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Posted by ブクログ
ニュースに触れるとき日常のなかでそのニュースがショッキングであったりするととりわけそうなのだが、断片化してしまって、印象が一面的になってしまうことがおおい。
たとえば、カショギ記者が暗殺された事件はショッキングで殺害そのものに焦点があたって、一様な恐ろしい事件の扉の向こうに押しやられてしまう。そのように意識がはたらくのだ。だが、この事件の背景に何があったのか。国家間の対立やその後の損得関係などが細かく取り上げられて、検討が加えられている。 また、日本人記者が、武装勢力に拉致された事件や、クーデター政府に拘束された事件の周辺の事情など、に考察が加えられ今から考えるとかなりねじれた情報に接していたかもしれない事実に気づく。
その他、フィリピン、ロシア、中国、中東、トルコ、サウジアラビア、ミャンマーなど歴史や社会的背景から、為政者たちがどう情報をコントロールしようとするにいたったか、が自ずと浮かび上がってくる構成となっている。権力者や政治家は勢力の維持やその他の理由から情報をコントロールしようとするのだろうが、(実際のところはリアルな物量が決めることだと私は思うのだが、そうは考えないようだ)、これには、一定の方向性のようなものもみえてくる。一皮めくれば皆同じなのか、それとも、情報の速度に人間の感覚が追いついていないのか。問題は民主的な国と言われている国でも、SNSなどが引き金となって必ずしも安心とはいえないもろさがあり、報道弾圧といわれているものが実は市民のたわいない世間話と地続きなのではないかということだ。
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