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無学で無節操な裏切り者の「陰険な権力者」と,日本でも中国でも悪評ばかりの袁世凱.しかし,なぜそんな人物が激動の時代に勢力をひろげ,最高権力者にのぼりつめ,皇帝に即位すらできたのか.褒貶さだまらぬ袁世凱の生涯を,複雑きわまりない中国のありようを映し出す「鑑」として描きだす.
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Posted by ブクログ
袁世凱 現代中国の出発 著:岡本 隆司 岩波新書 新赤版1531 清末の奸雄、袁世凱の一生を記した書。 河南省の名家に生まれた、袁世凱は、科挙の暗記中心の受験には不向きで、軍人を目指すことになります。 官僚の世界では、科挙にうかって、任官をすることを、正途、そうせずに官界に入ることを、雑途といっ...続きを読むています。つまり、袁世凱は雑途、裏口のルートを目指したのでした。 当時李鴻章が義勇軍淮軍をもって治安の維持を図っていました。同郷のよしみで、袁世凱は、李鴻章の軍に入隊します 日本との関係、1870年代から清と日本の衝突を繰り返していた。琉球問題と、台湾出兵で戦争寸前にまで至ります 壬午変乱 1882 に朝鮮の旧軍が暴動を起こし、韓国政府の要人が殺される事件が発生します。 そのときに、暴動が日本人と日本大使館を含めて死傷者がでました 日本は、朝鮮の地政学的に重要地とみていて軍隊を含めた使節を派遣し、朝鮮政府に交渉をはじめた。 一方、清も、朝鮮の宗主国として、軍を派遣して、ソウルに向かう。このことが後の日清戦争のきっかけになっています。 甲申政変 1884 に朝鮮政府の中の改革派が、大院君を拉致し、日本の勢力を背景として政変を起こした これに対して、清軍も出兵、国王を奪取した清軍が、日本人遺留民40名を凌辱、虐殺した 1885 李鴻章と伊藤博文の間に、天津条約が締結 朝鮮に影響力を残したい清と、朝鮮進出をもくろむ日本との立場が明確になった その後、朝鮮は、ロシアの勢力へ協力を得ようと変わっていく 一方、清は、袁世凱を朝鮮に派遣して、朝鮮の内政外交に干渉させようとしている、すなわち、朝鮮が清の属国であることを立証しようとつとめていた 1894 東学党の乱が発生し、袁世凱が率いる清軍はこれを鎮圧した、しかし、日本が在外公館の保護を名目にしてソウルに出兵してきた。袁世凱は、朝鮮政府と日本政府の間で調整しようとしていたが、うまくいかなかった。これが、日清戦争の原因である 日本軍はその後南下し、中国軍とぶつかった。李鴻章ひきいる清軍である。結果は日本の圧勝、李鴻章は淮軍の責任者から解任され、北洋大臣を免ぜられた 袁世凱はその後、李鴻章の後継として、淮軍を立てなおすことになる。北洋軍閥の中心となったのである 当時清朝政府には、日本との戦争にまけたことから、日本との関係を見直して、日本のやり方を採り入れようという動きが現れた。これを変法という。変法とは、日本をモデルにした変革運動をいう 変法の推進者が、光緒帝を担いで、西大后を幽閉する計画とたてる、袁世凱にも要請がくるが、西大后を動かしてこれを阻止する。ここで、袁世凱は裏切り者というレッテルが張られることとなる この時期、義和団がおこる。これは、外敵を打ち払い本来の中国に戻そうという、中国の尊皇攘夷運動である しかし、その勢力拡大を恐れた、清政府は列強と協調して、袁世凱に義和団を弾圧させた その後、空席になっていた北洋大臣に、袁世凱が就任する。袁世凱は新たに連れて来た2万の兵をもって、義和団の残党の掃討戦を行った。 その後、7万以上に増えた兵力を北京の南・北、保定、長春、天津、済南に分けて都市を警護した。 北洋六鎮といい、当時の中国の最強軍である 光緒帝、西大后の崩御の後、清は立憲君主制をめざした 義和団以降、信用が地に落ちた清からは、各省が独立を宣言するようになっていく。それを取りまとめていたのが中華民国の孫文である 構図は、北洋六鎮の袁世凱と、中華民国の孫文の対立であった。軍事的には袁世凱が有利であったが、両者は武漢で停戦協定が結ばれ、清政府は反乱各省との交渉権を袁世凱にゆだねた。 こうしたなかで、清は、袁世凱+孫文の新しい勢力に禅譲する形で、その歴史は終わる。これが辛亥革命である。最後の宣統帝は、廃帝となる。ここでも、袁世凱は、寡婦と幼児をあざむいて政権を奪取した悪人としての評価を受けている。 もともと、袁世凱には政治的な理念もなく、清の政策延長上で、統治を続けていたため、第2革命、第3革命が発生する。 中国は、清の延長としての国家のあり方ではなく、新しい形態でのを国家をあり方をめざしていたからである。 目次 はじめに 袁世凱と日本人 第一章 朝鮮 第二章 台頭 第三章 北洋 第四章 革命 第五章 皇帝 おわりに 袁世凱とその時代 あとがき 参考文献 袁世凱略年譜 索引 ISBN:9784004315315 出版社:岩波書店 判型:新書 ページ数:240ページ 定価:780円(本体) 2015年02月20日第1刷
袁世凱のイメージが変わった。確かにこれまでのイメージは幼稚な見方だという気がする。 あと、文体がとても好き。
辛亥革命で清を裏切り臨時総統となる節操のない権謀術数、俗物政治家というのが当時の日本人が持った袁世凱のイメージ。梟雄、マキャベリストという印象を持たれる。 清朝の名門出身。科挙は受からず。軍で朝鮮半島の反乱壬午変乱の鎮圧に従事。 西太后が死に宣統帝溥儀即位後、軍政から放逐される。辛亥革命で各省が独立...続きを読むした混乱した中、北京政府の内閣総理大臣に就任。孫文率いる南京政府から、溥儀の退位を条件に臨時大総統の地位を譲り受ける。ここに清朝は滅亡する。政権の簒奪と見る向きが強かった。 皇帝に即位したがすぐ撤回し、後死んだ。
反革命、皇帝を僭称したと何かと嫌われる袁世凱。彼の再評価 の動きもあるようだ。 北洋軍の一員から始まり、朝鮮、天津とキャリアを積み上げていく。北洋軍の軍事力を背景に李鴻章に代わる実力者としてキャステイングボートを握る立場までのし上がる。ただ、清末・共和国草創期の混乱からすれば彼もまた時代の波に飲まれ...続きを読むる一人だったということか。
袁世凱という人物については当然あまり良い印象がなかったのだが、この本を読んで好き嫌いは別に中国現代史の「鑑」であることがよくわかった。つまり、本書は袁世凱その人の評伝というよりは、袁世凱を通じて見た激動の中国現代史の本であり、非常に面白い本だということ。勉強になった。 2箇所、キャスティングボート...続きを読むと書かねばならないところがキャスティングボードになっていた。よくある間違いだが、ちょっといただけない。
100年前の1914/5/9袁世凱政権は対華21ヶ条要求を受け入れた。袁世凱はこの弱腰な態度に加えその翌年に自ら皇帝になろうとしたことなどから中国でも嫌われている。著者の岡本氏にしてから「まだ若いころ、少し知って、嫌いになり、立ち入って調べて、いよいよ嫌いになった。」と述べている。 当時の日本から...続きを読む見た一般的な袁世凱の見方はこうだ。辛亥革命で清から寝返り中華民国の臨時大統領となり要求を受け入れながら、その日を国恥記念日に指定し排日運動を裏でけしかけた信義なき俗物と。ではなぜそんな人物が皇帝に即位するところまで登りつめたのか。その時代背景を描写しながら、「日本人こぞって嫌中の時代である。嫌いなのは自由だが、嫌いなものをほんとうに嫌うべきか知るためにも、接してみなくてはならない。」と現代の日中関係に何か役に立てばと言う思いで書かれている。その中国人の一典型である袁を描いた結果はやはり嫌いなままだそうだ。 袁は科挙に3度落ちたところで早々と21歳で諦めた、名家の子弟としては出世を諦めるかなり思い切った決断だった。養父のコネで李鴻章の淮軍に入り、手下の有力武将呉長慶が率いる山東省登州の慶軍の参謀になる。挑戦で壬午変乱が起きた際まず先発隊として派遣されたのがこの登州部隊だった。この際袁は清朝側代表の馬建忠と呉長慶の連絡役だったらしい。 同じく進軍した貧弱な日本軍との交渉で属国の朝鮮に賠償金を払わせてまで講話をすることは無かったと馬を罵ったのが袁である。実態は呉と馬の主導権争いだったようだが。馬は失脚し朝鮮は相変わらず安定せず、改革派が起こしたクーデターの甲申政変を自ら1500の部隊を率いて王宮を攻め、国王を奪取したのが袁世凱の出世のきっかけとなった。 日清戦争が始まるまでの約10年「総理朝鮮交渉通商事宜」と言う朝鮮の対外交渉窓口となり、朝鮮に対する高圧的な政策を進めた。要するに朝鮮と外国に清国の威厳を見せつけるという役割だ。そして何とか朝鮮が清国の属国であることを認めさせようとしかけた。袁のミスは東学運動につけ込み出兵した際に日本軍は国内がまとまらず派兵できないと読んだことだ。日清戦争のきっかけを作ったのも袁なのだ。 清国末期には中央政府の力が弱まり、地方政府の独自性が増していた。ここに列強による勢力争いも重なり、権力構造はさらに変わりだす。改革派が西洋を規範にした日本モデルを取り入れ科挙を廃止し新しい学校制度を作り、中央と地方の重複する役職を廃止しようとした。これを進めたのが光緒帝である。 日清戦争で李鴻章の影響力が弱まると、一度つまづいた袁は軍事と外交のトップであった栄禄に近づき庇護を受けた。するとこんどは光緒帝が袁を抱き込みにかかる。未だに影響力を持つ西太后と西太后の影響で天津の直隷総督に赴任した栄に対するクーデターを起こそうとしたのだ。このときは袁が栄に報告し西太后が光緒帝から権力を取り上げた。 民衆の中からは排外、攘夷の機運が高まり太平天国や義和団などの軍事化した結社が生まれていく。対抗して西太后の北京政府は直轄軍を抱え、袁は宰相格の栄に変わりまず天津総督を代行し、ついで山東省を任された。袁の主張は義和団を制圧し外交を重視することだったが、義和団が北京周辺で外国兵と衝突しだすと西太后はついに列強に宣戦した。結果は惨敗だったが。ここでも義和団の本拠地山東省を任された袁の責任は重いはずだ。しかし失脚した栄に変わり袁が直隷総督、北洋大臣を継ぐ。ついに中国最強軍を率いるところまで登りつめたのだ。そして日露戦争後には軍事・外交のトップになった。 ここまでの袁はミスはあっても後世の悪評を受けるほどではない。所詮は清国内の権力闘争でどちらについたかでしかない。問題はこの後辛亥革命で各省が独立した際に共和制を目指す孫文に対し立憲制であれば良しと判断し、真の皇帝を排し新たな立憲君主として自らがついには皇帝になろうとしたところだろう。国のあり方を変えようとした孫文に対し、衣だけ変えれば良いとした袁、しかし現代の中国は袁世凱の系列にあるようにしか見えない。
袁世凱というと、辛亥革命の結果を簒奪したということぐらいの知識しかありませんでしたが、彼がどのようにしてその権力を握るに至ったかの過程を知ることが出来て面白かったです。 もう少し、袁世凱という人物の性格まで掘り下げて知りたかったという点でマイナス1点ですが、新書という形式上これ以上のページ数は難しい...続きを読むというところもあり、致し方ないところですかね。
袁世凱を通した清末民国初期史として非常に秀逸。文章も格調高い。中国での中央と地方のせめぎ合いという現代にもつながる問題がよくわかった。ただ、実直な官僚だったという著者の指摘にはうなずくものの、袁世凱自身が結局どういう人物だったのかというのはあまりよく伝わってこなかったという読後感ももった。
中国近代史について何も知らなかったことに愕然とした。現代の中国と日本の関係の根っこにあるこの時代の両国の出来事をなぜこれほどまでに無関心で無知であったのか。
気を見るに敏な人物であったということか。 あまり知らない中国現代史ですから、袁世凱の悪い評判もよく知らなかったのですが、著者の嫌悪感はきっと、信念を貫く・・・という姿勢が袁世凱にはないからなのでしょうか。
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