南直哉のレビュー一覧

  • 「悟り」は開けない

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    生きる目的とか、幸せについてとか、答えを求める人にとっては物足りないのかもしれません。
    それでも僕のような、早い者勝ちの価値観にはついていけるけどノレない。
    一方で若者の無気力に違和感と、シンパシーを感じてしまう。
    そんな、時代の狭間の世代にとっては、大変面白く読むことができました。
    要するに今のままでいいんだ、と。
    夢と希望を追い求める時代は終わり、もっと肩の力を抜いて日々の喜びを噛みしめられることが何よりの幸せになる。
    読後、体が間違いなく軽くなる本です。

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    2017年09月12日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    南直哉(みなみじきさい、1958年~)は、早稲田大学第一文学部卒業後、サラリーマンを経て、1984年に出家得度した曹洞宗の禅僧。曹洞宗大本山永平寺で約20年の修行生活を送り、2005年より恐山菩提寺院代(住職代理)。
    著者は、自分が抱えてきた問題である「死」について解決するすべを見つけるために仏道を志したと言うが、仏教の教えをあくまでも道具と捉えるスタンスは、僧侶としては異質で、周りから、「お坊さんらしくない」、「信仰がない」、「斯界のアウトサイダー」と言われると明かしている。
    その著者が本書では、「死」と「死者」について、また、その文脈の中で恐山のもつ意味について語っているが、自らが「一本の

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    2016年07月02日
  • 復興の精神

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    この本の企画がいいなと思った。
    有事のあとに、我々は何をするべきか、どう考えるか、、、ということを、新潮新書編集部が発したいというに対して著名人が正面から応えた…ものとなっています。

    養老孟司氏の著書は何冊か読んできていますが、この原稿だけでも氏の集大成のような感じさえしてしまうほど、明確で深みのある言葉だと感じました。

    また、普段のモヤモヤを南直哉さんの言葉によってスッキリできました。
    この両名が個人的にはとても面白かった。

    軽い気持ちで借りたけどすごく重みのある書だった。
    本当に、悩める学生たちに読んでほしい。

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    2015年11月17日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    恐山の住職代理である僧侶が恐山の本質を説いた本。「死」について考えるうえで、様々な洞察を与えてくれる。
    恐山は、「もう一度会いたい 声が聞きたい」「また会いに来るからね」という生者の死者への想いによって支えられてきた「パワーレス・スポット」だという。死者は実在する。それは、幽霊や死後の世界があるというのではなく、死は生者の側にあり、生者の抱える欠落なのである。

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    2015年11月15日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    1200年続く霊場、恐山。いつか行きたいところ。開山期間は5/1-10/31。結界門、宇曾利湖、四つの外湯、イタコ、無記、7/20-24大祭、地蔵会、地獄谷、賽の河原、極楽浜、魂呼び、あなたがそこにいてくれるだけでうれしい、パワーレススポット、永平寺のダースベイダー、獅子吼林サンガ、恐山には死者が実在する、一番の供養は死者を想い出すこと。

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    2014年07月21日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    死は生者の側にあるーーー

    納得でした。
    まだ、身近な人の死に直面していないから、死、死者、魂、供養などについての私のイメージはぼんやりしているのだろう。亡くなった方から何かが発信され、誰もが同じように感じるのではなく、自分の中で形作られていくものなのだろう。安心した。様々な宗教があることも許容できる。

    ただ、そばにいた人が急にいなくなる恐怖は味わいたくない。考えるのも怖い。

    イタコと寺が無関係というのも驚きの事実でした

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    2013年09月30日
  • 自分をみつめる禅問答

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    ネタバレ

    己とは何であるかという問いかけが「仏教」なんだそうだ。
    哲学的な内容で難しく、読んでいる瞬間は分かったような気になるのだが、読み過ぎていくに従い、さらさらと行間から流れて落ちていくように忘れていってしまう。
    その中で、「自殺」について触れられているところがあったので、少し端折りながら書き写しておきたいと思う。

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    ブッダは「人生はまるごと苦しみだ」と言い切ったが、命は大切だとは言っていない。ならば、早く死んだほうがよい、自殺したって構わないと言ってもおかしくない。

    しかし、彼はそう言わずに、困難な伝道の旅を野垂れ死ぬまで続けた。ブッダは苦しくとも生

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    2013年02月01日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    死は観念的なものであり、決して理解できるものではない。けれども死者はリアルな存在である。ふとした時、死んだ人間の言葉や立ち振舞いがとても懐かしく思い出されることがある。それは自分は他者との関係性の中に存在するものであると同時に、死者との関係性、著者の言葉を借りれば「不在の関係性」の中にも存在することを意味するものだろう。死んで姿形はなくとも、全てが消え去るわけではないんだと。一度、恐山に行ってみたいな。

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    2013年01月07日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

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    茂木健一郎と南直哉の3回に渡る対談を書き記した形式で、脳とは?死とは?とクオリアやお互いの哲学を元に語り合っている。
    なぁなぁとした対談ではなく攻撃的でなかなかどうして笑ってしまった。

    南という方を初めて知った本。
    禅僧についてのイメージが間違ってたのかもしれないが
    宗教家ぽくないという感想を持った。救世の気持ちはあるのだろうか。
    二人ともとても個人的な、根源的な欲求から脳について本気で考えてるんだと思う。但しだからこそ、今後の展開で民衆(私)は救われる手筈が見つかるかもしれない。

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    2013年01月04日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

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    攻めの姿勢の対談本だった。
    南さんが苦、ととらえるものを、茂木さんが快楽ととらえているところが面白い。そのように違った捉え方をしているかと思えば、方法論は同じだったり、またその逆があったり。
    二人ともが、真っ直ぐに自分の考えを開示し、真っ直ぐに相手へ質問をしているからこそ、内容の濃く、深い対談になっているのだと思う。
    ニーチェの星の友情とはまさにこの二人の間にあるもののことであろうと思えた。
    じっくり咀嚼しながら何度も読みたい本。

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    2012年08月01日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    「死者との適切な距離をどう保つのか」特に変化の激しいこれからの社会においてどう築いていくのかが我々に問われている。人それぞれだからそこには正解はない。でも距離を取るために何かが必要なのは確か。その一つが恐山なんだとも思う。普段死についてなんてあまり考えた事がないから頭がグルグルしたなー。

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    2012年07月14日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    伊勢神宮が式年遷都でパワーを新しく取り入れ続けるのなら、恐山はその逆だ。何もない空虚が人の思いを1200年間も吸収し続ける場だ。人は死ぬとどうなるのか。それは死者にしかわからないだろう。恐山の禅僧、かく語りき。

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    2012年07月01日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    死というものを考えるシリーズで読んだ。

    死者とタイトルに入っているが、別に心霊現象とかは出て来なくて、恐山という場所がそこを訪れる人々にとってどういう場所なのか、恐山の住職としての立場から考察した本。

    死者とは何なのかなんて、真面目に考えたことは無かったが、本書が言う通り、確かに死者は存在する。
    生前にその人が自分にもたらした影響は、いつまでも記憶に残る。
    それは、もはや自分の人格の一部を形成しているということだ。
    それが存在でなくて何であろうか。
    よく死者は心の中にいつまでも生き続けるというが、本当にそうだと思った。

    しかし、現実の存在として、その人がある日突然居なくなることもまた、確

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    2012年07月05日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    ネタバレ

    何の理由も意味もなく、無力なままでただボロッと生まれてくる。
    このボロッとという表現がよかった。
    ああ、そーだよなーって。
    なんかしっくりきた。
    んでもって、その無意味で無力な存在を
    ただそれでもいい、それだけでいい、と受け止めてくれる手、
    それが必要なんだ、ということ。
    たしかに、「あなたが、ただそこにいるだけでいい」
    そう言ってくれる人がいてくれれば、本当にそれだけでいいと思えた。
    もし、私が子供を産んで、育てることになるとしたら、
    そのメッセージだけは伝えられたらいいと思う。
    まあ、そう思えれば、だが。
    でも絶対的な自己肯定ってゆーのは確かにそのへんから生まれてくる気もする。
    理由とか意

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    2012年05月31日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

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    P.76、5行目からのくだりに「なるほど!」と感銘を受けた
    自分が普段考えている事をうまく言葉で表現できないでいたが
    まさに私が考えていた事とはこういうことだ。

     私はまだ生きてはいるが、私の過去は、すでに死者たちと同じ場所にある。
     (中略)ただ、私の大脳皮質側頭葉に残るか細い記憶が「その時」と今を
     結びつけるだけである。

    スッキリした。茂木さん、ありがとう。

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    2012年01月09日
  • 復興の精神

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    各界著名人が復興についての考え方を述べた共著。
    この本の存在は知ってたけど、もっと早くに、もっと震災についていろいろ考えた時期に、読んだらよかったかも。
    日本に好きになる一冊。

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    2011年11月04日
  • 復興の精神

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    3.11以降の心象風景は変わりました。正に本編の直哉先生の言葉の通りなのですが、彼らと私を分けたのは何だったのでしょうか?私はどうしようもない断絶と無常を感じ言葉がありません、自分は何をすれば良いのか、これからどうすれば良いのかという問いは、全て人の問いでもあると思います。この本に寄稿した方たちの思索が我々の足元を照らす一助になることを期待します。

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    2011年06月21日
  • 復興の精神

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    ネタバレ

    「これから」をどう考えるか。3・11以降を生きる杖。
    と、帯にあった通り、東日本大震災を経、これからをどう生きるかを9人が語っている。

    養老孟:精神の復興需要が起きる

    これを読みたくて買った一冊。いつもと違う養老センセ。スラスラとその思いのままに語り、面倒だから説明はヤメ、と突き放されるようないつもの文章よりも、ずっとずっと、静かでゆっくりとした口調で語られている。
    「周りがうるさくなってくると静かにする。ブレーキをかける。そういう習性が身に付いているのです。」(本文より抜粋)という姿勢からきているのかもしれないが、意外なほどに、淡々と「これから」を語っていた。

    「生きていれば、さまざま

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    2011年06月16日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

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    [ 内容 ]
    我々はどこから来たのか、そしてどこへ行くのか-。
    人類誕生以来、問われ続けてきたアポリア(難問題)に、脳科学者と禅僧が挑む。
    死はすべての者に平等に訪れる。
    けれど誰もが望んでこの世に生れてくることはできない。
    つまり、「私」に根拠はないのだ。
    だからこその苦、だからこその人生。
    それでも、その苦しみを引き受け、より良く生きるための方法はある。
    無常の闇に射す一筋の光明を探すため、存在を賭けた脳と仏教の真剣勝負。

    [ 目次 ]
    星の友情(茂木健一郎)
    1 無記の智慧(坐禅とクオリア 説明不足の仏教 悟りが最終目的ではない ほか)
    2 脳の快楽、仏教の苦(裸になれる場所 恐山の日

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    2011年05月22日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

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    なぜ自分は生まれてきたのか?何のために生きるのか?人類がずっと問い続けてきた難題をテーマに、禅僧と脳科学者が語り合う対談集です。
    この世に望んで生まれてきた者など誰もいない。だから、生れて生きることには、もともと根拠が無い。根拠の無いものを問い続けたところで、当然答えは得られない。答えのないものを探し求めるから苦しい、根拠がないからこそ、自ら死を選び取るのもひとつの道なのだ・・・・・と、本書ではそのような会話が交わされます。けれど、苦は快楽だとも・・・・・。
    修行とは解脱するために行うもの、悟りとは真理を見いだし、心の平安を得ることだと思っていましたが、そうではないのですねぇ。
    答えがないとわ

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    2009年12月12日