南直哉のレビュー一覧
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著者は曹洞宗の僧侶。
しかし,僧侶としてではなく,「仏教の立場から」(仏教思想を道具として)善悪の根拠を明らかにしようと試みる。
本書は,まず,「自己」とは何かを論じる。
「自己」には,それ単独で存立する実体はない(「諸行無常」「諸法無我」「空」)。
「自己」は,「他者」との関係(縁起)によって存在する。
「自己」と「他者」との関係(縁起)が各々の存在に先立つ。
「自己」は,「他者」によって自己の在り方が決定されてしまうという矛盾を抱えてしか存在できない。
その上で,「自己」を受容する態度を「善」,拒絶する態度を「悪」と捉える。
よって,善(悪)の根拠は,他者依存の「自己の在り方」を受容( -
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瀬戸内寂聴さんの無常ーどん底は続かないの中で、私たちはどんな不幸の中でも決して絶望してはならない。暗闇の空に希望の星を見出す力を人間は与えたれてこれまで生きてきた。被災者の皆様の御苦労と悲痛な体験を思うたび、いたたまれない。一年数ヶ月経ち、復興への思いやる気持ち、支援が薄くなっている状況に思われます。思いをこれからも被災地にもち続ける事が大切な一人一人の人生に繋がることだと思います。養老孟司さんの精神の復興需要の中では、生きていれば、さまざまな悪いことが起こる。悪いことがあると人は無理やりに色々なことを学べる。いいことというのは、その時点がピークで、そこから学ぶということはないと言っている。
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東日本大震災から1年4ヶ月が経った。震災直後は、関東に住む人間も、東北の痛みを分かち合い、譲り合って生きているように見えた。しかし、いまその風潮はなくなり、震災前と同じような風潮になっているのではないか。そんな疑問からこの本を読んだ。
この本は震災から3ヶ月後に出版された。茂木健一郎、養老孟司など9人が、当時の気持ちと復興に必要な精神性を述べている。
共通しているのは、私たち日本人が今までの概念を変えなければならないと主張している点だ。今まで、私たちは利便性を求め、経済を最優先し、進んできた。その結果が福島原発の事故につながっている。
未曾有の大震災を粛々と受け止め、譲り合い、分かち合う日本人 -
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日本一の霊場、口寄せするイタコ、死者との邂逅。そんな場所としての
イメージしかない恐山。
その恐山の菩提寺の住職代理が綴った書ということで軽い気持ちで
手の取ったのだが、いやはや考えさせられる。
死というものは死者の側にあるのではなく、生者の側に存在するって
かなり哲学的なのだけれど、亡くなった人には死はもう訪れないんだ
ものなぁ。
恐山に足を運び、死者を悼む人たちとの会話は「弔う」とはどういう
ことなのかを示唆してくれるし、死者とどう向き合うかのヒントをくれる。
テレビの心霊番組などの影響もあるのだろうが、おどろおどろしい
イメージがあった恐山も本書を読むと死者を追悼し、思いを馳せる -
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ネタバレ著名な作家などがそれぞれの3・11をふりかえり、これからどうすればよいかそれぞれの視点から提言を述べる作品。
この本で一番驚いたのは、病を患っていたため、この震災で不安や無力感を感じなかったといった著者がいたことだ。このことから、他人や未来への不安や自分の無力感はある程度自分に余裕がないと生じない感覚なのだと感じた。
しかし、震災直後に起こった買いだめの現象から、今回日本人が感じた不安のベクトルは自分に向いていなかっただろうかと感じた。
また、どん底はつづかないと励ましている著者がいるが、何もなくても、毎日が先の見えないどん底だと感じている人々である現代人に伝わる言葉なのだろうかと感じた。 -
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もともと雑誌化状況にあった新書界の、311後の加速たるや…。本書は発行2011年6月。
しかし絶対に全てが緩んでくるはずの半年過ぎにこそ、読んで兜の緒を締めようと、満を持しての(?)トライです。
筆者9人がそれぞれに挙げた声であれば、その言葉をこそ復興の精神として留めたい!と胸に響いた一節もあれば、この人がこんなに底の浅いことでなんとする?と首をかしげる部分もありましたが。。。そんな感想をもてるのも、今だから、なのだということです。
「復興の精神」というガッツなタイトルの中で、ひとつ橋本治氏による“病人の視点”は目からウロコでありました。