南直哉のレビュー一覧

  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本
    昔から、理由もなく生きることがしんどいなと思うことが多く、何の目標も持っていない自分に価値を見出せず苦しんでいたのですが、この本を読んでとても救われました。
    仏教や禅についてより知りたいと思ったきっかけになった本です。
  • 超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―
    はい。調子に乗り過ぎました。僕なんかにこんな難解なものは分かるはずがなかったんです。まるで意味不明のお経を唱えるような気持ちで読んだっていうか文字を追っただけで、エピローグぐらいしか頭に入ってこなかったです。あと100年ほど勉強したら分かるかな?
  • 生死の覚悟(新潮新書)
    刺激的だった。南直哉と高村薫、もしかしたらこれは同一人物ではないのか?それほど思考が似通っている。二人の仰ることはとても難解だけれど、読むに従って「飢え」を感じる。なぜ僕には解らないのか。この二人の苦悩を自分も知らなければならないのではないか。とても落ち着かなくなるのだ。
  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本
    夢も
    希望も
    生きがいも
    やりがいも
    なりたい自分も
    無くていいし
    、なくても生きていける。
    それでも生きていく
    事の方が大事。

    「なりたい自分」になれなくていい。

    諸行無常
    自分という存在に確固たる証拠・証明できるものはない。

    このカラダは、このセカイを渡っていくための舟のようなもの。いつか...続きを読む
  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本
    ☆せっかく生まれた、ではなく、たまたま生まれた。
    ☆自分のためではなく、人のために生きる。
    ☆恐山
    ☆生きがいや、やりがいは、必要ない。
  • 善の根拠
     2冊ほど読んだ南師の本が面白かったので読んでみた。
     善悪というのが一体どういう構造で起こるのかというのを実験的に解説されているけれど、すごい。
     冒頭の序とⅠがすごい。
     その後、戒律(十重禁戒)を例にして解説をされていくのだが、自分はわが身に引き当てたことをいろいろ想像してしまって重い。さーっ...続きを読む
  • 自分をみつめる禅問答
    早稲田大学卒業後百貨店勤務を経て、曹洞宗の僧侶として20年修行し、恐山の副住職となった仏教者が著者。
    本書は仏教・禅の教えるところを紹介するのでなく、仮想の問答を通じてその表している所を深めていく。

    仏教創始の時より問答というのは非常に重要視されていて、問答によって思考や議論が深まっていくのは確か...続きを読む
  • 『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか
     久し振りに目を皿のようにして読んだ本。書き出し部分がタカピーな感じだったのでそのままうっちゃっていたが、気を取り直して読み始めた。
     確固たる本質のようなものが自分を離れたところに存在するとと考えてはならない。存在とか意味というものは彼我との間でその一瞬一瞬に生起されるものであり、何かしら永遠不変...続きを読む
  • 『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか
    『正法眼蔵』を、フッサールやハイデガーのものの捉え方を手がかりに読み解いたもの、という印象。仏教のものの見方の肝である「縁起」を軸にブレない読み解きを展開する。勉強になった。
  • 『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか
    「Aは,それ自体に実体があるから存在しているのではなく,非Aとの関係するから存在している。」という「縁起」の考え方によって道元禅師『正法眼蔵』を解釈した本。
    良い意味で入門書ではなく,仏教の基本的な知識が必要。
    特に「因果」に関する部分は難解。
    何度も読み返して「問い」を繰り返したい本。
  • 恐山―死者のいる場所―
    恐山=パワースポット
    恐山=霊が集まる

    という固定観念がこれ読んで無くなった。儀式や慣習など形を遥か超越した「死者」への想いによって支えられ、存在する恐山を知ることが出来た。
    本の後半部分は作者の死生観がメインに進むが、住職の方からダイレクトに発せられる「死」への考えは、今後の自分に何か見えない影...続きを読む
  • 恐山―死者のいる場所―
    納得でした。

    人を失った時、自分の心に余裕がないと悲しめない。
    その人の中では死者にならないから。

    葬儀という形で死者として認識することもある。
    認識する為の、死者との距離を理解する為の葬儀という儀式。

    悲しんで日常が壊れることを恐れた時、私は失ったことを見聞きすることを自分に禁じ、意識する余...続きを読む
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―
    「無記」という言葉に出会えただけでも、自分にとっては価値があった。この境地というか「悟り」ははるか彼方の感覚なんであろうけれど、問い続けていった先に、これ以上先は問わないとできる気持ちの持ちようって何なんだろう。この本を入口に、仏教について学びたいと純粋に思った。常に目の届く範囲においておこうと思う...続きを読む
  • 恐山―死者のいる場所―
     恐山は仏教施設でもなければパワースポットでもない。弔いの場である。では、「弔い」とは何か。人間にとって「弔い」とは。そんなことが書かれている。
     難しい言葉を使わず、簡単には言い表せないことを伝えようとしていて、それがかなりの程度成功しているように思える。宗教の話というより哲学の話に近い。竹田青嗣...続きを読む
  • 恐山―死者のいる場所―
    タイトルが恐山という事もあり、おどろおどろしい内容なのかと思っていたら、イタコのエピソード、現代の死生観、仏教のあり方、そして恐山がパワーレス・スポットである理由など、普段考えることを忌避する死について語られていた。
    文体はとても読みやすいのに、一度読んだだけでは全てを吸収することが出来なかった。
    ...続きを読む
  • 恐山―死者のいる場所―
    恐山のお土産売り場で買いました。帰りの電車用に。恐山ガイド的なものではなく、死について恐山という装置を使ってわかりやすく説明してある本でした。このお坊さんは頭がいいなと思いました。
  • 恐山―死者のいる場所―
    この本を読んで救われた。
    「恐山」のイメージも変わった。

    心の拠り所というか、持ちきるのに耐え難いものを、預ける場所というモノが、どこか?というだけのことなんだと思った。

    お墓だろうが、仏壇だろうが、恐山だろうが、それはその人が決めればいい。
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―
    茂木健一郎をこれ程までに捉えた対談者はいなかったであろうと思える南直哉。恐るべし。とてもスリリングだった。
  • 覚悟の決め方 僧侶が伝える15の智慧
    3.11後の生き方を教えてくれる。

    実際の震災が第一の矢、震災後我々を襲った心のダメージが第二の矢、第二の矢は言うならば心の蜃気楼、それぐらいは気の持ちようで何とでもなると訴える。悲惨に震災された方でも少しの希望を見出すと快楽を覚える。
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―
    茂木さんも南さんも大変。色々考えることがありすぎる。もっと考えないようになれれば楽だろうに。ただ、二人ともその“楽さ”は求めてないんだろうな。でも、二人はほんと楽しそうにしてる。

     この本は、テレビでもおなじみの脳科学者である茂木健一郎さんと、禅僧である南直哉(みなみじきさい)さんによる対談集。
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