山田順子のレビュー一覧
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これはすごく評価が分かれそうな大人のファンタジーですね。
著者さんが元々詩人だけあって、文章がとても詩的です。
言葉をもたないことが、思考をやめたらどうなるのか、警鐘ともとれる物語。
この先のサイモンとリューシャンを想うと、労いたくもありほんとうにこれでよかった?と問いたくもなり。
でもきっと二人はこれからも共に生きていくのだろうな。失った多くのものの記憶を携えてちゃんと生きていってほしいね。
しかし、この音で地図を描くとか、会話をするとか、すごい発想だなぁ。
万人に受け入れられることをたぶん求めていないようなそんな潔さを感じます。
君にこれを理解できるか?と問われているような。
一度読んで終わりではなく、きっと何年か経ってまた読むとまた違う理解が生まれるのかもしれない。
わかりやすい物語ばかりが持て囃される昨今で、こういう毛色の物語があるってことに救われた気もする。
果たして、自分は、この物語に受け入れられたのかしら。
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Posted by ブクログ
SF成分の摂取。飯田橋の書店のフェアで見つけたのだっけな。
初めての著者だったけど表題「たんぽぽ娘」「11世紀エネルギー補給ステーションのロマンス」「ジャンヌの弓」あたりが好きだったな。ロマンスの方がうまくまとまってる気がするんだよなぁ。いやオチがつきやすいからすっと入ってくるという話かもしれない。
そうか。全編訳者の厳選した傑作だから、どれもしっかりまとまってるんだ。一定の完成度が担保ぽされてる。実際どれも読んで面白かったし、ギミックや世界観に唸った。ただやはり短編だから、「こじんまり」綺麗にまとまってる感もあって。物足りない感もあったのかな。その中でスパイス的にハッピーなロマンス要素があるもののいくつかが、特に個性を感じて印象に残っているって感じ。だと思う。 -
Posted by ブクログ
ゴシックホラー風味の児童文学。
健気な姉弟が働くことになったお屋敷では‥?
19世紀アイルランドでは飢饉が起こり、食べるにも困った国民は、生き延びるために、多くが移住するしかなくなります。
船で親とはぐれた14歳のモリーは弟キップと共に、命からがらイングランドにたどり着きました。
やっと見つけた仕事は、町外れのお屋敷のメイドと庭師。
出会う人はみな止めたのですが。
そこには異様な巨木が家を取り込むかのようにそびえ、夜には庭を動く何者かの気配が‥
奥様と子どもたちは青白く、留守がちな旦那様はなにかのトラブルを抱えている様子。
キップに言えない秘密を抱えたモリーは、お屋敷の謎に関わり、思わぬことに。
弟思いでしっかり者の姉と、ぼんやりしているようでいろいろなことをちゃんと見ている幼い弟。
二人の成長譚でもあります。
ホラーっぽいので夏向きかと。
本当に怖いのは苦手ですが、児童文学風味のこれぐらいなら大丈夫(笑)
子どもたちの生命力に救われます☆ -
Posted by ブクログ
1800年代のイングランドのお屋敷を舞台にした、少しホラーなファンタジー。ホーンデットマンションのような…
細かく区切られた表題で、字が細かいわりには読みやすかった。
登場人物が少なめで関係性もシンプルだったから外国名でもすんなりはいってきたのもよかった。
アイルランドと英国の歴史、とりわけアイルランドの歴史的苦難によって、モリー達がこうならざるをえなかった状況が、最後の作者ノートでわかり、何ともやるせない気持ちに…
最後の男たちが団結しているところや、コンスタンスに人間らしい雰囲気が出てきたりとなかなかよかった。
映像化するとしたらどんな感じなんだろうと妄想しながら読んだ。きっと実写だろうな。 -
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銀河の星々を結ぶ中継ステーションと聞いてイメージするのは、羽田のようなハブ空港。
行きかう人々。
雑踏の中で次々に起きるアクシデント。
などを想像してはいけない。
アメリカの片田舎のそのまた人里離れた一軒の古ぼけた一軒家。
そこに何日かに一回の割で訪れる宇宙人たち。
人型の異星人もいるが、植物型、液体型・・・さまざまな異星人たちと、イーノックはとれる範囲で最善のコミュニケーション、つまりおもてなしをする。
そんな牧歌的な日々。
近所づきあいはしない。
新聞や雑誌を届けてくれる郵便配達人だけが、唯一の友人と言える。
ライフル銃を小脇に抱えて日に一時間程度の散歩と、自家用のささやかな畑仕事。
ごくごく狭い世界で日を送るイーノックは、地球で唯一、異星人が日常的に地球を訪れていることを知る存在。
圧倒的に高次な文明や科学に触れながら、それでもイーノックは地球と縁を切ることはできない。
それはイーノックが地球人だから。
100年以上も年を取ることなく住んでいる人間がいるらしい。
そんな噂を聞きつけ、2年の調査を行ったCIA。
思わぬところから地球外生命の存在に気づく。
イーノックの家から少し離れたところに暮らすフィッシャー家。
当らず触らずの関係を長年続けていたが、生まれつき耳が聴こえず話すこともできない娘、ルーシーに対する家族の暴力を見て、ついルーシーを匿ってしまったことからイーノックへ悪意を募らせることになる。
銀河の星々の平和と繁栄のために必要な「タリスマン」と、その媒介者がここ数百年現れず、銀河本部も危機を迎えていた。
100年以上変わらぬ日々を送ってきたイーノックの周辺が一転、俄かに慌ただしくなる。
誰にも秘密を打ち明けることができず、大いなる孤独のなかに100年を過ごすことは、どれだけ淋しいことだろうか。
想像の中に造り出した友人を、異星人の進んだ科学が実体化させる。
しかしそれすらも、最終的にはイーノックの孤独を深めることになる。
けれどイーノックの心はいつも静謐だ。
1960年代に書かれたSFは、今の作品に慣れた目で見るとのどかである。
そして冷戦状態に対する絶望と、ひとりひとりの個人としての人間に対する信頼が、シマックらしい。
解説が、SF作家・評論家の肩書の付いた森下一仁、森下一仁、森下一仁なんです!(超大事なので三回書きました)
言われてみればこの作品、解説が森下一仁ってぴったりだ。
選んだ人、センスあるなあ。 -
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灰色の風が吹く。
いや、確かに空は晴れているのに、おかしなことだがこの姉弟のいく先は鈍色に染められているのだ。
そのお屋敷は草に覆われ、蔦が這い、屋根はたわみ、苔がはびこっていた。
そして一本の古い木が、主人のように植わっている。
たいていの場合、大きな古い木は優しさを湛え、見守るように聳えているものだが、この期に限ってはそうではない。
その幹に、枝に、根に、すべてに邪悪な雰囲気をまとっているのだ。
なぜか。
それはその木が、人の欲しいと願うものをどこからか出すからだ。
そのどこが悪いのか、って?
本当にそう思うかい?
ものを与える行為は決して一方的な愛の行為ではない。
必ずその代償がある。
モリーとキップ、姉と弟は懸命に働いた。
そして彼らが一番願うもの、心から望むものを得た。
しかし、それは、「希望」ではない。
ひたひたと音を立て迫ってくる「夜の庭師」。
どこでその男は間違ってしまったんだろう、その疑問にキップは後にこう答えを出す。
守ってくれる姉、モリーがいなかったからだ、と。
支えてくれる人がいるから、助けてくれる人がいるから、信じてくれる人がいるから、人は間違いに気づけるし、間違いを正せる。
屋敷の主人の子供たち、アリステアとペニーの兄妹もそうして間違いに気付き、ただせた。
君たちなら大丈夫。
まだまだこの子供達には困難があるだろう、しかしどうかこの子たちの未来が美しいお話で満たされるものでありますように。
鈍色の雲のうえには、蒼天が広がっている。 -
Posted by ブクログ
アメリカの片田舎にある何の変哲もない一軒家が、実は銀河の星々を繋ぐ中継ステーションだった!という飛躍がまず素晴らしい。一見するとワンアイデアものにも思えるが、冷戦という時代設定における核の恐怖であるとか人類の進化といったテーマも内包した奥深い作品。
様々な生態を持つ宇宙人たちが主人公の中継ステーション管理人・イーノックの元に訪れ、コミュニケーションをして去っていくという図式は藤子・F・不二雄の『21エモン』を彷彿とさせるが、あの作品の持つほのぼの感とは対照的に本作に漂うのは圧倒的な孤独と厭世的な雰囲気だ。ほぼ不老不死となったイーノックは老郵便配達夫の他はほとんど話す人もなく、殆どの人には先立たれている。自らの創りだした幻影すらも彼の元を去っていく。そしてこの孤独の外に「銀河文明における地球の孤独」がある。冷戦下の核に怯える時代を背景にした第二の『幼年期の終わり』のような作品。物語の後半にライフルとメアリを手放すイーノックの姿が強く印象に残る。
それにしてもシマックは語り口がとても上手い。「アメリカの片田舎に住む不老不死の青年」という都市伝説めいたミステリーからはじまるという出だしもワクワクさせてくれるし、ちょっとした情景描写も細やかでありながら、飽きさせない。後半のアクションシーンを除けば比較的地味な内容にもかかわらず一気呵成に読んでしまえる傑作。 -
Posted by ブクログ
クリフォード・D・シマックが贈るヒューゴー賞受賞の本書は、やさしさに溢れた作品です。
アメリカ中西部、ウィスコンシン州の片田舎。農家住まいの元北軍兵士イーノック・ウォレスは齢124にして、外見は30歳にも届かぬ不思議な男。じつは、彼の一軒家は銀河の星々を繋ぐ中継ステーションで、彼はその管理人なのだ。地球でただひとり異星人と接する男。その存在を怪しむCIAが調査を開始し…
解説でも触れられていますが、銀河を結ぶ中継ステーションが舞台にも関わらず、物語のおおくは、ウィスコンシンの片田舎が誇る緑豊かな自然の描写にあてられます。これは著者自身がウィスコンシン州出身であるように、彼の生まれや育ちが影響しているようです。そんな物語は終盤、銀河本部か地球のどちらに所属するかに迫られたイーノックが、無意識のうちに地球を選択する考えに行き着いたのは、風光明媚なこの大地に魅せられていることも一因といえるでしょう。
自然は決してやさしいものではありませんが、それらを愛しむ人のこころはやさしさで溢れるようで、これは書き手のシマック自身に言えることかと。だからこそ、イーノックに聾唖のルーシー、異星人のユリシーズにヘイザーなど、基本的に本書の登場人物はやさしきこころを持つものばかりなのです。勿論そうでない人物も登場しますが、それらは恐怖心のつよい臆病者として描かれています。恐怖心とはやさしさを覆い隠すもの。シマックは、こんな風にやさしさに対する存在を表したかったのかもしれません。
さて、本書では《タリスマン》とやさしきルーシーの感応によって、地球には平和が、銀河には団結が訪れます。終盤の予定調和的な展開にはすこし疑問が残るものの、この結末には、なんだか著者の思いが感じられるところ。いつ再び大きな戦争が起きないとも限らない世の中、自然への敬意、愛情をもった著者が、やさしさ(ここでは「思いやり」といった方がよいでしょうか)がついに人々の恐怖を掻き消す様を願ったように思えるのです。
(個人的には、それが人の手では作られない《タリスマン》のお陰となるのがう~んって感じです…)
いずれにせよ、本書は、片山若子氏の暖かみのある素敵な装丁も相まって、こころ穏やかになる作品でした。