佐々木閑のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
・とても分かりやすく解説している本です。初心者におすすめです。
佐々木閑さんは冒頭「まずは、仏教が生まれる前のインドがどのような状況であったかを知っていただいて、お釈迦様はなぜその時に仏教をつくらなければいけないと考えたのか、それを理解していただかなければなりません」と書いています。
そう考えると、釈尊は決して自分の苦を乗越えるためではなく、社会から苦を無くしたいと思って出家されたのかもしれません。釈迦族が滅ぼされる時も決して闘おうとはせず、自ら到達した諸行無常の境地を貫いた釈尊にも、強い怒りや深い悲しみに襲われることがあったと思います。
現代の日本において、仏教というと、どうしても葬式というイメージですが、お釈迦さまの教えは、いまという時代にこそ蘇って欲しい。
信仰が生まれる背景には、支配者側の都合や被支配者側の苦悩があるんですよね。変遷の歴史を学ぶことは、大切ですね。
生老病死を乗り越えるためには、自分への執着を捨て去る必要があるということは理解できますけど、日本では、托鉢だけでは生きて行けないですよね。 -
Posted by ブクログ
冒頭にハリラの仏教についての記述を紹介しているが、的確な指摘の連続で、イスラエルの歴史学者がここまで仏教を理解していることに宮崎は驚いているが、私もハリラの分析力に感心した.本論に入ると、宮崎と佐々木の討論が始まるが、宮崎が次々と繰り出す論点に佐々木は冷静に対応しているが、読者からすると、宮崎の知識の開陳の連続という感じがした.釈迦が実際に述べたことを忠実に伝えているとされる文書はほぼ確定されたようだが、研究は緒に就いたばかりという感じだ.「仏」、「法」まで読んだが、難しい!日本にはびこっている鎌倉仏教との相違点だけを重点的取り上げて欲しい.日本の仏教と釈迦の原点はかなり異なっている感じがする.
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Posted by ブクログ
仏教学者とゴリゴリの物理学者の対話。
ビッグバン理論などで宇宙の始まりは「無」だった(宇宙の誕生は偶然だった)、という考え方が浸透してきた。こうした理解と、「超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する」(P.144)原始仏教は実は似たところがある、と。
とは言え、「仏陀は量子論を知っていた」というような説は二人とも強く否定する。個人的には、宇宙とは何だろうと考えているときに、最新の物理の知見がない人も偶然に似たような世界観を思い描くこと自体面白い気もするが、学者二人はそれを以って「仏教と現代物理学は矛盾しない」などといったことは言わない。
西洋が、科学の発展とともに「宇宙に意味がなく、人間にはあらかじめ目的が与えられていないことを明らかに(なった)」(P.33)ことに思い悩む中、仏教はもともとそういう設定がなく、「苦」そのものである人生において「修行によって自分を変えていくプロセスそのものが、自分の生き甲斐になると考える」(同)という点が興味深かった。 -
Posted by ブクログ
科学の発展と仏教の発展を重ね合わせて書かれている。
物理学、生物学、数学の説明でほとんど終わり、肝心の仏教はオマケのように後半に登場する。
だが、その構成のためより仏教が科学的に分析出来るものであり、現代のコンテンツにおいても仏教の思想は取り入れるべき要素が多いことが感じられた。
多くの宗教は「救われること」を求められて広がっていった。
現代でも仕事や何らかの活動を通して「救われること」を求めている人は少なくないのではないだろうか。
その仕事を通して、誰を助けるかという文脈だけでなく、やる側はどう救われるのかという精神性にも注目していきたい。 -
Posted by ブクログ
いただいた本。
先日、松原隆彦『目に見える世界は幻想か』という物理学の本を読んだのだけど、大栗博司の話は難しいけど似た所に触れられていると感じた。
面白かったのは『「よく生きる」とはどういうことか』というテーマの対談。
なんで仏教×物理学?というところが、なるほど、に変わるから面白い。
神という絶対的(超越した)存在を外すことによって、なんなら自分という存在を世界の中心から降ろすことによって見えてくる世界について、どちらの側からも歩めるんだなぁ……。
仏教の、生老病死の苦しみの話や、南無阿弥陀仏の意味なども、知っているようで知らなくて、すごいなぁとちょっと感動したのだった。
岡潔は無明の話をよくしていた。
情緒を育てることの大切さに、物理学的な発展の仕方は合わないように感じていた。
けれど、この本を読むと、立っている場所が同じで、外を解明していくのか、内を解明していくのかという部分の違いのようにも思えた。
まぁ、安易な対比論だけど。。。
生きていることが苦しいとしたら、その苦しみを取り払うために自分自身はどうするか。
生きる意味がない中で、自分は一体何を見つめて死への確実な歩み寄りを続けていくのか。
佐々木静は「向上」という言葉を目的に位置させたけれど、苦しみがなくなっていく修行の成果は、「向上」という言葉とは厳密に同義でないようにも思う。
いただきものでなければ、手に取らなかった本との出会いだった。
こういうのも、いいなー。