三浦朱門作品一覧
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3.9夫・三浦朱門はある日、崩れるように倒れた。私は日々刻々と夫の精神活動が衰えるのを感じた。その時から、覚悟を決めたのである――。作家・曽野綾子が80代なかばにして直面した、90歳になる夫の在宅介護。「介護とは」「看取りとは」そして「老いとは何か」を自問自答する日々が始まった。すべての日本人に知ってほしい、夫婦の愛のかたち。
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3.0夫婦も家族も「不完全」でいい――実り豊かな人生を送る“関係づくり”のヒント・配偶者の出来損ないの部分に感謝?・「曽野綾子という人」・真のバカとは、何の工夫もしない人・「老い」と「死」は、人生最高の贈り物〈生きる知恵〉と〈家族の絆〉が確実に深まる本家族にはそのとき、乗り越えるべきハードルがある ある歳になったら、親の面倒をみるだけで、十分重荷だと思うんです。 それはやはり、子育てに匹敵するぐらい、重いものかもしれないな。 ――三浦朱門(舅) 建て前でいる関係を保つというのは、家族が仲よくやっていくために絶対必要なこと。 たとえ嫌だなと思うことがあっても「ま、ぼちぼちよ」と煙に巻ける関係っていうのかな。 ――三浦暁子(嫁)
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-夫婦の生活が幸福なら人生は信頼するに足りるものとなり、夫婦の生活に憎悪が入り込んでくれば現世は懐疑に満ちた世界になる。極限の愛から一方の裏切りによって極限の憎しみへ。亡くなれば極限の喪失感へ――本書は、結婚で幸せになれるかなれないか、自身の体験をまじえて綴った名エッセイの新装復刊したものを電子書籍化。「狭量な夫は、家庭の暗さの原因になる」「結婚式の相談で相手が嫌になって破断したというのは、災いを最小限にくいとめた幸運と思うべき」「人が本気で気にしていることは、どんな喧嘩の最中でも言ってはいけない」「結婚を望むと言いながら、会わない前に条件をつける人は、結婚ではなく商取引を望んでいるだけ」など、読者の結婚と人生の参考になる知恵がつまっている。夫・三浦朱門氏を2017年2月に空の上に送った著者が最後の日々を書いた「忘れるための月日」を巻頭に特別収録。亡くなってもなお変わらないおしどり夫婦ぶりが伝わってくる。
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3.0結婚だけではない。私は自分が努力家でないせいか、すべてものごとの結果は最終的には運だ、努力ではない。と思っている。(「はじめに」より抜粋)夫婦とは、結婚とは滑稽なもの。時には50年以上も一緒に暮らすことになる夫婦だが、わかり合えないから、理不尽だからこそ面白い。夫婦とは、家族とは、人生とは何か――。おしどり夫婦と言われてきた作家の三浦朱門との生活を綴った名エッセイが新装復刊されたものを電子書籍化! よく計算して決めたはずの結婚が、しばしば続かない例は世間に多いし、予期しなかった相手の性格が、夫婦の危機を救う場合もある。「ほとんどすべてが、予期しなかった結果」であるのが、結婚というものかもしれない。(「はじめに」より抜粋)
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-千三百年の春、復活祭の木曜日。闇黒の森に迷い込んだ若き詩人ダンテは、尊師ヴェルギリウスに導かれ、生き身のまま地獄の門をくぐり九つの圏谷を降りてゆく。肉欲、欺瞞、異教、裏切り――地上での罪により呵責を受ける魂の叫び。ダンテは怖れ慄きながらも言葉を交わし、神が造りたもうた人間とは何か、その罪とは何かを探る。 ボッティチェリの素描とともに堪能する、西洋古典文学の神髄。 各巻に豪華な執筆陣による解説付き! 〔地獄篇〕島田雅彦/〔煉獄篇〕三浦朱門/〔天国篇〕中沢新一 ※本電子書籍は『神曲 地獄篇』『神曲 煉獄篇』『神曲 天国篇』を1冊にまとめた合本版です。
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-荷物をおろしてこそ、自前の人生がある。自戒を込めて説く、仕事、家族との距離のとり方、趣味の探し方、楽しみ方。もう一花、咲かせるための“下り坂を生き抜く知恵”が満載!
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5.0夫の三浦朱門が亡くなって2年が経つ。知り合いには「私は同じ家で、同じように暮らしております」といつも笑って答えている。見た目の生活は全く変わらないが、夫の死後飼い始めた2匹のネコだけが、家族の数を埋める大きな変化である――老後の日常と気構えを綴るエッセイ集。 ●母も夫も亡くなった今、私は監督される人もいないから、思うままに暮らすことにした。生まれてこの方味わったことにない自由の境地である。猫を抱いたまま、「二人」で眠ってしまうこともある。 ●与えねばならない仕事があるということは幸せなことだ。それがないと「自分がしてもらう」だけの立場になり、運動能力、配慮、身の処し方、すべてが衰えてくるだろう。 ●人間は与えられているものの価値は、すぐに忘れるか、評価しない。しかし「ないものを数えるより、あるものを数えたほうがいい」という幸福の極意は忘れないようにするべきだ。そして更にあるものを増やしていけば、日本人は幸福な国民になれるはずなのである。 ●死期だけは、人間の分際で介入してはいけない。治癒するために一応努力してみて、その結果はもはや「人間業」ではないのである。だから人間は、その個人として最も適切な年齢に死ぬようになっている。その自然な運命を乱すのが、事故と戦争だから、この二つの社会現象だけは起こさないように、社会は努力すべきなのである。 ●私が常に人生で「最悪」を想定して生きるようになったのは、自分を守るためだったのだと思う。現実が想定していたより幾分でもマシであれば、絶望せずにすむからだ。それに、しょせん人生なんてその程度のものだと、私は思ったのだ。完全なんてありえない。何かがいつも欠けている。どれかを諦め続ける。それが私の人生だろうと、考えるようになった。
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-「最近、私は死ななければならない。私には死ぬという任務がある、と思うようになった」「人には最後に必ず負け戦、不当な結果を自分に与える戦いが待っている。それが死というものだ。負け戦は一回でいいという考え方もあるが、たった一回の戦いでもうまく処理するには、いささかの心の準備は要る、と私は思うのである」死は遠ざけるのではなく、備えるもの――。「曽野流死学」の真髄が詰まった名著に、夫である作家・三浦朱門氏の在宅介護と看取りを鮮明に綴った日記を併載!〇老人は自己責任で自然死を選ぶべき時代が来ている〇ものごとは軽く、自分の死も軽く見る〇この世に醜い未練を残さないこと〇晩年はひっそり生きて、静かに死ぬ〇最後に残るのは、財産でもなく名声でもなく愛だけだ〇「死んで死に切れる」人生とは?
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-【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 この国は、いかにして中国大陸文化からの独立を図り、日本という一つの国家となったのか。「日本」という国号、今日の平成まで続く独自の年号、そして「天皇」という称号。この国の成り立ちは天皇なくしては語れない。「古事記」「日本書紀」の記述を繙きながら、卓越した仮説のもとに古代史を再現した瞠目の一冊。博覧強記の自在な筆が、キリスト教諸国や他のアジアの国々との対比を浮かび上がらせ、日本という国家のアイデンティティを掘り起こす。日本再発見の書。
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-【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 日本人にとって、東南アジアとは何なのか? 東南アジアに強い関心を持ち、各地を歩き回った著者が、その歴史と風俗、日本人との関わりと断絶をわかりやすく書いた異色編。本書はまた、東南アジアを通してとらえた日本論・日本人論でもある。 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字サイズだけを拡大・縮小することはできませんので、予めご了承ください。 試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
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-文豪たちが描いた日本の「名城紀行」が復刊。 1977~78年に小学館より発刊された「探訪日本の城」シリーズに掲載された作家の紀行文の復刊。 第1巻は森敦、藤沢周平、円地文子、杉浦明平、飯沢匡、永岡慶之助、奈良本辰也、北畠八穂、杉森久英の9名の文豪たちが個性豊かに描く日本各地の名城紀行である。 視点も作家により様々で、ガイドブックとはひと味もふた味も異なる城案内。史料をベースにまとめる作家もいれば、自分や家族とのかかわりから展開していく作家もいて、実にバラエティに富んでおり、時間が経っても色あせない名文揃いで、城マニアにもお勧めの一冊。
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-待望の合本版!! 文豪たちが描いた日本の「名城紀行」が復刊! 1977~78年に小学館より発刊された「探訪日本の城」シリーズに掲載された作家の紀行文の復刊。 第1巻は森敦、藤沢周平、円地文子、杉浦明平、飯沢匡、永岡慶之助、奈良本辰也、北畠八穂、杉森久英、 第2巻は更科源蔵、三浦朱門、土橋治重、笹沢左保、陳舜臣、藤原審爾、江崎誠致、戸川幸夫、大城立裕、 第3巻は井上ひさし、武田八洲満、杉本苑子、山本茂実、水上勉、村上元三、岡本好古、福田善之、青地晨、 第4巻は長部日出雄、五味康祐、尾崎秀樹、戸部新十郎、永井路子、邦光史郎、神坂次郎、北条秀司、田中千禾夫、 第5巻は今官一、黒岩重吾、井出孫六、藤本義一、南條範夫、田中澄江、豊田有恒、富士正晴、 第6巻は遠藤周作、井上友一郎、豊田穣、馬場あき子、山田風太郎、安西篤子、早乙女貢、赤江瀑、大原富枝 という計53名の文豪たちが個性豊かに描く日本各地の名城紀行。 視点も作家により様々で、一般のガイドブックとはひと味もふた味も異なる城案内。史料をベースにまとめる作家もいれば、自分や家族とのかかわりから展開していく作家もいて、実にバラエティに富んでおり、時間が経っても色あせない名文揃い。城マニアにもお勧めの一冊。
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-武蔵野を題材にさまざまな明と暗を描く。 「おい、日清戦争の前の年まで、今の東京都下は神奈川県だったのを知っているか。……都下という言い方、いかにも東京白人の発想だ。植民地扱いじゃないか」 関東大震災後に郊外に移ってきたサラリーマンの子・太田久雄は、武蔵野にルーツを持つ中学時代の友人たちからそう指摘される。彼らは自らを「武蔵野インディアン」と称し、地に足がついておらず「紙とインクの世界しか知らない」都会の“白人”とは一線を画する存在だというのだ――。 武蔵野を題材に、都会と地方、戦前と戦後、保守と革新といった、さまざまなコントラストを見事に描出した珠玉作。
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3.7まるで、朝食のテーブルを挟んで前に夫婦が語り合っているかのようだ。 丁々発止のやりとりは、スリリングであり、エキサイティングだ。 日々の生活、子育てから始まり、日本と日本人、国際社会で生き抜くこと、安全保障の危うさ、戦争はいかに人を作るか、キリスト教、イスラム教、仏教、神道―宗教は人生とどうかかわるか、夫婦の在り方と幸福とは、などとさまざまに展開していく。 義務や責任をないがしろにし権利だけを主張しがちな現状を憂い、このままでは日本は危ういとまで言い切る。 日本人はどうあるべきか、どう生きるべきかを、長い人生経験と独特の価値観、50年以上の夫婦生活の経験から語る珠玉の言葉の数々。
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-新天地を求めてアルメニアからアメリカに移住してきたガローラニヤン家のアラム少年。いたずら好きの彼が悪友たちと起こす騒動の数々。貧しいけれども純粋で無邪気だった幼き日々を、愛と笑いとペーソスで彩った14編からなる名作短編集。サローヤンをみずからの文学の出発点として共感した三浦朱門氏による翻訳でおくる。