南直哉のレビュー一覧

  • 恐山―死者のいる場所―

    Posted by ブクログ

    どんな他者であれ本来的に了解不能なもの。誰だって他者のことはわからない。他者は懐かしくて怖い。ましてや死者はもっと懐かしくて怖い。
    死者に会いに行ける場所である場所と同時に、それぞれがそれぞれのやり方で自分たちと死者との適切な距離を作る事が出来る場所。
    供養とは死者の問題ではなく、残った者の問題。
    どのようにするかは残った者に任せるのが良い。
    弔いという行為がないと別れは別れにならず、死者として存在できない、つまり残った者と新しい関係を結ぶことができない。

    0
    2021年08月31日
  • 恐山―死者のいる場所―

    Posted by ブクログ

    ・もし友達でも何でも、赤の他人が「あなたがそこにいてくれるだけで私は本当にうれしいんだ」と本心から言ってくれたとしたら、これは宝です。命を賭けて守るべきものです。金なんぞ問題じゃない。そんな人がもし五人もいれば、人生納得して死ぬべきですよ。そんな人はなかなかいません。あるとしたら、とても苦しい時間と経験を分け合った人だけでしょう。状態が上向きで追い風の友だちなんて、条件が変わればあっさりと裏切ります。苦しくて切ないときに隣にいてくれた人というのは、大事にすべきです。(p62)

    ・友人であれ夫婦であれ家族であれ、生前に濃密な関係を構築し、自分の在りようを決めていたものが、死によって失われてしまう。しかしそれが物理的に失われたとしても、その関係性や意味そのものは、記憶とともに残存し、消えっこないのです。(中略)その関係性や課せられた意味はなくならない。息子がこの世に生きているかどうか、物理的に存在しているかどうかは関係ありません。(p132)

    0
    2021年01月05日
  • 生死の覚悟(新潮新書)

    Posted by ブクログ

    新書とはいえ重いテーマで、しかも間があいた不連続な対談のため、理解がしにくい。ある程度背景を知らないととてもわからないだろう。

    0
    2020年09月19日
  • 恐山―死者のいる場所―

    Posted by ブクログ

    イタコさんは恐山に属しているものだと思っていたので
    違うことが分かってびっくり。

    これからのお葬式の在り方について。
    葬儀という儀式は、仏教の経典とは結びつかない。
    形式的な儀式でお金を稼ぐのではなく
    “あのお坊さんに送ってもらいたい”と思われる
    お坊さんにならなくては。

    のくだりに、納得。

    南さんご自身は、どんな悩みを解決したくて
    宗教の道に進まれたのか気になる。

    0
    2020年09月11日
  • 日常生活のなかの禅 修行のすすめ

    Posted by ブクログ

    曹洞宗の僧侶である著者が、ラディカルな生き方の教えとしての禅の意義について論じている本です。

    タイトルは「日常生活のなかの禅」となっていますが、著者は生活そのものについての問いを深めることなく、禅を実用的に生かそうとする心構えを批判しています。「私が思うに、焦点をあてるべきは、「宗教」である以前に、「信じる」行為である。それは自分にとって、どのような行為なのか。それは必要なのか、どうして必要なのか。こうした反省もなく、「信じる」こと抜きで宗教を役に立てようというのは、能書きだけ読んで薬を飲んだことにするのと同じで、所詮無意味だろう」と著者はいいます。

    そのうえで著者は、欲望とはなにか、自己とはなにかという問いを、道元をはじめとする禅の祖師たちのことばを解説しつつ掘り下げ、生活そのものを禅の実践とするような生き方を論じています。

    すこし引っかかったのは、鈴木大拙の思想について、悟りを特殊な経験と解釈する立場だと著者はいい、それを批判している点です。大拙の禅理解が実証的な仏教学の観点からは問題を含んでいることはたしかでしょうが、禅の心境的解釈を批判していたのも大拙であり、著者自身の説く禅の立場とそれほどへだたりがあるようには思えませんでした。

    0
    2020年04月11日
  • 善の根拠

    Posted by ブクログ

    縁起説とすべての物は空だという仏教の教義を公理として、加えてこれらの教義を受け入れて仏門に入る事が善(の源泉)であるという確信に基づいて、善について整理しようとしたもの。 
    結果的にあまり上手く行ってない。というのは著者が言うとおり、あらゆる物が空だとした瞬間に善悪が成立しなくなるから。
    仏教の戒律についてこの考え方に基づいて解釈を試みてもいるが、常識に合致するように論理を設計している印象があり、結構つらい。

    この本で学んだことは、下記のようなこと。
    1.哲学的思索は思索する個人にとって腹落ちした公理に基づいて展開されるので、その公理に共感できないとその思索に全然同意できない。
    2.諸行無常、一切皆苦、解脱といった考えは、生を肯定しないので、現代において仏教が幅広い共感を得て、社会の規範となることはかなり難しそう。
    3.アートマン(不変の自己の本質)の否定を、自己は存在しない(無我)へと繋げたことも仏教が普遍性を獲得しにくくしている。変わってしまう自分であっても、今の自分は確かに存在するんだという、生き物としての確信と合致しないため。

    0
    2020年01月09日
  • 生死の覚悟(新潮新書)

    Posted by ブクログ

    「新リア王」「太陽を曳く馬」をきっかけとして出会った作家・髙村薫と禅僧・南直哉の7年越しの対談集を「晴子情歌」からの3部作を読むための前哨戦として読んでみた。

    道元の「正法眼蔵」を軸に人間の実存と、「信心」への懐疑、「生死(しょうじ)」についての考えなど、二人のよく研がれた刃物のような言葉の応酬に脳が疲れ果てた。

    『死の重力に必死になって抵抗しながら、我々人間は生きている。その抵抗こそが生きる意味ではないでしょうか』
    南禅師の言葉が重い。
    「なぜ生まれてきたのか」「なぜ死ぬのか」「なぜ今ここにいるのか」という自分の実存に対する問いから逃げることなく、安易にどこかに答えを求めることなく、自分の頭で考え続けることが「生死のj覚悟」に繋がるのかなと背筋がちょっと伸びた読後でした。

    0
    2019年11月30日
  • 生死の覚悟(新潮新書)

    Posted by ブクログ

    福澤3部作、主に『太陽を曳く馬』の彰閑にそっくりだと周囲に指摘されたという南直哉さんと、彰之はじぶんの分身でもあると言う髙村さんの、“実在の根拠”を問う対談。実在の根拠というワードからしてもう挫けそうだったが、読むに限れば平易なことばのやり取りであり、読み通すことはかなったのでほっとしている。じぶんとして生きていることの苦しさがある意味強くなってきている時代、という感触には頷けるものがあり、さらに簡単に答えはでないことにも同意する。だが、問い続ける覚悟はとても持てないが、問い続けることをやめてはいけない。安易に答えを求めた先にあったものを、わたしたちは目の当たりにしているのだから。

    0
    2019年08月28日
  • 仏教入門

    Posted by ブクログ

    p29 「机」として使われるから、〜「机」になる。
    #師はしばしばこの例えを用いるが、使う直前に机として使おうとする動機を説明できない。もう一歩踏み込むなら過去の経験に基づいて机としての働きに期待するから机として用いるのである。名は期待された機能に与えられたラベルである。
    p38 道具〜それは何らかの目的のために使われて、初めて道具である。
    #この目的こそが動機であろう。
    p43 〜関係の仕方を命名(言語化)して意識に刷り込み、〜それ自体で存在する〜これが言語の機能であり、無明とはそのこと〜
    p193-194 〜ブッダが〜、我々の実存をまるごと「苦」と見ているからである。「自己」の実存構造には、他者から課せられて自己たりえるという、根本的な矛盾がある。〜、「課せられた」構造を「迎え入れる」構造へ転換し、最終的に構造自体を解消〜しなければならない。
    なぜなら、我々が言語内存在であり、意識的実存である限り、自己の在り方が他者との関係で決まる実存様式は変わらず、〜その矛盾は完全に解消しないからである。
    p195 仏教は「ありのまま」の人間の在り方を肯定しない。〜したがって、結局、我々を安心させない。

    0
    2024年06月06日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

    Posted by ブクログ

    脳科学者の茂木健一郎と、禅僧の南直哉が、3回にわたっておこなった対談を収録しています。

    南の語る内容は、彼のこれまでの著作と同様、彼自身の解する仏教の立場からまっすぐに届けられてきますが、これにたいする茂木の発言は、脳科学者の立場からなされているものとはいいがたいように感じます。ある意味では、南のことばをうまく引き出す役割をはたしているともいえるのでしょうが、「脳科学者と禅僧の問答」というサブタイトルを裏切ってしまっています。

    あるいは、もはや科学者ではない、ひとりの人間としての茂木を見ることができるところにおもしろさを感じる読者もいるかもしれません。

    0
    2018年10月14日
  • 善の根拠

    Posted by ブクログ

    再読。初回は素直に受けとめましたが、さすがに今回は二部構成で後半は対話編という希釈された内容にガッカリ。普通の禅僧ではない南直哉師には、論を走らせることより只管打坐に徹して考えてほしいと思います。

    0
    2018年06月06日
  • 恐山―死者のいる場所―

    Posted by ブクログ

    至極真っ当なことが書いてある本。逆に言えば、今の仏教界ってまともではないとも言える。正面から死を考える筆者は素晴らしいが、いささか今の自分には重い。

    軽やかに生きたいがそれができるのは幸せだからか。

    0
    2017年11月24日
  • 「悟り」は開けない

    Posted by ブクログ

    p59 神も所有も我々を前駆させる。不足、不満、不安の解消。もっと多く、もっと深く、もっと近く。仏教も方向は真逆とは言え、入り口は取り引きなのであろうが、取り引きが消えた時、信仰は消え、仏教も消えるのであろうか。
    p60 苦しみの消去もまた究極のゴールを目指す点で神の絶対的な肯定と同様な困難を伴うのではないだろうか。
    p74 ある物体が机と呼ばれるのは「どう使うか」よりも「どう扱うか」がより厳密だと思う。使うか否かよりも「その様に機能する(用いる)ことを期待する」、機能こそが言葉であって意味であり、価値だと考える。
    p83 首尾一貫した自己の構築を仏教の文脈で保持する理由がちょっとよくわからない。自己も方便として使えばよいのでは。
    p99 机は用として存在しているのであり、対象の在り様を問わない。

    読みながら考えて、自分なりの言葉を見つける。氏の著書はいつも考える時間を与えてくれる。

    0
    2017年07月17日
  • 善の根拠

    Posted by ブクログ

    著者は曹洞宗の僧侶。
    しかし,僧侶としてではなく,「仏教の立場から」(仏教思想を道具として)善悪の根拠を明らかにしようと試みる。

    本書は,まず,「自己」とは何かを論じる。
    「自己」には,それ単独で存立する実体はない(「諸行無常」「諸法無我」「空」)。
    「自己」は,「他者」との関係(縁起)によって存在する。
    「自己」と「他者」との関係(縁起)が各々の存在に先立つ。
    「自己」は,「他者」によって自己の在り方が決定されてしまうという矛盾を抱えてしか存在できない。

    その上で,「自己」を受容する態度を「善」,拒絶する態度を「悪」と捉える。
    よって,善(悪)の根拠は,他者依存の「自己の在り方」を受容(拒絶)する「決断」ということになる。

    本書の最も難解なところは冒頭の部分。
    『なぜ,「自己」の受容を「善」とするのか。』という部分である。

    この点は,簡明には述べられていない。
    おそらく「仏教の立場から」考えるので,「自己」の受容が「善」になるのだと思われる。
    ゴーダマ・ブッダは,「一切皆苦」であるとしながらも,あえて生きることを選択した(「死んだら楽になるかも」とは考えなかった。)。
    つまり,「仏教の立場」とは,苦しくとも悟りを得るまでは生き抜くということである。
    そして,生き抜くということは,「自己」を引き受けることである。
    よって,自己を受容することが,「仏教の立場」からは「善」となる。

    本書は,この考えを前提にして仏教の「戒」を思考実験の材料として,この考え方の応用方法を見せていく。
    ただし,著者は,演習問題として「戒」を持ち出してみただけで,「戒」に関する解説を意図していないことを繰り返し断っている。
    あくまで,思考実験である,と。

    著者は,ナーガールジュナ(龍樹)の空・縁起の思想を土台に道元を理解し,それを応用する。
    そして,おおよその問題は「自己」の捉え方(「自己」が存在するとはどういう意味か)に帰着するという考えを基礎に置いている。
    こうした考え方は従前の著作から一貫している。

    なお,仏教の立場から倫理問題に言及した著作として,中村元『原始仏教 その思想と生活』(NHK出版)がある。

    0
    2015年05月09日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

    Posted by ブクログ

    私には難しい本だった。そもそも「クオリア」という言葉の意味もよく分からなくて‥。Wikipediaによると、”
    心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のこと”。やっぱり分からない。
    でも科学者と仏教者の対話という観点ではとても面白かったです。

    0
    2014年09月13日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

    Posted by ブクログ

    茂木さんは,もう脳科学者の看板を下ろして,ちゃんとフリーライターとして自由にすればいいと思う.面白いけど,胡散臭く感じる.フリーライターがその人となりで南さんの思いをうまく引き出している.面白かった.

    0
    2015年02月13日
  • 復興の精神

    Posted by ブクログ

    震災について、様々な方が綴ったものを一冊にまとめた本。

    人生は答え。
    問いではない。


    今、変わらないで、
    いつ変わるのだろうか。

    0
    2014年02月17日
  • 恐山―死者のいる場所―

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    日本一の霊場といわれる恐山とは何なのか。禅僧の著者は恐山を「死者への想いを預かる場所」だと語る。つまり、生者が死者との距離を見いだす「場所」なのである。イタコによる口寄せなどキワモノ・イメージの先行する「死者のいる場所」像を一新する

    0
    2012年09月15日
  • 復興の精神

    Posted by ブクログ

    瀬戸内寂聴さんの無常ーどん底は続かないの中で、私たちはどんな不幸の中でも決して絶望してはならない。暗闇の空に希望の星を見出す力を人間は与えたれてこれまで生きてきた。被災者の皆様の御苦労と悲痛な体験を思うたび、いたたまれない。一年数ヶ月経ち、復興への思いやる気持ち、支援が薄くなっている状況に思われます。思いをこれからも被災地にもち続ける事が大切な一人一人の人生に繋がることだと思います。養老孟司さんの精神の復興需要の中では、生きていれば、さまざまな悪いことが起こる。悪いことがあると人は無理やりに色々なことを学べる。いいことというのは、その時点がピークで、そこから学ぶということはないと言っている。

    0
    2012年08月22日
  • 復興の精神

    Posted by ブクログ

    東日本大震災を受けて、課題と展望を養老孟司氏、茂木健一郎氏、橋本治氏など各界の著名人が各々の切り口で語っている。捉え方はそれぞれだが、共通しているのは、この未曾有の大震災を活かしていく必要がある、ということ。
    勉強になりました。

    0
    2012年08月16日