南直哉のレビュー一覧
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南直哉(みなみじきさい、1958年~)は、早稲田大学第一文学部卒業後、サラリーマンを経て、1984年に出家得度した曹洞宗の禅僧。曹洞宗大本山永平寺で約20年の修行生活を送り、2005年より恐山菩提寺院代(住職代理)。
著者は、自分が抱えてきた問題である「死」について解決するすべを見つけるために仏道を志したと言うが、仏教の教えをあくまでも道具と捉えるスタンスは、僧侶としては異質で、周りから、「お坊さんらしくない」、「信仰がない」、「斯界のアウトサイダー」と言われると明かしている。
その著者が本書では、「死」と「死者」について、また、その文脈の中で恐山のもつ意味について語っているが、自らが「一本の -
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ネタバレ己とは何であるかという問いかけが「仏教」なんだそうだ。
哲学的な内容で難しく、読んでいる瞬間は分かったような気になるのだが、読み過ぎていくに従い、さらさらと行間から流れて落ちていくように忘れていってしまう。
その中で、「自殺」について触れられているところがあったので、少し端折りながら書き写しておきたいと思う。
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ブッダは「人生はまるごと苦しみだ」と言い切ったが、命は大切だとは言っていない。ならば、早く死んだほうがよい、自殺したって構わないと言ってもおかしくない。
しかし、彼はそう言わずに、困難な伝道の旅を野垂れ死ぬまで続けた。ブッダは苦しくとも生 -
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死というものを考えるシリーズで読んだ。
死者とタイトルに入っているが、別に心霊現象とかは出て来なくて、恐山という場所がそこを訪れる人々にとってどういう場所なのか、恐山の住職としての立場から考察した本。
死者とは何なのかなんて、真面目に考えたことは無かったが、本書が言う通り、確かに死者は存在する。
生前にその人が自分にもたらした影響は、いつまでも記憶に残る。
それは、もはや自分の人格の一部を形成しているということだ。
それが存在でなくて何であろうか。
よく死者は心の中にいつまでも生き続けるというが、本当にそうだと思った。
しかし、現実の存在として、その人がある日突然居なくなることもまた、確 -
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ネタバレ何の理由も意味もなく、無力なままでただボロッと生まれてくる。
このボロッとという表現がよかった。
ああ、そーだよなーって。
なんかしっくりきた。
んでもって、その無意味で無力な存在を
ただそれでもいい、それだけでいい、と受け止めてくれる手、
それが必要なんだ、ということ。
たしかに、「あなたが、ただそこにいるだけでいい」
そう言ってくれる人がいてくれれば、本当にそれだけでいいと思えた。
もし、私が子供を産んで、育てることになるとしたら、
そのメッセージだけは伝えられたらいいと思う。
まあ、そう思えれば、だが。
でも絶対的な自己肯定ってゆーのは確かにそのへんから生まれてくる気もする。
理由とか意 -
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ネタバレ「これから」をどう考えるか。3・11以降を生きる杖。
と、帯にあった通り、東日本大震災を経、これからをどう生きるかを9人が語っている。
養老孟:精神の復興需要が起きる
これを読みたくて買った一冊。いつもと違う養老センセ。スラスラとその思いのままに語り、面倒だから説明はヤメ、と突き放されるようないつもの文章よりも、ずっとずっと、静かでゆっくりとした口調で語られている。
「周りがうるさくなってくると静かにする。ブレーキをかける。そういう習性が身に付いているのです。」(本文より抜粋)という姿勢からきているのかもしれないが、意外なほどに、淡々と「これから」を語っていた。
「生きていれば、さまざま -
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[ 内容 ]
我々はどこから来たのか、そしてどこへ行くのか-。
人類誕生以来、問われ続けてきたアポリア(難問題)に、脳科学者と禅僧が挑む。
死はすべての者に平等に訪れる。
けれど誰もが望んでこの世に生れてくることはできない。
つまり、「私」に根拠はないのだ。
だからこその苦、だからこその人生。
それでも、その苦しみを引き受け、より良く生きるための方法はある。
無常の闇に射す一筋の光明を探すため、存在を賭けた脳と仏教の真剣勝負。
[ 目次 ]
星の友情(茂木健一郎)
1 無記の智慧(坐禅とクオリア 説明不足の仏教 悟りが最終目的ではない ほか)
2 脳の快楽、仏教の苦(裸になれる場所 恐山の日 -
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なぜ自分は生まれてきたのか?何のために生きるのか?人類がずっと問い続けてきた難題をテーマに、禅僧と脳科学者が語り合う対談集です。
この世に望んで生まれてきた者など誰もいない。だから、生れて生きることには、もともと根拠が無い。根拠の無いものを問い続けたところで、当然答えは得られない。答えのないものを探し求めるから苦しい、根拠がないからこそ、自ら死を選び取るのもひとつの道なのだ・・・・・と、本書ではそのような会話が交わされます。けれど、苦は快楽だとも・・・・・。
修行とは解脱するために行うもの、悟りとは真理を見いだし、心の平安を得ることだと思っていましたが、そうではないのですねぇ。
答えがないとわ