南直哉のレビュー一覧

  • 苦しくて切ないすべての人たちへ(新潮新書)

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    両親ともに教師の家庭で育ち、有名大学の学生時代は引きこもって、道元禅師の『正法眼蔵』とハイデガーの『存在と時間』を読みふけり、大学にいかない生活をいっとき送るも有名企業に就職。その後出家。若僧の頃には永平寺のダースベイダーと呼ばれ、2005年に恐山菩提寺院代、霊泉寺住職となった南直哉(みなみ・じきさい)さんのエッセイ集。

    私にはタイトルがストレートで少し抵抗があったが、南さんも「抵抗があった」と、『はじめに』に書かれている。連載時のタイトルは『坊さんらしく、ない』。どちらも編集者の方の発案だそう。
    現タイトルは、ほんとうに弱ってるひとがふらふらと本屋をさまよってるところに目につきやすいように

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    2024年06月21日
  • 苦しくて切ないすべての人たちへ(新潮新書)

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    興味をもっている場所の禅僧の話を読むことができて、よかったです。自分のことなのに自分でコントロールが難しいことと付き合っていくのは苦しいですが、踏ん張っていきたいです。

    そしていつか恐山に行ってみたいと思いま。

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    2024年06月19日
  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

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    何かで著者の南直哉さんという方を知って読んだ。
    極々真っ当なことが書かれている。
    曹洞宗で出家得度されたそう。

    禅がどう、という話より、一歩も二歩も日常生活に寄り添ったお話をされていて、その通りだなぁと思った。

    自分とは何か。
    生きるとは何か。
    そんなことばかり考えてきた気がする。

    著者の根っこもそういところにあるように感じ、親近感を感じた。


    他の方が書いているレビューを見ていて、「頑張らなくてもいい、というメッセージ」「頑張りたい時期の自分にはいらない」というような内容のものがあったが、そういうことが書かれているわけではないのではないか。
    世に喧伝されている、無用な雑音に心を煩わせ

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    2024年04月29日
  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

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    自分のためにではなくて誰かのためになる(なれそうな)生き方、か…
    会社ではもう俺じゃなくてお前が主役になれよとか思うくせに、いざ自分に営業の話が来ないとなんでかななんて悩んだり。
    60を過ぎたら、もう世の中に必要のない人なんだそうだ。そう考えたら後三年、もう三年なんだな。
    だから、好きに生きていいんだろうな。でもたとえば野球をやれば怪我はするからお金がかかるなんて考えるとやっぱり自分のために、ではなく人のために些細なことでいいから日々積み重ねていけばいいのか。
    やりたいことではなく、やるべきことをやれ   ということらしい。

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    2024年03月13日
  • 善の根拠

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    ネタバレ

    善の定義としては、一般には大きく2つに分かれる様に思う。一つはある絶対的な、ないしアプリオリな規範があり、それに近づくほど善、それから離れるないし規範が欠乏するほど悪、とするもの。もう一つは2つの両極端の間を善、とするもの。
    前者は一神教や独裁がそれに当たり、後者はアリストテレスの倫理体系や古代中国の道教、中庸で説かれる思想等が近いか。いずれも、自分以外の何処かに善の参照点を置き、それを前提にしているように思われる。
    この本は、どちらの立場でも解釈出来ない論理を掲げているように思われる。著者の他の書に見えている思想と根本は同一ながら、かなりラディカルな思想ではないかと思う。この人の本が好きなの

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    2024年03月12日
  • 仏教入門

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    読みやすく、とても面白かった。思想編の無明の発見を元にすると仏教への理解への手がかりとなるようだ。最後の涅槃が知り得ないため、の者となると信じて仏道に励むことになり、先日読んだ浄土真宗とつながると思った。

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    2024年01月24日
  • 仏教入門

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    ネタバレ

    coten radio の最澄と空海の回を聴いて、超ロジカルな仏教に興味をそそられ読んでみた。
    いやぁ〜、仏教おもしろい!全然理解は及んでないし、本を読んだだけでは到達できない領域があるから、ほんのさわりしかわかってないと思うけど、おもしろさはすごく感じる。禅僧の方が書いてるので、なんか説得力もあって良き。
    でも「歩いている人は歩いていない」はやっぱりよくわからない笑 わかりたいけどわかれない自分が悔しい泣
    唯識に関する本も読んでみたいなぁ。

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    2023年03月25日
  • 仏教入門

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    悟りとは、静的状態ではなく、死の受容に向けた運動であると著者はいう。この結論はとても腑に落ちた。

    座禅を身体技法として突き詰めると身体状態として言語から離れられること、ただ、それ自体は「悟り」ではないという。

    また、経典に記載あるブッタの悟りとは「無明」(無常、無我)の発見ではないかという主張。ここで、この悟り(無明の認識)は、ゴールではなく、先の悟りへのスタートラインであるという。

    禅宗の僧侶として、仏教自体を「手段」として、「実存」を考える著者ならではの見解だと思う。
    私自身はとても共感した。

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    2022年12月09日
  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

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    「夢や希望がないと人生がうまくいかないのでは」となんとなく焦りを感じる方にオススメの一冊。本書を通していえることは、生まれたいと思って生まれたのではないのだからうまくいかなくてあたりまえ。後ろ向きだなと思いますか?それはおそらく「親を選んで生まれてきました」と言われたほうが前向きでうれしいからでしょう。

    ●後悔は抱えたまま生きればいい
    「後悔のない人生にするには?」がキーワードの本が書店の店頭でよく見かけます。1回きりの人生、コスパの良いものにしたいに決まっているからです。でも、立場上たくさんの人を見送ってきた著者が断言します。「死ぬときに後悔が全くない人生を過ごした人はいない」。だから「あ

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    2022年10月27日
  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

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    改めて、仏教の教えとアドラー心理学は重なるところが多いなと感じた。生きることか死ぬこと以外に大変なことなど無いというお言葉に思わず笑ってしまた。問題の大きさを見抜くうえで役立つ視点の持ち方だと思う。冷たい夢という考え方もなるほどなとも感じた。夢や妄想はどこか煌びやかで華やかだけど、現実ではない。だから、夢から"覚め"、酔いどれから"醒め"、彩から"褪め"、そんな"冷め"た夢と言う考え方は心のどこかで持っておかないといけないよなって。人なのでどうしても欲してしまうけど、それは不安の裏返し。末期の眼をもって見つめ直した

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    2022年10月22日
  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

    購入済み

    生まれた意味などない

    「人はたまたまこの世に生まれただけであり、死はいくら考えても誰にもわからない」
    すべて受け容れ、生きていたいなら自分がやるべきだと思う事をして、出来た縁を大切にすること。

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    2022年09月09日
  • 善の根拠

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    『人間においてのみ、善悪が問題になるのは、この「自己」が「他者」に由来するという矛盾と困難があるからだ。すなわち、そういう存在の仕方を「自己」がしているからなのだ。この矛盾を矛盾として、困難を困難として認識できるということ(すなわち、それが「ある」こと)は、「自己」と「他者」の関係性それ自体を認識できるということである。(略)「自己」という存在が「他者から課された」という構造によって無根拠に開始されてしまうということである。善悪はこの構造に対する態度のとり方の問題なのだ』
    あと、3回はこの本を読まないと!

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    2022年07月14日
  • 不要不急―苦境と向き合う仏教の智慧―(新潮新書)

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    不要不急というお題で仏教僧がコロナを通じて語る本。お坊さんといっても仏教との距離感はさまざま。不要不急というお題は殊の外いろんなことをあぶり出す結果となっている。
    …真言より禅、、、やな。

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    2022年07月03日
  • 覚悟の決め方 僧侶が伝える15の智慧

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    便利で豊かな暮らしをめざす。果たしてそれでいいのか?このままの暮らしをしていてはいずれ立ちゆかなくなるのではないか?

    大震災から今の生き方を問われているという話など考えていかなければならないと思いました。

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    2022年06月27日
  • 生死の覚悟(新潮新書)

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    高村薫の転換点が阪神大震災だったということは聞いていた。そこで体験した「自分が死ぬということを覚悟する」ことが、その後の「晴子情歌」「新リア王」「太陽を曳く馬」の福澤影之3部作に結びつく。影之は高村薫の分身であったことを新書の中で告白している。そうやってみれば、生い立ちやライフストーリーは全然違うが、いくつか思い至るところがある。

    南直哉は、禅僧であり、道元の生き方の体現者である。どこから私淑したのかはわからないが、高村薫は彼を「師」と呼ぶ。
    びっくりしたのは、高村薫の小説作法である。「マークスの山」の水沢がフォークリフトを手足のように扱う様や、「柿照」の野田の熱処理加工管理の頭の整理の仕方

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    2019年07月22日
  • 「悟り」は開けない

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    大人になると、悩みがだんだん少なくなると思っていました。
    知識や経験が身に付き、自分が抱えている悩みが解決すると思っていました。
    しかし、現実はそうではなく、常に沸き起こる問題、
    そして悩みで潰されそうになる。一体どうすればいいんだろうか?

    著者のアプローチは、自分が抱える問題の「答え」を「真理」として知ることではなく、
    問題を「解決」する上での「方法」として、なんと、、、仏教に賭けた。
    つまり、覚悟を決めて、「よし、(自分の問題解決として)仏教でやるしかない」と決意して
    実行した(ただし、実行(出家)は、周囲との軋轢も反対も生む・それでも、解決したいという
    強い思いが、著者にはあった)。

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    2019年01月18日
  • 超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―

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     「苦」に苛まれる「私」の外側に「God」という超越的存在を措定し、そこに救済を求めるのが一神教。
     対して釈尊は、絶対不変というものはない、正確に言えば、そのようなものを我々は感得することはできないと看破し(無常観)、自分の外側に解決を求めるのではなく、「私という存在」のありようを諦め(明らめ)ることで「苦」から脱することができると説いた。
     その境地が「悟り」と呼ばれるものだが、「悟り」がどういうものであるかは書き残されていない。
     種々の宗派はその無常観や悟りを様々なコトバで表現しようとし奮闘するのだが、コトバを駆使する限り、「無常」は表現できない。

     そのブレークスルーが著者にとって

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    2018年11月11日
  • 超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―

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    ラディカルな論考。序章の1ページめから驚かされる。実存と超越、ぱっと見ると仏教書にしては変わったタイトルに感じるけれど、考えてみれば、仏教はずっとこの問題に向き合ってきたのだ。親鸞に関する論考は面白かった。自然法爾からあそこまで解体されるものなのか。釈徹宗先生あたりの意見も聞いてみたい。

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    2018年09月18日
  • 日常生活のなかの禅 修行のすすめ

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    南直哉師の初期論考を連読。『禅問答』は対話形式でしたが、こちらはモノローグでの仏教と曹洞宗の理解を深める内容で、時期が違っても同じく論じる一貫性に感服します。

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    2017年12月12日
  • 自分をみつめる禅問答

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    恐山の副山主・南直哉師による対話形式の仏教入門書と言えば聞こえがいいですが、プッダや道元禅師を超えて、縁起を基軸に非己があるからこそ自己があるとする仏教理解に沿って世間を再構築する試みには難解さがつきまといます。
    ここまでの理解にたどりつけるか、私自身に問われている気がします。

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    2017年12月11日