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  • 生死の覚悟(新潮新書)
    3.6
    「師と出会ったことで、不信心についての私の苦がいくらか薄らいできているのを感じる。この歳でまた少し生まれ変わったようなもの」(高村薫)、「同時代に彼女がおられることは、救いとしか言いようがない」(南直哉)。ある作品を媒介に作家と禅僧が出会い、七年越しの対話が始まった。信心への懐疑、坐禅の先にあるもの、震災とオウム……はたして仏教は、人生のヒントとなるか。実存の根源的危機が迫る時代に、生死の覚悟を問う。

ユーザーレビュー

  • 生死の覚悟(新潮新書)

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    刺激的だった。南直哉と高村薫、もしかしたらこれは同一人物ではないのか?それほど思考が似通っている。二人の仰ることはとても難解だけれど、読むに従って「飢え」を感じる。なぜ僕には解らないのか。この二人の苦悩を自分も知らなければならないのではないか。とても落ち着かなくなるのだ。

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    2022年06月17日
  • 生死の覚悟(新潮新書)

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    高村薫の転換点が阪神大震災だったということは聞いていた。そこで体験した「自分が死ぬということを覚悟する」ことが、その後の「晴子情歌」「新リア王」「太陽を曳く馬」の福澤影之3部作に結びつく。影之は高村薫の分身であったことを新書の中で告白している。そうやってみれば、生い立ちやライフストーリーは全然違うが、いくつか思い至るところがある。

    南直哉は、禅僧であり、道元の生き方の体現者である。どこから私淑したのかはわからないが、高村薫は彼を「師」と呼ぶ。
    びっくりしたのは、高村薫の小説作法である。「マークスの山」の水沢がフォークリフトを手足のように扱う様や、「柿照」の野田の熱処理加工管理の頭の整理の仕方

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    2019年07月22日
  • 生死の覚悟(新潮新書)

    Posted by ブクログ

    新書とはいえ重いテーマで、しかも間があいた不連続な対談のため、理解がしにくい。ある程度背景を知らないととてもわからないだろう。

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    2020年09月19日
  • 生死の覚悟(新潮新書)

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    「新リア王」「太陽を曳く馬」をきっかけとして出会った作家・髙村薫と禅僧・南直哉の7年越しの対談集を「晴子情歌」からの3部作を読むための前哨戦として読んでみた。

    道元の「正法眼蔵」を軸に人間の実存と、「信心」への懐疑、「生死(しょうじ)」についての考えなど、二人のよく研がれた刃物のような言葉の応酬に脳が疲れ果てた。

    『死の重力に必死になって抵抗しながら、我々人間は生きている。その抵抗こそが生きる意味ではないでしょうか』
    南禅師の言葉が重い。
    「なぜ生まれてきたのか」「なぜ死ぬのか」「なぜ今ここにいるのか」という自分の実存に対する問いから逃げることなく、安易にどこかに答えを求めることなく、自分

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    2019年11月30日
  • 生死の覚悟(新潮新書)

    Posted by ブクログ

    福澤3部作、主に『太陽を曳く馬』の彰閑にそっくりだと周囲に指摘されたという南直哉さんと、彰之はじぶんの分身でもあると言う髙村さんの、“実在の根拠”を問う対談。実在の根拠というワードからしてもう挫けそうだったが、読むに限れば平易なことばのやり取りであり、読み通すことはかなったのでほっとしている。じぶんとして生きていることの苦しさがある意味強くなってきている時代、という感触には頷けるものがあり、さらに簡単に答えはでないことにも同意する。だが、問い続ける覚悟はとても持てないが、問い続けることをやめてはいけない。安易に答えを求めた先にあったものを、わたしたちは目の当たりにしているのだから。

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    2019年08月28日

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