岡本隆司のレビュー一覧
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【そんな百年,中国の思考・発言・行動は,目まぐるしい転変をくりかえした。けれどもその経過を貫いていたのは,中国の言動を根底で枠づける社会構造,論理枠組の本質が,いかに変わらなかったか,という事実ではなかろうか】(文中より引用)
思考の枠から中国を紐解いてみようという中国入門書。史書や科挙といったキーワードを元にしながら,いかにして中国が思考し,現実と直面したかを概観していきます。著者は,京都府立大学で教授を務め,近代アジア史を専攻している岡本隆司。
大枠で中国という存在を捉えるのにうってつけの作品かと。しかもそれが平易な言葉で記されているというところがまた高評価を与えたくなる点。中国の論理を提示しながらも,必ずしもその通りに現実は動いていないという点を指摘していることもまた重要に感じられました。
帯が強烈ですが☆5つ -
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岩波新書のシリーズ中国の歴史全5巻の完結編は、岡本隆司氏の「「中国」の形成 現代への展望」。扱われるのは、清代を中心に現代まで。
16世紀から18世紀までの時代は最近流行のグローバル・ヒストリーでいう「大分岐」の時代に当たるが、著者はグローバル・ヒストリー学説に対しては、「アジアを端から異質で、落伍していた存在とみていた従前とちがって、確かに新しい。西欧中心史観の非を悟りはじめた西洋人なりの反省なのだろう」と一定の評価(?)を与えつつ、しかし、「経済指標に目を奪われるあまり、社会構成・統治体制のあり方に対する洞察に乏しいことがあげられよう」(pp.viii〜ix)と述べる。
17世紀幕開けに混沌としたカオス状態であった東アジア世界が18世紀になるとすべて清朝に合流、しかし、そこに朝貢体制や華夷秩序を当てはめても治まるものではものではなかった(それをやろうとして失敗したのが明)。本書では多元的なアジア世界を清朝がどのように秩序立てようとしたのかを「因俗而治」という概念で捉える。それをイメージで示しているのが、45ページの図11である。
さて明末清初の社会を批判した学者に黄宗羲や顧炎武がいる。顧炎武は官僚制の硬直化・矮小化を指摘し、「盛世には小官が多く、衰世には大官が多い」と批判した。実地に庶民・社会と接して行政にあたるのがここで言われている「小官」である。官吏の不正・非違を監察する「大官」ばかりが増えている世の中は「衰世」なのだ(p.58)。
清朝ははたしてどうだったのか。「第三章 二 経済」「三 社会」と清朝の経済社会発展(乾隆帝時代は緩やかなインフレで経済は大発展を遂げる)の様子が描写される。しかし「四 分岐」で「私法・民法・商法の領域・民間の社会経済に、権力が介入できたかどうか。西は是であり、東は非だった。そこに『分岐』の核心がある」(p.99)と著者は断じている。「世界史上、そうした制度(*ヒックスのいうような公権力・国家による「規則」)を創出できたのは、イギリスのいわゆる「財政=軍事国家」であり、私見ではイギリス・西欧にしか、そうしたシステムは発祥、ひいては発達、完成することがかなわなかった」(p.98)なのである。
本書はこうして「大分岐」の核心を、中国の統治原理・社会構造の歴史的変遷から見事に喝破している。第四章の「近代」、そして現在の習近平体制まで筆が及ぶ第五章「中国」、「おわりに」まではそうした中国社会の基本原理が貫徹している。
「歴史をたどれば、そんな「一体」の「中華民族」は存在したことがない。かつて存在しなかったものをもとにもどす、回復させることはありえないから、「復興」もやはり現実ではない、「夢」だということになる」(p.192)。
※巻末主要参考文献の最後で著者は「人文学とりわけ歴史学は、新しい研究成果ほどよい、依拠するに足る、というわけではない」と述べつつ、「東アジアに関わるグローバル・ヒストリーに代表される英語圏の所説は、その典型といってもよい」とトドメを刺している。 -
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磯田道史さんの「無私の日本人」を読んでいて、1808年のフェートン号事件の段階で、佐賀藩は鎖国当時からして「捨て足軽」という戦術を採用しようとしていたことを読んで驚かされた。英軍艦との圧倒的戦力差を知り、爆弾を体に巻き付けてみんなで自爆しようというどう考えても「神風特攻隊」の源流となる戦法である。磯田道史さんの「無私の日本人」や「武士の家計簿」には日本の官僚的責任回避の意思決定法(意図的に誰が最終決断しかわからないようにするたらい回し政策)が数百年に渡って根付いたものだと感じさせられ、数百年に渡って染み付いた「歴史の重み」は今の日本人にも多大なる影響を与えていると思うようになった。「捨て足軽」は英軍艦と鎖国幕府の圧倒的戦力差から生じた作戦であるが、現代の爆弾テロを連想させるがどこの国でも圧倒的戦力差があったら必ずそういった戦法になってしまう訳ではないようにも感じる。
ノーマン・オーラーの「ヒトラーとドラッグ:第三帝国における薬物依存」には終戦間際のアドルフ・ヒトラーの本人の望まぬドラッグ漬けとその地獄のような状況に圧倒されるが、ドイツが開発した「超強力覚せい剤(ごちゃまぜカクテル)」の使用を前提とした寝そべったまま四日五晩寝ずに魚雷を打ち込みに行く嘘みたいな非人道的最終兵器でさえ、「打ったら帰ってくる」ことが前提とされていた。実際は1/3程度しか戻ってこれなかったそうであるが、鴻上尚史さんの「不死身の特攻兵」に見るように特攻隊が生きて帰ってきた際に「何故おめおめと生きて恥を晒しに帰ってきた」と殴りつける日本軍とは随分な距離を感じる。
私はどうやら数百年に渡って染み付いた変えられない「歴史の重み」というものを軽んじていたのではないか?ではお隣の大陸「中国」では変えられない「歴史の重み」とはどういうものだろうと考え読み始めたのが本書である。ズバリ「中華思想」とはどういった中国の歴史から合理的・必然的に染み付いた「歴史の重み」であるのか、私達は私達の現代の価値観でそれをやや軽視しているのではないかと読んだ次第である。
実際本書を読んでみるに、私達はお互いに「境」「属」「領」に関する価値観が共通するという思い込みはほどほどにしなければいけないと感じた。そこでは十分な説得力を持つ正に世界の中心足る古来からの「中」と蹂躙された近代の「中国」を知ることになる。そこには大いに日本が関わり、関わられれている。相当部分に現代経済・現代政治というよりも著者の専門である長期的な歴史を重きに置いた分析で、とても興味深かった。私達はお互いが共通の理念と価値観で行動しているとは思い込みすぎてはいけないし、目指すべき「進歩」の先が共通であるとも思い込んではいけないと感じた。 -
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東洋史家の手になる「アジア史から一望」した世界史概説書である。
学校教育以来、西洋史中心の世界史に馴染みが深い私にとっては、大変新鮮な視座を提供してくれる快著だった。
近年、世界史のトレンドとして「グローバル・ヒストリー」の名の下に、西洋史家も自分たちの西洋中心史観を反省して、アジア史にも目配せした世界史の構築に勤しんでいる。
著者自身も、人類全体の歴史を構想しようというその姿勢自体は歓迎なのであろう。しかし、著者に言わせると、グローバル・ヒストリーの担い手たちは、あくまで西洋史の成果から脱却できていらず東洋史の成果を顧みもしないで、間違った分析ばかりしている、とかなりお怒り。その偏向を正すために、東洋史から見た世界史というテーマで本書をものしたとのこと。
さて、本書は全体の2/3を占める18世紀頃までのアジア史の展開と、その後主導権を奪取することになる西洋の近代史と、最後に本書の論調に照らし合わせた日本史の性格、の3部から構成されていると言える。
18世紀頃まで、世界史の中心はアジアにあったとの論旨は大変興味深い。その歴史的構造は「遊牧=騎馬民族=軍事・機動力」とその周縁の「定住=農耕民族=商業」との二元構造に立脚している。この両者が相互に利用しあい、繁栄を築いていくプロセスが、徐々に洗練されていきモンゴル帝国にて頂点に達する過程と整理されている。この視点で、モンゴル帝国分裂後のアジア各地の政権も、遊牧民族国家が生み出した統治構造に立脚していたという整理されており、学校教育ではどうしても一つのまとまりとして頭に残らなかったアジア史に、一本縦糸が通った気分。
一方、この時期までのヨーロッパは、世界史の周縁でしかなかった。
では何故、騎馬遊牧帝国が築いた文明のプレゼンスがその後低下していったのか。
機動力の主役が馬から船に移ったからである。
この画期を成したのは、西洋のいわゆる「大航海時代」である。先進地域アジアの物品の貿易で富を貯めこんだイタリアにルネサンスが起こり、それが大航海時代に繋がり、新大陸を発見するに至る。
そこで得た莫大な富を官民挙げて投資に回し、海洋帝国を築き上げ、洗練していき、遂には産業革命を達成し、圧倒的な物量を持ってアジアと地位を逆転していく。
西欧(特にイギリス)にてこの展開を可能ならしめたのは「法の支配」を前提とした「信用」に基づく金融の発展の影響が大である。
アジアでは、18世紀までにまさにアジアを発展せしめた多文化・多民族による多元的構造こそが、統一的な「法の支配」や「信用」の発展の妨げとなったという。
アジアが覇権を築いていた同時期に、西洋は暗黒時代とされた中世を経験していたが、支配者と被支配者が近い距離で関係を保つ「封建制」こそ、後の官民一致の帝国形成の基礎となったとする点は非常に面白い。
またこのような東洋と西洋の歴史的展開を見たうえで日本史を振り返ると、東洋的な要素はほぼ見受けられず、西洋に近い展開を経てきていると読み取れる。
グローバル・ヒストリーを志す当の日本人がこのことを見落としており、東洋史家の著者は、まだまだ東洋史家の自分の仕事に終わりは来ないとして。本書を結ぶ。
その他、気候変動を歴史展開の重要な要因としている点も興味深かった。
浅学ゆえ本書の記述の正確性などは全く分からないけど、新たな世界史の視座を与えてくれて、興味の広がる一冊だった。 -
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近年,グローバル・ヒストリーなるものが流行っているが,それに対する違和感をずっと抱いてきた。本書は,この西洋中心史観を脱却して生態環境など世界に共通する対象・問題を積極的に取り込み,世界史を描こうとする,最近学界で流行している方法であるグローバル・ヒストリーを「その視座・概念やデータの蒐集・使用などは,まったく西洋史の基準・方法そのままであって,それを無前提・無媒介・無批判に拡げただけである」と厳しく批判し,アジア史の個別的史実から歴史像を組み立てなければならないし,そうあるべきだと主張している。まさに同感である。
新書というコンパクトな書物の中で世界のダイナミックな動きを明快に描き出す筆力とぶれない論理構成の力には脱帽せざるを得ないが,一般読者にも比較的平易に読み通せる一冊だと思う。梅棹地図(文明の生態史観)も本書の叙述構成のひとつの柱になっていることにも注目したい。 -
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隣国中国の「論理」を理解するためには、歴史に学ばなければならないが、日本人の中国に対する歴史認識には心許ない部分がある。本書は中国の「論理」を、謎の国・中国の「史学」(儒教と史書という大枠)、社会と政治(士と庶の分別)、世界観と世界秩序(天下と華夷)という視角から定位を試み、そして「近代の到来」、「「革命」の世紀」と直近の歴史を分析する。
Ⅰ〜Ⅲ章が基礎編、Ⅳ章、Ⅴ章が応用編と言っても良いだろう。コンパクトかつ平易にまとまっていて学ぶところが多い。とくに近代に入って「西洋の衝撃」を受けてからの中国知識人の「附会(こじつけ)」の論理は、康有為 → 梁啓超 → 陳独秀へと明快に整理されており、わかりやすかった。 -
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Ⅰ.ステージ、Ⅱ.アクター、Ⅲ.パフォーマンス、Ⅳ.モダニゼーション の四部構成で中国社会の環境、社会構造、そして明清代の「伝統経済」の実態、最後になぜ中国の近代化がヨーロッパや日本と異なる形になっていき、今日の中国社会を形成していったかについての展望が示される。
全体を通じて「官と民」、「士と庶」に分断された「二重構造」が中国社会の大きな特徴をなし、同時に「地域」ごとのアウタルキーと地域間における決済通貨の重要性、さらにその通貨が外国貿易と結びついたときの変容がクリアかつシャープに叙述されている。
現代の中国を理解する上でも「経済史」の視点が非常に重要なのである。 -
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清代、清末の中国を知らねば、現代の中国を理解することは不可能である。そして、その時代の巨人、李鴻章その人を知ることは、東アジアの近代を理解するに不可欠である。本書は新書というコンパクトな書物ながら、この李鴻章という知られざる巨人の生涯を辿りながら、中国が近代化の道を歩み始めた19世紀後半の東アジア世界を描き出す。
李鴻章はエリート官僚である。清朝の最盛期であれば、出世はしたであろうが、平凡な人生を歩んだかもしれない。しかし、時代はそれを許さなかった。外国勢力と渡り合いながら、洋務運動を推し進め、淮軍を率いて太平天国の乱を平定した。近代国家を官民一体となって進める日本をいち早く警戒しつつも、日清戦争で敗れた。著者は、「1880年代に李鴻章の舵取りを支えてきた、対内的・対外的な政治・軍事・外交すべての条件が、この一戦で失われたのである」(179ページ)と述べる。
日清戦争における李鴻章の敗北(そして、その後の露清提携)は、その後の東アジア史を大きく規定していった。 -
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東洋史の岡本先生と西洋史の君塚先生との対談の第二弾。君主をテーマに、古代から現代までの歴史を語る。
東洋と西洋での、共通点(最初期の君主は自然や宗教などの超自然的な裏付けが必要である点など)や相違点(覆いかぶさる存在として、西洋はキリスト教で中国は儒教・漢文である点など)を、大局的な視点から話し合われていた。こういう語り合いができる事こそが、歴史の楽しみの1番の醍醐味なんだと思った。(自分もそういう極地に達したいし、そういう歴史仲間が欲しいが、おそらく無理か。)
漢字が表意文字で非常に優れており、中国の官僚制度も優れていたが故に、統一が保たれて19世紀まで世界のトップに君臨できていたが、逆にキリスト教が完璧ではなく、十字軍の失敗・ペストの流行などからキリスト教の権威が失墜したことで、ヨーロッパの分立・競走の促進が生じ、19世紀にヨーロッパが逆転した、という事か?(これは本文を参考に個人的に至った考えだが)。宗教改革時のラテン語から各国語への翻訳が固有のアイデンティティを生んだ、という点は、その後の国民国家誕生にとって重要なんだと思った。
対話形式の読みやすさがあり、東洋・西洋を比べながら進行する事で理解しやすくなっていると思う。岡本先生と君塚先生の両先生だからこその、良い対談本だった。第三弾も希望。