岡本隆司のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
20290901-0914 中国の歴史書を史記から清史に至るまで概略を解説。著者の語り口がとても良い。まるで講義を受講しているようであった。一つの王朝が終わるとそれを継ぐ王朝がその継続性を正当化するためにも前代の王朝の歴史を書くということか。だとしたら,清帝国を継承するのは中華民国(台湾)?それとも中華人民共和国?現在の中国は「王朝」ではないので、そのような観点で歴史書を作成する必然性はないのだろうか。対して我が国は、東大史料編纂所で史料編纂を行っているという。これは「国史」を作成しているということなのだろうか。1000年くらいいわゆる「史書」を作成していなかったのだから、気の遠くなる作業だよ
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歴代王朝がかつての王朝の史書を或いは編纂し、或いは私撰を公認するのは何故か?
一般にはかつての王朝を最終的には否定する事より現王朝を肯定する為、という。
それは第一義なのだろうが、そのロジックが洗練され、又、印刷技術の進歩等により自然史書が長大化すると、ごく一部の研究者を除いて誰も原本を通読しなくなる。
一方、史記や漢書、(後漢書、ここは括弧書き)三國志といった初期の正史群は荒々しい筆致で分量も限られる分、一定以上の通読者を生み出し続ける。
正統性を追求するか、著者の歴史信念を追及するか、中国史学研究は面白い。
ジュンク堂書店近鉄あべのハルカス店にて購入。 -
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近代中国史は、それ自体としてだけでなく「なぜ、こうなってしまったのか」という視点から見ると面白い。
本書では、西洋列強(と日本)と中国の明暗を分けることとなった、19世紀の「大分岐」について、経済史家らしく構造的要因から分析がなされる。
「因俗而治」「貯水池連鎖モデル」「督撫重権」などのキーワードから、高校世界史では見えてこなかった清朝の立体的な姿がわかる。
明清時代についての類書や、ちくま新書の『近代中国史』など岡本先生の他著は読んでいないため比較はできないが、明末清初から康熙雍正乾隆にかけての国内史の記述が特に興味深かった。康熙帝と雍正帝についての碩学・宮崎市定の評価など、コンパクトに -
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国民国家が善で、帝国が悪という考え方は、スターウォーズや宇宙戦艦ヤマトなどの帝国の考え方も影響しているのでしょうか。
かって戦前は日本も大日本帝国と呼ばれていたけど、それはかってのローマ帝国や漢や清朝の様な帝国とは異なる。
帝国は多様な民主や文化を許容し、それを一つにまとめる存在。一方で、現代の中国のように、自らの考え方ややり方を押し付ける国も存在する。
民主主義国家と呼ばれたドイツもナチスの様な政党を生み出す。確かに、国民主権が正義とは限らない。
アメリカも帝国主義と呼ぶ人がいるのは、必要以上に多くのことに介入したと思えば、自国ファーストに拘る部分があり、多様に世界を混乱させた部分があ -
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主に中国とイギリスを中心とした「帝国」をキーワードに、アヘン戦争以降の近現代史を概観している。
「帝国」と一口に言っても時代や地域によってその性質はさまざまである。清朝やオスマン帝国などの専制君主型は多民族を包摂し、緩やかに支配する旧来型の帝国。19世紀に登場した国民国家型は大英帝国をはじめとする植民地帝国。第二次世界大戦後の冷戦期における米ソ両国は皇帝が存在せず帝国主義を否定するがその行動は帝国的である。冷戦終結後、国民国家化、民主主義化の進まない現在の中国やロシアといった権威主義国家もまた帝国的である。
全体を通して、「帝国」を悪だとひとくくりに理解するのではなくそれぞれの「帝国」の歴史 -
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帝国を視点に、近現代史を捉える本。岡本隆司先生の本を読んだ事があったので、この本を買ってみた。
対談形式の読みやすさがあったけど、内容は多分深い(後書きにも筆者二人の自信が表れていた)。
一番新鮮だったのは、清朝が元々ウルトラチープガバメントであり、人口増大しても財政・行政規模を拡大せず、秘密結社のような中間団体が増加した結果、アヘン流通を止められなかった、という、清朝側の社会構造にも言及していた点だった。広大な領土を統治する上で、近代以前の帝国は、ある程度地方の習慣・制度を温存するしかなく、清朝の姿勢も必然だったのかもしれない(それでも、人口増加に合わせて改革を怠っていたのは、清朝政府の怠慢 -
匿名
購入済み下敷きにあるのは梅棹忠夫の『文明の生態史観』で、それを近年の学説からさらに強化して説明したような本かなと思いました。政治・軍事に優る遊牧民と経済に優る農耕民の接触や相剋が一見全く異なる文明に見える中国やオリエント(今の中東から東地中海世界)の共通点で、確かにこの辺りはテュルク系やモンゴル系の遊牧騎馬民族が度々侵入しては既存の国家を壊して新たな王朝をたてるということが繰り返されていることが分かります。その集大成がモンゴル帝国で中央アジアやモンゴル高原をベースに中国、イラン、今のロシアやウクライナのあたりを征服し、大帝国を作り上げました。
ポストモンゴル時代に入ると中国では明の後をモンゴル勢力の力 -
購入済み
中国を好きな人でも嫌いな人でも日本と中国が多くのものを共有し、あるいはかつて日本が多くのものを中国から学んだことは否定しない。漢字はその最たる例だし、仮名も漢字から派生したものだ。仏教もその起源はインドにあるけれど漢籍仏教を受容した。儒教の中でも特に朱子学は江戸時代には支配的だった。本書を読むとしかしそれでも歴史上大部分の時期において日本と中国は政治的に疎遠だったことが分かる。
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中国史において長らく政治の中心であった北方「中原」に対し、それとは気候風土がまったく異なる中で経済文化が発展してきた南方「江南」に焦点を当て、中国史を描きなおす。
北方と比べ日本とも関わりの深い江南から見た中国史ということで勉強になった。
現在の中国共産党政権は「1つの中国」を強調しているが、中国が北と南で相互に影響を与えながらも全然異なる道を歩んできており、そして江南の中でも地域ごとの個性があるということがよく理解でき、中国の多元性を感じさせられた。朱子学や陽明学の発祥の地であったり、孫文や毛沢東などの近現代の重要政治家を多く輩出していたりなど、江南が中国史に大きな足跡を残してきたということ -
Posted by ブクログ
隋唐から中華民国までの「中華帝国」史上、ほぼ同じ時代ごとに6組の「対」、12名の「悪党」というべき人物を取り上げ、その「悪党」ぶりを検討し、それぞれの人物像を描きなおすとともに、「中華帝国」を構成する時代相の見直しも試みる。具体的に取り上げられる「悪党」は、唐の太宗、安禄山、馮道、後周の世宗、王安石、朱子、永楽帝、万暦帝、王陽明、李卓吾、康有為、梁啓超である。
著者らしい格調高い文章で、一般にはあまり知られていないような人物を含め、それぞれの時代を代表する「悪党」から「中華帝国」の歴史の全体像が浮かび上がる好著である。「悪党」といいつつ、取り上げられるそれぞれの人物に対する著者の眼差しにはいず -
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漢民族の目は概して北に向いていた。太古の長城の時代からソ連との対立の時代まで。
しかしソ連は解体し、ロシアもライバルからパートナーへと力が落ちて来た(=中国が強大化した)事により、ここ30年の間にすっかり南方(江南)が中華となった感がある。沿岸部の経済発展然り、香港・澳門の返還然り、台湾への攻勢然り。
そして今その目は海に向かい日本やフィリピン、一帯一路にまで向かっている。その膨張をどう歯止めをかけるのか、そういう所に思いを馳せた一冊だった。
江南の地位が低く見られていたのは、中国が政治に重く経済に軽かったから。経済に比べ政治のプレゼンスが低かった江南はどうしてもそう見られがちだった。
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多くの日本人が知らない中国の歴史 広大なユーラシア大陸の中で背景の異なる多くの民族が混在してきた中国の歴史。
ペルシア、トルコ、北方の遊牧民族ら「夷敵」と漢民族とのせめぎあいの中での領土争い。圧巻だったのはモンゴル帝国による中国支配。強勢を誇ったが、残念ながらその後寒冷化とペストの流行で元は衰退していき、その後は明、清と移るなかで中央官僚と地方の人々とが絶望的に乖離していった。国は「中華思想」という、世界の中では裸の王様的な論理に基づいて、プライド高く官僚のための政治を行い、民は国をあてにせず自らの利益を求める。比較すると日本が官民一体に見える程だが、やはり日本も中国の文化を取り入れた結果か、 -
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中国の歌やゲームで江南を題材にしたものがあり、江南は特別な場所であるという認識をしていた。江南だけに焦点を本は日本には少ないと個人的に思っていたため、本著にとても興味があった。
結果的にやはり、中公新書のこの著者の本は、一般大衆向けではないように感じた。まあそれは当然のことかもしれない。中国の首都は北京で北方が主であることから、北がメジャーで、南がマイナー。江南は中国の南方の歴史なので、そもそも扱っている題材が一般大衆向けではないのか...?
この本で一番良かったのは、最後について来る江南の歴史 関連年表だった。空白部分も多いが、分かりやすくまとまっていた。江南を中国の南方とかなり広範囲と