釈徹宗のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
今回の聖地巡礼はキリシタン。
長崎・京都・茨木・高槻。
最近、遠藤周作の『沈黙』がスコセッシ―監督で映画化
されるそうで、予告編を見ましたが、本を読んだときの
想いがよみがえってきて、震える感じがしました。
本を読んだ時も、なんと説明していいのかわからない
特殊な感情を持った覚えがあります。
その”沈黙”の聖地である長崎の外海や、26聖人殉教の地。
原爆。浦上天主堂。大浦天主堂と信徒発見(信徒告白)の地。
茨木の隠れキリシタンの里。フランシスコザビエルの
有名な絵(教科書に載っているやつ)が茨木から
出てきたことを初めてしりました。昔茨木に住んでいた
時はそういうことをあまり知らずにいたのです -
Posted by ブクログ
前回の関西(大阪・京都・奈良)に続いて今回は
紀伊半島熊野。
少し前に中上健二氏の小説を読んでなんとなく紀伊・
新宮のイメージができていたので(すみません
行ったことはないのです)親近感がわきました。
というくらい。熊野には一度もいったことが
ありません。読んでみて一度熊野・那智・古道
に行ってみたい。歩いてみたいと思うようになりました。読みながらGoogleMAPのStreetViewとかでみて
いるとさらに行ってみたい気がします。
特に熊野本宮の大斎原と神倉神社。花の窟神社
補陀落山神社はなんとなくひかれました。
2作目も面白かったのですが。著者たちが少し
はしゃぎすぎの感があって。ちょっ -
Posted by ブクログ
日本の浄土教の思想的な特徴を概説する。特に法然の革新性を強調している。日本の仏教が概ね、明確な座標軸をもたずバランスを重視する「中空構造」であるのに対して、法然は最も重要な要素を選択し絞り込む「中軸構造」の仏教をはじめたとする。その思想を受け継いだ親鸞は、「ダメな自分」の自覚をもとに、無量寿教などの教典において、回向する、願うなどの主語をことごとく「私」から「阿弥陀仏」に読み替えることで、法然の思想を実存的に深めていったとする。そして同じく法然の思想を受け継いだ一遍は、念仏に土着のカミや密教、禅などあらゆる要素を飲み込ませ、すべてを吸収すると共にすべてを捨てる、「中空構造」的な念仏宗をつくりあ
-
-
Posted by ブクログ
ネタバレ子どもに教育を与えるのは、子ども個人の生活を向上させるためではなく、すべての世代を含めた集団維持のため、という理論に納得。
──学びというのは自分の手持ちの価値観では考量できぬもののうちに踏み入ることです。具体的な知識や技術を学ぶことではなくて「自分にはそれが何を意味するかわからないもの」に敬意と好奇心をもって接近する作法を学ぶことです。──
内田と釈の講義録だが、第二部の釈は鈴木大拙に関する概説という感じで、内田ほど独特の考察がない。しかし、グループホームの運営など社会活動家としては評価できる、学者肌でない。釈は対談を見るに、内田にあまり強烈なつっこみをしないので相性がいいのだろうな、と -
Posted by ブクログ
「霊性」などという単語に拒絶反応がある人には勧めない。
内田樹と釈徹宗が、今の傷ついた日本人には日本的霊性を賦活させることが必要で、そのための手段として聖地巡礼を実際にやってみた、体験的ルポ。第一陣として3階に渡り、大阪、京都、奈良を巡ったもの。
内田曰く「大阪は世俗の力によって本来の霊的エネルギーが枯渇している。だから、さらに世俗的な都市計画を立てて、箱物つくったり、カジノを建てようとしたら、霊的な力はますます衰えていく。それに比べて京都は、霊的なポテンシャルを近代化した都市の中でも高めに維持することに成功しています。奈良は、さらに霊的なエネルギーが生き残っている。」都市化によって人間が本来 -
Posted by ブクログ
むらいさんにお借りしました。内田先生と浄土真宗のお坊さん・釈徹宗さんが大学で行った講義を本にしたもの。
霊性、スピリチュアリティというのをキーワードに、現代の各宗教について、日常にある占いや「いただきます」といった行為が持つ宗教的(霊的?)意味について考察。靖国とか、オウムとか、話題が幅広。現代宗教の体系図も。おもしろいです。
印象に残ったのは・・・
・「賢しらに」宗教性を否定することの憎たらしさ(「無宗教葬」の傲慢さ、六曜入りカレンダーと安息日としての日曜日、女人禁制の山と性同一性障害)
・「自分」「自己」が確立するほど幸せを感じづらくなる
・いったん自己を潰す方法
・イヤホンは都会で暮ら -
Posted by ブクログ
ネタバレなかなか不思議な順番で読んだ。。この前に祖師仏教を批判する呉智英さんの「つぎはぎ仏教入門」を読んだんだけど、変に影響を受け視野が狭くなることなく読めただろうか。さておき、真宗と臨済宗なお二人の対談です。玄侑さんはTVで何かの番組にでられたときの印象がよく、「禅的生活」なんぞを読んでいたりする。作家としての玄侑さんの作品は読んでいないけど・・。
関係性に自ずから巻き込まれることを「縁起の実践」とし、積極的にかかわりながらも関係性にはこだわらないとする「空の実践」との部分が今に響きました。関係性にこだわるあまりに巻き込まれることをしない自分がいるのは確かであり、またここがとにかくも頑なな部分でも -
-