あらすじ
“自己鍛錬”を目的に興ったはずの「釈迦の仏教」は、いつ、どこで、なぜ、どのようにして、“衆生救済”を目的とする大乗仏教へと変わっていったのか――。原始仏教の第一人者とその研究室を訪れた一人の社会人学生の対話から大乗仏教の本質に迫る、類を見ない仏教概説書。
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Posted by ブクログ
少々難解ではあったが、釈迦の思想から日本で仏教がどのように変容していったかがおぼろげにも理解できたような気がします。その時代時代の要請が色濃く反映されるのは致し方ないことでしょう。
ただ最後の未来の仏教を「こころ教」と言われたのは、言い得て妙ですが、私は将来心理学や量子力学などの科学と融合する姿が見られると良いと思いました。なにせ諸行は無常ですから。
Posted by ブクログ
とても面白かったです。
仏教がインドで興り、中国から日本に伝わってきた。色々な宗派がある、色々な概念を耳にした事がある。
けど、私の頭の中ではよく整理されておらず、混同していました。
本書は、釈迦の仏教から、多様な経へ派生していく様を、対話形式で分かりやすく解説されています。
その様は、釈迦の仏教をオリジナルとして、様々な二次創作というか、スピンオフというか、ファンメイドというか、まさに富永仲基の言う、加上の説ですね。
時代やその背景によって、それぞれの役割を果たしてきたのだと思います。
しかし、人は本当に、よく、色んな事を考えつくものだと思います。楽しいですね。
『大乗仏教』入門書として最適!
2024年10月読了。
佐々木先生の前著『100分de名著〜ブッダ・真理の言葉』を読んで、中村元先生の『原始仏教』の方へ行こうとしたのだが、「大乗仏教の総括が出来ていないじゃないか」と思い立ち、本書を購入。流石は著名な仏教学者、限られた文量の中で《大乗仏教と云う大きな教え》をスパスパッと気持ちよく捌いてくれ、私の様な凡愚の者でも「(大掴みだけど)分かったような気持ち」にさせてくれた事に、最大級の賛辞を送りたい。本当に勉強になりました。
前にも書いたが、呉智英先生がその著書で『似ても似つかない嘘八百だ…』くらいにケチョンケチョンに貶されていたので、「そうかも知れないけど、大乗仏教だってこれだけの歴史が有るのだし…」と云う一種寂しい思いをしていた為、本書の様に『全くの別物。でも、そう成ってきた事には理由も経緯もあり、又、それによって救われた人々が居る以上、≪擬い物扱い≫するのはおかしい』と言って頂けただけでも救われた気持ちになった。
前著もそうだが本書もあくまで『初心者の為にかい摘んで解説した本』である。これらを二読三読するのは勿論、今度こそ中村元先生や鈴木大拙先生の著書へと、頑張って読み進めなければと、怠惰な自分に言い聞かせる思いで読み終わった。
もう一点、文末に著者が『凡そ宗教者たる者が世俗の問題に軽々に口を出す』のはおかしいと書いていた点について、仏教だけと言わず、世界中の宗教が≪醜い争いや殺し合い≫等を肯定している筈は無いのに、現代において何故これほどの諍いや戦争が無くならないのか、世界の宗教者そして「その信者だ」と強く自分を恃む者たちが争いを止めないのか、『争いを止めよ』と誰も発信しないのか、今こそ≪宗教の力≫が必要な時は無いと、誰にとはなく腹立たしい思いで本を閉じた。
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大乗仏教を学ぶ一冊としては良書。ただ、100分で読み終わることはなく、その倍はかかるのは難点。私の場合、一度通読しただけでは内容を全部理解できていない。
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何だかよく分からんな、と思っていた仏教。藤田一照師の著作を主に、紐解いていくきっかけをもらい。
今回大乗仏教とはなんじゃい?と好奇心からこの本を手に取った。対談形式という手軽さと、佐々木閑氏の軽妙な語り口で見事、大乗仏教の成り立ちを学ぶことが出来た。
なるほどねー、こうして大枠のガイドラインを引いてもらってそれぞれの点を紐解いていけば仏教についてより見識が深まる事だろう。
面白くなってきた。
Posted by ブクログ
仏教の歴史の変遷をたどる本、と書くと面白みがわかりいくいけど、救いを求める人が、いかに物語を想像していったかをたどる本、と考えると面白い本かも。
元々厳しい戒律や修練の末にたどりつくとされた仏陀の唱えた「悟り」
それがどのような変遷をたどり現代まで変質していったかを、教授と学生の対話形式でたどっていく一冊です。
対話形式なので読みやすく、仏教の歴史の変遷も各時代を辿り、ちゃんと順を追って解説されていくので、内容も分かりやすかったと思います。
上に書いたとおり仏陀が始めた仏教というのは、一般の人が行うには厳しい部分も多いし、悟りという概念も難しい。その仏教がいかに民衆に根づいていったか。人々は仏教を独自の解釈を加えていきます。それによって教えは変質し、民衆に近いものになっていくのだけど、この解釈に人間の想像力の豊かさを見ました。
輪廻転生という概念くらいは知っていたけど、この本を読むと仏教の変遷の中に、転生やタイムリープ、さらにはパラレルワールドの概念のようなものまでも見て取れます。
自分は何度か「これ、もはやまどマギじゃん」とか「これ、もはや進撃の巨人じゃん」とか思ったりもしました(笑)
こうしてみると、宗教はある意味SFやファンタジーの概念すらも含んでいるのかもしれないとも思えてくる。
そして、古来からそうした概念があるなら、現代の物語にもその設定や概念が使われて、名作が生まれているのも至極当然のようにも思えます。
救いを求め、今と違う世界や自分を求めた古代の人たち。回り回って、それと同じ概念が物語に取り込まれ、名作に昇華されていることを考えると、仏教がより身近に思えたし、人の本質というものも変わらないのだと思えたりもしました。
Posted by ブクログ
大乗仏教についてくわしく書かれており、だいぶ理解が深まった。
その時代の人々にあわせて仏教の教えが変化していったのがよくわかった。
いままでは、人々が宗教を信仰する意味や必要性がよくわからなかったけど、このほんを読んで、その気持ちもわかる気がした。
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大乗仏教の基本知識をインストールするのに使える本。
宗派ごとの世界観の違いなどが、対話形式でとてつもなくわかりやすく語られている。
奈良の仏像巡りしてから、この本を読んだらめちゃくちゃ楽しかった。
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我々が今日触れる”仏教”緒宗派について、ブッダからその歴史を辿って整理している。
聴講生を前にした講義形式で記されている点が、理解しやすく、整理された無いようになっている。
日本仏教の全体像を、一つの方向から見渡すことが出来たと思う。
Posted by ブクログ
佐々木閑先生の解説はとても分かりやすい。大乗仏教の空、回向、如来蔵ー。難解なことを分かった気になれた。だけど、お経の言ってることが屁理屈に感じられたのも事実。十一面観音の仏像や祖母が熱心だったお称名に救いを求める自分もいる。仏教は論理的だと思っていたのに、いろんな認識がぐらぐらしてる。でもそれも読書の価値か。
Posted by ブクログ
偉大なシャカムニが生きているあいだは良かったが、亡きあと、僧団は乞食遊行から定住化する必要などで「意見が対立しても定例集会に参加するうちはメンバーと認める」不文律ルール改正に迫られた。
シャカムニは「カルマ=業を断ち切れば自由になる」と教え、輪廻転生に言及しなかったが、「ブッダとなるには延々とした前世からの修行があったに違いない」また「厳しい修行を支える一般人にとってブッダの教えは何になるか」といった思いから、〈大乗仏教〉が興起した。
初期の大乗経典の般若経(群)は“空観”を敷衍して善業は仏になる途に通じると説く(カードポイントが「そんなことにまで使えるの!」に譬えている)。さらに、“一定の経文を、意味が分からなくても唱えれば効果(善業)がある”という画期的発想を打ち出した。現在の日本の般若心経ブームの源流。しかも、論拠として「(なんとなくでも)懐かしく感じるものがあるでしょう?それは、過去世にあなたが仏と会ったことがあるからなんです。『故知般若波羅蜜多 是大神咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 真実不虚…ギャ諦…』と唱えると、前世の記憶が呼び覚まされる…」と論駁不可能なところに行く。
転生修行を繰り返すボサツはブッダに会って「発心」し修行の第一歩を踏み出す。ブッダは「何億年に一人」とされていたのを、経文を唱え讃えることが仏に会ったことに匹敵するとした。
次に法華経は般若経から百〜百五十年後成立と推定される。
漢訳の段階で種種の経典が到来したのを、天台大師智顗は「五時八教」と体系化し、華厳→阿含→方等→般若→法華・涅槃の順で説かれたと「釈迦仏の本意は法華経で万人成仏の方途を示すこと」
偈(韻文、『妙法蓮華経』では漢字五字の連句で翻訳)の部分が先にできたと考察され、前半と後半で教説に違いがあるが、前半は“師弟関係の超世代”、後半は“永遠のブッダ”を説く。シャカムニの十大弟子である舎利弗などが、歴劫修行といって何万回も?生まれ変わり生まれ変わりして釈迦佛に出会いを繰り返し、今回ついに年限満ちて?成仏の記別(確定証明)をあたえられるという。それは仏が最終的仕上げの一撃!〈法華経〉を説くからだと。仏が法華経を説くのは生涯に一度だけで、心して聞くべきと。/後半ではなんと「仏の仏としての寿命は超遠大=半永久的で、生々世々に娑婆世界で法を説いて衆生を教化してきた」と述べる。それが法華経の核心で、
修行者は菩薩行のなかで『自分の命が永遠である』ことを自覚し、その教えである法華経を広めるよう励む。よう呼びかけている。
釈迦仏はもう転生しないのか、娑婆世界から他所に移るのか、前半では「塔を立てること」が推奨されたが、後半では経文が仏の全身であると自己言及が見られる。