岡本隆司のレビュー一覧
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シリーズ最終巻。
明清交代を経て、以降清朝は最大の版図を獲得し、中華民国を経て、現在の中華人民共和国へと繋がっていく。
中国の度々の王朝交代を見てきたから、明清交代もそういうものかと思ってきたが、著者は言う、明清交代は、よく考えてみれば、奇蹟ともいえる。明朝は、当時の東アジアで圧倒的な大国であり、人口を比較しただけでも、清朝は1億人の明朝の1%にも満たないし、経済・文化は明朝が凌駕していた。明末の政権、組織がよほど疲弊、頽廃していたわけで、李自成等流賊を鎮圧できなかったのも、その現れである。(確かに!)
明朝の衰退は、明朝の取った朝貢一元体制が、北虜南倭に示される多元勢力との相剋を解消できなかったことにあり、その解消が清朝の歴史的役割だったとする。
本書は、個々の事件史的記述は最少に留め、藩部に対する統治の基本姿勢「因俗而治」、交易についての互市、商品や貨幣の流通、官民、中間団体等社会構成の仕組み、等についてコンパクトな説明をしてくれており、清朝体制の基本的仕組みが非常に分かりやすく整理されている。
そして、アヘン戦争に代表される西洋列強の進出に対する反作用として、「領土主権」の考え方が出てきて、新疆、モンゴル、チベットへの支配を強化する動きとなった。その後、清朝時代は倒れるが、民国、人民共和国を経て、正に現代史の問題となっている訳である。
現代に繋がるアクチュアルな問題を考えさせられる、歴史を学ぶ醍醐味を味わえる一冊である。
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現代中国を理解するためには歴史理解が不可欠であるという観点から、沖縄領有権の主張の根拠、「反日」の起源、権力と腐敗の構造、国内の民族対立問題、そして最後に「「失敗の研究」としての日清戦争」などが論じられる。個人的には中国社会とテクノロジーとの相性の悪さを論じた部分(p.139-148)およびそれに関連した第Ⅲ章。
あと江戸時代に日本が儒教精神を身に付けようとしたが、アレルギー反応を起こして西洋文明に乗り換えたという指摘も重要か。日本経済思想史では江戸時代の儒教の影響を大きく考えすぎなところがあって、違和感を覚えていたが、中国史の専門家からそう言われるとなるほどと思う。 -
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ユーラシアでは、農耕をしながら定住する湿潤地域の人々と、草原を移動しつつ牧畜をする乾燥地域の人々で二分された。
→この人々が混じり合う場所で、文明が発達した。
また、文明が発達し、人々が交流すると契約が生じる→文字の出現
中華とは、中心地、センターの意味。その外には朝貢国がいて、外側に行くにつれて程度の低い野蛮人、「外夷」がいる。
秦の始皇帝の後に成立した漢では、西の匈奴により絶えず圧力をかけられていたが、武帝の時代に匈奴に勝利。その後、平和の時代が訪れる。シルクロードの最東端である漢(和帝)と、最西端であるローマ(トラヤヌス帝)は同時期に平和を享受した。
寒冷化が進み、北の遊牧地では草が取れなくなる→民族が南へ大移動をする。
中国での都市形態はもともと内城外郭であったが、寒冷化により城が狙われるようになると、白の外に村を作って暮らしだす。
→政治(城)と経済(村)が分地、小さな地域に分裂することになる。これが五胡十六国時代の礎。
中国は戦争と統一を繰り返していると思われがちだが、もともと地域ブロックが明確であり、利害調整が難しく、各地で戦争が起きていた。→複合的、多元的な社会を実現した。また、軍隊が政治的な力を持ち、貴族に支えられ、下の者を強制的に働かせるという政治・社会制度は共通していた。
隋の時代になり、中原を統一。首都を長安と洛陽に置く。南方の経済力、北方の軍事力。
唐の時代、李世民という名君が統治。仏教という価値観の共有も相まって遊牧民と農耕民と融合するレベルで南北の統合を図った。思想界、宗教界でもとても多元的だった。
8~9世紀にかけ、唐は解体に向かうが、その理由は、中央アジアがイスラーム化し始め、小国が分立し始めた。また、温暖化し、ウイグル人が東から西に移動し始めた結果、モンゴル系・ツングース系の狩猟民族が力を持つようになった。
唐宋変革:唐と宋の時代の間で起きた大きな社会変動
①エネルギーが木材から石炭になり、金属生産が増える。
②土木、農業技術の進歩により、低湿地の水田化と人口増大
③貨幣経済の開始
④貨幣の発達による商業発展。(税システム)
⑤都市化の発展。城郭の無いところにマーケットができ、それが商業都市化する。
このときには各地が各名産品をその気候風土の中で作っていたため、多元化・多様性があった。それがバラバラにならないよう、君主独裁という中央集権制を取った。
→隣接する契丹、西夏にも、対等の交際をし、攻め込まれないように上手く政治を行っていた。
→社会が圧倒的に豊かになった。今の中国文化のベースになったのもこの時代。
モンゴルが異様に発達した理由…騎馬の強さもあるが、支配した地域をそれまでの生活を続けさせたこともある。また、ウイグル人という商人集団が、モンゴルの軍隊とともに商業経営を拡大する。水先案内人のように征服する地を導いていた。
モンゴルでは銀との兌換紙幣の流通、塩の専売化による税収の確保など、かなり発展した商業金融が行われていた。
元寇も、征服ではなく商業圏の拡大を意図して日本にやってきた説がある。
しかし、世界全体の寒冷化によって、農作物が不作になり経済が崩壊、モンゴル帝国は滅亡していく。
明の出発は、まだ域内に残っていたモンゴル帝国の影響を払拭し、多元的な社会を中華と外夷に分離、漢民族だけの王朝を目指した。
そのため、貿易は鎖国、取引したい国は朝貢だけ認めた。朝貢の結果明国内での売買取引が認められる、という制度。
また、江南デルタ周辺で農業、綿、生糸栽培が発達。明朝は現物主義のため、貨幣が存在しなかったので、大量の銀が中国に流れ込み、中国の木綿や絹が世界に輸出された。しかし、当面鎖国体制を敷いていたため、密貿易が横行。政府と民間の行いが乖離し始める。
清朝では、明朝の官民乖離がそのまま量的拡大した。
清朝の前身は、リャオトン地域で満州人が建国したアイシン国。モンゴルと似ていた。
清朝は、今までの「華夷思想」を、「華夷一家」にあらため、満州人、漢人、モンゴル人、チベット、ムスリム一体の政権を作ろうとした。
貿易を容認する。中国は、大々的に小さい政府であり、人口が爆発的に増加しても、政府は何も対応を取ろうとしなかった。
→各地で特産品を海外に輸出したり、地域に応じた背策を個別に打ち出した。しかし、欧米列強の台頭により、国が一丸とならなければ駄目になり、「中国」と名乗り、国民国家化を目指す。
日清、日露戦争後、海岸地域を日本帝国に奪われる。→毛沢東が共産主義を掲げ、農村から革命を起こす。
→日中戦争で日本が敗北すると、中央政府に蒋介石が戻ってくるが、農村の労働者の支持を得た毛沢東に敗北、台湾に逃げる。
その後鄧小平が改革開放政策を打ち出すも、富裕層と農村の「上下の格差」は、今日に至るまで解消されてない。
中国の歴史は、バラバラな民族と社会が存在する中、いかに秩序を保って共存を図るか?という腐心の歴史であった。近代の時の「国民国家」を見習ったが、単一構造的な社会ではない中国には難しい。宗教でまとまるか、共産主義でまとまるか、社会も信仰も違う国々が、一つになろうとする歴史は今日でも繰り返されている。 -
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日中・日韓の摩擦は歴史問題が絡むだけに難しいものだが、戦後70年以上たっても未だ尾を引いている現状を見るにつけ、外交論理のみではなく国民文化の違いに眼を向けざるを得ないと思っていたが、本書はそこをわかりやすく教えてくれている。
一般向けの新書にしてはちょっと文章が硬い様にも思えるが、中韓の国民論理が納得は出来なくともそれなりに理解できたように思えた。
本書は、歴史をどう読み解くのかという「歴史学」のエッセンスを堪能させてくれる。あまりみかけないだけに新鮮で、もとがコラムをまとめたものと知り、納得の思いをもった。
本書で着目したのは「考える視座」という論点である。異文化である他国との軋轢を、正当性で見るのではなく「考える」ことが重要との論旨には何事も単純化したくなる昨今の私たちに対する厳しい警告とも思えた。 -
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歴史的アプローチから、一筋縄ではいかない中国の「論理」、すなわち理屈のこね方を考察。
本書の中で特に、中国が西洋化を受け入れる過程においてみられた「附会」という「論理」の指摘が、初めて知ったことで、非常に興味深かった。「附会」とはひらたくいえば「こじつけ」の意味であり、西洋が中国と「異なる」とすれば、それは(中国より)「劣る」ことと同義なので、西洋に倣うのは論外になってしまうため、西洋のすぐれた部分は、「異なる」のではなく、つとに中国の古代・古典に存在したものだと、附会する・こじつけることで、西洋かを正当化しようという論理であるという。
なかなか掴みどころがなく、御しがたい、やっかいな隣国である中国を、歴史的・構造的に理解するための端緒となる良著である。 -
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いま現在の中国理解を深めるためにも、困難な日中関係に苦悩し、中国をみつめつづけた(近代日本の)先人たちがどう中国を認識してきたかを探ってみることが重要との問題意識から、石橋湛山、矢野仁一、内藤湖南、橘樸、谷川道雄などを取り上げ、その著作を引用紹介しつつ、彼らの中国観を批判的に検討している。
石橋湛山や橘樸、戦後の時代区分論争に関わった東洋史学者など多くの近代日本人は、「中国の政治・社会を西洋・日本と同一視したうえで、西洋を基準として対比する」形で中国を認識しており、「「中国社会の構造を論ずることができ」ない「近代主義」・西洋思想で中国に向きあって」いたと批判し、中国に対する内在的な理解を試みていた矢野仁一内藤湖南を一定再評価しつつ、「中国とその社会、そのしくみと動きを、借り物の思想・概念で断ずるのではなく、自分の目でじっくり、しっかりみつめてゆくこと」が必要と結論している。
現在の日本人として中国をどう理解・認識すべきかということのヒントを得られるとともに、東洋史学史の優れた入門ともなっている良書であると感じた。 -
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中国史を専門とする学者による近代中国史についてまとめたもの。緻密な研究に基づく詳細な記述がなされている。特に統治や経済のシステムの分析は詳しく、説得力がある。極めて論理的かつ学術的な良書。
「(日本に比べれば)中国は行政上の都市化率がはるかに低い。つまり権力のコントロールがゆきとどいていないのである」p50
「現代中国の歳入規模は、日本円に換算しておよそ90兆円、税収がその9割をしめる。GDPに大差のない日本では、税収は37兆円くらい。政府組織の差異や公債の発行を考慮に入れていないので、厳密な比較にならないものの、納税負担は中国が倍以上大きい計算である」p59
「(モース)中国の官僚は、自己の保存、および自分の同僚、上司、部下の生存のためだけに存在しているといえる」p80
「(イギリスは)ランカシャーの綿工業が興隆してくると、原料の綿花をはじめ、アメリカからいよいよ多くの輸入に依存しなければならない。アメリカもイギリスと同じく、中国茶の購入者であったので、アメリカに対するイギリスの支払いも、アヘン輸出の黒字でまかなえるような貿易構造とし、最終的な決済をロンドンの国際金融市場に集約させるグローバルな規模の多角的決済網をつくりあげた。いわゆる世界経済の形成にほかならない。これをイギリスと中国という場に限ってみると、イギリスの産業革命が進めば進むほど、より多くのアヘンが中国に流れ込む、という現象を呈する。アヘン貿易がなくなったら、産業革命のイギリス経済のみならず、世界経済もたちゆかなくなる可能性もある。そこにアヘン戦争が起こらざるを得ない必然性があった」p190
「アヘンを持ち込み、売りつけたのは、確かにイギリスである。しかし中国には、その禁制品を欲する社会的需要と禁じ得ない政治的構造とがそなわっており、政府権力がいかに禁じても、その禁止令を骨抜きにしてしまう厖大、強力な受け入れ態勢が民間会社にあった。くりかえし禁止令を発したにもかかわらず、実現できなかったのは、政府当局が取り締まる有効な手段を持たなかったからである。それは民間の経済活動に対する権力の不干渉という清朝統治の体質に根ざしていた」p192