佐々木閑のレビュー一覧
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ネタバレNHK「100分でde名著」で放送された「ブッダ 真理のことば」のテキストを一部加筆・修正等された本。
ブッダの言葉を短い詩の形にして集めた「ダンマパダ(真理のことば)」を取り上げてあるとのこと。
一切皆苦、恨みから離れる、執著を捨てる、正しいものの見方、の4章から成り立っている。
どれも身につけたら楽になるんだろうけど、それができないから苦しいんだろうなあということはわかった。
実践できるものがあるかな。試してみたい。
・自分自身の努力によって心の煩悩を断ち切ること、これこそが一切皆苦のこの世界で、真の幸福を手に入れる唯一の道
・「釈迦の仏教」の最大の特徴は「自己鍛錬システム」。神秘的な力を信じず、生きていくうえでの苦悩をあくまでも自分の問題と考え、自己改良の中に解決策を求める
・心の持ちようをどうするかによって、我々の心に苦しみが生まれるか、生まれないか、それが決まってくる
・科学と仏教の共通性は、世の中が「原因と結果の因果関係だけで動いている」と見る、その世界観にある
・トレーニングを積んで、よからぬ錯覚が二度と起こらないように自己の状態を変えること、それが仏教の目指す道 -
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大乗仏教の入門書という位置付けだけど、知らないことが一杯だった。
まずは、釈迦の仏教と大乗仏教がかなり違う、ということ。ある程度、違うことはわかっているが、やはり大乗仏教の国に生きていると、ブッダの教えの連続性の方に目がいく。が、やはり根源的なところで違うんだな。
その断絶が最初に現れたのが般若経。般若心経は、これまで関心を持って関連図書を読んできたが、そんなにブッダの教えとここでそこまで違ったかというのは驚きだ。そして、大乗仏教の理論化に貢献した龍樹については、著者はレトリックと詭弁で評価されすぎであると一蹴。そうか〜と。
で、法華経になるとさらに変質は進み、浄土経などなどとどんどん違うものになっていく。ある意味、禅になるとほぼ中国の道教状態になってしまうのだが、なぜかここで一周回って原始仏教とのつながりがここで少しできてくる。
私は、日本の仏教がオリジナルからかなり変質したものになっていて、その原因は極めて日本的な事情があったんだろうと思っていたのだが、そのベースとなるお経がもともと原始仏教とはかなり違う教えになっていたんだな〜と思った。(もちろん、著者のスタンスとして、日本の宗派の違いをその経典の違いで説明しようという意図があって、そういうことになっている側面もあると思うのだが)
では、釈迦の教えから外れた大乗仏教に意味はないかというと、その教えによって幸せになれる人がいるならば、それでいいではないかというスタンスでそれはそうかなと思う。
最後に、東アジアの仏教において重要な位置をもつ「大乗起信論」は、実はインドで書かれたものではなく、中国で書かれたもの。それもオリジナルではなく、中国の経典などからの引用を集めたパッチワークで、それをインドの馬鳴という人が書いたとした偽文書であることがわかったというトピックを紹介している。このことは、これからの大乗仏教理解に大きな影響を与えるとのこと。
その顛末は面白かったのだが、著者の論理でいけば、そうかもしれないが、それで幸せになった人がいるなら、それでいいんじゃないかということになるはずなのだが、どうしてそれがそんなに大事なことかはわからなかった。
大乗仏教の経典って、「お釈迦さまはこういった」という形で、後世にどんどん経典を作り、それにさらなるお経を書き足していったものなので、大乗仏教の解説書、理論書がパッチワークであることくらい大したことではないように思える。
で、それがそういう本だとしても、これまでそれが大事だと思っていた人がいるのなら、それはそれでいいんじゃないかと思ってしまった。 -
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科学と仏教。一見すると関係のなさそうなこの2つの間には、世界観を確立する方向性において重要な類似点がある、という。科学は神の視点を廃し、人間の視点によって納得できる物理的世界観を構築する方向に発展してきた(例:相対性理論、量子論、自然淘汰説、実無限など)。一方(釈迦)仏教は、神という超越的な存在をはじめから考慮せず、人間の視点だけで精神的世界観を構築する。神ではなく人間の視点で世界観を構築するという点が両者の類似点である、という考察は非常に面白い。科学は実験というコントロールできるミクロの現実を使って世界を捉えようとし、仏教は禅定によって世界全体を捉えようとする。この方法の相違も、先の類似点を考えると示唆深い。
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大乗仏教では、凡人が仏陀になるためには仏陀に出会わなければならない、と考えるため、すでに釈迦が死んでしまったこの世界で如何にして仏陀に出会えるようにするかが要点となってくる。大乗仏教の主要な経典では、仏陀に出会える根拠付けが多様な仕方で説明されており、非常に面白い。人はみな過去(前世)に仏陀に出会っていると考えてみたり、釈迦仏陀は実は死んでいないとしてみたり(久遠実成)、パラレルワールドに仏陀はいると言ってみたり、仏陀はあらゆる世界にいて仏陀ネットワークを形成していると想像してみたり、1人1人の中に仏陀はいると主張してみたり、と想像力豊かで多様な仏陀イメージが出てきて楽しい。
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仏教の歴史の変遷をたどる本、と書くと面白みがわかりいくいけど、救いを求める人が、いかに物語を想像していったかをたどる本、と考えると面白い本かも。
元々厳しい戒律や修練の末にたどりつくとされた仏陀の唱えた「悟り」
それがどのような変遷をたどり現代まで変質していったかを、教授と学生の対話形式でたどっていく一冊です。
対話形式なので読みやすく、仏教の歴史の変遷も各時代を辿り、ちゃんと順を追って解説されていくので、内容も分かりやすかったと思います。
上に書いたとおり仏陀が始めた仏教というのは、一般の人が行うには厳しい部分も多いし、悟りという概念も難しい。その仏教がいかに民衆に根づいていったか。人々は仏教を独自の解釈を加えていきます。それによって教えは変質し、民衆に近いものになっていくのだけど、この解釈に人間の想像力の豊かさを見ました。
輪廻転生という概念くらいは知っていたけど、この本を読むと仏教の変遷の中に、転生やタイムリープ、さらにはパラレルワールドの概念のようなものまでも見て取れます。
自分は何度か「これ、もはやまどマギじゃん」とか「これ、もはや進撃の巨人じゃん」とか思ったりもしました(笑)
こうしてみると、宗教はある意味SFやファンタジーの概念すらも含んでいるのかもしれないとも思えてくる。
そして、古来からそうした概念があるなら、現代の物語にもその設定や概念が使われて、名作が生まれているのも至極当然のようにも思えます。
救いを求め、今と違う世界や自分を求めた古代の人たち。回り回って、それと同じ概念が物語に取り込まれ、名作に昇華されていることを考えると、仏教がより身近に思えたし、人の本質というものも変わらないのだと思えたりもしました。 -
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ネタバレ●大乗仏教に宗派がたくさんある理由
→ 信奉するお経が異なる
般若経→世界は「空」である
法華経→なぜ「諸経の王」なのか
浄土教→阿弥陀と極楽の誕生
華厳経・密教→宇宙を具現するブッダ
大乗涅槃経・禅→私の中に仏がいる
● 大乗涅槃経
大乗『涅槃経』の独自の教え
・如来常住
・一切衆生悉有仏性
→全ての人が条件さえ整えば、外から誰かに助けてもらわなくてもブッダになることが可能である
(他のお経ではブッダは外にある)
●禅
中国発祥
道教などをベースとした出家者コミュニティがまず存在し、それが「釈迦の仏教」の修行の一つである「禅定」と結びついて、仏教集団となっていったのが起源
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禅宗には特定の根本経典がなく、教えよりも生活スタイル(実践)がベースとなっている点で他の大乗仏教とはかなり趣が異なる、
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もともとの「釈迦の仏教」では、自我という錯覚の存在を自力で打ち消し、煩悩を断ち切ることが悟りに至るための道だった。
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ネタバレどうも読む順番を間違えたかもしれない。本来なら、これを最初に読んで、「般若心経」「涅槃経」という形で読むべきだったような気がします。ダンマパダ=真理のことば=法句経ですが、ブッダの時代に近い古い段階のお経(ニカーヤ=阿含経)の一部ですね。
最初の方はブッダの教えと大乗仏教の話。流石に三回目なので良く判りました。
で、真理のことば。ブッダによれば、この世の真理には「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」という四つの局面がある。苦諦とはこの世はひたすら苦しみであるという「一切皆苦」の真理。集諦はその苦しみを生み出す原因が心の中の煩悩だと知ること。滅諦とは、その煩悩を消滅させることで苦が消えるという真理。そして、道諦は煩悩を消滅させるための具体的な八つの道(八正道)を実践することである。そして、八正道とは正見(正しいものの見方)、正思惟(正しい考え)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行い)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい自覚)、正定(正しい瞑想)の八つなる。
さて、煩悩のうち一番大本となる煩悩は「無明」、つまり物事を正しく、合理的に考える力が欠如しているという本質的な暗愚だと指摘している。苦は、それを生じる根本のスタート地点として「無明」があり、以下、「行」→「識」→「名色」→「六処」→「触」→「受」→「愛」→「取」→「有」→「生」→「老死」の順番で展開しているという。これを流転門といい、このプロセスを理解した上で心の修練を繰り返し、最初の無明を滅することができれば、各段階が消えていき、最後に老死の苦しみも消えるという流れ。これを還滅門というらしい。
それから執着。執着は、自分中心の世界観から発生するもので、自分中心の考え方に立つ限り、欲望は消せない。この世の一切の事物は自分のものではないと自覚して、自我の虚しい主張と縁を切った時、執着とも縁が切れ、初めて苦しみのない状態を達成できると説いている(諸法無我)。
最後に、認知脳学者の藤田一郎先生との対談が載っていて、科学と仏教の接点が見えたような気がした。錯視の例が出ていたけど、網膜に写った像を認知の力で補正する見方を脳は持っている。正しく見るということはどういうことなのか。佐々木先生は「科学というのは、その集中した精神を使って、外界の法則を知ること。そして仏教というのはその集中した精神を使って、自分の心を観察して、それを変えようとするもの」と整理している。そして、最後に「苦しみや悲しみの感情に溺れてしまったとき、人は正しい判断ができなくなったり、自分を追い詰めてしまうことがある。そんな時こそ、自分の状況を客観的に把握し、生き方を変える勇気が大切で、ブッダは苦しみから逃れるためには強い意思が必要だと説いたのだと思います」と結んでいる。少しずつ分かったような気がしている。 -
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ネタバレ(阿含)涅槃経について書かれたものですが、一般的に涅槃経とは「ブッダを追慕する経典」ととらえられているのに対し、佐々木先生は「ブッダ亡き後の仏教僧団をどうやって維持・管理していけばよいか、その基本理念を説いたものだ」という見方をしている。そもそも仏教は、「生きがいを追及する組織」であり、教えの実践をベースとした「自己鍛錬システム」にその本質があると考え、自己鍛錬の場であるサンガの維持をとても重要なことと考えてのことという考察。聖徳太子の十七条の憲法には「篤く三宝を敬え」とあり、三宝とは仏法僧であることは小学生でも知っているけど、これはもともと仏教から来ていて、仏はブッダ、法はブッダの教え、僧は修行のための組織である「サンガ」を意味することは初めて知りました。
ブッダは組織が衰亡しないための条件として、5種類の衰亡しないための7つの法と1種類の衰亡しないための6つの法というのを示している。最も重要といわれている最初の7つの法とは、「決めごとは、メンバー全員が参加する会議で民主的に決めよ」「すべての生活は既に決められたルールに沿って行動し、法律を重視して暮らさねばならない」「先に出家した先輩を尊敬し、その言葉に耳を傾けよ(年功序列)」「『自分』という存在に執着し本来の仏道の意味を乱さない」「人気のない郊外に住んで静謐な生活を送る」「出家した全ての修行者を仲間として友好的に待遇せよ」などです。このほか「自分の本分以外のことには手を出すな」「無駄話をするな」「悪い友人と付き合うな」「寝てばかりいてはいけない」「常に努力せよ」「智慧を持て」などが続きます。サンガのコンセプトが「拡大」ではなく「維持」にあることもあって、極めて民主的な教えのように思います。
さて、涅槃経はお釈迦様の入滅の際の記録でもあり、その遺言ともいえる言葉「自洲法洲(あるいは自灯明法灯明ともいうらしい)」についても触れている。そのまま訳すと「私が死んだ後にお前たちが拠り所とすべきものは、私がこれまで語ってきた教えと、そしてお前たち自身の努力だけだ」という意味らしい。佐々木先生の解説は「仏教とは、ブッダを神のようにあがめる宗教ではなく、一人の人間としてのブッダが説き残した、その言葉を信頼する宗教であり、しかもその言葉を単に床の間に飾っておくのではなく、言葉の指示に従って自分自身で努力していかなくてはならない宗教だ」となっています。なるほど自己鍛錬システムです。
涅槃経では続いて具体的な修行法である「四念処」について語っている。これは、「身」「受(外界からの刺激に対する感受作用)」「心」「法(この世のすべての存在要素)」からなり、この四つの項目の間違った捉え方が煩悩の原因となるため、仏道修行に入る人は、この四項目を常に念頭に置き、間違った見方を捨て、正しい姿でとらえるようにしなければならないと説いています。
ここはちょっと難しい。最後の法のところに「諸法無我」という言葉があり、これが「この世に『自分』などというものはない。単なる構成要素の一時的集合を自分等実在物だと錯覚しているに過ぎない」という見方なのだけど・・・
後は般若心経の中でもふれられた大乗仏教の話、ほか。まだまだ勉強が足りないです。