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カリスマ経営者・山内博の右腕として、「ゲーム&ウオッチ」「ゲームボーイ」など黎明期の任天堂のほとんどのヒット作を生み出した伝説の天才開発者・横井軍平の生涯を描く。斬新な発想の陰にあった苦悩とは? ※本書は2010年6月に小社より刊行された単行本『ゲームの父・横井軍平伝任天堂のDNAを創造した男』を加筆修正、改題し、新書化したものです。
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Posted by ブクログ
★横井軍平 ★枯れた技術の水平思考 牧野 武文 消費者ビジネスの視点でIT技術を論じる記事を各種メディアに発表。近年は中国のIT技術に注目をしている。著書に『Googleの正体』(マイコミ新書)、『任天堂ノスタルジー』(角川新書)など。中国の最新技術とそれらが実現させる最新ビジネスをレポートする...続きを読む『中国イノベーション事情』を連載中。 「「私は天才と呼ばれるのが嫌なんですよ。みなさんがそういってくださることはありがたいと思うんですけど、私は天才じゃありません。むしろ、落ちこぼれなんですよ」「私は落ちこぼれ」というのは横井の口癖のようなものであり、事実、学校の勉学に熱心でなかった横井の成績は優秀とはいえないものだった。 1965年に同志社大学を卒業して、任天堂に就職した横井は、同級生に対してそのことを恥じていたようだ。横井の専攻は電子工学。同級生はほとんどが大手の電機メーカーに就職していた。任天堂は今でこそ日本を代表する企業だが、当時の主力製品は花札とトランプで、電子工学の知識に出番などはほとんどなかった。企業とは名ばかりで、職人が花札を手作業で貼り合わせて作っているような地方の町工場の臭いが漂っていた。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「「あるとき、怖い形相をした団体さんが任天堂に乗りこんできましてね。うちらの賭場をどないしてくれんじゃと、おまえらの作った花札のせいやぞと。そんなことしょっちゅうでしたな」と、横井は私に教えてくれた。それは横井一流の話を面白くするための創作だったかもしれない。しかし、横井が入社した当時、花札の製造工程に問題が発生していたのはほんとうだろう。横井が原因を調べてみると、糊の攪拌機に問題があり、複数の種類の糊がよく混ざらなかったため、接着力が低下していたことがわかった。横井は、攪拌機の改良を始める。「簡単な仕事でした。攪拌機の羽根の形状に問題があることはすぐわかりましたから、すぐに図面を引いて、新しい羽根を作りました。こんなことは、子供のときからずっとやってきましたから得意中の得意だったんです」」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「自称「発明好きのただのおっさん」「落ちこぼれというのが言いすぎというのであれば、私はどこにでもいる普通の人です」と横井は言葉を続けた。「天才だとか言われるよりも、どこにでもいる普通の人が努力を積み重ねてきたから、世間から認めてもらえる仕事ができたと言われる方がよっぽどうれしいんです。ほんとに私はたいした人間じゃありません。私にだってできたんだから、みなさんなら努力さえすれば、もっと素晴らしい仕事ができますよと言いたいんです」 横井の仕事の半分は努力の積み重ねであることは事実だが、あとの半分は着想の面白さだ。「そんなことよく思いつくな」と感嘆させる技術と工夫が、横井の仕事には詰まっている。私はこの横井の言葉にすら疑問を感じた。横井の内面にある謙遜と美学が言わせている台詞にすぎず、やはり横井には天才の一面があると感じていたからだ。そして、私は今から思えば実に失礼な言葉を横井にぶつけてしまった。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「横井は、もの作りが大好きだったが、家に閉じこもったままの内向的な少年ではなかった。子供時代の写真は、後の横井からは想像できないほど体格がよく、しかもどの写真もカメラの方をしっかりと見て写っている。内向的な子供にありがちなはにかみや不安げな表情はひとかけらもなく、瞳には好奇心の輝きだけがともっている。 横井はエスカレータ式に同志社大学工学部に入学したため、受験勉強をする必要もなく、高校、大学時代は大いに遊んだという。横井のアルバムを捲ると、上品なテニスウェアに身を包んでコートに佇む写真や、「 G Y」とイニシャルの入ったウェットスーツでダイビングに興じる写真が目に飛び込んでくる。石原裕次郎主演の映画『太陽の季節』で当時の流行語ともなった〝太陽族〟を地で行くような青春を送ったのだろう。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「「もの作りが好きな人の中には、そのメカニズムや発想にのめりこんでいく研究者タイプの人と、自分が作ったものを他人に自慢して喜ぶガキ大将タイプの人がいるように思えますが、横井さんはご自分をどちらだと思いますか?」 即答だった。「ガキ大将ですね」。前者の研究者タイプは、日本の戦後のもの作りを支えてきた人たちである。会社に夜遅くまで残り、ひとつの技術を追い込んでいく。現代の職人たちだ。一方で、後者のガキ大将タイプは、現在の任天堂やソニー・コンピュータエンタテインメントといったゲーム関係の企業人、米国のアップルやグーグルといった I T企業人、あるいはビートルズや U 2といったロックアーティストたちだ。横井は明らかにこちらに属した人間だったが、不幸なことにそのようなもの作りを当時の日本は要求していなかった。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「ウルトラハンドは自分の遊びで作ったものを商品化したんですけど、ウルトラマシンは初めから商品化する目的で作ったものです。ウルトラマシンを作ったときは、実は私は野球のやの字も知らなくて、むしろ野球が嫌いだったんです。中学、高校のときに金持ちの悪友がいまして、おもちゃは何でも買ってもらえる奴がいた。ところがいつ行っても、彼は人にピンポン玉を投げさせて、それを竹の物差しで打つ。こんなのがなんで面白いんだ、いっぱいおもちゃを持っているのにと、すごく印象に残りました。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「横井は人前で自慢めいたことを口にするのを嫌っていて、いつも「私みたいな落ちこぼれが……」という話の切り出し方をする人だが、この時代についてだけは「懸命に勉強した」と言い切っていた。どんな勉強をしたのかと質問しても「大学時代サボりにサボっていたので、教科書を勉強し直した」という答えしか返ってこなかったが、実は大学では教えてくれない量産化、商品化のノウハウという開発マンに必須の知識を、自分で学び取っていたのではないだろうか。 しかしそんな生活に横井は充実を感じていた。 あの頃は会社にいくのが楽しくて楽しくて。だって、大好きなもの作りを好きなだけやらせてくれて、材料費も出してくれて、その上給料までくれると言うんですから。休みの日に家にいても、会社に行きたくて行きたくて、かえってストレスがたまってしまうんですよ。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「自分の才能が世の中で必要とされているものであり、しかも大きな富を生み出すものであることを知らされた。任天堂の中でも一目置かれる存在となり、経済的にも豊かになり、さらには有名人との社交も始まる。 横井の人生にとって、もっとも幸せな時期だったに違いない。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「横井はピアノが上手かった。リチャード・クレイダーマンが好みで、少し練習するだけですぐにコピーして弾けるようになったという。横井自身も「身体の動きを模倣するのは得意なんです」と言っていた。だから、横井はゴルフも上手かったという。ゴルフはきちんとしたフォームで打てば、球は真っ直ぐ飛ぶので、スコアも崩れることはない。社交ダンスも上手かった。上手な人の身体の動かし方を見て、それをすぐ自分の身体で再現することができるのだ。横井がもの作りに熱中したことと無関係ではないだろう。もの作りの基本はねじ回しを使うことだ。しかし、このねじを回すということは意外に難しい。きちんとねじの軸方向に適切な量の力を入れて回さないと、すぐにねじ頭の溝が削れてしまうのだ。その他、ハンダごてを使う、紙やすりをかけるということも、簡単なようでコツがある。使う道具の特性を考えて、うまく手先を使って、その道具の特性を活かす使い方をしなければ仕上がりが汚くなるのだ。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「ラブテスターに話を戻そう。ラブテスターには、横井を語る上ではずせない概念が含まれている。それは「枯れた技術の水平思考」という言葉だ。 横井はマスコミに出たがらないうえに、任天堂は一人の開発者に世間の注目が集まるのを嫌った。製品は多くの人が関わって作るもので、一人の功績として扱われたくはないからだ。そのため、横井軍平の名は、その功績のわりに世間ではあまり知られていない。しかし、「枯れた技術の水平思考」という言葉は、意外に多くの人が知っている。開発や商品企画を考えるときには重要な概念だからだ。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「技術者というのは自分の技術をひけらかしたいものですから、すごい最先端技術を使うということを夢に描いてしまいます。それは商品作りにおいて大きな間違いとなる。売れない商品、高い商品ができてしまう。 そして、自分の商品作りは、最先端技術が普及をして、枯れてきたところにあるという。 私がいつも言うのは、「その技術が枯れるのを待つ」ということです。つまり、技術が普及すると、どんどん値段が下がってきます。そこが狙い目です。 このラブテスターは「枯れた技術の水平思考」を体現した最初の製品となった。その意味では、横井の開発者人生は新しい局面を迎えることになる。そして、この「枯れた技術の水平思考」の発想で、再び新たな鉱脈を掘り当てることになるのだ。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「ゲームボーイに使われたのは、「枯れた技術」となった液晶モニタだった。使い慣れた液晶なので、横井も油断していたのだろう。シャープ側から液晶の試作品ができたというので見にいき、特に問題がなかったので「あ、これでいいね。うまくいったね」と言って帰ってきた。その横井の判断を元に、シャープは 40億円をかけて専用の液晶工場の建設を始めてしまった。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「横井は何度となく、「向こうが碁を考えたら、こちらは将棋を考える」という言葉を口にしていた。つまり、ゲームが面白いかどうかが重要で、その表現である画質は二の次だという意味である。横井は面白い遊びを考えることこそが自分の仕事だと考えていた。ファミコン、スーファミ、 NINTENDO 64と進化する中で、ゲームそのものも複雑化していった。シリーズ物のゲームでは、パート 1を遊んだユーザーがパート 2を買ったとき、新しい要素がなければ飽きられてしまうという不安から、ゲーム開発者はゲームの内容を複雑にしていく。しかし、 1を知らずに 2を初めて買う新しいお客さんたちにとっては、複雑なゲームにしか映らないだろう。こんなことをやっていたら、いずれ画面作りが上手なところ、マニア向けゲームを作るのが上手なところが、ゲーム業界を引っ張っていくことになる。任天堂は画面作りやマニア受けが上手な企業ではなく、新しい遊びを提案できるところに強さがあるとも、横井は考えていた。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「新しい要素がなければ飽きられてしまうという不安から、ゲーム開発者はゲームの内容を複雑にしていく。しかし、 1を知らずに 2を初めて買う新しいお客さんたちにとっては、複雑なゲームにしか映らないだろう。こんなことをやっていたら、いずれ画面作りが上手なところ、マニア向けゲームを作るのが上手なところが、ゲーム業界を引っ張っていくことになる。任天堂は画面作りやマニア受けが上手な企業ではなく、新しい遊びを提案できるところに強さがあるとも、横井は考えていた。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「もちろん、山内は、横井の退社をよくは思っていなかっただろう。あたり前だ。ドル箱開発者がいなくなるのだから、面白いはずがない。横井が、自分の会社を立ちあげて、玩具を開発することもわかっていただろう。それが任天堂にとって脅威となるとは考えていなかったと思うが、なにしろ横井が率いる会社だ、なにかと目障りな存在になることも明らかだ。山内にしてみれば、横井の退社は、人としても経営者としても、腹立たしいことであったことは間違いない。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「遠藤:カラオケでもプリクラでもデカラケでもそうなんですけど、日本のテクノロジーって、実はものすごく突き詰めることって苦手なんですよね。サイエンスの世界で、強い組織力で一気呵成に成果をだすということが米国ではありますけど、あれ、日本は苦手なんですね。組織力というのがなくて、どちらかというと、一人の発想力に富んだエンジニアがいて、太っ腹の部長がいて彼を遊ばせている。そういうところから、思いもしなかったものが生まれてくる。日本の 70年代、 80年代はまさにそういう部分があったのです。まじめに大勢でコツコツやっている一方、そういう茶目っ気のある発想ができるのが日本のよさであって、横井さんはそれを体現している人なんですね。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「牧野:それともうひとつ重要なのが、横井さんはイノベーションのつもりではやっていなかったと思うんですね。遠藤:まあ、イノベーションを起こすと口に出してやっているやつに、ろくなやつはいません(笑)。牧野:横井さんのやっていることは、横井さんが子供のころ遊んで楽しかった遊びを、今のテクノロジーをつかって再現しているということなんですね。だから、遊びのなにが面白いかという本質は、テクノロジーが違ってもちゃんと生きている。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「遠藤:いや、横井さんがすごい人であることはほんとうですよ。でも、『横井軍平ゲーム館』の企画を承認するときは、僕も横井軍平さんの名前を知らなかった。「ウルトラハンドならおれに語らせろ」といいたくなるぐらい、あの時代の玩具やエレクトロニクス機器は大好きだったんだけど、横井さんのことは知らなかった。玩具の世界には、すごい人がたくさんいるんですね。とんでもない発想をし、とんでもない玩具をつくる。玩具作家ってアルキメデスみたいな人がたくさんいる。でも、ほとんどの人が歴史の中に埋もれていっちゃうんですね。だから横井さんという人を顕在化させたのが、『横井軍平ゲーム館』を担当した編集者の榎本と著者の牧野さんの二人じゃないかと。歴史ってそういうものなんですよね。だれかがたくさんの面白い事象の中から、いくつかを発掘して、それが固定化されて歴史になって、後の人がそこからいろいろ学んでいく。それの繰り返しが歴史だと思うんですね。だから、横井さんは玩具作家の代表みたいな人であって、他にもたくさん横井さんのような人がいたと思うんですね。僕は、その姿がとても日本のテクノロジーのあり方を表していると思う。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「山崎:玩具メーカーが集中している東京から離れているということが大きいのだと思います。周りに玩具メーカーがあると、真似するつもりはなくても、気になって影響されてしまう。京都にいると、そういうノイズが入ってきませんから、自然に独創的になっていく。遠藤:オムロンとか京セラもそうなのかもしれませんね。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著 「山崎:玩具メーカーが集中している東京から離れているということが大きいのだと思います。周りに玩具メーカーがあると、真似するつもりはなくても、気になって影響されてしまう。京都にいると、そういうノイズが入ってきませんから、自然に独創的になっていく。遠藤:オムロンとか京セラもそうなのかもしれませんね。」 —『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代 (角川新書)』牧野 武文著
「枯れた技術の水平思考」で有名な、任天堂の故横井軍平氏について書かれた本。 ゲームウォッチをやゲームボーイを開発された方である。 文字通り、新しい技術に裏付けされた革新的なサービスでは無く、どこにでもある枯れた技術から、新たなサービスを生み出すもの。 電卓の液晶とボタン、ちょっとした基盤で作...続きを読むるゲームウォッチ。枯れた技術である故にコストを抑えることが可能であったそうな。 確かに、最新の技術でモノを作る場合、そのモノを作る工場から設計しなおして、部品で試行錯誤し……と、コストが掛かってしょうがない。 しかしながら、枯れた技術はある程度価格がこなれているし、最小限のコストで製造できることが多い。たとえ同じ売値でも利益率が高いのだ。 しかしながら、新技術でモノを売るのは簡単だが(簡単じゃ無いけど)、枯れた技術の場合は目新しさはなく、その技術を使って、何か新しいことが出来ることで売りになる。 ハードじゃ無くてソフトで売る方法。 任天堂のトランプには、遊び方の書かれた紙がついている。 トランプというハードだけではなく、遊び方と言うソフトで売る。(また、トランプが流行り始めた頃は賭け事に使われることと言うイメージがあり、それを払しょくするためにも遊び方は効果的だった模様) 枯れた技術っていうけれど、それを組み合わせれば、新しい遊び方を生み出すのはそれを知り尽くすか、あるいは、もう一手も二手も先の未来を考える思考だよなぁ……と。 技術屋視点では、完全な製品を売り出したいと思うのだけれど、想像の余地を残すとか、遊ばせたいとか……そう思わせるものの方がすごいなーと。 最新のゲーム機、格好いい3Dモデリングされた映画のようなゲーム。けれども、何故あまり面白くないんだろうと思ってしまう人にはオススメ……してもしょうがないのかな、どうなんだろうね。 1ページごとに考えさせられる言葉がたくさんあり、読み応えがあって面白かった。
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