あらすじ
日常生活の底に突如開く深淵――無常。根拠なき生をかかえ、「このままでよいのか」という想いにとらわれるとき、禅はラディカルな技術(メチエ)となる。永平寺の若き俊英が、釈尊・道元の教えを元に仏教思想を根幹から説き起こし、現代における禅の可能性を探る、アクチュアルな坐禅のすすめ。 (講談社選書メチエ)
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Posted by ブクログ
以前宮崎奕保禅師の本を読んでから禅には興味があり続けている。只管打坐文字通り体現された偉大な僧侶。
こちらの本は論理的に禅とは何かを突き詰めていき、違うアプローチで読めて興味深かった。
Posted by ブクログ
南直哉師の初期論考を連読。『禅問答』は対話形式でしたが、こちらはモノローグでの仏教と曹洞宗の理解を深める内容で、時期が違っても同じく論じる一貫性に感服します。
Posted by ブクログ
曹洞宗の僧侶である著者が、ラディカルな生き方の教えとしての禅の意義について論じている本です。
タイトルは「日常生活のなかの禅」となっていますが、著者は生活そのものについての問いを深めることなく、禅を実用的に生かそうとする心構えを批判しています。「私が思うに、焦点をあてるべきは、「宗教」である以前に、「信じる」行為である。それは自分にとって、どのような行為なのか。それは必要なのか、どうして必要なのか。こうした反省もなく、「信じる」こと抜きで宗教を役に立てようというのは、能書きだけ読んで薬を飲んだことにするのと同じで、所詮無意味だろう」と著者はいいます。
そのうえで著者は、欲望とはなにか、自己とはなにかという問いを、道元をはじめとする禅の祖師たちのことばを解説しつつ掘り下げ、生活そのものを禅の実践とするような生き方を論じています。
すこし引っかかったのは、鈴木大拙の思想について、悟りを特殊な経験と解釈する立場だと著者はいい、それを批判している点です。大拙の禅理解が実証的な仏教学の観点からは問題を含んでいることはたしかでしょうが、禅の心境的解釈を批判していたのも大拙であり、著者自身の説く禅の立場とそれほどへだたりがあるようには思えませんでした。