小田嶋隆のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
【読書メモ】
p185
・何のために勉強するのですか?
自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです。山本義隆
p190
・同じことを、違った側面から考える視点を与えてもらうためにディスカッションをするのです。当たり前のことですが、自分は自分の考えに染まりきっています。そこへ、違う刺激を与えてもらって、自分の考えを方向転換させたり、バージョンアップさせたりすることが重要なのです。
p103
・科学がグローバルである最大の理由は、真実をあつかうからということです。
…科学的な視点は予測できない社会を生きるうえでの全員にとってマストなものの見方なのかもしれない。情緒的に考えたとしても、それを相手に理解できる自分の言葉で伝えて、ブラッシュアップしていかなきゃいけない。誰かが先に答えを用意してくれている時代でないのであれば、自分の考え、意思を言語化して、まず自分を納得させることができなければ、何も頼りにするものがなくなってしまうから。自分を納得させるために、何故自分がそう考え、思ったのか、その前に何が頭に浮かんだのかを自分自身に伝えなければならない。
科学的なものの見方とは、パラダイムが人間の思考をいかに制限・固定・維持しているかを理解したうえで①まず疑う、②データに基づいて具体的に説明する③合理的に考える④いっしょに考えてグロ−バルに展開してくという流れ。
・消費社会について
…資本主義がすすみ、消費社会が到来した。最初は「必要だから」何かを求めていたものが、今では「これを持っていると周りから羨望の眼差しを向けられるから」といった“意味”に価値が置かれている。だって、物が溢れる時代に、物をほしがり続けてもらわないと資本主義は回らないのだから。
しかし、そうした消費社会の高度化が人間精神の在り方に異常を来していると筆者は述べる。「お買い物」の論理を、その論理が当てはまらないもにまで当てはめようとしているからだ。
選挙の投票や教育はその良い例。
投票は、投票したい候補者がいないし行っても無駄、という合理的な考えで処理されることがあるが、その危険性はでかい。あなたがほしがるものをお膳立てしてくれるわけではない。あなたが何もしなかった行為そのものが、結局はあなたとあなた以外の人にふりかかることになる。だから、「もっともマシ」だと思う人に投票することが求められる。
また、教育はお金を払えばすぐに分かりやすい商品価値が返されるものではない。つまり、商品として捉えるならば出来損ない。さらに教育が商品とみなされたが、教育は不可能になる。学ぶ主体が「消費者である」と自己認識している限り、最低限の支出で最大限の有用性を得ようとしている限り、教育は死ぬ。お客様→学ぶ主体
・「愛国心」について
…そもそも「国」をどう捉えるかは3種類ある
①外国的に「独立国」として承認されている国家の領土
②その領土内に住む国民を特定の政府が統治する国家体制
③政府に統治される側の、一人一人の国民の命と生活環境
時代的背景によって、上記の優先順位は前後する。
第二次世界大戦で、ドイツ軍に攻め入れられたフランスは、わずか6週間で降伏を宣言した。③市民の命を最優先にし、①領土の半分を失い、③ドイツ寄りの中立の立場をとることになった。
一方、太平洋戦争中の日本は、軍人や市民の命が犠牲になったとして、早く負けを認めて戦争をお渡せようという空気は起きなかった。なぜなら②天皇とその天皇が統治する国家体制が何よりの崇高なものであったわけで、③はそれを支えるために存在していると解釈されていたから。
日本で「愛国心」というと、この戦時中のイメージが先行されてしまうきらいがある。なぜなら、平和な時代の③を優先する愛国心(いわゆる新バージョンの愛国心)の概念ができあがっていないから。
反戦運動をする人に対して「裏切り者」や「売国奴」などど軽々しく言うひとにとっての愛国心は、②と③を最優先にさせたもので、指導者が決めた物事について疑いをかけずに従順に突き進んでくれる都合の良い存在。いわゆる「馬鹿」なのだけれど、そんな存在を刺激するには近隣諸国に敵をつくって、危機を煽れば良い。そういったかれらにとっての愛国心は、本当は国を破滅に導くとも知らずに、彼らはついてくるから。
「もしかしたら、自分の国の指導者は間違った判断をするかもしれない」と考える市民、そして命を最優先に考える市民にとっての「愛国心」は上の人たちとは違うことを理解しておく必要がある。
自国の黒歴史、つまり、戦争のために命を落とした人たちの死が無駄であったか、そうでなかったかは軽々しく結論付けられないが、それを決めるのは現在と将来の私達の行動にかかっている。
P281
ブレーズ・パスカル「われわれは絶望が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶望のほうへ走っている」(パンセ) -
Posted by ブクログ
小田嶋隆が止まりません。
単行本でも読みましたが、この度めでたく文庫本となったので、一も二もなく購入しました。
著者は、「ポエム」が性質の悪い感冒のように社会に蔓延していると危惧します(いや、そうは言ってませんが、多分そういうことなのでしょう)。
では、ポエムとは何か?
実例を見ていただければ、たちどころに了解するでしょう。
□□□
俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。
―中略―
サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。
□□□
中田永寿の引退声明文です。
著者は「率直に申し上げて、私は気持ちが悪かった。鳥肌が立った。30歳間近の男が、ここまで臆面もなく自分語りをしてしまって、後の人生は大丈夫なのか、と、心配になった。」と余計な心配をしています笑。
いや、私も余計な心配をしてしまいました。
まあ、でも、その分野の第一線で活躍したアスリートだけに、引退に際して必要以上にノスタルジックになるのは、心の情動として致し方ないのかもしれません。
ただ、この「ポエム」が、あらゆる場面で幅を利かせているというのが著者の見立て。
たとえば、東日本大震災復興構想会議がまとめた「復興への提言」、五輪招致委員会のメッセージ、果てはニュース原稿(古館さんに非があるそうです)や朝日新聞の「天声人語」までもポエム化しているとあっては、看過できません。
著者は、「書き手が何かを隠蔽しようとする時、文章はポエムの体裁を身に纏わざるを得ないのである。」と鋭い指摘をしています。
これには納得。
あと、端的に言って、書き手に訴えたいことがない場合や主題が明確でない場合も、文章がポエムに堕していくことを、私は経験を通して知っています。
まあ、しかし、ポエム化の流れは止められなさそうです。
そうであれば、いささかの皮肉を込めて叫ぼうではありませんか。
「ポエムに万歳!」と。 -
Posted by ブクログ
ネット上でおなじみのコラムニスト・小田嶋隆による社会風刺論集。この手の本にありがちだが、どんどんよどんでいく世相に対する皮肉は言えても、「では、どうしたらいいのか?」という建設的な視点が、この本にはほぼ皆無に等しい。筆者の立ち位置は「左派リベラル」といったところだが、個人が持っている不満を筆にぶつけても世界は変わらない。世相はどんどん筆者のいうところである「露悪化」の道を辿っているのに、良心的な市民はどのように立ち向かえばいいのかという視点が見られないのは、筆者に限らず「リベラル派」の人たちに多いのはどうしてだろう。本書の一番の目玉は、ベストセラー「反知性主義 アメリカが生んだ『熱病』の正体」の著者である森本あんり(この人は「男性」なのでお間違えないよう)との対談。「日本では『憲法』が、宗教の代わりになっている」という、二人の視点は実に興味深い。そして本書の中で、筆者の意外な過去が明らかになる。
-
Posted by ブクログ
おもしろかった。ギャグというか、まあ、ユーモアですな。(笑)かる〜く読める、ああこういうこともまじめに勉強しなきゃな、でもとりあえずは目の前のオダジマさんの文章を楽しんどこうかな、みたいな。内田樹も村上春樹もそうだけど、なぜこの年代のこういう少女趣味(失礼)のオッサンたちがかく文章はおもしろいのだろう。読み始めた頃わたしは19才の子供だったけどいつのまにか30前のババアになってしまった。その間にこれ系の言論はもはやある種懐古的な、勢いの失われたものにはなったと思う。それでもおもしろいからかる〜く読んでしまうのだけど。もうちょっと軽くないものを読んでいるべきだけどこうして自分の居場所を振り返るのも重要かしらとも思う。
-
Posted by ブクログ
『斜に構えた人間は嫌みでやな奴だ。が、自分が斜に構えていることを自覚して、それを幾分反省もしている人が、私は何故か好きだ。』と本書の中で著者はいっている。私は青春時代のある時期とそれにいたる少年時代の後期、まさに斜に構えた人間だったと思う。つまり、やな奴だったと思う。加えて、3人兄弟の真ん中、それも兄と妹に挟まれて育ったせいか、人の顔色を見るのがうまいガキだった。今風にいえば、空気の読めるガキだった(これはこれできっとかわいくないガキだったと思う)。そのくせ、人と同じことをするのは嫌いだった。(だから、大洋ホエールズのファンになった)。なんで、この著者のようなものの見方が何故か好きだ。本書は2013年~2015年「日経ビジネスオンライン」の連載コラムからピックアップされたものということだが、時々のトピック的なニュースを取り上げて、著者独特の視点からコメントを述べている。すべての意見に賛成するわけではないが、ちょっと斜に構えたコメントが面白い。世の中ってやっぱりこんな風に多面的に見たり、考えたりすることが大事なんだろうねぇ。ところで、反知性主義(anti intellectualism)というのは、知性をまるごと否定することだと思っていたけど、本書によると「既存の知性」に対する反逆、知性の否定というより、「今、主流となっている、権威となっている知性や理論を壊して次へ進みたい」という、別の知性のことだという。(もっとも、反知性主義という言葉はまだバズワードらいいけど)。それなら私も反知性主義者に入門しようかしら。
-
Posted by ブクログ
「日経ビジネスオンライン」の連載は時々読んでいておもしろいなあと思っていたが、本になったのを読むのは初めて。もうこれが5冊目らしい。
「日経ビジネスオンライン」にこのコラムって合ってるのかなあと、「日経ビジネスオンライン」のその他の記事を読んだこともないのに思っていた。
どのコラムも「着眼点がすごい」とか「よくぞ言ってくれた」というものばかりで、これからまた愛読していきたいと思わせる。
いろいろ目を開かされることが多かったが、特に一つを上げると「エリートは撤退しない」というのが印象に残っている。確かにそうだなと身近な例を考えても納得する。今もう1度読み返しても、そのコラムの指摘は鋭いと思うので、ぜひエリートの人に読んでもらいたい。
各コラムの最後に付けられている小田嶋さんの似顔絵の表情が、なんとも文章に合っていていい。どのコラムにもこの表情が当てはまっている。 -
Posted by ブクログ
グローバル化、新自由主義、何だか地に足が付いていないことがどんどん進んでいるような…。身体感覚のない言論が過激さを加速する。匿名のネット上での発言が問題になるのも納得です。
ここのところの内田氏はグローバル化、グローバル企業と国民国家が相入れない関係であることを盛んに書いています。株式会社の平均寿命が10年未満なのにたいして人間の寿命は数十年。我々の身体感覚ではものごとを100年単位で捉えている。それを体現しようとするシステムが国民国家である。企業は100年後のことには興味ないのですぐに効果、結果を求める。この企業の論理が国民国家に浸透してきてしまっている。これが何を生み出すのか私たちは冷静に判断しなければならない時期に来ているようだ。
既得権益を排し、全ての人に平等な機会を与えるというのは一見正論のように聞こえるけれど、本当にそうなのだろうか?もしかしたら強者だけが得をする超格差社会を生むだけなんじゃないだろうか?
答えは分からないけど、はっきりとものを言う、正論を言っている(ように聞こえる)人が幸せな未来を私たちにもたらしてくれるの考える必要があると感じさせられる。