佐々木閑のレビュー一覧

  • NHK「100分de名著」ブックス 般若心経

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    100分de名著シリーズはこれまで読んだことがなくてこれが初めて。薄さ的に表面的な説明のみかと予想してたけど、読みやすいながらも釈迦の仏教との対比による整然とした説明で思いのほか理解が深まる内容だった。神秘と迷信の違いの説明など、精神科医療における宗教の意義を最近考えている私にとってはいい収穫だった。

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    2026年09月24日
  • NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば

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    ブッダの教えの基本である一切皆苦、諸行無常、諸法無我が、とてもわかりやすく解説されている

    超越的な存在を認めず、あくまでも因果に則った世界観を通して、どう苦しみから解き放たれるか…
    その糸口を自己の鍛錬とするブッダの教えがいかに科学的で、現代を生きる我々に対しても十分に救済の手立てと成り得ることが説かれており、仏教の可能性について改めて考えさせられる本だった

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    2026年06月27日
  • 別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した

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    難しい箇所も多かったが、自分とかないから、で概括したやつをもう一段掘り下げた感じでとても勉強になった。再読したい

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    2026年05月28日
  • NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば

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    原始仏教についての概略がわかりやすく解説されていた。混同しがちな「諸行無常」と「諸法無我」の違いについて説明があり、仏教についてより深く知るきっかけになったと思う。

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    2026年05月08日
  • 科学するブッダ 犀の角たち

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    全体を見渡した後、一部だけ読んでやめようと思いながら読んだが、想定外に各分野の内容がおもしろく結局全部読んでしまった。

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    2026年03月31日
  • 仏教の誕生

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    YouTubeも拝見してますが、やっぱりわかりやすい。それだけ複雑な部分を排除されてるんだろうけど、それでも遠く感じていた仏教について少し距離を縮めてくれるきっかけになりました。

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    2026年03月03日
  • 科学するブッダ 犀の角たち

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    きっかけ
    久々に仏教の本が読みたい中で、仏教×科学のドンピシャのツボをついていたので読んだ本
    内容
    科学の歴史6割仏教のさわり4割の本
    感想
    元々の題材がツボだったけど、想定通りドンピシャすぎてめちゃくちゃ楽しめた。重めの本だけど苦労なく次々!!と貪欲に読み進められて今年のベスト3に入るかもしれない。
    前半は科学の歴史、物理学生物学数学の歴史の話で、キーワードとなるパラダイムシフト(人間化)の説明とこれが起こった時の世間の移ろいが掻い摘んではあるだろうけど丁寧に書かれていて、仏教の本だと忘れてしまうほどであった。
    仏教の方はブッダの歴史と大乗、小乗仏教の歴史と違いの説明がメインだった。大乗仏教の成り立ちと他の本読んでいた中で感じていた小乗仏教の過小評価の偏見が見直せた。
    なんとなく感じていた宗教離れの理由が論理的に理解できたし、最近の量子力学と仏教の繋がりの理由も理解できたし、仏教は哲学に近く他の宗教とは異なっているという理由も理解できて学びの多い一冊であった。

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    2025年11月23日
  • 仏教の誕生

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    Youtubeも最初の何回か拝見してとても面白かったのだが、動画をすべて見るよりも、本のほうが早く読めそうだったので、読書。
    なぜ仏教が生まれたのか(バラモン教の不平等な世界観を否定するため)、仏教はどういった人のためのものか(世の中で、生きにくさを感じている人の救済のため)、どういった考えによるものなのか、などがとてもわかりやすく説明されていて、興味深く楽しく読めた。

    インド旅をしたときに、お釈迦様が初めて説法をした場所などを訪れたが、街を見渡しても、仏教よりはヒンドゥー教のほうが広く浸透していそうな雰囲気だったので、「仏教の誕生」以後のインドの宗教の広がりや、日本の仏教の歴史ももっと知りたいなぁと思った。また別の本を読んでみよう。

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    2025年11月20日
  • 別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した

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    少々難解ではあったが、釈迦の思想から日本で仏教がどのように変容していったかがおぼろげにも理解できたような気がします。その時代時代の要請が色濃く反映されるのは致し方ないことでしょう。
    ただ最後の未来の仏教を「こころ教」と言われたのは、言い得て妙ですが、私は将来心理学や量子力学などの科学と融合する姿が見られると良いと思いました。なにせ諸行は無常ですから。

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    2025年10月26日
  • 別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した

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    とても面白かったです。
    仏教がインドで興り、中国から日本に伝わってきた。色々な宗派がある、色々な概念を耳にした事がある。
    けど、私の頭の中ではよく整理されておらず、混同していました。

    本書は、釈迦の仏教から、多様な経へ派生していく様を、対話形式で分かりやすく解説されています。

    その様は、釈迦の仏教をオリジナルとして、様々な二次創作というか、スピンオフというか、ファンメイドというか、まさに富永仲基の言う、加上の説ですね。

    時代やその背景によって、それぞれの役割を果たしてきたのだと思います。

    しかし、人は本当に、よく、色んな事を考えつくものだと思います。楽しいですね。

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    2025年10月24日
  • 世界史のリテラシー 仏教は、いかにして多様化したか 部派仏教の成立

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    実に面白い! 紀元前5世紀インドで生まれたシャカの仏教が、やがて多数の部派に別れ、挙げ句に大乗仏教を生み、それが日本に伝わってさらに特異な日本仏教の姿に変貌していく様を、分かりやすく語ってくれる。学術的になりすぎて難解となるのでもなく、教科書のように事象の羅列で無味乾燥となるのでもない、実に興味深く書かれている。『科学するブッダ』もそうだったけれど、佐々木先生、ややこしい学問の歴史を大づかみに本質を掴んで分かりやすく面白く提示してくれる手付き、素晴らしいわ! ありがとうございました。

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    2025年10月14日
  • 世界史のリテラシー 仏教は、いかにして多様化したか 部派仏教の成立

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    日本に仏教がどのように伝来して現在の姿になったかの概要
    大本のブッダの唱えた教えはどういったものであったかに始まり、ブッダの没後その教えがどのように変わっていったかが書かれている。

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    2025年09月06日
  • NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば

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    サタデーナイト仏教で話されてる内容が文字で読める感覚、深く理解より、さらっと理解向き

    【フレーズメモ帳】
    ・人が老い、衰え、死ぬことがこの世の法則、自然の摂理であって、それを変えることもなくすこともできないのであれば、受け入れる側の自分の在り方を変えるしかない。そこにブッダの教えの本義があるのです。

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    2025年08月02日
  • 世界史のリテラシー 仏教は、いかにして多様化したか 部派仏教の成立

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    途中、ファンタジーだこれ、ブッダの教え皆して盛り過ぎでついてって大丈夫なんか?みたいになりますが、日本史パートがすげー面白いのでついていきましょう。

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    2025年07月18日
  • ごまかさない仏教―仏・法・僧から問い直す―(新潮選書)

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    これまで読んできた仏教系の本のさまざまな主張が、一つのロジックとしてすっきり整理されたような心地よさがあった。

    きっと深い議論、論点がまだまだあるに違いないけど、この二人の言っていることは真っ当だと思った。彼らの言っていることはもしかすると間違っていることが後でわかるかもしれないが、「仏教学」のアプローチとして真っ当だと思う。

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    2025年07月01日
  • NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば

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    わかりやすい。何度か読み直したい。


    ● 位置: 261
    しかしブッダは、この世界をしっかり観察した結果、「そういう救済者はどこにもいない」と確信しました。この世は原因と結果の因果則によって 粛々と動いているだけであって、不可思議な力をもった救済者など、どこにもいないと見抜いたのです。ですからわれわれの苦しみは、単に「老、病、死と離れることのできない苦しみ」なのではなく「老、病、死と離れることができず、そのうえ誰にも救ってもらうことのできない苦しみ」だというのです。

    ● 位置: 304
    この世の苦しみを消すには、自分の心の在り方、ものの見方を変えるしかないというブッダの主張はその通りだと思います。人が老い、衰え、死ぬことがこの世の法則、自然の摂理であって、それを変えることもなくすこともできないのであれば、受け入れる側の自分の在り方を変えるしかない。そこにブッダの教えの本義があるのです。

    ● 位置: 314
    ブッダによれば、この世の真理には「 苦諦」「 集 諦」「 滅諦」「 道諦」という四つの局面があります。「苦諦」とは、この世はひたすら苦しみであるという「一切皆苦」の真理。「集諦」は、その苦しみを生み出す原因が心の中の煩悩だと知ること、「滅諦」とは、その煩悩を消滅させることで苦が消えるという真理、そして「道諦」は、煩悩を消滅させるための具体的な八つの道を実践することです。

    ● 位置: 327
    先ほど「道諦」は「煩悩を消滅させるための具体的な八つの道」という説明をしましたが、これを仏教では「 八正道」と言います。中身は、「 正見(正しいものの見方)」「 正 思惟(正しい考え)」「 正 語(正しい言葉)」「 正業(正しい行い)」「 正命(正しい生活)」「 正 精進(正しい努力)」「 正念(正しい自覚)」「 正定(正しい瞑想)」です。

    ● 位置: 335
    言葉にすれば、なんのことはない、正しい生活を送れと言っているだけのようですが、その「正しい」という形容詞が重要です。それは、自分中心の誤った見解を捨て、この世の在りようを客観的に合理的に見るという意味を含んでいます。そのような姿勢で日々の行動を律していけば、煩悩を消すことができると言っているのです。

    ● 位置: 419
    自分の救済者は自分自身である。他の誰が救ってくれようか。自分を正しく制御してはじめて、人は得難い救済者を手に入れるのだ。( 160)

    ● 位置: 480
    知識や教養ではなく、ものごとを正しくとらえる力のことを言う。

    ● 位置: 514
    愛慕の情から憂いが生じ、愛慕の情から恐れが生じる。愛慕の情を離れた者には憂いがない。まして恐れなどどこにもあり得ない。( 213)

    ● 位置: 516
    快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。快楽を離れた者には憂いがない。まして恐れなどどこにもあり得ない。( 214)

    ● 位置: 542
    「明」という単語は 智慧 という意味なので、「無明」といえば「その智慧がない」ということ、つまり「愚かさ」を意味します。「愚かさこそが諸悪の根源」、「煩悩の親分」というわけです。

    ● 位置: 544
    ただし「愚かさ」といっても、それはたんに知識が足りないとか、学がないといった表層的な意味ではありません。ものごとを正しく、合理的に考える力が欠如しているという本質的な 暗愚 を指します。

    ● 位置: 564
    愚かな者が、自分を愚かであると自覚するなら、彼はそのことによって賢者となる。愚かな者が自分を賢いと考えるなら、そういう者こそが愚か者と言われる。( 63)

    ● 位置: 584
    この世では、恨みが恨みによって 鎮まるということは絶対にあり得ない。恨みは、恨みを捨てることによって鎮まる。これは永遠の真理である。

    ● 位置: 606
    無明というのは、「智慧(明)」が「無い」ことです。ではその、智慧がないとはどういうことかというと、「この世で起こっているものごとを正しくとらえる力がない」ということです。あるいは、「この世で起こっているものごとを自分の都合でねじ曲げてとらえている」ということです。これを逆に言うと、現実をありのままに正しく認識できるならば、それは「明」なのです。

    ● 位置: 610
    では、この世で起こっているものごとの正しい姿とは何か。それはすなわち、「すべてうつろう」ということです。すべてのものは時々刻々と変化するのであり、永遠不滅なものなど、どこにもない。これを「 諸行無常」と言います。『平家物語』でもお馴染みの、あの「諸行無常」です。

    ● 位置: 639
    因果関係によって作り出されたすべてのものは無常である」(諸行無常)と智慧によって見る時、人は苦しみを 厭い離れる。これが、人が清らかになるための道である。( 277)

    ● 位置: 658
    私の尊敬する仏教学者、木村泰賢(*1) さんが、「映写機」を使った比喩で、諸行無常についてわかりやすい表現をなさっていたのを記憶しています。この世の時間の流れは映写機のフィルムのようなもので、まだ見ていないコマが未来で、それがランプの前に来てスクリーンに映し出されたその瞬間が現在、映し終わってリールに巻き取られた部分が過去である ── というたとえです。

    ● 位置: 663
    スクリーン上の映像はたいへんな速さで移り変わっていくので、観客の目には一つの存在物が連続して動いているように見えますが、じつは一コマ一コマ区切られた別個の静止物であり、それらが一瞬毎に生まれては消えていく、その連続がこの世の真の姿なのです。この世はこれ以上分割できない短い時間のコマからできあがった集合体である、という考えです。

    ● 位置: 667
    その「これ以上分割できない短い時間のコマ」、それを仏教では「 刹那」と言います。そして、宇宙に遍在しているいっさいの事物は、刹那、刹那でうつろっていくと考えます。

    ● 位置: 736
    愚かな人は、「私には息子がいる」「私には財産がある」などといってそれで思い悩むが、自分自身がそもそも自分のものではない。ましてやどうして、息子が自分のものであろうか。財産が自分のものであったりしようか。( 62)

    ● 位置: 743
    ん。しかしその情愛が増幅されていくと執著になります。自分で勝手に子どもの生き方や将来の職業まで決めてしまって、無理矢理その道を進ませようとする。「お前はこの家を継がねばならない」とか「あなたは将来、こういう学校を卒業して、こういう仕事につくんですよ」などと言い出す。子どもを自分の所有物だと思うから執著が湧き、自分の思うとおりに動かしたいという欲求が生まれてくるのです。

    ● 位置: 752
    子どもや財産だけでなく、実は「私」というものも、自分の所有物ではない。ですから「こうしよう」「ああしよう」と思っても、そのように自分を動かしていくことができない。頭の中でいくら理想の「自分像」を作ってみても、現実の私はどんどんそこから 逸れていってしまう。この世に、「これだけは私のものだ。これだけは、私の思いどおりになるのだ」という、そんなものはどこにもないということなのです。 「自分」はどこにもない

    ● 位置: 762
    われわれはふつう、自分の利益のため、自分の功名のため、自分の楽しさのため、自分の幸せのため…… と、なにごとも自分を中心に置き、自分に都合のよい方向でものを考えます。ところがブッダは、そもそも自分などないのであり、ありもしない自分を中心に世界をとらえるのは愚かのきわみだと説きました。

    ● 位置: 765
    われわれはまず、自我というものを世界の中心に想定し、そのまわりに自分の所有する縄張りのようなものを同心円上に形作っていきます。そしてそのいちばん外側に、世間と呼ばれる一般社会を配置します。自分はこの世界像の 主 ですから、手に入っていないものがあったら手に入れ、意のままになる縄張りの部分を増やしていこうとします。これが執著です。

    ● 位置: 769
    すなわち、執著とは、この「自分中心」の世界観から発生するのです。自分中心の考え方に立つ限り、欲望は消えませんし、きりがありません。  しかし、ここでその中心人物たる自分を、「それは実在しない仮想の存在である」として、その絶対存在性を否定してしまうと、まわりにある所有世界も自然に消えます。自分というのは、本質のない仮想存在なのですから、当然、それを取り巻く世界も仮想だということになり、執著もおのずと消えるわけです。これを表す言葉を、「 諸法 無我」と言います。

    ● 位置: 776
    すべての存在に、自我なるものはない」(諸法無我)と 智慧 によって見る時、人は苦しみを 厭い離れる。これが、人が清らかになるための道である。

    ● 位置: 779
    この世の一切の事物は自分のものではないと自覚して、自我の虚しい主張と縁を切った時、執著との縁も切れ、初めて苦しみのない状態を達成できると説いています。

    ● 位置: 780
    前章で「この世のすべてのものはうつろう」という意味で「諸行無常」という言葉をご紹介しました。そしてこの章では「この世に『私』という絶対的存在など、どこにもない」という意味で「諸法無我」という言葉を新しく出しました。この二つが、世界を正しく見るための羅針盤です。

    ● 位置: 789
    行というのは、「原因と結果の因果関係によってこの世に生まれ出るすべてのもの」という意味です。行は別名「 有為」とも言います。いろは歌で「うゐのおくやま けふこえて」という、あの「うゐ」です。つまり、「諸行無常」とは、「因果則によってこの世に現れ出るすべての事物は無常だ」と言っているのです。

    ● 位置: 792
    これに対して法というのは、行(=有為)よりも一層広い概念で、「因果則によってこの世に現れ出るすべてのものと、そして、因果則を離れて不変不滅の状態にあるもの」を合わせて呼ぶ名称です。

    ● 位置: 804
    まとめてみましょう。「諸行無常」とは、「有為法はすべて無常だ」という主張です。ならば無為法はどうなのか。それは時間をこえた永遠に変化しない状態なので無常ではありません。ですから「諸法無常」とは言えません。法には無為法も含まれているからです。これに対して「諸法無我」と言うことは問題ありません。有為法をみても、無為法をみても、どこにも「自分」という絶対存在などないからです。こういった理屈が背景にあって、「諸行無常」「諸法無我」という主張が成り立っているのです。

    ● 位置: 840
    しかしそうは言っても、現実に私はここにこうして生きているのですから、「やはり私という実在がここにいるではないか」という思いが残るのは当然です。「いるようで、本当はいない」というこの状態を私たちはどう理解したらよいのか。それについて、『ダンマパダ』は次のように語ります。

       見よ、飾り立てられた形体を。傷だらけの身体であり、要素が集まっただけのものである。病にかかり、勝手な思わくばかり多くて、そこには堅実さも安定もない。( 147)

    ● 位置: 846
    すなわち人間を、「いろいろなものが集まっただけ」の、要素の集合体と考えたのです。  この状態は、よく「車輪」にたとえられます。木でできた、荷車や馬車の車輪です。それは、「回転して荷物を運ぶ」という独自の働きをする、絶対的な存在であるかのようにしてそこにあります。しかしよく見ると、それはさまざまな構成要素の集合体にすぎません。外枠やスポークや中心の軸受けなど、それぞれ別個の部品が集まって結合したものが、仮の存在として「車輪」と呼ばれているのです。もしその結合が解けて、部品がバラバラになってしまえば、そこにはもう「車輪」は存在しませんし、「回転して荷物を運ぶ」という機能も消滅します。

    ● 位置: 852
    われわれもこれと同じで、肉体を作るさまざまな物質的要素と、精神を形作るさまざまな心的要素が集まって「私」という仮の存在を生み出しているだけで、それらがバラバラに分解されたなら、私という存在はその瞬間に消滅し、私を中心にした世界も消え失せる。それが「私」というものの正体だと、ブッダは言います。

    ● 位置: 888
    しかし、ブッダの考えに従えば、これとは全く別の受け入れ方が見えてきます。人を要素の集合体と見るなら、その人が死ねば、その集合体は 雲散霧消 して消滅します。仮に輪廻のエネルギーは続いていくと考えるにしても、実際の存在物としては、その人はこの世からいなくなるわけです。ですが、その人が存在していたことの意味は消えません。なぜなら、その人が生きていた時にまわりの無数の人たちに与えた影響は、そのままそういった人たちの集合要素の中に残っているからです。

    ● 位置: 900
    子を亡くした親は、愛しい存在がいなくなってしまった悲しみで心を引き裂かれます。そしていなくなった子が、それでもどこかに以前のままの姿で生き続けているのではないかと考えて、いろいろな死後の在りようを想像します。それは親の情としてあたりまえのこと。しかし、そういった非日常的な神秘世界を考えなくても、子は親の存在そのものの中に生き続けているのです。子を亡くした親が、人の命の尊さを深く感得し、自分と同じ境遇の人たちに共感し、心優しく生きていくなら、それは亡くなった子の存在がそうさせているのであって、子と親は一緒に生きているということになるのです。

    ● 位置: 1,147
    「外界からの情報を遮断することで、世の中の真の姿が見えてくる」という主張は、情報量を優先する現代的価値観から見ると矛盾しているようにも思えますが、情報の真の価値は、それを精神が正しく適切に処理して初めて表れる、という事実を考慮すれば、全く正しいことだと思います。

    ● 位置: 1,150
    その状態について、私が例としてよく申し上げるのは、数学の問題を解く場合です。数学の問題というのは、精神が集中していなければ解けません。

    ● 位置: 1,152
    完全に精神を集中して、その問題の世界に没入した時はじめて、私たちは正しい答えに導かれるのです。その瞬間の精神状態に鑑みると、雑念や 苛立ちはもちろん、意気込みのようなものもすべて消えて、何も考えない状態になっています。逆説的な話ですが、極度の集中の先にあるのは、答えが自然に見えてくる状態、何も考えない状態です。数学者は、これを「ひらめき」と呼びます。

    ● 位置: 1,156
    重要なのは、その数学の問題の正解がもともと問題の中に内蔵されていたということです。答えは最初からそこにあったのに、いろいろな 夾雑物に邪魔されて見えなかっただけなのです。それが、精神を完全に集中することで必要な情報といらない情報が選別され、必要な情報が正しく連結されることで見えるようになる。時おり、答えがわかったあとに、「なぜこんな簡単なことがわからなかったんだろう」といった思いを持つことがありますが、それがまさに、「真理を見る」ということの本質をついた点なのです。

    ● 位置: 1,244
    たしかにこの「空」という単語は、「釈迦の仏教」でも用いられています。しかし、「釈迦の仏教」で言うところの「空」は、大乗仏教におけるほど重要視される概念ではありません。

    ● 位置: 1,260
    「釈迦の仏教」では、この世の出来事はすべて、原因と結果の 峻厳 な因果関係にもとづいて動きます。自分がなしたことの結果は必ず自分に返ってきます。因果関係を無視してどんなことでもしてくれる超越的な絶対者など存在せず、人は自分の行為に対して、一〇〇パーセントその責任を負わねばならないのです。

    ● 位置: 1,263
    ところが大乗仏教においては、人が救われるかどうかは、必ずしも原因と結果の法則によりません。その因果則を超えて、われわれを不思議なパワーで仏の境地へと導いてくれる、特別な何かがあると考えるからです。「特別な何か」というのは、「別の世界にいる仏」であったり「一般の因果則を超えたハイパー因果関係」であったり、さまざまなかたちが考案されましたが、いずれにしろ、「釈迦の仏教」が言う因果則では説明できない、神秘的な作用を想定しているのです。

    ● 位置: 1,268
    しかしながら、この理論を根拠づけるためには、それまでの因果則をどこかで崩さねばなりません。そこで大乗仏教では、「私たちが普通に想定しているものごとの関係性はたんなる錯覚であり、その背後には、凡人には理解困難な、より高次な世界がある」と主張するようになります。これが「世界の本質は、きわめて深遠にして理解の難しい原理にもとづいている」という主張になり、「空」の思想を形成していくのです。

    ● 位置: 1,497
    感情などの話となると、また別になってきます。何かの出来事に、感情がものすごく結びついている ──「幸せだった」「あれはよかった」「あれは非常に悔しい思いをした」「奴には恨みがある」 ── そういうようなことは、また脳の中の違った場所で処理されています。そこでは、ものを見ることよりもう少し意識的なコントロールができる、というふうに私は思います。それは自分自身の経験としてもそうですし、脳科学の立場からの知見としても、可能性は高いと思います。

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    2025年05月13日
  • ごまかさない仏教―仏・法・僧から問い直す―(新潮選書)

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    購入済み

    通常は、対談本は非常に読み易いですが、内容が薄いことが多いのですが、この本は違いました。お二人の考え方の違いも明確で良い対談であったと思います。ただ、その代わりに仏教学の基本的な知識は必要ではないかと思いました。
    最後の佐々木先生の藤本氏への反論に関する部分は、この対談に必要だったのかとの疑問があります。

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    2025年05月12日
  • 仏教の誕生

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    インド仏教学者がコロナ禍に作成した、YouTubeの講義動画の書籍版。ゆっくり解説よりも分かりやすい上に、内容も本格派。しかもたった192ページ。仏教の本をこれから読んでみようという人には断然オススメの一冊。

    仏教思想だけでなく、社会の中での仏教の位置付けについて頁を割いているのが大きな特長。
    曰く、努力して幸せを手に入れるという世俗の価値観に馴染めない人の受け皿となることが、仏教の存在意義なんだとか。だからこそ、キリスト教のように全人類に教えを広める目的は初めから持ち合わせていない。あくまで一般社会との共存をめざし、そのために托鉢や「律」といったシステムが設けられている。

    他にも仏教での梵天の扱い、「戒」と「律」の違いなど、人に教えたくなる豆知識がたくさん。
    学問的なエッセンスと、豆知識的な面白さを両立させた入門書かくあるべきという本だ。

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    2025年03月15日
  • NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 最期のことば

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     佐々木閑先生による涅槃経の解説。涅槃経には原始仏教による阿含『涅槃経』と、大乗仏教のもとで生まれた大乗『涅槃経』がある。この本は、阿含『涅槃経』を解説するもの。

     阿含『涅槃経』では、ブッダは亡くなることによって、六道輪廻から逃れ、涅槃に入る。つまり、ブッダの死後、弟子たちはブッダから直接教えを受けることができなくなるという前提がある。弟子たちはどのようにサンガを維持していくのか。余命3か月となったブッダは、最後の旅のなかで、その方法を弟子に示していく。それをまとめたのが阿含『涅槃経』である。

     ブッダの最後の教えのキーフレーズは「自洲法洲」。ブッダは弟子のアーナンダに言う。ブッダの死後は、「自分自身を島とし、自分自身を拠り所として生きよ。それ以外のものを拠り所にしてはならない。ブッダの教え(法)を島とし、ブッダの教えを拠り所として生きよ。それ以外のものを拠り所にしてはならない」と。この島というのは、「苦しみの洪水に流され続けている私たちが、そこから逃れることのできる唯一の拠り所」を意味するのだという。

     つまり、仏教はブッダを神のようにあがめる宗教ではない。一人の人間としてのブッダが説き残した、その言葉を信頼する宗教なのである。しかも、その言葉を床の間に飾っておくのではなく、言葉の指示に従って自分自身で努力していなくてはならない宗教なのだ。

     ブッダは自洲法洲の「法」について具体的に説明する。それは三十七菩提分法(四念処、四正勤、四神足、五根、五力、七覚支、八正道)を実践すること。つまりは、悟りに向けて、ひたすらに自己鍛錬することが仏教の本義なのである。

     ちなみに、この本の最後の章では、阿含『涅槃経』と大乗『涅槃経』との違いが示される。NHK100分で名著の放送時のテキストにはなかった章である。これがあまりに違いすぎて、驚きを禁じ得ない。

     (私は思う。阿含『涅槃経』が示す仏教は、摂取不捨の阿弥陀さまを信じるのとはだいぶ違うなぁと。念仏を申し上げるだけで極楽往生できる、他力の浄土教とは大違いではないか。。。どちらが良い、悪いという話ではなく、だいぶ違うと認識することが重要なのだろう。そして、自分自身の努力で苦しみから解放されるという、この初期仏教の教えは、科学が発達した情報過多の現代において、私たちを照らす道標となるようにも思われる。)

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    2025年02月21日
  • NHK「100分de名著」ブックス 般若心経

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    般若心経の「ぎゃーていぎゃーてい はーらーぎゃーてい はーらーそーぎゃーてい ぼーじーそーわか」というところは神秘なパワーを頂戴するためのおまじないだったんだね。

    私たちは、物事を考え抜いてもう自分でできることはない状況の時「最後は神のみぞ知る!」と言う。科学では存在を証明しえない神のパワーにすがりがち。この精神は般若心経に通じているな。

    般若心経はお守りとしてありがたく拝受しておこうという著者のスタンスにも共感できた。

    羯諦 羯諦 波羅羯諦
    波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

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    2025年01月17日