南直哉のレビュー一覧

  • 「悟り」は開けない

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    大人になると、悩みがだんだん少なくなると思っていました。
    知識や経験が身に付き、自分が抱えている悩みが解決すると思っていました。
    しかし、現実はそうではなく、常に沸き起こる問題、
    そして悩みで潰されそうになる。一体どうすればいいんだろうか?

    著者のアプローチは、自分が抱える問題の「答え」を「真理」として知ることではなく、
    問題を「解決」する上での「方法」として、なんと、、、仏教に賭けた。
    つまり、覚悟を決めて、「よし、(自分の問題解決として)仏教でやるしかない」と決意して
    実行した(ただし、実行(出家)は、周囲との軋轢も反対も生む・それでも、解決したいという
    強い思いが、著者にはあった)。

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    2019年01月18日
  • 超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―

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     「苦」に苛まれる「私」の外側に「God」という超越的存在を措定し、そこに救済を求めるのが一神教。
     対して釈尊は、絶対不変というものはない、正確に言えば、そのようなものを我々は感得することはできないと看破し(無常観)、自分の外側に解決を求めるのではなく、「私という存在」のありようを諦め(明らめ)ることで「苦」から脱することができると説いた。
     その境地が「悟り」と呼ばれるものだが、「悟り」がどういうものであるかは書き残されていない。
     種々の宗派はその無常観や悟りを様々なコトバで表現しようとし奮闘するのだが、コトバを駆使する限り、「無常」は表現できない。

     そのブレークスルーが著者にとって

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    2018年11月11日
  • 超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―

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    ラディカルな論考。序章の1ページめから驚かされる。実存と超越、ぱっと見ると仏教書にしては変わったタイトルに感じるけれど、考えてみれば、仏教はずっとこの問題に向き合ってきたのだ。親鸞に関する論考は面白かった。自然法爾からあそこまで解体されるものなのか。釈徹宗先生あたりの意見も聞いてみたい。

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    2018年09月18日
  • 日常生活のなかの禅 修行のすすめ

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    南直哉師の初期論考を連読。『禅問答』は対話形式でしたが、こちらはモノローグでの仏教と曹洞宗の理解を深める内容で、時期が違っても同じく論じる一貫性に感服します。

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    2017年12月12日
  • 自分をみつめる禅問答

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    恐山の副山主・南直哉師による対話形式の仏教入門書と言えば聞こえがいいですが、プッダや道元禅師を超えて、縁起を基軸に非己があるからこそ自己があるとする仏教理解に沿って世間を再構築する試みには難解さがつきまといます。
    ここまでの理解にたどりつけるか、私自身に問われている気がします。

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    2017年12月11日
  • 「悟り」は開けない

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    生きる目的とか、幸せについてとか、答えを求める人にとっては物足りないのかもしれません。
    それでも僕のような、早い者勝ちの価値観にはついていけるけどノレない。
    一方で若者の無気力に違和感と、シンパシーを感じてしまう。
    そんな、時代の狭間の世代にとっては、大変面白く読むことができました。
    要するに今のままでいいんだ、と。
    夢と希望を追い求める時代は終わり、もっと肩の力を抜いて日々の喜びを噛みしめられることが何よりの幸せになる。
    読後、体が間違いなく軽くなる本です。

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    2017年09月12日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    南直哉(みなみじきさい、1958年~)は、早稲田大学第一文学部卒業後、サラリーマンを経て、1984年に出家得度した曹洞宗の禅僧。曹洞宗大本山永平寺で約20年の修行生活を送り、2005年より恐山菩提寺院代(住職代理)。
    著者は、自分が抱えてきた問題である「死」について解決するすべを見つけるために仏道を志したと言うが、仏教の教えをあくまでも道具と捉えるスタンスは、僧侶としては異質で、周りから、「お坊さんらしくない」、「信仰がない」、「斯界のアウトサイダー」と言われると明かしている。
    その著者が本書では、「死」と「死者」について、また、その文脈の中で恐山のもつ意味について語っているが、自らが「一本の

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    2016年07月02日
  • 復興の精神

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    この本の企画がいいなと思った。
    有事のあとに、我々は何をするべきか、どう考えるか、、、ということを、新潮新書編集部が発したいというに対して著名人が正面から応えた…ものとなっています。

    養老孟司氏の著書は何冊か読んできていますが、この原稿だけでも氏の集大成のような感じさえしてしまうほど、明確で深みのある言葉だと感じました。

    また、普段のモヤモヤを南直哉さんの言葉によってスッキリできました。
    この両名が個人的にはとても面白かった。

    軽い気持ちで借りたけどすごく重みのある書だった。
    本当に、悩める学生たちに読んでほしい。

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    2015年11月17日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    恐山の住職代理である僧侶が恐山の本質を説いた本。「死」について考えるうえで、様々な洞察を与えてくれる。
    恐山は、「もう一度会いたい 声が聞きたい」「また会いに来るからね」という生者の死者への想いによって支えられてきた「パワーレス・スポット」だという。死者は実在する。それは、幽霊や死後の世界があるというのではなく、死は生者の側にあり、生者の抱える欠落なのである。

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    2015年11月15日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    1200年続く霊場、恐山。いつか行きたいところ。開山期間は5/1-10/31。結界門、宇曾利湖、四つの外湯、イタコ、無記、7/20-24大祭、地蔵会、地獄谷、賽の河原、極楽浜、魂呼び、あなたがそこにいてくれるだけでうれしい、パワーレススポット、永平寺のダースベイダー、獅子吼林サンガ、恐山には死者が実在する、一番の供養は死者を想い出すこと。

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    2014年07月21日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    死は生者の側にあるーーー

    納得でした。
    まだ、身近な人の死に直面していないから、死、死者、魂、供養などについての私のイメージはぼんやりしているのだろう。亡くなった方から何かが発信され、誰もが同じように感じるのではなく、自分の中で形作られていくものなのだろう。安心した。様々な宗教があることも許容できる。

    ただ、そばにいた人が急にいなくなる恐怖は味わいたくない。考えるのも怖い。

    イタコと寺が無関係というのも驚きの事実でした

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    2013年09月30日
  • 自分をみつめる禅問答

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    ネタバレ

    己とは何であるかという問いかけが「仏教」なんだそうだ。
    哲学的な内容で難しく、読んでいる瞬間は分かったような気になるのだが、読み過ぎていくに従い、さらさらと行間から流れて落ちていくように忘れていってしまう。
    その中で、「自殺」について触れられているところがあったので、少し端折りながら書き写しておきたいと思う。

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    ブッダは「人生はまるごと苦しみだ」と言い切ったが、命は大切だとは言っていない。ならば、早く死んだほうがよい、自殺したって構わないと言ってもおかしくない。

    しかし、彼はそう言わずに、困難な伝道の旅を野垂れ死ぬまで続けた。ブッダは苦しくとも生

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    2013年02月01日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    死は観念的なものであり、決して理解できるものではない。けれども死者はリアルな存在である。ふとした時、死んだ人間の言葉や立ち振舞いがとても懐かしく思い出されることがある。それは自分は他者との関係性の中に存在するものであると同時に、死者との関係性、著者の言葉を借りれば「不在の関係性」の中にも存在することを意味するものだろう。死んで姿形はなくとも、全てが消え去るわけではないんだと。一度、恐山に行ってみたいな。

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    2013年01月07日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

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    茂木健一郎と南直哉の3回に渡る対談を書き記した形式で、脳とは?死とは?とクオリアやお互いの哲学を元に語り合っている。
    なぁなぁとした対談ではなく攻撃的でなかなかどうして笑ってしまった。

    南という方を初めて知った本。
    禅僧についてのイメージが間違ってたのかもしれないが
    宗教家ぽくないという感想を持った。救世の気持ちはあるのだろうか。
    二人ともとても個人的な、根源的な欲求から脳について本気で考えてるんだと思う。但しだからこそ、今後の展開で民衆(私)は救われる手筈が見つかるかもしれない。

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    2013年01月04日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

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    攻めの姿勢の対談本だった。
    南さんが苦、ととらえるものを、茂木さんが快楽ととらえているところが面白い。そのように違った捉え方をしているかと思えば、方法論は同じだったり、またその逆があったり。
    二人ともが、真っ直ぐに自分の考えを開示し、真っ直ぐに相手へ質問をしているからこそ、内容の濃く、深い対談になっているのだと思う。
    ニーチェの星の友情とはまさにこの二人の間にあるもののことであろうと思えた。
    じっくり咀嚼しながら何度も読みたい本。

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    2012年08月01日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    「死者との適切な距離をどう保つのか」特に変化の激しいこれからの社会においてどう築いていくのかが我々に問われている。人それぞれだからそこには正解はない。でも距離を取るために何かが必要なのは確か。その一つが恐山なんだとも思う。普段死についてなんてあまり考えた事がないから頭がグルグルしたなー。

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    2012年07月14日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    伊勢神宮が式年遷都でパワーを新しく取り入れ続けるのなら、恐山はその逆だ。何もない空虚が人の思いを1200年間も吸収し続ける場だ。人は死ぬとどうなるのか。それは死者にしかわからないだろう。恐山の禅僧、かく語りき。

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    2012年07月01日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    死というものを考えるシリーズで読んだ。

    死者とタイトルに入っているが、別に心霊現象とかは出て来なくて、恐山という場所がそこを訪れる人々にとってどういう場所なのか、恐山の住職としての立場から考察した本。

    死者とは何なのかなんて、真面目に考えたことは無かったが、本書が言う通り、確かに死者は存在する。
    生前にその人が自分にもたらした影響は、いつまでも記憶に残る。
    それは、もはや自分の人格の一部を形成しているということだ。
    それが存在でなくて何であろうか。
    よく死者は心の中にいつまでも生き続けるというが、本当にそうだと思った。

    しかし、現実の存在として、その人がある日突然居なくなることもまた、確

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    2012年07月05日
  • 恐山―死者のいる場所―

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    ネタバレ

    何の理由も意味もなく、無力なままでただボロッと生まれてくる。
    このボロッとという表現がよかった。
    ああ、そーだよなーって。
    なんかしっくりきた。
    んでもって、その無意味で無力な存在を
    ただそれでもいい、それだけでいい、と受け止めてくれる手、
    それが必要なんだ、ということ。
    たしかに、「あなたが、ただそこにいるだけでいい」
    そう言ってくれる人がいてくれれば、本当にそれだけでいいと思えた。
    もし、私が子供を産んで、育てることになるとしたら、
    そのメッセージだけは伝えられたらいいと思う。
    まあ、そう思えれば、だが。
    でも絶対的な自己肯定ってゆーのは確かにそのへんから生まれてくる気もする。
    理由とか意

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    2012年05月31日
  • 人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答―

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    P.76、5行目からのくだりに「なるほど!」と感銘を受けた
    自分が普段考えている事をうまく言葉で表現できないでいたが
    まさに私が考えていた事とはこういうことだ。

     私はまだ生きてはいるが、私の過去は、すでに死者たちと同じ場所にある。
     (中略)ただ、私の大脳皮質側頭葉に残るか細い記憶が「その時」と今を
     結びつけるだけである。

    スッキリした。茂木さん、ありがとう。

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    2012年01月09日