小田嶋隆のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「友達」という存在は、自分の年齢と共に変わってきます。
特に濃密なのは、中学・高校時代でしょうか。
「青春って、すごく密なので」という、仙台育英高の監督の言葉にみんなが共感したのは、そういう理由もあずかっているのだと思います。
小田嶋隆さんは、「友達」についてどう考えているのでしょうか(故人なので、過去形にすべきなのでしょうが、まだ受け入れられていません)。
小田嶋ファンにとっては、とても興味深いテーマです。
まさか賛美することはあるまい。
でも、じゃあ、どのように定義、位置付けをするのでしょうか。
位置づけをした上での距離感も含めて、大いに関心があります。
本書で小田嶋さんは、「友達」という存在が、年を経るに従って変質していくさまを、実に的確に表現しています。
「小学生にとってクラスメイトの半数以上は友だちだった。」
「中学生になると、クラスの中で頻繁に行き来する仲間の数は5人ぐらいに減少する。」
「これが高校生になると、クラスのうちの半分は、はなから没交渉になる。」
「子どもが大人になるということは、そのまま友だちを失っていく過程であったりする。」
さて、では、大人になると、どうなるのでしょうか。
「で、大人になると、友だちは、事実上消滅する。」
嗚呼、何ということでしょう。
でも、事実そうなのですから仕方ない。
読後、「友達」という、よく考えると不思議な存在に対する見方が劇的に変わっているでしょう。
ぼくは、「友だちは、友だちという外部の対象である以上に、自分自身の幼年期の延長なのだ」という言葉に、深く感じ入りました。
ピタリとくっつくように隣にあるのに、なぜか触れることができないような、もどかしい思い。
小田嶋さんは、こんな複雑な感情を読者に催させる書き手でもありました。
余りにも早すぎる死で、ただただ残念です。 -
Posted by ブクログ
この本をまさに読もうとしたときに、訃報を知った。
本当に残念、悲しく寂しい。
コラムニスト、いや文筆家として、誰よりも才能にあふれている人だと、私はいちばんに尊敬していたのです。
あの辛口エッセンスが大好きだったのだ。
この本も洒脱の効いたエッセイと思って読み始めたところ、なんと小説ではないか!
(実は文京区から読み始めたので、まだ小説だとは気づかなかった(^^;)
まさか小説にも挑戦していたとは・・・この先が続かないのが本当に残念無念。
岡康道さんとの長い付き合いでの掛け合いも好きでした。岡さんの訃報を知った時もびっくりしたのに、まさかでした。
ご冥福をお祈りいたします。 -
Posted by ブクログ
平成元年は1989年、「ベルリンの壁」の撤去が始まった年であり、その後の東西ドイツ統一、ソ連を含めた東側陣営の崩壊、東西冷戦の終結へと向かっていく最初の年であった。また、この年の12月29日には、日経平均株価が38,915円の最高値をつけ、バブル経済の絶頂を迎えている。この年が絶頂であったということは、平成の時代を通じて、日本の経済は停滞あるいは衰退を続けていったということだ。
平成が終わったのは、平成31年、2019年のことだ。昭和が終わり平成が始まったのは、昭和天皇のご崩御によったわけであるが、平成が終わり、令和が始まったのは、平成天皇・明仁天皇が自ら退位の意思を示されたからであった。
平成の30年間というのは、どういう時代だったのか、ということを、内田樹をはじめとする論客たち、白井聡・平田オリザ・鷲田清一・ブレイディみかこ、といった人たちが論じた文章を集めたものが本書である。
内田樹が最初に書いていますが、平成が始まる時にはソ連が崩壊する等とは全く考えていなかったし、その後、プーチンが登場して、再度、強権的な国家に逆戻りする等ということは思いもよらなかった。また、日本の経済の強さが、ここまであっけなく崩壊してしまうとは全く思っていなかったし、それが30年間も現在進行形で続くとは、全く考えていなかった。
読んでみての感想は、ことほどさように、未来を予測することは難しいということである。日本の未来に対しては、今のところ暗い予測しかないが、もしかしたら、それがはずれるかもしれない、という超ネガティブな期待を感じた。 -
Posted by ブクログ
残念ながら先日亡くなられてしまいました
CMプランナーの岡康道氏と、人気エッセ
イストの小田嶋氏は高校の同級生なのです。
その二人の対談集です。
でも同級生同士の対談なので、思い出話か
らスポーツネタまで、あっちこっちと話が
飛びますが、二人とも世界を見る洞察力が
非常に高いです。
しかも高校生の頃から世間をナナメに見て
いて、流行に流されるわけでもなく、一人
の世界に入り込むのでもなく、歩むべき
人生を歩んできたのだなあと感じます。
当時還暦も越えたお二人ですが、特に小田
嶋氏にはもっともっとこれからも世間を
ナナメ切りしてほしいと願います。 -
Posted by ブクログ
敬愛してやまないコラムニスト、小田嶋隆さんの新刊です。
小田嶋さんがライフワークにしているツイッターに投稿した短文をまとめ、新進気鋭のライター、武田砂鉄さんの解説を付けたのが本書。
投稿した期間は、2011年~2020年。
つまり、東日本大震災から現在のコロナ禍までという「災いの間」。
これが本書のタイトルになっています。
いや、読み応えがありました。
ソフトカバー、366ページに、おびただしい量の小田嶋さんの投稿が載っています。
その中から、「これぞ小田嶋節」というのを、独断と偏見でご紹介します。
【2011年】
・テレビや新聞などの既存メディアを相対化するところまでは理解できる。問題点を指摘する態度も。でも、巨大メディアをあっさり見下して「マスゴミ」とか言っちゃう人たちにはちょっと懸念を感じますよ。何様なのかと。
【2012年】
・マスゴミが情報を操っているとか思っている人たちは、雨を降らせてるのが気象庁だと考えているのだろうな。
・「どういう意味ですか?」という質問には、「あなたが受け止めている通りの意味ですよ」と答えておけば良い。そうすれば言質を取られずに済む。
・他人にものを教える設定でしかコミュニケーションを取れない人がいますね。
・マネジメントという言葉は、自分以外の人間をコントロール可能な資源と見なす思想を含んでいる。アタマの中で考えるのは勝手だけど、私の前で使うのは失礼なのでやめてほしい。
【2013年】
・「すべてを前向きに受けとめて、ポジティブな言葉だけを使うように心がけていれば、世界がハッピーに回転していくはずだ」という思想ないしは信仰は、自己啓発ビジネスの顧客誘引トークなわけだが、洗脳が進んだ段階では信者の不満を封殺する自己抑圧の論理として機能してもいる。
【2014年】
・資産のない人間は政治家になれない。資産のある人間は政治家にならない。政治を通じて資産を作る人間だけが政治家になる。
・「グローバル人材」という言葉を使う人間が想定している人材は、「グローバルな企業なり資本なりにとって好適な人材」ということです。で、当然のことながら、人間を人材に教育する加工過程は、樹木を材木にする製材工程と同じもので、要するに無駄な枝葉を落とすわけです。
・仕事より大切な何かをするためにでないと仕事を休んではいけないという考え方がそもそもどうかしている。「休みたくなったから休む」とか、「なんとなく休む」とか、「理由は言えないけど休む」みたいな休み方が容認されているのでなければ、休むことにならない。
・「個性」はOKだけど「わがまま」はダメですみたいなお話って、要するに「都合の良い個性だけを選択的に伸ばす」ということで、教育を受ける側から評価すれば、まるっきりの個性圧殺ですよ。
【2015年】
・どんなに強く踏んでも、ダメージを受けるのは靴の方だというのがうんこの強み。
・「ブロック機能があるのだから失礼なリプも許される」のだとしたら、「ヘルメットかぶってるヤツは殴っても良い」ということになるし、極論すれば「保険に入ってるヤツは殺しても良い」ことにだってなりかねない。
・「兵站」と「後方支援」と言い換える手口が、「武器輸出」を「防衛施設移転」に言い換えて合法化した時のやり口そのまんまであることから察するに、そのうち「戦争」も「平和希求活動」ぐらいな言い方でアナウンスされることになるのだろうからして、長い気はしたくないものだぜ。
・「みなさまのNHK」は、今後「一部のみなさまのNHK」と、正しく実態を反映した言い方にあらためてもらいたい。
・「一部のみなさまのNHK」って、なんか謙虚でいいな。
・区別がつかないほど似た人間同士が相互フォローしているツイッターの世界のコミュニケーションを見ていると、リアルな世界の健全さに思い至る。容易に本音が言い出せないからこそ、われわれは異質な人間と交流しているわけで、たぶん、その付き合いを通じてかろうじて正常さを保っているのだと思う。
【2016年】
・はじめて見るものに心惹かれたり、通りすがりのできごとに感動したり、はじめて会う人の話を真剣に聴いたり、そういうところがないと創作はむずかしい。だからクリエーターはだまされやすい。
・おっしゃるとおりですが余計なお世話です を単語登録した。
・国を守るというのはつまり国民の命を守ることなのだが、一方、国を守るためには国民の命を捨てなければならない。とすると、国民の命を守るために国民の命を捨てるという矛盾律に陥るわけだが、実際には命を守られる国民と命を捨てる国民はあらかじめ別々に決まっているので心配は要らない。
【2017年】
・日本学術会議から学術を追放すると日本会議になることからも、学術の必要性は明らか。
【2018年】
・もう少し詳しく言うと、「過剰な正義」という問題の立て方を通じて、大切な何かを訴えている人々の行動や考え方を相対化しにかかる態度と、「ちょうど良いブス」みたいなフレーズを通じて一部の人間への一方的な迫害を免罪してしまう態度は、いずれも強者の論理に裏打ちされているということです。
・ちょうどいい差別、ちょうどいい虐待、ちょうどいい自虐、ちょうどいい拷問、ちょうどいい冷笑、ちょうどいい屈従、ちょうどいい支配隷従関係、ちょうどいい人権弾圧、ちょうどいい蹂躙、ちょうどいい暴力、ちょうどいい殺人、ちょうどいい殲滅、ちょうどいい粉骨砕身、ちょうどいい制裁。
【2019年】
・「人生再設計」「一億総活躍」「人づくり革命」「働き方改革」「みんなにチャンス!構想」「3年間抱っこし放題」と、あらためて並べてみると、これ、作者同じ人だよね。
・義理人情を踏みにじる決意さえかためれば、人生はわりとシンプルになる。どこまで踏みにじるのかが大切なポイントではあるのだが、個人的には全面的に踏みにじるのがわかりやすいプリンシプルだと思っている。
【2020年】
・「類は友を呼ぶ」を、官邸用語に翻訳すると「適材適所」になる。これ豆知識な。
・オンラインサロン界隈の人間の「お互いの成長につながらない対話って意味ないじゃないですか」式の思い込みって、何なんだろうね。オレの側からすればあんたの成長なんて知ったことじゃないし、それ以前に、人間が対話なんかで成長してたまるものかと思ってる俺の立場を尊重してほしい。
・「〝ウィズコロナ〟における新しい旅のスタイル」って、アタマの悪い学生が書いてきた卒業論文の仮タイトルのようでもあるし、地方都市の広告代理店の若造が市の観光課に持ってくるキャンペーン広告のラフ案みたいでもあるな。