秩序(空間認識)においては、「華」(=中、中華、中国、華夏)と「夷」(=蛮、戎、狄、外夷、四夷、四裔、蛮夷、夷狄)の二重構造。もともとは単なる土俗的・習俗的な自他認識・差別意識に過ぎなかったものを、理論・倫理的に自他を納得させる動機から、「礼」の有無という儒教の教義を持ち込んで分別したと考えられる。
そして、そうした「中国の論理」は、19世紀に西洋近代に直面したことにより、まず「世界秩序」の論理において相克と破綻をきたし、抗日戦争における総動員体制の中、「社会構成」も徐々に崩れ始めたとはいえ、長い歴史が培ってきた「中国の論理」は依然維持され、我々はかくて今も、中国の「歴史認識」や「空間認識」と向き合わざるを得ないと結んでいる。
地理的に近く歴史的なつながりも強いにもかかわらず、理解し難い「中国(人)の論理」を解き明かした良書である。
(2016年9月了) -
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100年前の1914/5/9袁世凱政権は対華21ヶ条要求を受け入れた。袁世凱はこの弱腰な態度に加えその翌年に自ら皇帝になろうとしたことなどから中国でも嫌われている。著者の岡本氏にしてから「まだ若いころ、少し知って、嫌いになり、立ち入って調べて、いよいよ嫌いになった。」と述べている。
当時の日本から見た一般的な袁世凱の見方はこうだ。辛亥革命で清から寝返り中華民国の臨時大統領となり要求を受け入れながら、その日を国恥記念日に指定し排日運動を裏でけしかけた信義なき俗物と。ではなぜそんな人物が皇帝に即位するところまで登りつめたのか。その時代背景を描写しながら、「日本人こぞって嫌中の時代である。嫌いなのは自由だが、嫌いなものをほんとうに嫌うべきか知るためにも、接してみなくてはならない。」と現代の日中関係に何か役に立てばと言う思いで書かれている。その中国人の一典型である袁を描いた結果はやはり嫌いなままだそうだ。
袁は科挙に3度落ちたところで早々と21歳で諦めた、名家の子弟としては出世を諦めるかなり思い切った決断だった。養父のコネで李鴻章の淮軍に入り、手下の有力武将呉長慶が率いる山東省登州の慶軍の参謀になる。挑戦で壬午変乱が起きた際まず先発隊として派遣されたのがこの登州部隊だった。この際袁は清朝側代表の馬建忠と呉長慶の連絡役だったらしい。
同じく進軍した貧弱な日本軍との交渉で属国の朝鮮に賠償金を払わせてまで講話をすることは無かったと馬を罵ったのが袁である。実態は呉と馬の主導権争いだったようだが。馬は失脚し朝鮮は相変わらず安定せず、改革派が起こしたクーデターの甲申政変を自ら1500の部隊を率いて王宮を攻め、国王を奪取したのが袁世凱の出世のきっかけとなった。
日清戦争が始まるまでの約10年「総理朝鮮交渉通商事宜」と言う朝鮮の対外交渉窓口となり、朝鮮に対する高圧的な政策を進めた。要するに朝鮮と外国に清国の威厳を見せつけるという役割だ。そして何とか朝鮮が清国の属国であることを認めさせようとしかけた。袁のミスは東学運動につけ込み出兵した際に日本軍は国内がまとまらず派兵できないと読んだことだ。日清戦争のきっかけを作ったのも袁なのだ。
清国末期には中央政府の力が弱まり、地方政府の独自性が増していた。ここに列強による勢力争いも重なり、権力構造はさらに変わりだす。改革派が西洋を規範にした日本モデルを取り入れ科挙を廃止し新しい学校制度を作り、中央と地方の重複する役職を廃止しようとした。これを進めたのが光緒帝である。
日清戦争で李鴻章の影響力が弱まると、一度つまづいた袁は軍事と外交のトップであった栄禄に近づき庇護を受けた。するとこんどは光緒帝が袁を抱き込みにかかる。未だに影響力を持つ西太后と西太后の影響で天津の直隷総督に赴任した栄に対するクーデターを起こそうとしたのだ。このときは袁が栄に報告し西太后が光緒帝から権力を取り上げた。
民衆の中からは排外、攘夷の機運が高まり太平天国や義和団などの軍事化した結社が生まれていく。対抗して西太后の北京政府は直轄軍を抱え、袁は宰相格の栄に変わりまず天津総督を代行し、ついで山東省を任された。袁の主張は義和団を制圧し外交を重視することだったが、義和団が北京周辺で外国兵と衝突しだすと西太后はついに列強に宣戦した。結果は惨敗だったが。ここでも義和団の本拠地山東省を任された袁の責任は重いはずだ。しかし失脚した栄に変わり袁が直隷総督、北洋大臣を継ぐ。ついに中国最強軍を率いるところまで登りつめたのだ。そして日露戦争後には軍事・外交のトップになった。
ここまでの袁はミスはあっても後世の悪評を受けるほどではない。所詮は清国内の権力闘争でどちらについたかでしかない。問題はこの後辛亥革命で各省が独立した際に共和制を目指す孫文に対し立憲制であれば良しと判断し、真の皇帝を排し新たな立憲君主として自らがついには皇帝になろうとしたところだろう。国のあり方を変えようとした孫文に対し、衣だけ変えれば良いとした袁、しかし現代の中国は袁世凱の系列にあるようにしか見えない。 -
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日中関係が難しい局面にある現在において、過去の日中関係を振り返り、中国に対する「完全な認識」を得ようとすることは意義あることであると思われる。その点で、本書は、古代から近代までの日中関係の歴史を大局的に把握できる良書である。ただし、本書ではあえて1920年代以降の日中関係に触れていないので、その部分は他書による補完が必要である。
本書によると、日本と中国は地理的に近く、要所要所では関係を取り結んでいたものの、基本的にずっと疎遠な関係が続いていた。また、「政冷経熱」という現今の現象は、日中関係の長い歴史に一貫したモチーフにほかならず、政治と経済が噛み合わないのが歴史的な構造だったという。江戸時代以降、「漢語化」ともいえる中国文物の土着化・日本化が起こるが、漢文訓読体により理解することにより、本当の意味で中国を理解することにはならず、かえって脱中国が進んだ(日清戦争以降に日本を学びに来た中国人にも同じ構造がみられる)という指摘が印象に残った。 -
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明・清・中華民国期の経済・政治空間の有り様を描く。「官」と「民」の乖離。その橋渡しをする郷紳と彼らが中心となった中間団体。この存在にスポットをあてて、近代中国社会の動きをとらえようとする。著者によれば、「官」の力の及ばない「民」の世界が、欧米や日本より大きいのが中国の特徴、とのこと。それを大きく変えたのが毛沢東による革命、との評価。ならば、やはり毛沢東時代に、経済・政治空間が具体的にどのように変わっていったのか、そして改革開放後のそれがまたどう変わったのか。そここそ知りたくなる。(現代の中国社会が、単に毛沢東以前に戻ったわけではもちろんないだろう)。著者による続刊を望む。
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朝鮮と清朝の関係は陸続きで国境を接しているだけに微妙である。隣国とはいえ我が国と両国との関係とは大差がある。
朝鮮王朝が清朝に対していかに苦労したかが見えるようにわかった。「属国自主」を掲げ、朝鮮は清に対して儀礼的朝貢はする「属国」であるが、政治的には「自主」であることを貫こうとする。それに対し清は徐々に干渉を強めていく。そしてそこに日本が介入しなければならなくなっていく。
教科書では教えてくれない、日清戦争へ向かう経緯などがよくわかり、近代の日清韓関係を知るのにとても良い著作だと思った。また、この手の著作は偏向する傾向があるらしいが、本著は大変中立的立場で書かれていると思われた。 -
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岡本隆司『李鴻章』(岩波新書 1340)
李鴻章の伝記的な本。
知っているようで知らない(二人目 笑)李鴻章の本です。
日本の近現代史を勉強していると、否が応でも目に入ってくる人ですが、どういう人物なのかはまったくといっていいほど知りませんでした。
日中近代史を少し囓った事もあり、新書なのでちょうどいいと思って手に取りましたがなかなかいい本でした。
なるほど、李鴻章は古い時代の比較的新しい人間といったところでしょうか、袁世凱なんかは古い時代の新しい人間ですが。
陸奥に「大した事はない」と言われ、小村に「でくの坊」と言われた残念なイメージしかありませんでしたが(…)随分と印象が変わりました。
日本と違って外交との境界が陸地にあり、なおかつ領土が広く人口も多い(勿論民族も日本とは比較にならないくらい多種多様)の清国ではできる事も限られてくる…その中で李鴻章は限られた選択肢の中から随分最善を尽くしているように感じます。
それでもやはり、日清戦争は失敗だったんでしょうね…結局これが清国の崩壊に一気に拍車をかけたような気もしないでもないですから…^^;
幕末幕府内でもそうですが、旧体制の中にも逸材はかなりいるものなんですよね、東洋のビスマルクとはよく言ったものです。
しかし伊藤も東洋のビスマルクと呼ばれていたとは…そして勝に「李鴻章の方がもててるじゃん」とか言われてしまう伊藤…(笑) -
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●内容
・京都府立大准教授の歴史家による評伝
・李鴻章は清代末期の中国の政治家で、外交と海防の実力者。
著者はかれを“落日の孤臣”とし、中央の西太后による院政「垂簾聴政」と、地方軍閥への権限委譲「督撫 重権」を噛み合わせ、安定に導いたと評価。一方で、彼が権勢を失うにしたがって、中央と地方との対立が激化したとする。
●感想
・ドラマにもなった、浅田次郎『蒼穹の昴』にも登場する”かっこいい爺さん”
英雄史観で李鴻章の個人スキルに注目するより、社会情勢と絡めて「そうせざるを得なかった」と冷静な評価を行なっており、さすが学者の著作!な雰囲気。
・師匠の曽国藩が「大功を立てすぎては返って身の危険を招く」として引退せざるを得なかったのに対して、李鴻章は70を超えても使い回される「大物」となっていた。もはや国内で争う余裕もなくなっていた背景が窺える。
部下の袁世凱は清朝崩壊後に「中華民国大総統」となるが、この処し方は曽国藩―李鴻章ラインの功臣マインドとはかなり異なる。それもまた情勢のためなのかもしれないが、是非著者による袁世凱の評伝を読んでみたい。