偲び作品一覧
-
4.0
-
-「アイヌと云ふ新しくよい概念を内地の人に与へたく思ふ」 「滅亡に瀕するアイヌ民族にせめては生きよ俺の此の歌」 「滅び行くアイヌの為に起つアイヌ違星北斗の瞳輝く」 先住民族アイヌが公然と「亡びゆく民族」の烙印を押され、本来は「誇り高き人間」「立派な人」という意味を持つ「アイヌ」という言葉が侮蔑の響きをもって使われていた大正時代から昭和のはじめ。アイヌ民族復興のために立ち上がりその生涯を捧げ、病のため27歳で早世した歌人がいた。文庫ではじめて違星北斗の短歌、俳句、詩、童話、散文、ノートの記録を集める決定版。 【目次】 違星青年 金田一京助 短歌 医文学/小樽新聞/新短歌時代/北海道人/志づく/私の短歌/はまなすの花/ウタリ之友 日記 大正十五年七月十一日から絶筆 俳句 句誌にひはり/医文学/俳句/北海道 樺太新季題句集/月刊郷土誌よいち 詩 冷たき北斗/大空 童話・昔話 熊の話/半分白く半分黒いおばけ/世界の創造とねずみ/死んでからの魂の生活/烏と翁/熊と熊取の話 散文・ノート ウタリ・クスの先覚者中里徳太郎氏を偲びて/ぶちのめされた民族が/アイヌの一青年から/春の若草/我が家名/淋しい元気/淋しい元気/コクワ取り/アイヌの誇り/疑うべきフゴッペの遺跡 奇怪な謎 手紙 自働道話/子供の道話 コタン創刊号 目次/巻頭言 白路 凸天生/アイヌ神謡集序文コタン 知里幸恵/偽らぬ心 凸天/生活 自覚への一路 浦川太郎吉/「アイヌの姿」 北斗星/心の日記(後藤静香)/断想録(其ノ五) 十一州浪人/コタン吟(其ノ二) 十一州浪人/はまなし凉し/編輯余録/奥付 解題・語注 違星北斗年譜 解説 違星北斗その思想の変化 山科清春
-
4.5
-
-泉鏡花の小説「縷紅新草」の現代語訳。 【あらすじ】 ある小春日和の午後、辻町糸七は、一昨年この世を去った従姉の娘、お米と連れ立ち、故郷の寺へその墓参りに来た。 手に提げた間抜けな昼提灯を、「持ちましょう」とお米が言うのを断ると、「ご自分の手で誰かさんのお墓へお供えなさりたいのでしょう」と藪から棒をくらう。 三十年前、生活に行き詰まった辻町が、自殺しようと城の堀の上を徘徊した際、そこにもう一人、寂しい姿の見えた、初路という若い娘のことを、お米は言ったのである。 もと千五百石の一人娘だった初路は、家が没落して親類へ引き取られ、はんかち工場で刺繍の賃仕事をしていたが、容姿の美しさと針仕事の腕を他の女工から嫉妬され、彼女が考案した、蜻蛉の二つ連なった刺繍の図案に当てつけた中傷を苦に、自ら命を断ったのだった。 あわれな姫君を偲び、その霊も慰めようと墓地へ来た二人の前に、四人の男が慌てふためいて姿を現し、先頭の寺爺が、「蜻蛉の幽霊が出た」と言う。 蜻蛉の幽霊なら怖くはない、とお米が先へ立ってまず母の墓へ、次いで初路の墓へ向かうと、そこには無残にも荒縄でがんじがらめに縛られた石塔が転がっていた。 【訳者略歴】 白水 銀雪(しろみ ぎんせつ) 慶應義塾大学大学院博士課程中退(専攻:数学) システムエンジニア・プロジェクトマネージャー・コンサルタントとして、宇宙分野を中心とする科学技術系システム開発に従事 現在、蓼科にて山暮らし
-
-
-
-
-
-明治の創設から昭和の解体まで、本書は日本陸軍75年の歴史を描いた全史である。三八式歩兵銃は、かつての日本の若人なら誰もが一度は手にした兵器であり、軍の象徴であった。旅順の堅塁を白欅隊が肉弾突撃したとき、あるいは特攻隊将兵が爆薬もろとも敵艦に突入していったとき、日本陸軍は何をしたか。日清・日露・第一次世界大戦・日中・太平洋戦争における日本陸軍の行動を密度高く記述する。元・陸軍中佐の著者は「無数の将兵の苦闘を偲びながら、これに報いえなかった陸軍のふがいなさの因果を明らかにしようとした」と述懐する。兵器写真を多数完備した、軍事資料としても貴重な、渾身の興亡全史。
-
3.0※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 京都の魅力の一つは、町なかで年中おこなわれている行事と祭りにあります。10月の京都で見ておきたい行事や祭りを中心に、10月の京都で食べたいもの、10月の京都で買いたいもの等の情報を提供。旅行者はもちろん、家族で行楽に出かけるとき、また客を迎える予定ができたとき、何月何日ならどこへ行けばよいかがすぐにわかります。10月といえば京都三大祭の一「時代祭」。京の歴史を偲びつつ、時代行列を見物できます。秋の京都を味わうために京都へ来たら、仏像や秋草が咲き乱れる庭園を見て、雲子や松茸に舌鼓を打ち、秋の和菓子を買って帰りましょう。
-
-モータージャーナリストであり、現役F3ドライバーでもある椎葉ひとみ。一般道での事故で他界した恋人・邦彦を偲びつつ夜更けの峠を走る彼女を、謎のポルシェ928S4が付け狙う! 恋人を死に追いやった男との生死をかけた勝負の行方は!? そして、謎の男の正体とは…!?
-
-唯一無二の思考を持つ落語界の風雲児=立川談志が神奈川県民ホール寄席で語った“まくら”を活字で綴った「まくらコレクション文庫」第3弾! 初登場の1982年は、談志46歳。参議院議員の任期満了から5年、落語立川流創設まで1年。「現代における落語とは何か?」を最も悩み抜き、それを高座から観客にダイレクトにぶつけていた生の思考を堪能できる貴重なテキストです。今でも、「談志師匠が生きていたら、この流行、この事件、この世相をなんて語るのだろう?」と多くのファンが偲び思う程、森羅万象の本質を問う珠玉の話芸でした。談志が斬った1982年から2005年までの世相史をイッキ読みする“落語まくら集”です。
-
-李白、杜甫、王維、杜牧、陶淵明、白楽天、文天祥……細川元首相が幼少の頃から親しんできた漢詩・漢文の名言名句を手がかりに、それらの縁の地を訪ねた。杜甫の「国破れて山河あり」の舞台となった長安では、唐の詩人たちが活躍した往時の都を偲び、陶淵明の「帰りなん いざ」に導かれ、名勝と謳われた廬山へ。蘇東坡が「人生夢の如し」と謳った古戦場・赤壁では、『三国志』の時代に思いを馳せる――。詩人に限らず、達磨や玄奘といった僧侶や、王羲之や八大山人のような書家や画家も細川氏が「詩心」を感じた人々として登場。中国全土を巡り、四十八話をつづった細川護熙流「中国歴史紀行集」。旅愁を誘う撮り下ろし写真や、筆者自ら旅の印象を描いた絵画や書もふんだんに収録。
-
-巨星墜つ。 気鋭の論客が読み解く、稀代の大思想家が身を賭して遺したメッセージ。 2008年4月28日に開催された「主権回復五十六周年記念国民集会」で、「こんなザマで主権回復したなどおこがましい」と壇上で絶叫した西部邁氏。会場の空気に水を差すスピーチではあったが、多くの観衆は喝采した。その背景には、対米追従をよしとする現代の保守論壇に対する痛烈な批判と、日本の自立への強い思いが込められていた。その知の巨人・西部邁氏を偲び、気鋭の論客3人が遺された膨大なテキストを通して現代を読み解く。 西部さんの自裁は、晩年にお書きになられていたことを そのまま実行されたという「意志の力」を非常に強く感じた。 知識人の連中たちが、あまりにも安閑とした、 堕落した状態だということを再認識させられた気がする。――西村幸祐 一つひとつの用語や言葉を非常に重要視することが 西部邁という思想家の根幹にあって、それが最後まで一貫していた。 言葉の定義、あるいは論理の厳密さが保守思想の 原点、出発点でもあり、転回点でもあった。――富岡幸一郎 西部さんは、日本という社会が急速に、言論人や政治家だけではなく、 もう回復できないまでに溶解していくような思いがあったのではないか。 大衆社会化という、言葉だけでは語れないような空虚さと退廃。 それが知識人としての悲劇だったのかもしれない。――三浦小太郎
-
-福永の出世作『草の花』を中心に、初めて単行本化された短篇集『塔』、学生時代に書かれた書簡など、作家・福永武彦の出発点とも言える、貴重な初期作品を完全収録。 第一高等学校3年、18歳の福永が「校友會雑誌」第355号に発表した「かにかくに」、肺病治療のため入院していた清瀬の療養所で、1949~1950年にかけて書かれた「慰霊歌」の収録2篇は、戦後に書かれた最も美しい青春小説のひとつ『草の花』(初刊版と決定版2種を収録)の原型となった作品。 収録した関連作品の中で、詩篇「戸田の春」と冊子「平野和夫君を偲びて」収録の俳句2句は、単行本、全集等未収録の貴重なもので、随筆「病者の心」は、療入所中に自身の心の推理変転を具体的に描き、『草の花』冒頭の章「冬」に繋がっていく重要作品である。 また、『草の花』「冬」の章と同じ精神的風土を表出し、福永自ら「小品」と呼ぶ4作「晩春記」、「旅への誘い」、「鴉のいる風景」、「夕焼雲」も併録。 一方、1948年に福永初の単行本と初刊が発売された『塔』からは、詩の精神を小説に定着させようとした実験的小説「塔」、「雨」、「めたもるふぉおず」を、初刊版と決定版の2種を収録。 作家・福永武彦の“文学の嚆矢”を理解する上で絶対欠かせない、ファンはもちろん、研究者も必見の第1巻である。 この作品の容量は、32.7MB(校正データ時の数値)です。 ※この作品はカラー写真が含まれます。
-
-至福に満ちた忘れ得ぬ旅――大西洋航路伝説の客船を偲び、北欧フィヨルドへ、QE2でニューヨーク港へ、陽光きらめく海への船出。ボートを操り家族と下るイギリスの運河。語り尽くせぬ愉悦の時間、人生の楽しみとロマンを心ゆくまで味わう! ●いったん船旅が好きになると、あの揺れさえもがなつかしくなるのである。テーブルの上に置いたコップの水の表面がエンジンの震動と共に小刻みに震え、船が傾く度に斜めとなる。残り少なくなったポタージュスープが片方に寄って、わざわざスープ皿を持ち上げる必要がない。船室の壁が、かすかな音をたててきしむ。ラウンジの窓の外が一瞬海だけになったかと思うと、次第に水平線が降りてきて、今度は空だけになる。そんな時、ああまた船に乗っているのだと思う。
-
3.6シリーズ累計92万部 『居酒屋ぼったくり』の著者、最新刊! 元ツアコン・万智の 絶品「郷土料理」教室は 「思いやり」に溢れている…… お題は『どんどろけ飯』『トンテキ』『冷や汁』etc. ざっくりだけれど、楽しく、美味しく、親切に。 ツアーコンダクターとして15年間、国内外を旅してきた常磐万智(ときわまち)は、 義母の介護のため退職。旅先で料理について学んだ経験を生かし、 義母の死去後、自宅で料理教室を営むことに。 珍しい郷土料理を扱う教室には、亡き妻を偲び、あるいは両親のため、 老若男女の生徒たちが通ってくる。そして万智の家庭にもある事情が……
-
4.0「矛盾が多ければ多いほど、その人物は面白いと言うことができます」(キーン氏)――三島は、矛盾に富む人だった。文学を愛し古典の教養溢れる一方で、日本の自然や食文化には無頓着。国内より海外で評価されることを切望し、貴族の存在を嫌いながらも度々作品に登場させた。知られざる素顔と葛藤を目撃していた両著者が亡き友を偲び語り合い、貴重な証言録となった追善紀行。『悼友紀行』改題。
-
-坂の名前は 往古その名を頼りに 人々が行き来し人と人とが出会い 通い会うための「ランドマーク」として共有され 時の流れの中に刻まれてきたそこでは多くの人達が笑い 喜び 楽しみ語り泣き 怒り 嘆き悲しみ そして時には血を流した……坂の上には坂の上の坂の下には坂の下のそれぞれの人生が営まれ 歴史が刻まれていった(本文より)「坂」に思いを寄せ、文学研究を続けた亡き永岡義久を偲び、文学探訪記が書籍化。文豪たちは「坂」に何を想い、作品に登場させたのか。その思いを永岡氏はどのように受け取ったのか。そしてあなたは「あの坂」で何を思うだろうか。本書を手に取り、文学散歩に出かけよう。
-
3.0「蔵前駕籠」「船徳」「品川心中」……古典落語の傑作三十一話の舞台を訪ね、往時を偲びながら、落語の聞きどころ、味わいどころをたっぷり鑑賞する。
-
-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 焼けただれたロザリオの鎖だけを残して逝った妻を偲びながら、2人の幼な子をかかえ、再建と希望へむかう一家のありのままを描いた永井博士の永遠のロングセラー。 時には、娘カヤノを養女にもらいたい、あるいは博士本人の後妻の話も舞い込む。そのつど博士は考える。10年もすればこの子たちも成人となり、やがて家庭をもち、父となり母となる。その時、父の真意を理解してくれるだろう。「お母さん」の面影はたった一つだからこそ尊いのだ、と。 ある時カヤノ宛てで、送り主に心当たりのない小包が届く。恐らく読者からだろう。当人に開けさせると着せ替え人形で、帽子、靴、布団、枕まですべてお手製の立派な裁縫だった。 小踊りする娘を見ながら、「こんな楽しい遊びの世界が、与えればカヤノにあったのである。それを男親の知らぬ悲しさ」――。ほのぼのとした人間味が、涙を誘う。
-
-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 スポーツクライミングからトラッド、アルパインクライミングまで、 世界最先端のクライミングシーンを網羅する日本で唯一のクライミング専門誌 ■特集「クライマーのためのフィジカルトレーニング」 ジムや岩場に行けない今こそ、フィジカルや弱点を強化しよう。 体の使い方を見直すストレッチや体幹トレ、フィンガーボード活用法など、さまざまな陸トレを紹介する。 ■ガイド アイスクライミング新エリア 日光・女峰山北面に眠る手つかずの巨大アイスワールドを一挙紹介。 ■追悼・杉野 保 国内最高レベルのクライマーとして、インストラクターとして、最も親しまれ尊敬される存在だった、杉野保。 不慮の事故で急逝した氏を偲び、その偉大な功績を詳らかにする。
-
-まぶたを閉じれば、スポーツの名場面とともによみがえるあのおなじみの声…。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は元NHKのスポーツアナウンサー・西田善夫氏の物語をお届けします。 西田氏は1936年(昭11)2月、東京生まれ。58年早大卒業後にNHKに入局しました。五輪では夏冬合わせて10大会の実況を担当。92年に一線を退いた後も、豊富な経験と知識を生かして同局初のスポーツキャスターを務めました。退職後には、サッカーの02年日韓W杯で決勝の舞台となった横浜国際競技場(現日産スタジアム)の場長としても尽力しました。16年に80歳で逝去。スポーツ界にユニークで大きな足跡を残しました。 小学生時代に病床から夢をもらった大相撲のラジオ中継、心躍らせた東京六大学野球の早慶戦。実況アナウンサーとしては五輪でバレーボールやアイスホッケーなど数々の名場面を、テレビを通じて日本全国の人々に伝えました。プロ野球や高校野球の思い出や逸話も数知れず、その語りは昭和から平成のスポーツシーンをあますところなく思い出させてくれます。西田氏の往年をほうふつとさせる“名実況”を、故人を偲びつつぜひお聞きください。
表示されていない作品があります
セーフサーチが「中・強」になっているため、一部の作品が表示されていません。お探しの作品がない場合は、セーフサーチをOFFに変更してください。