釈徹宗のレビュー一覧
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2020年、COVID-19が席巻した世界では次々と社会の歪みが露呈した。そのコロナ期とポストコロナ期に、次世代の若者たちがどう生きるべきかを内田樹をはじめとした様々な年代の言論人たちが語る。
内田さんが声をかけて集まった様々な分野の今をときめく著名人たちがコロナとコロナ後の世界をテーマに執筆しました。内田さんのセレクトだけあってみんなけっこう尖っていて(偏っていて)どれも読み応えのある内容でした。中学生向きということで平易な文章で一編が短いのも読みやすくていいと思います。そしてみんな分野が違うので、コロナ期というものを違う角度から見ているのも面白い。また、分野が違っても結局、多くの著者が今世紀に入ってからの日本の教育が間違っていると言及しているところが内田さんセレクトらしくていいし、実際にその通りだと感じます。
近代に入ってから特徴的なのは膨大な富を得た後に残る負債を残らず次世代に押し付けるところ。これを明確にあぶり出したのがコロナで、コロナがあってもなくても次世代の若者たちは老人たちのケツを拭きながら生きる羽目になります。そのことに若者たちと、おそらく現役世代に含まれる私たちがどう向き合って生きなければならないのか、時代のまさに転換点に生きているということを感じさせる本でした。
特にキューバを例とした無料医療に言及した三砂ちづるさんの章が勉強になりました。ということでゲバラの若き日の旅路を描いた「モーターサイクルダイアリーズ」も併せてお楽しみください。この映画はすごくよかった。本も出てる。
あ、あとバランスを取るために武田邦彦の「君が地球を守る必要はありません」もどうぞ。 -
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鎌倉時代。それまでの「悟り型仏教」に対して、「救われ型仏教」である浄土仏教を日本において根付かせ、主流にまで発展させた浄土宗の祖・法然、浄土真宗の祖・親鸞、時宗の祖・一遍の三人の思想を比較検討しながら、その特色を知る内容になっています。
悟り型仏教は、俗世間を離れて修行をし、自分の力で悟りを得て救われようとする仏教です。いわゆる「自力」の考え方です。一方、救われ型仏教は、たとえば法然の言うところであれば、南無阿弥陀仏と唱えることで阿弥陀様が救ってくださる、という「他力」の考え方です。「他力」には修行はいらないのです。阿弥陀様を思って、生涯にわたって念仏を唱えて救いを求める気がありさえすれば(これを「多念」といいます。「一念」という考え方もあり、こちらは一度念仏を唱えればどんな悪事を働いても救われるとしたので倫理的に乱れてしまい、法然は戒めの言葉を残しています)、阿弥陀様の力で極楽浄土へいけるという考え方なのでした。
ちょっと脱線しますが、この「他力」の考え方や姿勢がいまや、日本人の「日本人らしさ」を形作っている根っこのところにまで及んでいるとは考えられないでしょうか。最後は神様がなんとかしてくれる、仏様がなんとかしてくれる、誰かがなんとかしてくれる、というような心性としてです。なんだかありそうに思えるのですが。
さて。まずは法然という人が大人物なのでした。著者も法然を、巨人、と呼んでいるくらいです。それまでの仏教は同一性の強いものでした。なんでもいっしょくたです。あれもこれも実は一緒なんだ、というように。「色即是空」もそうです。法然は仏教に二項対立を持ち込みます。正邪、善悪、というような、つまり二元論です。そうすることで、教えをシンプルにしました。二項対立に分類していくことで、突き詰めていったのです。突き詰めていって、最後には、南無阿弥陀仏だけとなえればよい、出家などしなくともよい、といったところにたどり着きます。それがなにを意味するかといえば、世俗の人たちを救うことができるようになったのでした。要するに、出家して修行するなどという人生に余裕のあるような人ではない世俗の弱者の人たちこそ救われなければならない、と法然は考えたのでしょう。そのために、仏教を二項対立の論理で切り拓いたのです。仏教が、ほんとうの意味で民衆に開かれた瞬間だったといえそうです。
続いて親鸞。親鸞は法然の弟子で、法然の教えをさらに哲学的に考えていった人です。そこには永遠に吹っ切れない迷い、自分への疑いがあります。非僧非俗なんていう宙ぶらりんな立ち位置に自分を置きずっと悩み続けますが、それはどうやら彼がとても誠実に仏教に挑んだためなのでした。そこには、無宗教的な現代での内省の仕方に通じるものがあるような、先鋭さがある気がしました。認知的不協和に苦しみながら、法然の思想をより専門的に深めていったのが親鸞です。
最後に一遍です。現代において時宗は少数派です。しかし、法然、親鸞、と続いて、一遍が浄土仏教を完成させたという学者もいるそうです。反対に、浄土仏教を堕落させたと考える学者もいるそうですが、著者はどちらかというと前者の考え方で、さらには、法然、親鸞、一遍を同一線上で語ること自体が違うのではないか、との立場で考察を進めていくのでした。念仏を唱えながら踊りを踊る「踊念仏(日本の芸能の端緒ともいわれます)」が有名な一遍は、法然がそれ以前の同一的世界観の仏教に二元論を持ち込んで広めた浄土仏教を、同一的世界観に回帰させつつも浄土仏教自体は維持します。アクロバティックなのです。また、聖俗の逆転をしたという特徴もあります。聖俗の逆転とは、出家者こそ一番ランクが低く、世俗の身でいながら往生するのがもっともランクの高い者だとしたことです。これは、従来の考え方とは逆なのでした。
そういった三人を一人ずつ見ていき、最後に比較するのですが、読んでいてなかなか難しい論理展開のところもあります。なぜならば、仏教の昔の著作からの引用があるのですが、その論理展開が難しいからです。昔の人も難しいことを考えていたものだなあ、と感慨深さもありながら、読解となると著者に頼るほかないところがありました。
というところですが、特に注意を引かれたところを以下に引用します。
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河合隼雄は『中空構造日本の深層』の中で、一神教を基盤とした西欧の中心統合構造では相容れない要素を周辺に追いやるので正と邪や善と悪が明確化されていくのに対して、中心を形成しない構造は対立するものを共存させ適当なバランスをとりつつ配置される、と論じています。(p65)
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西欧型の中軸構造は、それに沿わないものを周縁に追いやる、排除する性質で、一方の日本の中空構造は、それこそすり合わせをしていく構造になっているんです。ここで推察するように考えが及んだのは、日本の自動車産業のすり合わせ技術についてでした。日本のすり合わせ技術は世界に誇るピカイチさだとテレビだったか本だったかで知っていますが、そういった日本の技術力の元にあるすり合わせのメンタリティはこの中空構造からの影響なのかもしれない、と思えたのです。これも、先ほどの「他力」の話と同じく、日本人の心性としての部分について思い当たったことです。
そんなわけで、久しぶりに仏教の本を読みました。またそのうちに、今度は悟り型仏教のほうに触れてみたいです。仏教は魂の科学だとして、科学者が仏教者にいろいろ尋ねていたこともあるとかないとか。科学と符合するものがそこにあったとして、それって古人の内省力の比類なき強靭さを証明するものだったりすると思うんです。すごいものですよね、人間って。 -
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50年前の最初のテレビ漫画のゲゲゲの鬼太郎は見た。実写版の悪魔くんもうっすら覚えている。昭和ヒトケタの父親が鬼太郎は面白いと云っていたなあ。
子供時分は、水木さんの絵は少し苦手だった。手塚さんや石ノ森さんの丸っこい描線が好きだった。今見ると、背景や妖怪の緻密な描写や点描の凄さに驚きつつ、人物、人間側の鬼太郎達の描き方と奇麗な女性やイケメンの描き方にギャップがあるなと思う。
4人の語り手が水木さんを解き明かす。境港での幼少期、食うや食わずの紙芝居描き、貸本時代。死地を彷徨った軍隊時代、幻想怪奇譚好きが水木さんを形づくったとのこと。
成程、改めて、この人は野放図な天才だと知ったよ。 -
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本書の前半には、2012年に相愛大学でおこなわれた内田樹の3日間の集中講義が収められています。後半には、内田が館主をつとめる凱風館で釈徹宗がおこなった、鈴木大拙の『日本的霊性』についての講義が収められています。
内田の担当しているパートでは、これまで内田がさまざまな著書のなかで述べている内容をまとめたもので、武道などの体験を通じて内田自身がその存在を実感している身体知の重要性を指摘し、そうした目に見えないものについての感受性をないものとしてあつかってきた現在の社会のありかたに対する危惧が表明されています。
他方、釈の担当しているパートでは、大拙の主著である『日本的霊性』の解説というかたちをとっているものの、内田の議論に通じるような問題へと話を接続することがくわだてられており、大拙が「霊性」と呼んだ感受性のありようを、ある種の知性のかたちとみなすとともに、「人間的な領域」と「非人間的な領域」の境界を感知する能力として、その役割を説明しています。このような能力は、内田がサリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』のなかの「歩哨」についてのエピソードを参照しながら語っていた能力であり、二人の著者の話がおなじ着地点へと向かっていることがわかります。
著者たちが、現在のわれわれの分明な知性によっては把握することのできない知の可能性に対して開かれた態度をとろうとしていることは、それなりによく理解できたように思います。ただその一方で、そうした知のありかたについて、なぜこんなに分明に語ることができるのかという疑問も感じます。 -
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案の定、程よいゆるさ(なお哲夫だけじゃない)で肩の力が抜けた。
仏教寺院がイスラム教徒から攻撃を受けても報復をしなかった、という話が好き。成熟してるという表現もなんとなく悦に浸れた。
偏ったら逆方向に、引っ張る。まさに中道をいこうとする姿。お手本だなぁとしみじみ。バランスをとることが個人的には好きなので、中道はあらためて大事にしたい考えだと思った。
ああ、1番刺さった話を忘れてた。
「他者がやったことと、他者がしなかったこと」ばかり見るのではなく、「自分がやったこと」「自分がしなかったこと」に目を向けること。
他者ではなく、自分が人生の主人公。 -
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斎藤幸平さんの名前があったので読んでみた。
一番心に残ったのは平川克美さんの文章だろうか。会社勤めするようになって当たり前のように見聞きしてきた経済合理性。原価を絞り、無駄を排除して、より低価格の製品を提供する。お客様の要望に応え、お客様が期待する以上の価値を生み出すこと。製造業をはじめ、経済はそのようにして成長するものだと思っていた。
しかし、現在は総供給が総需要を上回っている状態。必要ないものを売るための広告やマーケティングなど、ブルシットジョブ(この本で言及してる人の多いこと!)が蔓延し、限られた利潤を確保するために「集中と選択」という言葉に現れるように、偏った資源配分をし、競争優位性のない部門は排除すべきとの考え。この競争優位性、経済合理性といった考え方は、巨大企業や金融市場が成長を続けるために流布されたもの。これが人々の価値基準や判断基準のモノサシとなり、格差やブルシットジョブを生み出すことになった。コロナ禍はその脆弱性を露呈させた。無駄を排除した結果、緊急時の備蓄がない、余剰人員を持たない保健所や医療現場、高齢者より若者を優先すべきだとの優生思想。さらに、経済かコロナ対策か、という議論自体が、経済合理性というただ一本のモノサシで語られているということ。
大学生活が単に勉強をすること、即ちオンライン授業さえ受けていれば事足りるのとは違うということもコロナ禍で見えてきた。
仕事とは何か、大学とは何をする場なのかを再考する機会を持とう、社会で当たり前とされる考え方、メディアの喧伝するものに次第に染まってしまう危うさを意識するようにしよう、そう思った。 -
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VUCA感がめちゃ高まっている現在
今、そしてこれからの世界をどのように生きていけばよいのか。
それを自分のために、そして若い人達のために知りたい。
そのような気持ちで本書を読みました。
執筆者は、内田樹先生セレクトというバイアスはあるので、ものすごい多種多様な意見という感じではないですが、それでも幅広い年代と専門分野にわたっています。
そしてみなさん暗くなりがちな話題にも関わらず、暖かで柔らかい前向きな文章を書かれており、こちらも穏やかな気持ちでページをめくり続けることが出来ました。
全体を通してある程度共通だと感じたメッセージは
•現在や過去(大人、制度、システム)を信じすぎないでね
•データは大事だけど私たちは人間だよ
•自分の頭で考えてね
•支え合うって、大事だよ
•いや、そんなシンプルで簡単にまとめられることばっかじゃないからね
ということです。
これに関して私は全面的に共感します。
このメッセージの先によい未来があると信じて、若い人達にそれを伝えたいし、伝え方を考えていきたいです。
と同時に若い人達には、このメッセージと全く関係ないような、私たちが予想もしない全く新しい素敵な未来を創ってくれることも、ちょっと期待しています。 -
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現代的な文献批判の方法を駆使して、仏典の歴史的な形成を解明した富永仲基の思想を解説している本です。
著者は浄土真宗の僧侶ですが、仏教の研究者として近代以降の「大乗非仏説論」などの歴史的研究の諸成果に通じており、それに匹敵するような合理的な仏典解釈にいち早く取り組んだ「天才」として仲基を位置づけています。ただし、仲基を時代から隔絶した「天才」と位置づけることに対しては、宮川康子が著書『富永仲基と懐徳堂―思想史の前哨』(1998年、ぺりかん社)のなかで批判しており、慎重であるべきなのではないかという気がします。仲基の思想の独創性とされるものは、日本の近世における儒学や仏教のありかたの特殊性によって可能になっているという側面もかならず存在しているはずであり、本書はそうした思想史的な文脈に対してあまりにも無頓着であるようにも感じられます。
とはいえ、仲基の学問・思想について、手にとりやすい新書の形式で解説がおこなわれており、また『出定後語』のテクストから仲基のことばの紹介がなされている本書は、読者が仲基の思索にじっさいに触れることができるという意味でも、その意義は大きいのではないかと思います。