佐々木閑のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネットカルマとは、現代社会に現れた新しい「業」と「苦」です。
技術には良いも悪いもありませんが、インターネットが普及した世界では、私たちの行動や情報など、あらゆる場面が刻々と記録されていきます。
古代インドで、ブッダは「生きることは苦しみだ」と気づきました。
ネットに縛られた苦しみの世界を抜け出すために、ブッダの教えが役立ちます。
子どもたちにメディアリテラシーを教える際にも、とても役立つ本です。
これからの時代の必読書です。
他人の悪口を言い、貶めることで喜びを感じるというのはなんとも醜い姿ですが、それは人が生まれつき持っている獣性の一部です。仏教で言うなら煩悩です。それが自分の中にもある -
Posted by ブクログ
わずか265文字で記された大乗仏教のお経。般若心経。
信心深くなくとも、聞いたことはあるほど日本人には馴染み深いお経です。
全文漢字なので、なかなかわかりにくいのですが
本書では各文節の意味を訳して、理解を促しながら
それ以上に各言葉の背景や歴史的意味に踏み込んでいるので
理解が深まります。
特に有意義だったのは、般若心経は大乗仏教の聖典であり、
釈迦の宗教である小乗仏教とは違うもので、厳しい修行よりも
衆世を救う事を一番に考えられたお経だという話。
本書を読むと正直、空の概念なんかも眉唾ものに思えてきますが、癒しのお経という視点から見ると。
今、死にたいくらい苦しい人に、すべてを捨てて -
Posted by ブクログ
ブッダの言葉を短い詩の形にして423句に集めたのが「バンマパダ」で、日本では「真理のことば」と言われてるとのこと。その説明の書。
『愚かなひとは、「私には息子がいる」「私には財産がある」などといってそれで思い悩むが、自分自身がそもそも自分のものではない。ましてやどうして、息子が自分のものであろうか。財産が自分のものであつたりしようか。』『子どもを自分の所有物だと思うから執着が湧き、自分の思うとおりに動かしたいという欲求が生まれてくるのです。親の思惑と現実が食い違った時、「ああ、つらい」と苦しい気持ちが生じます。「お前はどうして、私の言うことを聞かないんだ」と怒りの心も起こります。執着すること -
Posted by ブクログ
・とても分かりやすく解説している本です。初心者におすすめです。
佐々木閑さんは冒頭「まずは、仏教が生まれる前のインドがどのような状況であったかを知っていただいて、お釈迦様はなぜその時に仏教をつくらなければいけないと考えたのか、それを理解していただかなければなりません」と書いています。
そう考えると、釈尊は決して自分の苦を乗越えるためではなく、社会から苦を無くしたいと思って出家されたのかもしれません。釈迦族が滅ぼされる時も決して闘おうとはせず、自ら到達した諸行無常の境地を貫いた釈尊にも、強い怒りや深い悲しみに襲われることがあったと思います。
現代の日本において、仏教というと、どうして -
Posted by ブクログ
冒頭にハリラの仏教についての記述を紹介しているが、的確な指摘の連続で、イスラエルの歴史学者がここまで仏教を理解していることに宮崎は驚いているが、私もハリラの分析力に感心した.本論に入ると、宮崎と佐々木の討論が始まるが、宮崎が次々と繰り出す論点に佐々木は冷静に対応しているが、読者からすると、宮崎の知識の開陳の連続という感じがした.釈迦が実際に述べたことを忠実に伝えているとされる文書はほぼ確定されたようだが、研究は緒に就いたばかりという感じだ.「仏」、「法」まで読んだが、難しい!日本にはびこっている鎌倉仏教との相違点だけを重点的取り上げて欲しい.日本の仏教と釈迦の原点はかなり異なっている感じがする
-
Posted by ブクログ
仏教学者とゴリゴリの物理学者の対話。
ビッグバン理論などで宇宙の始まりは「無」だった(宇宙の誕生は偶然だった)、という考え方が浸透してきた。こうした理解と、「超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する」(P.144)原始仏教は実は似たところがある、と。
とは言え、「仏陀は量子論を知っていた」というような説は二人とも強く否定する。個人的には、宇宙とは何だろうと考えているときに、最新の物理の知見がない人も偶然に似たような世界観を思い描くこと自体面白い気もするが、学者二人はそれを以って「仏教と現代物理学は矛盾しない」などといったことは言わない。
西洋が、科学の発展とともに「宇宙に意味 -
Posted by ブクログ
科学の発展と仏教の発展を重ね合わせて書かれている。
物理学、生物学、数学の説明でほとんど終わり、肝心の仏教はオマケのように後半に登場する。
だが、その構成のためより仏教が科学的に分析出来るものであり、現代のコンテンツにおいても仏教の思想は取り入れるべき要素が多いことが感じられた。
多くの宗教は「救われること」を求められて広がっていった。
現代でも仕事や何らかの活動を通して「救われること」を求めている人は少なくないのではないだろうか。
その仕事を通して、誰を助けるかという文脈だけでなく、やる側はどう救われるのかという精神性にも注目していきたい。