南直哉のレビュー一覧

  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

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    「夢や希望がないと人生がうまくいかないのでは」となんとなく焦りを感じる方にオススメの一冊。本書を通していえることは、生まれたいと思って生まれたのではないのだからうまくいかなくてあたりまえ。後ろ向きだなと思いますか?それはおそらく「親を選んで生まれてきました」と言われたほうが前向きでうれしいからでしょう。

    ●後悔は抱えたまま生きればいい
    「後悔のない人生にするには?」がキーワードの本が書店の店頭でよく見かけます。1回きりの人生、コスパの良いものにしたいに決まっているからです。でも、立場上たくさんの人を見送ってきた著者が断言します。「死ぬときに後悔が全くない人生を過ごした人はいない」。だから「あ

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    2022年10月27日
  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

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    改めて、仏教の教えとアドラー心理学は重なるところが多いなと感じた。生きることか死ぬこと以外に大変なことなど無いというお言葉に思わず笑ってしまた。問題の大きさを見抜くうえで役立つ視点の持ち方だと思う。冷たい夢という考え方もなるほどなとも感じた。夢や妄想はどこか煌びやかで華やかだけど、現実ではない。だから、夢から"覚め"、酔いどれから"醒め"、彩から"褪め"、そんな"冷め"た夢と言う考え方は心のどこかで持っておかないといけないよなって。人なのでどうしても欲してしまうけど、それは不安の裏返し。末期の眼をもって見つめ直した

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    2022年10月22日
  • 「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本

    購入済み

    生まれた意味などない

    「人はたまたまこの世に生まれただけであり、死はいくら考えても誰にもわからない」
    すべて受け容れ、生きていたいなら自分がやるべきだと思う事をして、出来た縁を大切にすること。

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    2022年09月09日
  • 善の根拠

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    『人間においてのみ、善悪が問題になるのは、この「自己」が「他者」に由来するという矛盾と困難があるからだ。すなわち、そういう存在の仕方を「自己」がしているからなのだ。この矛盾を矛盾として、困難を困難として認識できるということ(すなわち、それが「ある」こと)は、「自己」と「他者」の関係性それ自体を認識できるということである。(略)「自己」という存在が「他者から課された」という構造によって無根拠に開始されてしまうということである。善悪はこの構造に対する態度のとり方の問題なのだ』
    あと、3回はこの本を読まないと!

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    2022年07月14日
  • 不要不急―苦境と向き合う仏教の智慧―(新潮新書)

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    不要不急というお題で仏教僧がコロナを通じて語る本。お坊さんといっても仏教との距離感はさまざま。不要不急というお題は殊の外いろんなことをあぶり出す結果となっている。
    …真言より禅、、、やな。

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    2022年07月03日
  • 覚悟の決め方 僧侶が伝える15の智慧

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    便利で豊かな暮らしをめざす。果たしてそれでいいのか?このままの暮らしをしていてはいずれ立ちゆかなくなるのではないか?

    大震災から今の生き方を問われているという話など考えていかなければならないと思いました。

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    2022年06月27日
  • 生死の覚悟(新潮新書)

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    高村薫の転換点が阪神大震災だったということは聞いていた。そこで体験した「自分が死ぬということを覚悟する」ことが、その後の「晴子情歌」「新リア王」「太陽を曳く馬」の福澤影之3部作に結びつく。影之は高村薫の分身であったことを新書の中で告白している。そうやってみれば、生い立ちやライフストーリーは全然違うが、いくつか思い至るところがある。

    南直哉は、禅僧であり、道元の生き方の体現者である。どこから私淑したのかはわからないが、高村薫は彼を「師」と呼ぶ。
    びっくりしたのは、高村薫の小説作法である。「マークスの山」の水沢がフォークリフトを手足のように扱う様や、「柿照」の野田の熱処理加工管理の頭の整理の仕方

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    2019年07月22日
  • 「悟り」は開けない

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    大人になると、悩みがだんだん少なくなると思っていました。
    知識や経験が身に付き、自分が抱えている悩みが解決すると思っていました。
    しかし、現実はそうではなく、常に沸き起こる問題、
    そして悩みで潰されそうになる。一体どうすればいいんだろうか?

    著者のアプローチは、自分が抱える問題の「答え」を「真理」として知ることではなく、
    問題を「解決」する上での「方法」として、なんと、、、仏教に賭けた。
    つまり、覚悟を決めて、「よし、(自分の問題解決として)仏教でやるしかない」と決意して
    実行した(ただし、実行(出家)は、周囲との軋轢も反対も生む・それでも、解決したいという
    強い思いが、著者にはあった)。

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    2019年01月18日
  • 超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―

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     「苦」に苛まれる「私」の外側に「God」という超越的存在を措定し、そこに救済を求めるのが一神教。
     対して釈尊は、絶対不変というものはない、正確に言えば、そのようなものを我々は感得することはできないと看破し(無常観)、自分の外側に解決を求めるのではなく、「私という存在」のありようを諦め(明らめ)ることで「苦」から脱することができると説いた。
     その境地が「悟り」と呼ばれるものだが、「悟り」がどういうものであるかは書き残されていない。
     種々の宗派はその無常観や悟りを様々なコトバで表現しようとし奮闘するのだが、コトバを駆使する限り、「無常」は表現できない。

     そのブレークスルーが著者にとって

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    2018年11月11日
  • 超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―

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    ラディカルな論考。序章の1ページめから驚かされる。実存と超越、ぱっと見ると仏教書にしては変わったタイトルに感じるけれど、考えてみれば、仏教はずっとこの問題に向き合ってきたのだ。親鸞に関する論考は面白かった。自然法爾からあそこまで解体されるものなのか。釈徹宗先生あたりの意見も聞いてみたい。

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    2018年09月18日
  • 日常生活のなかの禅 修行のすすめ

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    南直哉師の初期論考を連読。『禅問答』は対話形式でしたが、こちらはモノローグでの仏教と曹洞宗の理解を深める内容で、時期が違っても同じく論じる一貫性に感服します。

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    2017年12月12日
  • 自分をみつめる禅問答

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    恐山の副山主・南直哉師による対話形式の仏教入門書と言えば聞こえがいいですが、プッダや道元禅師を超えて、縁起を基軸に非己があるからこそ自己があるとする仏教理解に沿って世間を再構築する試みには難解さがつきまといます。
    ここまでの理解にたどりつけるか、私自身に問われている気がします。

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    2017年12月11日
  • 「悟り」は開けない

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    生きる目的とか、幸せについてとか、答えを求める人にとっては物足りないのかもしれません。
    それでも僕のような、早い者勝ちの価値観にはついていけるけどノレない。
    一方で若者の無気力に違和感と、シンパシーを感じてしまう。
    そんな、時代の狭間の世代にとっては、大変面白く読むことができました。
    要するに今のままでいいんだ、と。
    夢と希望を追い求める時代は終わり、もっと肩の力を抜いて日々の喜びを噛みしめられることが何よりの幸せになる。
    読後、体が間違いなく軽くなる本です。

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    2017年09月12日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    南直哉(みなみじきさい、1958年~)は、早稲田大学第一文学部卒業後、サラリーマンを経て、1984年に出家得度した曹洞宗の禅僧。曹洞宗大本山永平寺で約20年の修行生活を送り、2005年より恐山菩提寺院代(住職代理)。
    著者は、自分が抱えてきた問題である「死」について解決するすべを見つけるために仏道を志したと言うが、仏教の教えをあくまでも道具と捉えるスタンスは、僧侶としては異質で、周りから、「お坊さんらしくない」、「信仰がない」、「斯界のアウトサイダー」と言われると明かしている。
    その著者が本書では、「死」と「死者」について、また、その文脈の中で恐山のもつ意味について語っているが、自らが「一本の

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    2016年07月02日
  • 復興の精神

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    この本の企画がいいなと思った。
    有事のあとに、我々は何をするべきか、どう考えるか、、、ということを、新潮新書編集部が発したいというに対して著名人が正面から応えた…ものとなっています。

    養老孟司氏の著書は何冊か読んできていますが、この原稿だけでも氏の集大成のような感じさえしてしまうほど、明確で深みのある言葉だと感じました。

    また、普段のモヤモヤを南直哉さんの言葉によってスッキリできました。
    この両名が個人的にはとても面白かった。

    軽い気持ちで借りたけどすごく重みのある書だった。
    本当に、悩める学生たちに読んでほしい。

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    2015年11月17日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    恐山の住職代理である僧侶が恐山の本質を説いた本。「死」について考えるうえで、様々な洞察を与えてくれる。
    恐山は、「もう一度会いたい 声が聞きたい」「また会いに来るからね」という生者の死者への想いによって支えられてきた「パワーレス・スポット」だという。死者は実在する。それは、幽霊や死後の世界があるというのではなく、死は生者の側にあり、生者の抱える欠落なのである。

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    2015年11月15日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    1200年続く霊場、恐山。いつか行きたいところ。開山期間は5/1-10/31。結界門、宇曾利湖、四つの外湯、イタコ、無記、7/20-24大祭、地蔵会、地獄谷、賽の河原、極楽浜、魂呼び、あなたがそこにいてくれるだけでうれしい、パワーレススポット、永平寺のダースベイダー、獅子吼林サンガ、恐山には死者が実在する、一番の供養は死者を想い出すこと。

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    2014年07月21日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    死は生者の側にあるーーー

    納得でした。
    まだ、身近な人の死に直面していないから、死、死者、魂、供養などについての私のイメージはぼんやりしているのだろう。亡くなった方から何かが発信され、誰もが同じように感じるのではなく、自分の中で形作られていくものなのだろう。安心した。様々な宗教があることも許容できる。

    ただ、そばにいた人が急にいなくなる恐怖は味わいたくない。考えるのも怖い。

    イタコと寺が無関係というのも驚きの事実でした

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    2013年09月30日
  • 〈問い〉の問答 同時代禅僧対談

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    親鸞が思想的に逝ってしまっているという指摘と、法華経と良寛がともに論旨不明という指摘は非常に共感した。

    般若心経でクマラジーヴァも玄奘三蔵も漢訳せずに音訳した『panya paramita』『anuttara samyak sambodhi』『gate, gate, para gate, parasan gate, bodhi, svaha』を中村元が逐語和訳したことへの批判はしばしば聞くが、サンスクリットの音ではなく、音読みで『ギャーテー…』って品無く読むだけなら、別に気にしなくても良いのでは?と思っていた(今もそう思っている。)。
    が、本書では特に、『bodhi』を完了形で訳した点を批判

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    2013年02月18日
  • 自分をみつめる禅問答

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    ネタバレ

    己とは何であるかという問いかけが「仏教」なんだそうだ。
    哲学的な内容で難しく、読んでいる瞬間は分かったような気になるのだが、読み過ぎていくに従い、さらさらと行間から流れて落ちていくように忘れていってしまう。
    その中で、「自殺」について触れられているところがあったので、少し端折りながら書き写しておきたいと思う。

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    ブッダは「人生はまるごと苦しみだ」と言い切ったが、命は大切だとは言っていない。ならば、早く死んだほうがよい、自殺したって構わないと言ってもおかしくない。

    しかし、彼はそう言わずに、困難な伝道の旅を野垂れ死ぬまで続けた。ブッダは苦しくとも生

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    2013年02月01日