南直哉のレビュー一覧
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大人になると、悩みがだんだん少なくなると思っていました。
知識や経験が身に付き、自分が抱えている悩みが解決すると思っていました。
しかし、現実はそうではなく、常に沸き起こる問題、
そして悩みで潰されそうになる。一体どうすればいいんだろうか?
著者のアプローチは、自分が抱える問題の「答え」を「真理」として知ることではなく、
問題を「解決」する上での「方法」として、なんと、、、仏教に賭けた。
つまり、覚悟を決めて、「よし、(自分の問題解決として)仏教でやるしかない」と決意して
実行した(ただし、実行(出家)は、周囲との軋轢も反対も生む・それでも、解決したいという
強い思いが、著者にはあった)。
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「苦」に苛まれる「私」の外側に「God」という超越的存在を措定し、そこに救済を求めるのが一神教。
対して釈尊は、絶対不変というものはない、正確に言えば、そのようなものを我々は感得することはできないと看破し(無常観)、自分の外側に解決を求めるのではなく、「私という存在」のありようを諦め(明らめ)ることで「苦」から脱することができると説いた。
その境地が「悟り」と呼ばれるものだが、「悟り」がどういうものであるかは書き残されていない。
種々の宗派はその無常観や悟りを様々なコトバで表現しようとし奮闘するのだが、コトバを駆使する限り、「無常」は表現できない。
そのブレークスルーが著者にとって -
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南直哉(みなみじきさい、1958年~)は、早稲田大学第一文学部卒業後、サラリーマンを経て、1984年に出家得度した曹洞宗の禅僧。曹洞宗大本山永平寺で約20年の修行生活を送り、2005年より恐山菩提寺院代(住職代理)。
著者は、自分が抱えてきた問題である「死」について解決するすべを見つけるために仏道を志したと言うが、仏教の教えをあくまでも道具と捉えるスタンスは、僧侶としては異質で、周りから、「お坊さんらしくない」、「信仰がない」、「斯界のアウトサイダー」と言われると明かしている。
その著者が本書では、「死」と「死者」について、また、その文脈の中で恐山のもつ意味について語っているが、自らが「一本の -
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ネタバレ己とは何であるかという問いかけが「仏教」なんだそうだ。
哲学的な内容で難しく、読んでいる瞬間は分かったような気になるのだが、読み過ぎていくに従い、さらさらと行間から流れて落ちていくように忘れていってしまう。
その中で、「自殺」について触れられているところがあったので、少し端折りながら書き写しておきたいと思う。
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ブッダは「人生はまるごと苦しみだ」と言い切ったが、命は大切だとは言っていない。ならば、早く死んだほうがよい、自殺したって構わないと言ってもおかしくない。
しかし、彼はそう言わずに、困難な伝道の旅を野垂れ死ぬまで続けた。ブッダは苦しくとも生 -
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死というものを考えるシリーズで読んだ。
死者とタイトルに入っているが、別に心霊現象とかは出て来なくて、恐山という場所がそこを訪れる人々にとってどういう場所なのか、恐山の住職としての立場から考察した本。
死者とは何なのかなんて、真面目に考えたことは無かったが、本書が言う通り、確かに死者は存在する。
生前にその人が自分にもたらした影響は、いつまでも記憶に残る。
それは、もはや自分の人格の一部を形成しているということだ。
それが存在でなくて何であろうか。
よく死者は心の中にいつまでも生き続けるというが、本当にそうだと思った。
しかし、現実の存在として、その人がある日突然居なくなることもまた、確 -
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ネタバレ何の理由も意味もなく、無力なままでただボロッと生まれてくる。
このボロッとという表現がよかった。
ああ、そーだよなーって。
なんかしっくりきた。
んでもって、その無意味で無力な存在を
ただそれでもいい、それだけでいい、と受け止めてくれる手、
それが必要なんだ、ということ。
たしかに、「あなたが、ただそこにいるだけでいい」
そう言ってくれる人がいてくれれば、本当にそれだけでいいと思えた。
もし、私が子供を産んで、育てることになるとしたら、
そのメッセージだけは伝えられたらいいと思う。
まあ、そう思えれば、だが。
でも絶対的な自己肯定ってゆーのは確かにそのへんから生まれてくる気もする。
理由とか意